レポート

まちづくりセミナー2012

第6回講演録 講師:乾久美子

2013/02/27 

平成24年度まちづくりセミナー第6回

平成25年1月8日

「日常のなかの建築」

 

建築家・東京藝術大学准教授 乾久美子

 

はじめに ~自己紹介と本日の講演内容についてのおことわり~

みなさんこんにちは

今、ご紹介いただきました乾です。何からお話しましょうか。これはまちづくりセミナーということで、呼んでいただきました。

簡単に自己紹介をしますと、建築の設計をやっておりますが、自分の事務所をスタートさせてだいたい12年くらい経っておりまして、普通には建築設計をやっております。

ただ、去年度より宮崎県の延岡市というところで「まちづくり」に関係するような仕事をいただき、あまり、まちづくりに詳しいタイプの設計者ではなかったんですが、それからというもの、必死で勉強しながら、今、宮崎県のほうで、市役所の方々、あるいは、まちの方々と一緒に一丸となってまちづくりというものに取り組んだりもしているところです。こうしたレクチャーのときには、建築の話をしたらいいのか、まちづくりの話をしたらいいのか困るんですね。同じ人間ではありますが、建築の設計をするときの脳みそと、まちづくりを考えるときの脳みその働かせ方はちょっと違っていて、それを同時に話してしまうと、「この人何を考えているのかな」ってふうになってしまうのが最近の私の悩みです。

で、本日何を話せばいいのかなと、とりあえず3編レクチャーのスライドを作ってきました。まちづくり編、建築編、あとひとつは陸前高田でちっちゃなコミュニティスペースっていうのをやったのを作ってきまして、どれにしようかなというのを、皆さんの意見を聞いて決めようと思っていました。今日、来て事務局の方とお話しましたら「建築の話なんていい。いい。」みたいなふうに言われてしまい、じゃあいいかなというふうに思って、やはり「まちづくりセミナー」ですから、まちづくりの関係の話題に絞っていこうと思っているところです。

今日は時間が2時間あって、私がいきなりとうとうと自分の仕事をお伝えするほど業績を上げているわけでもありませんので、まずは、私どもの事務所が延岡でやっていることを話題提供として簡単にご紹介できたらいいなと思っております。

講演のタイトルなんですが、「日常の中の建築」というタイトルでチラシを作っていただきましたが、あまり、こういう状況ですので、今日の内容と関連していないかもしれないのですがそれをお伝えしておきます。

 

延岡駅周辺整備「駅まち」プロジェクトについて ~駅周辺整備を通して街全体の再生を考える~

 延岡市ってこんなところ

今からお伝えするのは宮崎県の延岡駅でやっているまちづくりのお話しになります。 

このプロジェクトは駅周辺整備を通して街全体の再生を考えるというプロジェクトです。私は建築家なものですから、都市の再生を考えるという課題に対して、建築のデザインが、どのように役立つのかということをいろいろ考えながら設計をしている感じです。

延岡市の説明をすると、宮崎県があり、その一番北のあたりにある県北にある町です。ほとんど山間部があって平野部に多くの活動が集まっているという場所です。その平野部のちょうど真ん中からちょっと北のあたりに再開発というか、まちづくりの中心として位置づけようとしているJRの延岡駅があります。

さらに大きく見ていきますと、グレイの平野部があり、延岡市は川がいっぱい流れている町で、川に挟まれていろんなエリアに分かれます。延岡市は大きな2本の川が流れていて、その2本の北川の部分が「川北」と呼ばれています。そのちょうど真ん中に駅がある。という構造です。JRの線路とやや平行に大きな幹線道路が通っていまして、ロードサイドに大型店舗がはりついていくという、地方都市によくある感じの町の構造になっています。

もともと、延岡市は、旭化成の大きな工場を誘致した歴史があり、今も稼働していますが、この2つの工場を挟んだ辺りがかつて中心市街地、あるいは商店街が非常に発達したエリアとして戦後特にすごく栄えていたのですが、残念ながら幹線道路ぞいに商業の主要なお店が移ってしまったので、この商店街に挟まれた商店街が非常に寂れてしまっているという現状です。同時にこの中心市街地に回遊する人の数も減ってしまい、非常に寂しげな感じのまちになってしまった。これは、地方都市によくある話だと思うのですが、延岡市は、これをどうにかしようということで、がんばろうと。延岡駅という核となる施設があるので、そこを中心に何かできないかということを考えるという話です。ちょうど駅が老朽化してきたので、建て替えで考えていたのですが、いろんな施設を改築とかして、ちょうど再整備をするような更新時期にあるのです。更新時期にあるので、せっかく建物がきれいになるのだから、その機会を生かして、まちの中心というものをちゃんとつくっていこうという話です。なので、まちづくりが先攻してあるというよりは、駅の再整備という問題が先にあって、駅の再整備に合わせて何かしようというところから話が始まっています。

 なんとなくまちの雰囲気というのが、小さなまち、人口は13万人ほどです。ですから、中小規模くらいの市だと思ってください。まだまだ田んぼも残っていますし、自転車でぐるっとすぐ回れるような、いいスケールのまちだという風に思います。駅は「13万人の駅なんてこんなもんだ」という感じの駅ですが、1日の乗降者数としては2,000人。かなり人々の活動の量も少ない駅です。そして、全体に統一感がないというか、まず駅をつくり、タクシー乗り場をつくり、順次整備していったような駅で、「なんとなく使いづらい」という不満が市民からは寄せられているというそんな駅です。それをこれから変えていくということをします。

 

 延岡市駅周辺整備事業の考え方

事業の考え方ですが、一般的に、こうした駅の再整備っていうときには、駅ビルをくっつけてテナントを誘致して盛り上げようということが事業の考え方としてあると思います。延岡くらいの駅だと、ここ10年くらい、整備の例はたくさんあるのですが、その多くがテナントの誘致に失敗し、駅はできてはみたもののテナントが埋まらないという非常に厳しい状況が生まれているという現実があります。

 ですから、延岡では同じような方向でやってもちょっと厳しいだろうという風に思ってますし、この駅ビルにつくるとしても、なかなかそれを一緒につくってくれるような民間の方々がいらっしゃらないという現実もありまして、駅+駅ビルっていうような考え方はやめてしまおうという話になりました。現実的なこととして駅に駅ビルをくっつけても、テナントは10個ぐらいしか入れられない。それに対して、ショッピングセンターをつくっていろんな人が集まる理由には、商品のチョイスが多いという理由があって、それに魅力を感じて、皆さんショッピングセンターに集まると思うのですが、そうした大規模なショッピングセンターに対して、小規模な駅ビルというのはどうしても商業的な魅力がつくりがたいという問題があると思います。さらに最近は大規模なショッピングセンターですら、インターネットショッピングの持つ商業的な魅力に負けつつあるような時代ですので駅の中に何かつくっても本当に難しいだろうなということを前提にやっていこうというのが延岡の特徴です。

じゃあどうするのっていったときに考えたのは駅に商業を張り付かれるということではなしに、駅に市民活動を張り付かせるということで、駅そのものが楽しげになるんじゃないかということを考えています。

 

延岡駅周辺整備で目指すコミュニティの集め方

 駅に市民活動を張り付かせるということですが、単にサークル活動を埋めるというだけでなく、もちろんそういう趣味の方々を大きく受け入れるということはしながら、プラス、「新しい公共」というようなものの担い手となっていくような市民活動を期待しています。studio-Lの山崎さんが延岡の仕事を一緒にしているんですが、山崎さんのアイデアによって新しい公共の担い手を駅に入れようということです。山崎さんは、もともとは、コミュニティというと地域コミュニティが多くあったと指摘されていて、自治会であったり、地域に根付いた人と人とのつながりはもともと存在していたと。しかしながら、ある時代から地域での人のつながりというのはどんどん衰退してきたというのが今の日本の現実である。これは悲しい事実なのですが、地域コミュティはすたれているのだけれど、反対にテーマ型コミュニティっていうのは地域コミュニティの衰退を補うように盛り上がっているのではないかというのが山崎さんの仮説です。その仮説は事実であったりもすると思うんですが、その考え方をベースにテーマ型コミュニティを使いながら、公共に必要なサービスや何かを担っていただくということを考え、そのテーマ型コミュニティというものを駅に集めていくということをやってみようというのが延岡の特徴です。

 テーマ型コミュニティを前提にした市民活動を駅にくっつけるということを建築的な話でしていきますが、ただ単に空間的に商業と市民活動をくっつけてもこのふたつが折り合うことはできないだろうというふうに思いました。駅を利用する人は勝手に駅を利用しているし、市民活動をやる人は勝手にそこの部屋へ行って仲間と活動を数時間活動して帰って行くと、お互い壁一枚隔てて、単に隣接しているだけであるということになってしまうと思います。

 コミュニティセンターなんかをつくって、中で盛り上がっていても、周辺に波及していかないというのは壁に隔てられているからだと思うのですね。で、これをやっても、さすがに仕方がないので、今考えているのはできる限り、このふたつの世界を分けてしまうのではなくて、まぜまぜっと、まぜご飯のように2つを混ぜるというか、ちらし寿司というか、この2つの組み合わせをなるべく複雑に、なるべく混ざり合うようにしようということを考えています。

 これをどうやってまぜあわせるのかということは、より詳細な設計で決まっていくわけですが、ふたつの空間のプランニングの基本方針として、まぜまぜするということまでは今やろうと市の方と市民の方と共通認識をつくるところまではきています。

 これをすると何がいいかというと、単に駅を使っている人が駅を使っているあいだに、市民活動をしているのが見えて、おっと思ったり、「おっ」と思ったんで次の日は、ちょっとチラ見するということが起こったりして、最終的には参加して巻き込まれていくというようなことが生まれたりしたらいいかなと思っています。

 あるいは、市民活動だけに来るような人もいると思うんですが、そうした方が駅っていうものが以外と便利だなってことをもう一回再認識したりとか、こういう路線があるのねっていうことをもう一回感じたりすることがあれば、いいな。お互いにとっていい関係が築けるんではないかなということを期待してプランニングしていこうかなということを考えています。

 延岡駅でさらに重要視しているのは、市民活動を集めるといったときに、あんまり駅を充実させすぎちゃうと問題で、駅にばっかり人が集まるということが起こってしまうので、あんま立派な施設をつくらないほうがいいだろうということを今話し合っています。ちょっと市民活動のスペースはやや足りなさ気味くらいにつくっておいてあそこはあんまり使えないから、もうちょっとこっちで活動しようかなと、まちに市民活動がはみ出ていくようなことがあれば、最も素晴らしいんではないかと。これを狙っている感じです。こうした状況になるということを最終的な目標としながら、今駅を整備するということをやっている状況です。

こうしたことをすることの良さというのは、まちの交流人口、回遊性が増えれば当然商業が完全に再生することはなくても少しでも新しく商売を始めようとする人にとって魅力があるということが非常に重要だと思っています。そうしたことに少しでも手助けになればというイメージを持ってこの図の感じをなんとか実現させようと思っているところです。

 

延岡駅周辺整備の考え方、手法を建築で実現するには1 〜地上レベルに活動を集める〜

 より具体的な話になると、もともと市の職員の方が持っておられた駅のイメージは1階が駅で、その上に駅ビルが乗っているという事業スキームで延岡駅の事業はスタートしましたが、そのあと私が入ったり、山崎さんのような方が入ったことによって、これはちょっと違うだろうということになりました。

 それで、混ぜご飯というかチラシ寿司のようなスキームをこれに入れていくとどうなるかというと、ビルのところがいらなくなって、ひとつのフロアにいろんなものが混ざって入っているというイメージになるだろうということで、2階以上のいわゆる駅ビルの部分を排除するよう骨格を変えていったという経緯があります。

 これは、実際の整備のコストを考えても延岡市の市の財政規模とかそういったものにマッチするということもあって、わりとすぐにいろんな方々に受け入れてもらえるようなものになりました。富山市は規模の大きなまちなので、複数のフロアをつくっても問題ないと思うのですが延岡市ぐらいのところだと、まずは地面レベルで人の活動を集めて人がいるぞっていうことを可視化しないと思っているんですけれども可視化するために2階とか地下とかに人々の活動を持って行くのはもったいないと思っています。

 まずはあらゆるものを地面レベルに集めることで「けっこう人がいて楽しいな」と思ってもらえる状況をつくるために、2階をつくらない、地下もつくらないということを必死で訴えて、なんとか、それを今認めていただいているという感じです。

 なかなか地方都市が難しいのはある一定の年齢以上の方は、大きな建物に憧れるという傾向が大きいので、いくら今回1階建てのものつくるんですよって言っても、「なんで地下つくらないんですか?」とか、「なんでもっと高層化しないんですか?」という意見が出てきて、それを納得いただくという時間は必要なんですが、いろいろ説明していて、40代とか50代以下は現実の日本の状況というのを自覚されている方が多いので、「だいたいこのくらいの規模でないと難しいよね」っていうことをすぐ理解してくださることが多いのが延岡での私の印象です。

 

延岡駅周辺整備の考え方、手法を建築で実現するには2〜愛されている既存の駅舎を残し増幅させる〜

 で、もう少し具体的にどうするかということですが、

 既存のJR延岡駅の駅舎は、よくある日本の高度成長期に建った鉄筋コンクリート標準設計といわれるような、そういう感じの建物です。

 この駅舎は、普通の駅ですが、これが意外と延岡市の方に人気というか、アンケートを取ってみると意外と思い入れがあって嫌われていないということがアンケートでわかりました。

 まちの中で低層ですし、威圧感がない。これだけ普通の建物なのに、このぐらい普通だからか、以外とみんなに愛されているということがアンケートでわかってきまして、それに対して、私たちは新鮮な気持ちをいだきました。けっこう愛されているので、もともとはJRの駅舎も取り壊して新しくやろうってことからスタートした事業だったんですが、市民アンケートを見ていますと、「これ、壊すのもったいないじゃないですか」っていう話をしはじめて、お金の問題もあって、壊さないで何かできないのかなというふうにプロジェクトを変えてきています。でこのJRの駅舎は残るというふうに今デザインをしてきています。

 JR駅舎を残した上での整備ですので、古いJRの部分と新しい部分をどうやって組み合わせていくかということですが、駅舎の屋根と全く同じ位置に同じような厚みの屋根をかけるということを考えています。

 次に、さらにそれだけだと一体感がないと思ったので、JR駅舎が7メータピッチに柱がたっているんですが、それにあわせるように同じピッチで柱を立てて行くことを考えました。本当にどこまでが古いJR駅舎でどこからが新しく整備したのかということがわからなくなるくらいがいいんじゃないかと思ってデザインをしているところですJRのオリジナル駅舎があって、目の前に足す、増幅させるというようなことだけで建物の機能としても更新するし、建物のイメージとしても同じようなものだけれど、ちょっと変わったということをアピールできると思っています。

 デザインは、もともとあった70年代のザ・鉄筋コンクリートをそのまま踏襲していければなと思っています。

こういうデザインが建築家がやるデザインなのか、すでに私はわからなくなっているのですが、ただ、自分としてはけっこう面白いなと思っています。こういう自分の意志とかを放棄してつくるということが新しいし、すでにそこにあって愛されているというモチーフを使うということがいいことだなと思っています。

 JRの駅舎のもとにあったところに天ぷらの衣のようにまわりを膨らましている感じです。大きなものにはなるんですが、この中にさっきの混ぜご飯のようにJR駅舎、バス乗り場というものをちりばめつつ、その間に市民活動をうめていって、ちらしずしのような状況をつくっていくという計画です。

 

延岡駅周辺整備の考え方、手法を建築で実現するには3〜まちにとけこむ建築をつくるプロセス〜

 プロセスなんですが、延岡の場合は2つの委員会(組織)を常に車の両輪のようにしながらやっていながら1つは交通事業者、市民の方に駅まち会議、それと同時に開催しているのが、市民ワークショップです。「駅まち会議」の方は、ハード的な建物の話をする、市民ワークショップについてはソフトについて話し合いをするという、「どういう建物つくるの?」ということと、「じゃその中で何するの?」っていうことを同時に話し合っているという中にあると思ってください。

 市民ワークショップのお世話をstudio-Lの山崎さんがやってくださって聞き取りをやっているという状況で、山崎さんが聞き取ったものっていうのは市民ワークショップの報告書として必ずワークショップを行うごとに報告書をあげてくださるということをしています。私たちも必ずそのワークショップに参加して、なるべく見るようにしているんですが、きちっとこうして書面にしてくださるので、どうした意見があるのかということを後々取り入れやすい状況をつくってくださっている感じです。報告書は必ずA3の横版で表と裏を使っています。

 私たちはハード整備といって建物をつくる立場ですが、必ずこの市民ワークショップで出た意見というのはなんとかかなえるようにしたいと思いながらやっています。

 

市民活動、まちの中のデザインについて富山市と延岡市を比較する、そして「まちの幸福感」について

 ちなみに延岡でされている市民活動についてですが、富山市の例えばグランドプラザで繰り広げられている市民活動とはちょっと違うというイメージを持っています。グランドプラザの活動をみていて、人をエンターテインする技術が高いイベントが多い。もちろん事務局の方が苦労してそういうレベルまで持ち上げているということもあるんでしょうけれども、たとえば、車の会社がショールームとして利用していたり、なんとなくグランドプラザそのものが都会的でハイレベルなプレゼンテーションの場になっているという印象です。

 一方で、延岡市の場合、市民活動といっても、非常に手作り感にあふれたもののレベルであるという現状です。

七夕まつりも、いかにも地方都市だなというほのぼのとしたレベルのものにとどまっています。市民活動といっても、我々がやっているブログに市民の方々からいろいろな投稿をいただいているんですが、市民活動の一つ、鉄道マニアの人がいて、鉄道マニアの人が自分の撮りためた鉄道写真の展示と、借りて来た鉄道の制服で記念写真を撮るということをやっていて、これはけっこうウケましたが、こうしたささやかなレベルのものです。

何か市が出るというときも、こんなような感じで、いずれにしろいろんな意味で小さなまちならではの、ほのぼのとした雰囲気にあふれた感じです。

 商圏の狭さというのが現れていてこういうまちなんだなということを理解していただきたいと思います。

 そして、何か企画をすると、富山ライトレールは非常にデザインに優れていて、日本とは思えない非常に美しい雰囲気にあふれていて全国的にもまれにみる美しい鉄道と鉄道駅だと思うんですが、こういうものに憧れて延岡市がやったデザインが、まちなか循環バス。(学生服のようなものを着た鶏のようなキャラクターが大きく描かれているデザイン)同じ日本、同じ国ですかとうふうになっちゃうんですよね。延岡でも。コテコテになっちゃう。でも多くの日本の地方都市ではデザインというのはこういうことになっていうるという現実がある。

私はこういったものも否定してはいけないと思っていて、(がんばっておられるので)どうやってこれとつきあって行くのかなというのが最近の悩みです。

 だけどこれはグラフィック的には厳しいとは思うんですが、こういう地方都市のほのぼのした雰囲気というのが私は嫌いではなくて、13万人の地方都市というのを比べていくと、だいたい同じような「ほのぼの感」があるというのが、最近の観察の結果です。

 これはやはり13万人くらいの都市の岩手県一関市のある一関駅の様子です。なんとなく駅の感じも延岡に似ているし、山口県の周南市徳山駅というところなんですが、地味なんだけどなんとなく楽しそうにしているというところが似ていて、この感じをうまく受け入れつつ建築をつくるということがどういうことなのかなということが最近の私自身の課題かなと思っています。

 

延岡駅周辺整備の考え方、手法を建築で実現するには4〜「デザインを止める」こと〜

 建築のデザインというものがひとつのまちづくりの何に役立つのかという根本的な問題があって、いろいろ考えるんですが、ひとつの回答がこの例かなと思っています。これは何かというと山崎さんが関わられたマルヤガーデンズという百貨店が撤退した後の商業施設と市民活動の場をどうつくるかというおもしろい事例だと思うんですが、これは市民活動の場です。これが非常におもしろかったのが、後ろにカフェが存在していて、ファッショナブルで華やかなカフェが展開していて、その手前に、ただ単にフローリングしただけというような非常に簡単なつくりの場所なんですが、割とすごくシンプルなつくりでつくられています。このぐらいのつくりこみであれば、おばちゃんであっても、中高生であっても、おっちゃんでも、おしゃれな人でも来て背景としておかしくないようにデザインされているなと思うんですけれども、私はこれを真似するつもりはないのですが、このくらいの感じで創り込むことができないかなということを考えています。

 建築設計というのは難しい感じで、建築設計の勉強というのはなるべく人と違うものを創れとか、造形的に美しいものを創れとか、かっこいいものを創れということを叩き込まれて育ってしまい、「だいたいこんなもんでいいよ」ってデザインを止めることが悪だというふうに育てられてしまうので、このくらいゆるっとした気持ちが抜けているところでデザインが止めることができるかどうか、まちづくりという点では重要なのかなと考えていて、建築をこのぐらいに止めるということができるかできないかの差は、こうしたことを建築のレベルで実現するのはどういうことかなということを考えています。

 

延岡駅周辺整備の考え方、手法を建築で実現するには5〜ガラスをつかった可視化〜

 そんなことを考えながら市民ワークショップであがって来た意見をとりあげてみますと、いろんなこうしたことがしたいという行為に対して単に公民館で提供されているような部屋があってドアを閉めて好きなことやってくださいというものをつくってもどうしようもないということがわかってきています。

 市民活動というのは多岐にわたりますので、いろんなタイプのものがあり匂いが出るもの、音が出るもの、静けさを求めるものもあるでしょう。延岡駅の場合、市民活動を同時に複数集めるということを狙っていますので、匂いと音とを違うグループが発生させるということも起きる可能性があります。音を出す人の近くで静けさを求める人が集まるということも前提とします。

 要するに、さっきの「まぜごはん」を思い出していただきたいのですが1つのグループをぐっと集めるだけでなく、小さなグループをたくさん集めるということを想定していますので、いろいろな要求が同時存在する状況を建築でまずはなんとかそのための図案をつくらなくてはいけないのが建築的な課題です。

 この課題に対してどうやって応えて行くかということですが、単純なことですが、ガラスで解決するという回答を私たちは持っています。ガラスといっても、単に1枚のガラスを立てただけだと音は伝わるし、ダメなんですが、いろんな素材を適材適所で選んでいくことで、活動のプライバシーを守りながらもこうやって視覚的いろいろな空間を連続させていくということを考えています。

 ひとつひとつの活動のプライバシーを守ることは不透明なパーティションであればどれだけでもできる。でも、透明な壁でありながら、独立性を保ちながらも外から道から、隣の部屋から見えているということを、とにかくやるべきだと思っているので、なんとかガラスを多様しながら複数の活動が同時に見えているという状況をつくりたいと思っています。

 

延岡駅周辺整備の考え方、手法を建築で実現するには6〜全てをガラスで囲わない半中、半外〜

 延岡は意外と冬が寒くて冬に厳しい風が吹くエリアになっていて、風のシュミレーションをしてみると冬は駅にも相当な風が吹くので、大きなファサードをつくってしまうと、大きなインテリアをつくってしまうと、ガラスであってもけっこう閉じてしまうという傾向があります。ガラスは反射性があるので、冬になると不透明と同じくらい強い壁になってしまう傾向があるので、なるべくこうした回答にしないほうがいいだろうと思っています。 

 そうではなく、例えば、それを回避する方法として、なるべく小さな箱をつくって、建物を半外というふうに開放して建物を透明化するというのが回答のひとつなんですが、延岡は冬の風がけっこう厳しいので、半外の空間は誰も使わなくなってしまうだろうという悩みがあります。

 そこで私たちが考えているのは、風に対抗するような壁は立てつつ、平行な壁を埋めるように垂直の壁を立て込んで行く、なので、風に対抗しつつ、半外の部屋を立てながらしっかりした中もつくるみたいな、非常に中途半端なプランニングをわざとしようと考えています。ガラスで100%囲われているような場所をつくりながら、3面くらい囲われているけれど完全に中でもないという場所もつくったりすることによって、さっきの混ぜご飯を機能として割り当てていくようなイメージです。混ぜご飯のイメージと具体的なプランニングというのをすり合せて、今後設計していくということになっています。

 全く詳細は決まっていないのですが、とりあえず、模型化してみるとこんなイメージになるという写真です。

JRの駅舎をそっくりに増幅させたような柱と梁でいろんなところにガラスがあったり、複雑に絡みあって本当の中が創られていたり、半中というものがつくられていたりというイメージです。

 ホームから見ると、オリジナルのJR駅舎に似たような形のものが衣のようにとりまいているという感じです。

新しいところを長手からみるとときどき内側にパーティションが映っている。

 外から見るとこんな感じで外に対するガラスもはまってたり、はまってなかったりという感じでどこからが中なのかよくわからないという感じにしたい。JRの駅舎の新旧の感じもどこまでが元からあったもので、どこからが新しいのかよくわからないものにしたいと考えています。

 

 以上、一つ目の話のきっかけとするプロジェクトの話を今説明してみましたが、次に何を説明しようか迷っています。可能性としてあるのが、陸前高田の「みんなの家」という被災者のためのコミュニティハウスがあるんですね。それが1つ可能性としてあって、もう1つは宮城県の被災した学校の再建計画中学校は地震で壊れた2つがあって2つ話すと時間がなくなるので1つにしようと思ってるのですが、どちらがいいでしょうか?挙手でお知らせください。陸前高田が人気があるみたいなので陸前高田を説明します。

 

陸前高田のコミュニティスペース「みんなの家」プロジェクトについて

 「みんなの家プロジェクト」のはじまり

 いくつか新聞にも掲載していただいたのですが、陸前高田に「みんなの家」というコミュニティスペースをつくるということをこの1年間ずっとやっていまして、それがある賞をもらったということで新聞にもとりあげていただいたのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

 私だけでなく、建築家の伊東豊雄さんを中心に写真家の畠山直哉さん同じ世代である建築家の藤本壮介さん、平田晃久さんが参加して陸前高田の被災地にコミュニティの場をつくるというプロジェクトを1年やってようやく最近竣工したということがありましたのでその事例をお話します。これも割とまちづくりや、コミュニティということを考える非常に重要なものと考えています。

 皆さんご存知のとおり、こないだの震災で沿岸部というのは非常に大きな被害が出てしまいましたが、陸前高田もやはり甚大な被害をうけたエリアの1つです。

 この写真は直後の4月4日に畠山直哉さんという非常に著名な写真家の方が撮ったものですが、彼は陸前高田出身でして、実家も被災し、今回ご家族も亡くされているという状況下の中、写真家として使命感を感じ撮影を繰り返されているという状況です。

 そうした畠山さんと何か建築家が役に立つ状況というのはないのかということをさぐりながらやったものです。「みんなの家」ってプロジェクトをもともと伊東豊雄さんが震災直後からはじめらえていていろんな企業から協賛を集めてお金をなんとか集めとにかく無償で小さなコミュニティの集まりのための場所を被災地につくるということをくり返されていました。陸前高田の「みんなの家」というのはそれの中の一つであるように思っていただければいいかなと思います。

 今回、私たちのチームは陸前高田に入って何かをつくるということをミッションとしてやっていました。

 ちょっと話が複雑なのは、これは単に被災地にコミュニティのための場をつくるということだけが目的なのではなく、建築の国際展でベネチア建築ビエンナーレという2年1回開催されているものに出展するということを前提にやるプロジェクトでした。

 出展費用がけっこうあるので、まずは原寸でベネチアで仮組して、それを解体して被災地に持って行けば、展覧会の費用を使って被災地に人が集まる場をつくれるのではないかという考え方でスタートしています。

そうすると、最終的には展覧会にはそれなりに時間がかかるし展覧会を通してやっていると被災地に小屋ができるのがずいぶん後になっちゃうということがあるので、途中でその考え方はやめてしまって、展覧会は展覧会でやってしまって、被災地に小屋をつくるのは別の資金をつかってつくりましょうということに変えることになりました。

 

チームでの最初の陸前高田への訪問

 そうしてチームとして最初におとずれたのが2011年の冬、11月ごろでまだまだこんな状況で、今でもこんな状況ですが、この中で被災地に何かつくるといって、受け取ってくださる方がいないと意味がないし、建物そのものの使ってくださる方を探すというところからプロジェクトは始まりました。

 市長にお会いして、そういう方はいらっしゃいませんか?ということでご紹介いただいたのがこの菅原さんという女性で、菅原さんは、市内に住まわれていて家をなくされて仮設団地に住まわれていてその区長さんとして非常に精力的に活動をされている女性でした。

 この方にちょっと話をしてみてくださいよということを市長から言われて、訪ねたところ、菅原さんは意図をすぐに理解してくださって「何かつくってくださるんだったらありがたく受け取りますよ」ということになって話が具体的になっていきました。

 

建築家3人の個性が…

 菅原さんと菅原さんを中心とする被災された方々に対して場所をつくるということでスタートしていったんですけれども、そのチームとしてややこしいのが複数の建築家が集まるチームでして、1人の建築家が建てるということになるといとう伊東豊雄さんの考え方としては、建築家のエゴみたいなものが出てしまうのではないかということを心配されて、わざと個性の強い建築家を無理矢理くっつけて話しながらつくれないかということで、われわれ3人の建築家が集められました。3人で恊働しながら1つの小屋を建てていくということをやりました。

 3人で何か設計するというのはけっこう難しくて、全くデザインの方向性が違う3人で、最初は話し合いもままならないという状況でした。とはいっても、進めなくてはならないし、なるべく早く建ててそこに場所を提供したいという気持ちもあったので、焦りながらなんとかやってました。最初は、とにかく思いついたものを模型にしてみんなの前に持って来てということを繰り返しやっていました。

 これは例えば私の事務所がつくった案で、被災した場所というのは色んなところから支援物資が届いて、支援物資で山盛りのようになっていて、その状況がなんだか山盛りがいい雰囲気というか楽しい雰囲気でそこでバーベキューとかして、ちょっとほっとするような時間をうまくつくっておられるという現実があったので、その楽しげな雰囲気に寄り添うような建築をつくりたくて、支援物資がたくさん集まっているところにふっと屋根がかかっているようなものがいいかなということでつくった案です。

 平田さんは全く違う考え方でもう少し建築の形で人の場所をつくるということを考えられたり、森の中にある周囲の木々をつくって何かつくったり、あるいは、かまくらみたいなものをつくってみたらいいんじゃないかっていう意見が出たりっていうように、藤本さんのやつはいつも謎で、なんか抽象的な話になったりいろんな話の次元が錯綜しながらどういう場所をつくったらいいのかなということを話し合いながら最初の1ヶ月くらいは非常に無駄な時間を過ごしました。

 笑ってますがけっこう辛い時間でした。

 そんなことしながらずっと模型を創り続けていたんですが3人の意見がいつまでたっても集約するというか、統合することが起こりませんでした。11月から始めたんですが、2ヶ月ほどこういう実現するのかわからない

わけのわからない模型を続けるということがありました。これは、被災地に何かを創るというのが恐れ多いという気持ちがありまして、なかなか現実の問題として考えられないメンタルな問題もありますし、被災した方々にお話を伺っていると事態も重さがすごすぎて、どの次元で建築をつくったらいいのかよくわからなくなってしまったという問題があります。

 

二度目の陸前高田への訪問

 それで3人で2ヶ月ほど頭がぐちゃぐちゃになりながら手を動かさなくちゃいけないという状況で模型をつくっていたのですが、だんだん時間もたって、伊藤さんもだんだんいらいらしてきちゃうし、我々は怒られたみたいになって困って笑ってるみたいな感じになって、あまりに困って案も出なくなってしまったので、もう一度、菅原さんにお会いして、どんなものをつくったらいいですかということを素直に相談しようじゃないかということになりました。

 1月ごろに陸前高田に行くということをしたのですが、菅原さんはすごい被害を受けた陸前高田の山奥の仮設団地に過ごしてらして、私たちはその仮設団地の中に「みんなの家」というコミュニティの場所をつくろうとしていたのですが、菅原さんは「ここにつくっても仮設団地の10軒くらいは集まれるけど、私にはもっと友達がいるし、その人たちも集まれる方がいいわ」っていうふうに考えられて、すごい行動力のある方なんですが、驚いたことに、市街のちょうど端の被害を受けたぎりぎりの場所の地主さんに話をつけてきていて、「この場所使えるから」っていうのを見つけてきてくださったんです。

 ここだと、もともとの市の中心なのでいろんな場所から人が来て使える場所になるんじゃないかということを考えられて、我々に全く相談せずにそこまでやってくださったんです。

 そこが、この場所なんですが、とにかく山間のエッジのところの端っこです。被害後の航空写真をみるとわかるんですが、ちょうどこのへんまで浸水していて被害を受けたぎりぎりのエリアのちょうど端っこで、この上からは被害を免れたという場所です。この少し上には、陸前高田で一番の避難場所となった高田一中という中学校があって、そういった意味でもまちの人が「あああそこね」ってわかるような場所のふもとにあるというようなかなり象徴的な場所を選んできてくださいました。

 「ここにつくりたいのよ」って選んでくださった場所を訪れてみて、「なるほどここだったら海も見えるし人が気軽に集まれそうだな」ということで我々は驚きつつ新しい敷地を見るということになりました。

 しかも驚いたのは、私たちの感覚では、そのまず建物をつくらないとコミュニティっていうのは発生しないのではないかということを思い込んでいたのですが、菅原さんというのが行動力のある方で、どこかからテントを借りて来て仲間と集う場を私たちが建築をつくる前につくっていました。

 仮設団地に暮らしていると、気が塞がるという問題があるということに菅原さん気づかれて、とくにおばさま方中心なんですが、エコタワシっていう製品があるのですが、おしゃべりしながら集って編み物をして、小遣い稼ぎをしてしまうということをしながら気が晴れるような時間を過ごすという活動をテントの中でするということを、我々が悩んでいた2ヶ月の間に始められておりました。

 我々が驚きつつテントの中に入っていると、「2ヶ月の間になんでこうなるの」っていうくらいいろいろな活動が集積していまして「こんなことやってるのよー」っていうことをお聞きしつつ、こんなことにとってどんな場所がいいのかってことを話しながら、菅原さんの友達のおばちゃんとかおじちゃんがやって来てやって来てはしゃべって帰って行くということがあって、なんとなくどういう人がやってきて、どういうことをやって帰って行くかということがなんとなくわかってきたというのがこの日の特徴でした。

 焼き芋をふるまっていただいたり、しょうが湯をいただいたり、えらいもてなしをされて、我々は帰ってきました。とても明るい方なので、本当に楽しい時間を過ごさせていただいた形です。

 

どういう場所を用意したらいいのかイメージが湧いてきた

 その後、どういう場所をつくればいいのかっていうのが、私たちの気持ちの中に着地点が見つかって来たような感じで、それぞれの方向性は全く違うんだけどなんとなくこういう場がいいよねっていうのが生まれてくるところでした。それは一つ一つに案に生まれるのですが、例えば平田さんの案だと、いろんな方向を向いてるようにつくった方がいいという模型が現れています。模型にはこのままつくりたいというよりは、その気分だけが現れています。

 これは私たちの事務所がつくった案ですが、屋根型の建物が立っていて屋根型の建物にいろんなバルコニーがくっついたようなものだとみんなに喜んでもらえるのではないかといってみたり、藤本さんの案では、陸前高田には防風林、防潮林として非常に美しい松林があったのに、それが今回、ほぼなくされてしまったということで、その流されてもったいなくも使えなくなってしまった松を「何か使えないかしら」というのを菅原さんやおばちゃんたちが言っているのを聞いて、なんかその流されてしまった木っていうのを建てるだけでも場所が生まれるんじゃないかというのを模型でつくってみたり、1月の時点で聞いた話を参考にしながら形をつくっています。

 それぞれが全く違う方向性でつくった模型ではあるんですが、それぞれが同じ話を聞いていて、「そういうのあるといいよね」と思えるようになったことが、その前の状況との違いです。

 特にみんながすごく納得したのは柱を立てるというアイデアを話していたときに陸前高田にけんか七夕っていう祭りがあるんですが、ちゃんとした山車が伝統的にあるということではなくて、毎年毎年つくってみんなで飾り付けをするというのが、お祭りらしく、なんとなく、けんか七夕の山車にこの柱が立ってる感じが似てるっていうのが陸前高田出身の畠山さんがおっしゃっていて、「お、これはいいんじゃないの」っていう感じになっていきました。

 そういう感じでみんなが影響を受けながら、自分のアイデアに人の意見を取り入れつつということをやっていって、いったんこういう形に途中でなりました。柱が立っていてその間に家がささっているみたいな、でいろんなところに人がいるというような、かなり不思議な形ですが、そういうものをつくって菅原さんに見せにいったところ、バーベキューでホルモン焼きとか食べつつ案を説明したんですが、この案を喜んでくださって、「これはいいんじゃないの、ほんとけんか七夕の山車みたいね」って喜んでくださって。この基本形はいいんじゃないかっていうことになってさっそく木を調達するということになっていきました。

 

木材の調達と同時に設計を進める

 陸前高田の松っていうのが、すっかり瓦礫として処理されてしまった後だったので、使えないということがわかったので、今度は塩害木といって立ち枯れてしまった木が周辺にいっぱいあるので、生命は失っているものの、建材としてはまだまだ使えるということで、それを使うということで採取したりということを始めました。 

 地元の木こりさんにお願いしたりだとかして、まだ設計は全然固まっていないのだけど、木を乾燥させなきゃいけなくて、その時間もいるので、木を切っていきました。同時に設計というのは簡単な模型でしか想定していなかったので細かい設計をつめるということをしていきました。

 途中、さきの模型から変化していくということをしながら、ボランティアで木の皮をはぎつつということをしてみたいり、非常にわかりにくいながら柱はあいかわらずあって、何となく家がその中に挟まってて、さらにいろんな方向を向いていることができるというような設計に最終的に固まりました。

 「ボランティアの方が多いので、2階をつくって畳を入れて、寝泊まりができる場所が欲しいわ」とか、菅原さんがおっしゃられたり遊びに来たおじさんがぼそっといったことをなるべく建築に取り入れるということを、やっていったところ、非常に統一感のない建築になっていってしまったものの、なんかすっきりはしてないけど、いろんなものがぐちゃっとまじりあったものになってます。

 いろんな人がいろんなところでいろんなことをやっているという図になっていて、私としては非常に納得しているのが、いろんな人が同時に隣同士で何かやってるんだけれども、それが邪魔にならなくて、むしろ居心地がいいという考え方は、延岡の駅周辺整備の考え方と相当似ていて、共通したものがあると思っています。

 延岡もそうだけど、公共の場というのは根源的というか非常に重要でそれがこのとても小さな設計に集約しているのだと思っています。

 これを菅原さんに見せに行ったところ、ますます気に入ってくださって、「いいわね。これでいきましょう」なんてことで納得いただいて、実際の設計をさらにすすめるということを続けました。

 

 最終的に1/15というとても大きな模型をつくっていろんなことを検討しました。同時に地鎮祭とかいろいろなことを同時に展覧会の準備をしなくてはいけなかったので、へとへとになりながら展覧会の準備や設営しながらも現場は動いているので、現場の打ち合わせもしなくちゃいけないというわけのわからない状況に夏頃なっていました。

 現場で秋過ぎにだいたい大詰めになり、今回建設資金は100%いろいろな寄付で集めましましたし、私たちの設計料は100%持ち出しで、持ち出しどころか、建設まで自分たちでやってしまおうという本当に何をやっているのかよくわからない状況になってしまったんですが、ここに集まってきておられる方々の笑顔をとにかく見たいという気持ちでみんなやっていました。

 もちろん元請けさんもいらっしゃって、ちゃんとシェルターさんという山形の木造に強い工務店さんが中心にやっていただきながら、お金が足りないこともあるので、できる限り自分たちで素人でもできることはやりながら、なんとかシェルターさんの負担を減らすということをしました。

 

「みんなの家」竣工

 最終的には竣工式までなんとかこぎつけたという状況で、餅まきなんかしながらみんなで祝いました。

 その後竣工式には外部からものすごくたくさんの人が来て、外部からすごくたくさん来てしまったので本来使わなきゃいけない陸前高田の人たちがこの建物を味わうという時間が全くとれなかった。

夜になって、お客さんがひけてようやくこの仮設に今住まわれている人たちが「みんな帰ったから、そろそろいいかしら」台所仕事を終えて、みんな集まって「いいじゃない」なんていって帰ってくださるようなことになりました。その表情が本当に素晴らしくて、よかったなというふうに思います。

 これが現在の建って1ヶ月くらいたった写真で、津波で何もなくなったところにポツンと建っています。

建築だけを考えると柱が建物に突き刺さっているという非常に非合理的な建物になっています。雨漏りもしやすいし。ただ、それを補ってあまりある象徴性というのがあって、この象徴性を感じ取っていろんな方が集まるっていうことが起こっていて、市民の方も「あれ何かしら?」といって立ち寄ってくださるということもあって、やはりこれだけ変なものをつくっただけのことはあるなということが起こっています。

 柱が建っていて家がその中に挟まっているようなそんな印象です。

 今は外部からもお客さんがいっぱいいらっしゃっていて、ここでずっと運営して常駐しているわけにいないので、来てくださってここに人がいない場合もあるだろうということを考えて、外部から遊びに来た場合で、中に人がいなくても外でずっと繋がって上まで行けるという状況をつくっています。

 それを分かってくださって割と中に入れなくてもそれなりに楽しんで帰ってくださるということが起こっています。

 その後、毎日、菅原さんをはじめ被災した方々が集まってくださっていて、外部からのお客さんに被災の体験をいろいろ話したりという場になっていて、本当によく使われているということです。

 

ベネチアでの展示

ベネチアの展覧会には何を展示したかというと、つくっていた模型を全部並べるということをしました。模型は全部で150個くらいあるんですが、150個もあんな変なものが並んでいると、それなりに圧巻でおもしろいものになっていて、なんとかいろんな方に喜んでいただいたということでした。いろんな方が訪れてくださるとてもいい展示になりました。

 ベネチアにわざわざ陸前高田の塩で立ち枯れてしまった木というのを送って、生のものを送るのはなかなか難しいのですが、それをなんとかやって展覧会の展示そのものが、陸前高田のみんなの家に近い雰囲気になるように柱をいっぱい建てて、それもやはりみなさんに好評でした。

 こんな感じでやったというのが陸前高田「みんなの家」というプロジェクトでした。

 

質疑応答

 ちょうど1時間ほどしゃべって話題提供をしたということになりますがこれをふまえて、(事務局の)ヤマシタさん、フォローしてくださるということでしたが私としては、今日はいろいろな立場の方がいらっしゃるでしょうから、質問とかでしょうかね?

 

ヤマシタ:先生からのリクエストで、みなさまとコミュニケーションをしたいということで、質問の前に先生から皆さんへ質問したらいいんじゃないですか?

 

乾:お聞きしたいのは、さっき富山のグランドプラザと延岡でつくろうとしているものがちょっと違うよっという話をしたのですが、それに対して意見を伺いたいというか、アイデアがあればもちろんありがたいですし、

もし、延岡と同じくらいのまちをよくご存知の方がいらっしゃれば、自分のところではこんなことをやっているよっていうのがあれば、教えていただきたいですし。

 

質問1:延岡での市民活動の将来イメージについて

 今日どうもありがとうございます。

 高岡で設計事務所をやっております。

 今、富山でも高岡市、周辺の市町村がありましてそれぞれ合併してるんですが、それぞれの町に個性があって、駅舎の周辺の市街地整備の協力もしているんですが人が歩くところと市民活動の独立性を透明化させる等のが大変おもしろいと思って聞かせていただきました。それが自立的に増殖していくと、それがどういう形で将来イメージになっているか想像されているところがあればお聞かせいただきたいと思いました。

 

乾:まちの幸福感をどうやってつくってくか

 まちの将来像をどうするかっていうのは、けっこういつでも難しい問題だと思う。延岡でもそれぞれの方がそれぞれのことをおっしゃっております。いまだに。たとえば商業者の方は商業的なにぎわいを取り戻したいとおっしゃいますし、商業の復活っていうのはけっこう難しいかもしれないけれども、少なくとも居住環境としてもう少し整ったものにしてほしいという声もあります。

 私自身外部の専門家として、何かイメージをつくらなくちゃいけない立場にあると思うんですが、私たちの事務所として想像しているのが、延岡がすぐ大分から近いという地理的な条件もあり、商業が集積した物販というのは難しいと思っています。

 いろいろな地方都市でまずあたりまえのように語られているように、日用品の買い回り品は日用的な町としてきちんと暮らせるということを念頭において、みんなで、そこを中心にしながら考えています。

キャッチフレーズとしては、にぎわいというのは相当商業よりのイメージになってしまうので、「まちの幸福感をどうやってつくってくか」考えることにシフトしていきませんかということを言っています。

 ただ、まちの幸福感が高まると、私たちの希望としては新しい商業をしたい人、商店街に入りたい人ではなくて、郊外でも何でもいいので、何か新しいお店をつくりたいっていう人にとっては出店のしたくなるような場所になるはずなので自動的に弱々しくてもれないけれども、少しずつ商業サービスに繋がるかもしれないなということを考えています。回答になっているのかわからないですけれども

 

意見1:デザインについて

 隣の石川県から来ました。

 僕が乾さんのお話の中で一番興味を持ったのは、僕自身も設計事務所に勤めて日が浅いんですが、やっぱりどうしても、かっこいいもの、どれだけ新しいものを創るかというところで今、仕事をしています。

 延岡の駅舎、コミュティスペースのほのぼのとしたデザインと建築家が美しいと思うデザインがどうやって、違う方向性だと思うのがどのように考えていかないといけないなと思いました。

 

乾:共感

共感した感じです。

 

意見2:建築家が好きじゃなかった

 NPOの京田と申します。

 私は建築ではなくて造園の仕事をしていたので、建築と近いけれど、違う仕事をしていたんです。今の彼の話にもありましたように、正直言って、あまり建築家の人って好きじゃないんです。

乾:

だいたい造園の人ってそうですよね。

意見2:乾先生は建築家のイメージを覆してくれて勝手に共感している

 なぜかというとほとんどの建築家の人って「俺のたてものかっこいいだろう」っていうことでパースを書いても周りをぼやっと書くんですよね。「それは何なんだ!」と。いろんな景色の中にその建物があって、それがまわりとどう組み合わされてきれいな町になったとか、かっこいいというのがあるのに、周囲をぼやかしといて「かっこいい」という人が非常に多くて、基本的に建築家嫌だと思っていたんです。

 だけど乾先生が最初からそうだったかわかりませんが、今日のお話にあったように、延岡の仕事なんかをいろんなもので拝見していても、人がいること、人が活動していることを見せよう、市民活動の可視化をしようとしていて、建物がかっこいいでしょというのではなくて、人を見せようとしていると思うんです。陸前高田の事例もそうだと思うんです。

 そういうことをやられている建築家だからおもしろいんだって思って推薦させていただいたんですが、そういう意味では今日、建築家の方もたくさんいらしていると思うのですが、「自分の建物かっこいだろう」ではなくて、街の中でどういう意味があるかとうことがすごく大事だと思うので、勝手に共感していました。

 うちのNPOGPネットワーク)の顧問をしていただいている宮口先生がおっしゃるのは「まちの中はいろんな人が集まって来て、お互いに見たり見られたりすることでまちができあがる」ということをおっしゃっていて、人口の多い、少ないはあまり関係ないと思っています。たとえば新宿駅に何万人の人がごちゃーっといたとしても、あれはにぎわっているのかというと、お互いの関係性がなければ、ただ混雑しているだけで、人口の多い、少ないに関係なく、延岡なら10万人、富山なら40万人だとしても、まちの中で人と人の関係性ができてこないとだめなんだなろうなということを感じて、勝手に共感しておりました。勝手に共感その2でした。

 

質問2:文化の違いとコミュニティの場をつくるポイントについて

乾先生はイエール大学を出ておられるということで、海外におられた経験もありますが、日本人の文化と海外の人と人との繋がりの文化の違い、たとえば、海外は壁の文化で日本は障子の文化が違うということを肌で感じておられると思うんですが、日本人のコミュニティの場をつくる「日本人だからこうだよ」って考えるポイントはありますか?

乾:テーマ型コミュニティのための公共空間は、国を超えていく

 海外と日本と空間の好みとか違うんですが、少なくとも先進国、日本も、古い空間に対する感覚というか好みは違うと思うんですね。あいまいなものを日本は好む傾向にありますし。

 ただ公共空間っていったときに日本の建築感がどこまで生きるのか私は分からないという気がするし、あまり国によって違うという気がしないのです。昔の地域のコミュニティ、地域に根付いたコミュニティの場をつくるのであれば、その人たちの地域の文化に基づいた空間をつくらなくてはいけないんだろうなという気はします。

 ただ、延岡でしようとしているのは衰退している地域コミュニティを代替するテーマ型コミュニティに対する空間なので、人工的というかつくられたものなので単に日本の文化というものとは違うような気がします。

 例えばアメリカなんてまさに人工的な国でいろんな国の人たちが集まってなんとかコンセンサスを得ながらなんとかやっている、とどうしても、テーマ型のコミュニティにならざるを得ない(もちろん民俗のコミュニティはありますが)ので、そういう意味でこうしたものを構築していくときコミュニティに対してどういう空間を用意したらいいかっていうのは国を超えていく話ではないかなと思っています。

 いい質問でした。

 

質問3:シンプルなこととデザインを止めるということの違いについて

 関西から来ました。   

 富山はコンパクトで、素敵なまちで、私は大阪から来たんですが、すごくうらやましく思います。顔が見れる感じです。

 乾さんに違う質問なんですが、マルヤガーデンズを例に「デザインを途中で止める」ということを言われていたんですが、あれも「みかんぐみ」の設計だと思いますが、日比谷花壇とか乾さんの空間の構成は建築設計を考えるときに乾さんの建築ってけっこうシンプルなものが多いと思うんですが、それと、デザインを止めないっていうことは建築を考えるときにどういうことか教えてください。

 

乾:装飾的なデザインのないレベルでデザインができることを引き出す

 難しい質問ですね。

 突っ込んだ質問になってきました。

 そこはうやむやにして帰ろうと思っていたのですが、説明せざるを得なくなってしまう。(笑)

 建築の説明をしなくてはいけない感じになってきますが、ちょっとこれはデザインがきれいに見える建築なのでいい例かわからないのですが、これは共愛学園という大学施設、学校です。

 これがどういうことになっているかというと、廊下と教室廊下と教室、廊下と教室、廊下と教室というふうに、廊下と教室がこんなに集まるっていうことがない状況になっていて、そういう意味ではややおかしい。

 無理矢理くっつけることで教室どうしをくっつけて使うことができたり、ただの廊下と教室だけではできない使われ方をするものにしたいというのがあって、でも、やはり廊下と教室なんですよ。

 とにかく教室と廊下が並んでいるだけなんだけど、それぞれの棟の配置が一個、一個部屋の大きさが違うのでなんとなく不均質になって、なんとなく人の回遊性を促しているという、そういう設計なんです。

 これが私たちの設計事務所のやる方向性で、要約すると、モチーフのある単位、モチーフといういいかたもおかしいんですが建物をつくる時の要素は、ごく当たり前のものからスタートするんですが、ちょっと組み合わせを変えるだけで今までと違う使い方を期待したりとか、使う側のひとにとって、よりいっそう居心地のよくなることっていうのを考えていて、いわゆる装飾的なデザインのないレベルでデザインの持つ力を引き出したいと思ってやっています。

 たとえば、これは「みかんぐみ」の竹内さんの設計で、本当にすごい好きな場所の一つですが、これも教室といえば教室みたいな、ごく当たり前の要素があって黒板があって、でも、ボコっと穴が空いて後ろにおしゃれなカフェが展開しているだけで、ごく普通の部屋が新しい雰囲気になっているというか、カフェのかっこよさが伝わってくるだけで、教室がすごく華やかな場所になるということが起こっていて、すごいよくデザインされているなって思ったんです。

 しかも、これは最近の潮流ですがカフェもほとんど装飾がなくて、さっぱりしていて、最近、「フローリングに白い壁にしときゃおしゃれになるや」みたいなのもあるんですが、バランスされていてデザインとして、巧みだなと思うんですね。材質だったりするんですが。でもこれまでデザインというと造形だったり、装飾であったり、造形の完成度みたいなところに意識がいっちゃうんですが、そこはもう、みんな興味をなくして来ていて、そこを求めてもむなしいだけになるので、そうなるとデザインが本当にがんばらなきゃいけない場所ってどこなのかなというのを探しながらやっている感じです。

 ただそれがおもしろいものなのかはよく分からない、延岡駅を一生懸命つくって市民の方に喜んでいただけるものにしたいんですけど、それが建築業界に評価されるものになるかはわからない。でもしょうがない、やるしかないなと思うんです。

 

質問4:延岡駅周辺整備の市民活動の運営イメージについて

 延岡駅を残してそのデザインを生かしながらっていうのが非常におもしろいなって思いました。思いつかない。

3人の建築家がやりあってるのも想像できるようでおもしろいなと思いました。

 私は、県産材を使って家をつくる会というのを10年くらいやっていて、他にがんばってる人はがんばってるのですが、今は少し私自身が小休止状態です。

 質問させていただきたいのは延岡の市民活動を一緒にやってコミュニティを通過していく人を巻き込んで行くという形なんですが、グランドプラザでも京田さんやヤマシタさんがすごく一生懸命運営されているからうまくいっているということがあると思っていて、そういった空間を運営してうまくまわしていく仕組みを考えていらっしゃるかなということ、ワークショップをやってらっしゃると思うんですが、いろんな意見を全部聞けないと思うのでどういった人を相手にしてうまくまとめていっておられるのかお聞かせください。

 

乾:ワークショップを通じて運営の担い手を育てる

 山崎亮さんにかなりおまかせしているところで、ワークショップは広く広報して、いろんな市民の方に集っていただいていて、去年度にワークショップ5回ほど開催したんですけど、毎回来てくださる方5割、あと5割はころころ変わって行く状態でした。その定着している5割の中からネクスト ヤマシタさんみたいな形までもっていきたいというのがもくろみです。

 ワークショップの開催を通して、まちづくりセンターでもワークショプをやっていてそこにひとり新しい職員の方を入れて、延岡のワークショップを中心にがんばっていただいているのですが、そういった方もこの建設のプロセスを通してよりいっそう育っていただいて将来的には全体的な運営にかかわっていただきたいなということをみんなで念じているというか。そういう方がいらっしゃればいいなと思ってまして、でも、多分出てくるだろうと思っています。それを期待して、山崎さんは本当にそのことが主だというくらいに考えておられます。

 

 あと、全部の話を聞くのは難しいという意見があった、確かに難しいんですね。いろんな要求があるので、難しいものももちろんあるんですがただ、山崎さんのワークショップのやり方で特徴的なことが1つあって、直接的にモノの要求をしないというのがありまして「何かが欲しい」という直接的に言うのはやめましょう。モノの要求をするのはやめましょうというルールなんですね。例えば「ひさしが欲しい」とか、「そういうのは僕は聞きません」と。「そのかわり何がしたいのかということを言ってください」というのをまずワークショップの最初に必ず言ってからやるというのを繰り返されていて、わりとそのことが伝わって「なるほど言っちゃいけないんだな」というのを前提に発言してくださるので、これはまずいなっていう意見は出て来ていない。自由連絡通路、都市計画通路でバーをやりたいという意見は出てきていて、そういうのはひとつひとつ丁寧にできないんですけどという説明をしていくしかない。

 

質問5:見える化がもたらす負の可能性について

 僕は建築とは関係がないので純粋に疑問に思ったんですが、延岡での市民活動の可視化をガラスで、という単純な回答がインパクトがあって聞こえて、市民活動をどうやって見える化っていうのはこれまで場を設けたりして、発表の場を見せるようなイメージ、実際動いている、集まっているところすら見せてしまえというふうに理解していて。富山でもよく聞いたんですけど、おしゃれなカフェができて、そういうところってガラス張りだったりするので、「恥ずかしくてそんなところ行けない」とか。実際見られたくない場面とかっていうのも存在しうるのではないか。そうすると、全部見える場所っていうのは、だんだん発表にしか使われなくなっていくっていう、そういう負の可能性もあるんじゃないかと思って、そういうところは延岡の場合は、市民の方はどういう反応を示されるかということをお聞きしたい。

 

乾:既存のセンターとの役割分担とフレキシブルな空間づくり

 全くおっしゃったことを同じことを延岡で指摘されていまして、「ガラスいいと思うんですよ。でも、ときたまガラスってつらい時がありますよね」っていう意見は市民ワークショップでも出ていて、延岡では、実は歩いて100メートルくらいのところにコミュニティセンターがあって、しっかり壁に囲われていて、すごい稼働率もいい場所なんですが、すでにあるコミュニティセンターと棲み分けをしなくてはいけないという前提条件があったんですね。なので、恥ずかしいという人はそっちへ行ってくださいというのと、あとは、もうひとつのコミュニティセンター使えないから駅を使うという場面もあると思うんです、そうした場合にカーテンがいいかわからないのですが、何かしらの形でフレキシブルに場所の雰囲気が変えられる仕組みというのは考えなくてはいけないと思っています。

 

質問6:乾さんにとって建築に触れて感動する瞬間はどんなときか

 今日はありがとうございました。

 乾さんの作歴としては巡り合わせもあるんでしょうが、最初はヴィトン、ディオールといった商業建築が多くて、その後住宅、今は延岡だとかみんなの家だとか七ヶ浜の中学校だとかわりと広い人を対象にしていたり建物と人との関わり方が広がっているのかなと思います。

 人と建物の関わり方っていうのは非常に難しくて、ただかっこいいだとか、もっとまちとなじみのあるだとか、中のアクティビティというようなこととか、もっと法規的なことだったり、建物が人の心を打つような場面がたくさんあると思うんですが、その中で伺いたいのが、乾さんにとって建築に触れて感動する瞬間というのは何か1つの例でもいいですし、抽象的な質問なんですが、建築のいいなと思うところはどういう場面か伺いたい。

 好きな場所というか、『わっ』って思う建築、建築のプロセスとかたった瞬間でもいいですし、この瞬間がよかったという体験とかについて伺いたい。

乾:建築単体というよりも…

 自分の設計したのだと、よく使われていると単に嬉しい。

 それはみなさんそうなんですけれど、特に良かったなって思ったのは、さっき大学施設があったと思うんですが、すごく驚いたのは、普通新しいものを建てると1週間くらい「戸惑いの時間」っていうのがあって、みんな「あれどこにあるんですか?」とかあっちゃこっちゃいいながら。えらい電話がかかってきて「それはそこにあって」と対応しなきゃいけないということがあるんですが、あの共愛学園というのはめちゃくちゃ当たり前な廊下と教室というものを前提にしたので、いっさい電話がかかってこなかったんです。

 ですし、「さあオープンします」っていって学生の方が、わらわらわらって入って来て、いい場所にみんな陣取って使いはじめちゃったんですね。一瞬にして!それは、「ああこれは、すごいな」と思いました。形の力というかわかりやすいものを創るとみんな動物的カンですぱっと使ってくれるもんだなと、それは自分の設計で驚いた体験です。

 人の設計で、当然そんなこと言いながら造形の美しさって当然感動しますし、いろんな面で建築は好きなんですが、思い返してみると、建築単体で感動するってことがなくて、人がわらわらっていて楽しそうにしている方が好きだし、そっちに興味があるような気がします。

 

質問7:延岡駅整備事業やワークショップと行政、鉄道事業者さんの関わりについて

 お答えしていただけるか微妙ですが、延岡の話しで駅前なのでJRさんが関わっておられるのかどうか。JRとの関わりと山崎さんのされてる市民ワークショップには行政がどういう形で関わられているのかお聞かせいただければと思います。

乾:

 いろんな事業者が集まっていろんな軋轢があったりだとか、自治体の方であればそれはよくご存知でご苦労されていると思います。延岡駅も当然やや軋轢があって、この「駅まち会議」には、当然、交通事業者さんここに関わる方々は毎回呼んでいて、毎回出席してくださっています。そういう意味では良好な関係できています。

特にそのJRの職員さんで若い方でいい意味でかわった方がいらして、ここに出席して参加するのみならず市民ワークショップに参加してくださる職員の方がいらして、なんとかこの延岡駅を成功させたいと心から思っていらっしゃるんです。福岡市民なんですが、なぜかこの延岡市民ワークショップに参加してくださっています。もちろん中には軋轢もあるんですけれども、良好な関係を築けていると思っています。

 さきほど、私が「これはどうかな?」って言ったバス、これも宮崎交通というバス事業者さんがやっておられて、これも「駅まち会議」に出てくださってる方が、こんなにやってくださるなら「僕たちだって一肌脱ぎますよ」ってことでやってくださっていることです。宮崎交通ってこれまでは延岡駅は単なるバス停という扱いでしかなかったのが、ずいぶん変わって来ています。そういう意味では非常にみなさん協力的にやっていただいて、本当にありがたいのですが、もともとそうした風土があったわけではなくて日向駅というのが30分ほど南にくだったところにあるんですが、内藤廣の建築で、そうした例で、JR九州がもともとの建築家との信頼関係というのを一度築いたことのあるJRさんなので、そういう意味で慣れておられるというか、どういう問題が起こるかというのを知っておられる方が何人かいらして、そうしたものが全体をスムーズに進行させるものになっています。

 

主催者から終わりの挨拶とまちづくりセミナー運営のご紹介

 予定の時間を過ぎてしまいましたので、残念ながら終了としたいと思います。

 今日は、まちのイメージの全体的なもののなかから、それがどう建築に降りて行くかというその一端を見せていただいた気がします。あらためて乾先生に大きな拍手をお願いします。

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