お知らせ
「カメはどうしてウサギに勝てたのか」 (まちセミ講演録:金子洋二その2)
2013/02/06スタジオファイル代表 金子洋二さん講演会
「ミッションからはじめる組織運営」~NPOに学ぶ「思い」と「経営」の両立~
2012年12月22日 富山国際会議場
主催 NPO法人GPネットワーク
協賛 富山大手町コンベンション
その2
「想い」(理念・ミッション・目的)について
~カメはどうしてウサギに勝てたのか~
この前提で進めていきますと、まずNPOの心臓部ですね。想いについて、いろいろ考えてみたいと思います。言い換えれば理念とか、ミッションとか、目的とか、どういう働きをしているのか。これがなければNPO、市民団体がそもそも成り立たない。
これがあるからこその活動であるという話なのですが、ちょっとここでクイズです。ウサギとカメの童話はご存知ですよね。勝ったのはどちらでしょうか。カメですよね。まともに考えれば、カメがウサギに勝つことは考えられないのですが、カメが勝ったという話になっています。どうしてカメはウサギに勝てたのでしょうか。この物語は何を伝えようとしているのでしょうか。
ちょっと水を飲ませていただきますので、1分ほど周りの人と相談してみて下さい。どうしてカメはウサギに勝ったのか?(~シンキングタイム~)はい、こんなの分かっているよという雰囲気もあります。どう思います?どうしてカメが勝ったのでしょうか。
「ウサギはカメをみて勝負したのですが、カメはゴールをみて勝負していた。」(受講生)
すごいですね。富山の方ってすごいですね!相手は競争相手をみてレースを運んでいたのですが、カメはゴールに到達するという目的、つまりミッションですよね。ミッションだけをみつめて歩み続けた。だから勝てるのだよということを教訓としている。
よく言わるのはウサギが油断して自分に慢心があったから負けたと言われ、一方カメは遅い動物だけど直向きにがんばったから、一生懸命努力したから勝てたというそういうことを教えてくれるという感じで伝わりがちなのです。まともに考えれば、カメはウサギに勝てるなんて思うはずがない。ウサギが競争相手だと思うと勝てるわけがないのですが、言い換えてみれば内なる自分との闘いだったと思います。自分の中にある目標だけに向かってあらゆることを考えたから競争しようと言ったのではないかと思います。
それだけ理念というものをぶれずに持つことが可能性を秘めているのだということが色んなところに書いてあります。
ミッション考
~使命とは、「命」を「使う」こと~
ミッションについて、ミッション考となんて言って雑感に近いですけど、いろいろ考えてみます。まずミッションを日本語に訳すと使命と訳しますね。使命という言葉をどう書くかというと「命を使う。」と書くわけです。命を使う。皆さんこれすごく大袈裟に聞こえるかもしれませんけど、あたり前の営みでもあるわけですね。もっている命を思い切り使うということです。言い換えれば命ある人というのは皆使命を持っているということです。
言葉遊びのように感じるかもしれませんがすごく基本だと思うのです。命を使うことで生きている。それは特別なことではなくその自分の命をどのように使うかを意識出来ているかどうか。それをミッションという言葉が問うと解釈すればよいのではないかと思います。
~何をすべきかじゃなく、何をしたいか(ニーズに振り回されない)~
その中で大事なのが組織を運営していると何をしなきゃいけないのかなと考えがちなのですが、何をすべきと考えるのではなく、何をしたいかをいかに考えるかが大事だと思います。よく企業の世界でも、NPOの世界でもニーズという言葉をよく使います。ニーズってすごく大事なもので、大事なものではあるのですが、「ニーズは何だろう、ニーズは何だろう。」と問いかけること事態が、実は根本的に自分がどうありたいのか、自分はどうしたら命を燃やせるのか、何に自分はエネルギーを傾けられるのかというところから離れて膨らみがちなのですね。要はニーズに振り回されることになりがちなのです。
ニーズを考える前にまず自分が何をしたいのかということが軸としてあって、その視点からみて世の中にニーズがあるのかを考える方がその人が生きる。その方が自然な考え方ではないでしょうか。ミッションがよく分からなくなるという非営利組織がよくあるのです。よくよく考えてみるとまわりがどう考えるかというところにアンテナはよく張っているのですが、自分たちは何がしたいか共有されていない。その部分が弱いと集まってくる人たちのつながりも危ういものになりますし、長い目でみたときの目標というものも共有しづらくなる。何をしたいかということを先に考えて、その延長線上に何をすべきかを考えるということが順番なのかなと思います。
~やりたいこととできることはイコール~
まちづくりとかNPOとか、事業を考えるときに「やりたいこと」、「できること」、「求められていること」の三つの要素から重なるものを考えましょうという言われ方があります。その三つの要素とはミッションですね。使命、想いです。「やりたいこと」、それに対して、「できること」を現実的に考えた時にこんなものだろうと現実的に想像できること、それに対して「求められている」ことは、まわりのニーズということになるわけなのですけども、その考え方も教科書通りで一理ありますし、いろんな講座の中でその論法を使うことも多々あるのですが、あまり健全ではないような気がします。
企業とNPOの違いとはどんなところにあるか。もちろん企業というのは営利組織ですし、NPOというのは非営利組織です。営利を目的としないというのがNPOですけども、もう少し深く考えると企業の世界で成功したと考えられるのはどのような基準で考えられるのでしょうか。大体は、平均的な業績を上回った時に、平均以上の成果を出した時に「成果を上げた。」、「成功した。」と言われると思います。
ところがNPOはそうではないのですね。NPOは理想が高いわけです。理念を持って、こういう社会にしたいという理想を掲げてやっているわけです。NPOが成功するときはその理想に限りなく近づくとき、常にベストを目指すわけです。平均点というのはないのです。自分たちの理想に到達することを成功としているので非常にハードルが高い。その時に、「やりたいこと」、「できること」を比べてみると、常にできることというのは「やりたいこと」に届かないということになりかねない。
これは非常に辛いものがあります。いつも「足りない!足りない!」と思わなければならない。「なかなか成功に結び付かない。うまいところまでいかない。理想に近づかない。」というジレンマがどんどん育ちます。だから10年くらいでくたびれてNPOが潰れたりするのですね。ちょうどNPOがはじまって10年以上経つのですが、そういう現象が起きています。理想ばかり高みばかりみて、それに中々到達できない自分たちと向き合う。
それを埋められるのがこの考え方だと思います。「やりたいこととできることはイコール」やりたいことはいつかできることだって思いながらやらないと精神衛生上よろしくない。今はまだ出来ないかもしれないけど、いつかできることだと思い、ミッションを捉えていくことが僕は大事かなと思います。
~変えることは、帰ること(変化のとき、それは原点に帰るとき)~
もうひとつ、「変えることは、帰ること」であることです。どういうことかというと組織というのは人間の身体と同じで新陳代謝が大事だと言われますけど、やはり変化しなくなった組織というのは段々硬直化して、マンネリ化して、みんなから飽きられつまらなくなって、段々活性化が鈍ってきて、衰えていって、いずれは潰れていきます。
組織というのは放っておくとそうなるのですけど、意識的に新陳代謝、変化を続けることが大事なことだと思います。その時に何か立ち返るべき原点があるかどうかというのは大事なことじゃないかと思います。原点に立ち返るところを反らさずに、必要な変化を遂げるということが、組織に重要な変革になると思います。原点も持たないで、コロコロ変わるというのは会社もNPOも同じだと思いますが、逆に信用を失うと思いますね。ぶらさないところはぶらさないで、変えるべきものは変える。
~人は皆、ボランティアであれ(volunteer)~
「人は皆、ボランティアであれ」ということなのですが、「なんじゃそりゃ~」という感じでしょうか。そもそもボランティアという言葉をどのように捉えているかという部分だと思うのですが、私は決して皆にタダ働きをしろと言っているわけではないです。ボランティアという言葉に根強い誤解がありまして、それが市民活動の発展に非常に大きく影響していますのでここで触れさせていただきます。
日本ではボランティアというと奉仕活動と訳されますが、語源を辿っていくと、前半の部分の”volo”はラテン語から来ていて、意思という意味だそうです。ボロと発音するそうです。後半の”er”は人という意味を表しています。”Driver”とか”teacher”とかと同じように人という意味になります。語源を遡ると意思を持った人という意味になるのですよね。
自ら、自分で何かをやりたいという意思を持っている。そのことをボランティアといいます。これを英単語として辞書で調べると志願者と記されています。自発的に何かしたいと思っている人のことをボランティアと言うのですね。動詞にもなるので「自発的に○○する。」という意味もあるのですが、自発性というものを問うているだけであって、奉仕活動かどうかなんて一切言葉の中に出てきてないのですね。
明治期、言葉が輸入された当時の日本では奉仕活動という言葉がピッタリとはまったのだと思いますが、今でもこういった使い方をされると大きな誤解があると思います。奉仕というのは自分を殺して、他人に尽くすというイメージがありますね。高尚なもので生半可な想いでは踏み込めないというイメージがついてしまいます。然に非ずということですね。
自分がやりたいことがあり、やることはボランティアなのですね。人に強制されるものではない。学校で子どもたちが奉仕活動とかやらされることがあると思いますが、あれはやらされている以上ボランティアとは言えないわけですね。自分からやりたいことをやる。是非ともそろそろ時代にあった言い回しに変えてもらえたらいいなと思います。
使命という言葉をどう解釈するかということにつながるのですが、「人は皆、ボランティアであれ」と思うわけです。たまたま私はやりたいことをやって仕事ができているので幸せだと思うのですが、すべての方にそうあってほしいことだと思います。当時、大学を卒業した時には気付かなかったですけど、どんな仕事であっても人に役に立つからその仕事が存在するということが前提だと思うのですね。そうじゃない仕事があるとしたらなぜそのような仕事が生まれてきてしまったのかを疑問すべきであって、本来仕事というのはボランティアであるべきことだと思うのですね。
「仕事ができる。人の役に立つ、だから嬉しい。」自分がやりたいということが本来人間と社会の関係であって、生き方の基本だと思うわけですね。そういう世の中になったらいいなと思うのですが、NPOの世界から社会の中を見ています。
~ケネディ元大統領の伝説の就任演説から考える~
皆さんご存じの有名なケネディ大統領ですね。第35代アメリカ合衆国大統領の有名な伝説の就任演説です。「ASK NOT WHAT YOUR COUNTRY CAN DO FOR YOU – ASK WHAT YOU CAN DO FOR YOUR COUNTRY」と聞いたことがある方、どこかで見聞きしたことがある方がいるかと思います。「アメリカという国があなたたちに何をしてやるかではない。あなたがアメリカという国に何ができるかだ。」ということを大統領の就任演説をして絶大な支持を民衆から得た。
国づくり、国の運営というものですらボランティアであるというわけです。自分たちがやりたいという想いを持つ人が集まらないといい国ができないということを就任演説でバン!と言ったわけですね。日本は最近になってまた「新しい公共」と言って、国民・市民が公共サービスにもっと自分から参画するように施策をはじめているわけですけど、まだまだ行政主導という感が否めません。
これは戦後の日本、特にバブル期についてしまった悪い癖が未だにそれを引きずっている。政府にたくさん税金が入り、何でもかんでもお金で解決する。政府は行政がまちづくり、公共サービスにおいてもお金を出してくれるという、悪い癖がついてしまったわけですね。その後遺症に私たちは悩んでいる。
もっと自分たちから市民目線で自分たちのやりたいことを考えた時、まちづくりのやり方があるでしょうし、行政にはできない市民だからこそできるサービスがどんどん生まれてくる。そんなことをケネディさんはずっと前から仰っていたわけですね。というわけで、ミッションの話から国づくりの話までに来てしまいましたけどもボランティアという言葉の解釈について話をさせていただきました。