レポート
まちづくりセミナー2012
第2回講演録 講師:高野誠鮮 石川県羽咋市職員、僧侶
2013/01/23「高野誠鮮」さん講演会
「こうすれば人は動き、まちは変わる」
2012年12月15日 富山国際会議場
主催 NPO法人GPネットワーク
協賛 富山大手町コンベンション株式会社
ただいま紹介をいただきました高野でございます。ただの役場の職員です。
私たちの17年からの限界集落の取り組みを紹介します。
65歳以上が人口の半分を超えると限界集落と言います。皆さんが、この対策に年間予算60万円使ってなんとかしろと言われたらどうしますか。出来ませんと言いますか。600万円だったらどうしますか。600万円で限界集落が無くなるのなら、日本中、限界集落はなくなります。
私たち公務員は、失敗の原因を外に出してしまう。あの人のせいで、国の予算がつかなくて、などなどです。自分以外の人のせいにするのです。
60万円というのは、私が決めた予算です。平成16年の11月に予算書を出したんです。当時、市長には桁が違うのではないかと言われました。中身は何かというと、53万円がバスの借り上げ料で残り7万円は私の東京出張の旅費です。
市長からは「60万円で出来るのか。」と聞かれ、「やってみないと分からないと答えました。」ただ、条件を出させてもらいました。稟議もしない。決済もしない。それを言い出したら、とたんに怒られました。
なぜ、そんな条件を出したかというと、判断の正しい人たちばかりなら、こんな手の付けられない状態にはなっていなっかた筈だと考えたのです。
その場所を「神子原(みこはら)」と言います。
富山との県境、県境にあたります。ここは、110haの広大な棚田が広がっています。でも、遊休農地が46haもあり、1/3は崩壊しています。昭和40年代の人口は1000人を超えていましたが、ここをなんとかしようと始めた平成17年は500人以下です。
愛媛県内子町と茨城県のみずほの村市場、いずれも億以上の売り上げがある市場です。
地域の人たちを連れて視察に行きました。お金が無いからできないと言ったら何もできません。
よくある失敗は、会議ばかり開くこと、東京からコンサルタントの先生を呼んで来ることです。分厚い計画書を作っても、何回会議を開いても、高齢化率は下がりません。
役所には、立派な文書は残ります。でも現実は変わりません。
何より、企業家魂がありません。40万円の給料をもらって40万円の仕事をしている公務員がどれだけいますか。ほとんどいません。民間だったら潰れています。
そんな役所に改善・改革ができますか。できるわけ無いでしょ。出来るのなら、とうにやっています。
合議制には社会的責任は取れません。何より理念が無いです。公務員には3種類しかありません。いてもいなくても良い公務員。いない方が良い公務員。いなくちゃならない公務員。この三つです。なぜそうかというと、目線が違うのです。上司の顔色を見て仕事をしているのです。
疲弊した農村集落に必要なのは、なくてはならない職員なのです。何をしなけりゃいけないのか、人が起こしたことは人の努力でどうにでもなるのです。
ただし、深い経験と深い知識が必要なのです。浅い経験と知識では間違えるのです。
結論からいうと、高齢化54%だったのが、平成21年で47.5%、なんとか限界集落から脱却したのです。夫婦あわせて月額30万円を超える農家が出てきたのです。読売新聞に特集されたら国税局がすっとんできました。
Uターンが8組あります。移住者が13家族40名になろうとしています。
60万円の予算は、段々減らして、今は、予算ゼロ円です。お金が無くても出来ることはたくさんあります。
マイナス思考の人間は出来ない理由を考え、失敗したことの心配をします。そういうマイナス思考の人間からは何も生まれません。
楽観的になれといっているのではありません。どうしたら出来るかを考えてほしいのです。
出来ない理由を言う人間、こういうのは要りません。
徹底的な原因究明をしてないのです。どうして農村集落は疲弊しているのか、徹底的に究明すれば、良いのです。
簡単です。金にならないからです。5年に一回出ている農業センサスを見てください。一年間における農業の所得は合併前の邑知村(おおちむら)で平均年収87万円です。日本人の平均的サラリーマンの年収は平成17年で435万円あったのです。
農業を続ける方法は二つしかありません。一つは兼業です。もう一つは、年金もらいながらの農業です。この二つはできます。
そのルートから外れると、田舎から出て、富山や金沢に住みます。そこで、家を建てて、やがて、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんを迎えに来ます。昭和40年に1000人いた人口はどんどん減って500人です。小学校は取り壊しです。18年間子供が一人も生まれていませんから。それが、現実です。
農業の最大の欠点は、自分で作ったものに、自分で値段を付けられないことです。1本作るのに100円の大根が、今日は10円だと決められる。誰が値段を付けるのですか。市場(しじょう)という自分が全く知らない相手が勝手に値段を付けるのです。
一次産業は全てそういう仕掛けになっているのです。
コメの値段は誰が決めるのですか、市場です。毎年下がります。
これは産業では無いです。希望小売価格をつけられないものは産業ではないです。市場という投機の対象の上におかれている。これが最大の欠点です。
私、平成17年に農協で喧嘩になったのです。脳がく○うと書いて農協と言ったら、組合長から喧嘩うっているのかと言われました。
喧嘩ではありません。現実を知って欲しいのです。農協の職員になったら、500万600万と給料がもらえます。なんで、山で農業やったら87万円なのですか。
米価毎年下がるのですよ、農協の職員の給料は毎年下がるのですかと聞いたら、返事はありませんでした。
その組合長が、2年後に最大の味方になってくれたのです。
農業の特徴はもう一つあって、JAという補助輪と役所という補助輪を二つ付けて走っているのです。私たちは二つの補助輪を外しませんかと集落説明会を開いたのです。
農家の人たちは、今日は新しい補助金の説明会ではないのか。今までの補助輪を外せ、自分で値段を付けろと言われても、と戸惑っていました。私たちは、生産、加工、販売を自分でしませんか、自分で値段を付けませんかと持ちかけたのです。それは、直売所しかありませんよね。初年度の60万円の予算の大部分は、2か所の直売所の視察のためのバス借り上げ費用でした。しかも、億単位以上の売り上げをしている直売所に決めました。
一回目は、道後温泉の近くまで旅しませんかと持ちかけ、愛媛県内子町までご案内しました。
温泉は後にして直売所に着き、バスから降りたら、その直売所のあるおばあちゃんが、「さあ、この中で私より年収が多いと思う人は手を挙げて。」と言ったのです。「私の年収2800万円。」みんな顔を伏せてしまいました。そのおばあちゃんは椎茸農家なのです。ご夫婦揃って農協に椎茸を出荷していた時には、年間400万円しかならなかったのが、直売にしたら2800万円。売り場を案内してもらいました。こんなに大きな椎茸の袋が1300円、はるかに小さい椎茸の袋が900円、どっち取ると聞かれました。みんな1300円を取る。そのおばあちゃんは、900円の袋はダミーだというのです。人は見た瞬間に1300円が得だと思ってそれを買うそうです。
知恵を見ました。ものすごい知恵があります。
茨城県のみずほの村市場、ここもそうです。長谷川さんという元町会議員の方。なにしろ知恵があるのです。知識ではなくて知恵なのです。
その2か所を視察させてもらって、生産・管理・販売。 農協の補助輪、外しませんか、役所の補助輪、外しませんかと、勧めたのです。169世帯中、理解して賛成していただいたのは3世帯だけです。反対の理由、売れなかったらどうする。失敗したらどうする。目の前に客を呼んで来いよ。と言われました。おれが、そいつにコメを売ってやるからそいつを連れてこいと言われたのです。
では、私がコメを売ってみますので、売れたら、次は皆さんが会社作って、自ら売ってくださいねとお願いしました。本当に売れたらお前の言うこと何でも聞いてやると言われました。私は平成17年にコメを売り始めました。
しかし、何をすれば良いか分からないので、とにかく何でもやってみました。学歴も肩書も全く通用しません。素晴らしい文書を作る。素晴らしい計画書を作る。そんなもの何にもなりません。
しかし、私には理解者がいました。犯罪以外なら全部責任を取ってやると言ってくれた上司がいたのです。そんな公務員初めてでした。それまでは、失敗したら誰が責任取るんだという上司ばかりでした。だいたい、自分で責任取らない人間に限って、責任、責任というのです。
その上司に恥をかかせたくないという思いが沸々と湧いてきました。琴線に触れたのです。
犯罪以外は全部やることにしたのです。
原油が値上がりしたら漁師は魚を捕りに行けないのです。農家はコメの値段を自分で決められないのです。これは産業でないです。
普通、農業の6次産業化というと、生産・加工・販売なのですが、我々は、生産・管理・販売だとも思っています。そして、産業として独立できるものを作ろう、それしか過疎を防ぐ方法は無いと考えました。流通の業態の変革です。
理念、哲学、これが一番大事なのです。哲学はフィロソフィー、フィロとソフィア、愛と知恵なのです。
吹けば飛ぶような学歴があっても、愛も知恵も無いのです。肩書があっても、愛も知恵も無いのです。
僕が尊敬する「ブッダ」はハーバード大学出ていませんよ。
日蓮上人も大好きですが、東京大学出ていませんよ。
イエス・キリスト、船大工の息子です。ハーバード出ていませんよ。
何を言いたいか、人間の本質、愛や知恵がある言葉は残るのです。浅知恵は残らないのです。
地域社会の一番小さな単位でみてみると人なのです。農村では、人が寄り添って家を作り、そして集落を作り、村、町、市になっているだけなのです。
人を見ないといけないのです。行政の究極の理想なのです。お互いに助け合わなきゃいけないのです。
自分の体で見てください。一つひとつの細胞が助け合っているんです。そして一つの細胞が消えるときは、その細胞のエネルギーを他の細胞に渡して消えていくのです。
血管に穴をあけて、もっと俺たちにエネルギーを寄越せといっている細胞、他にエネルギーを渡さず、独り占めして、どんどん増殖していく、そんな生き方をしている細胞を癌というでしょ。
癌みたいな生き方をしている人間もいます。どう生きなきゃいけのか。正常細胞は、ほかの細胞のために生きている。異常細胞は自分のためだけしかできません。
理想は何なのか。人なのです。
頭は愚かでも、人の体は完璧なのです。では、経済のモデルはどこにあるのか。人ですよ。血液は何か。貨幣ですよ。かつて1000人の村が500人になってしまった。それを、どう見れば良いか。ガリガリになってしまった自分の手だと思えば良いのです。では、何をすれば良いのか。自分の手は、はさみで切らないでしょう。リハビリ運動するに間違いないのです。痛くても我慢してリハビリ運動するのです。
そうすると何が起こるか。動脈経済、静脈経済が起こります。動脈が栄養を運んできてくれるのです。そして、痩せた細胞に栄養を落とすのです。お金です。消費されて静脈経済に返すのです。
お金が目的だとしたら、痩せてしまった自分の手に輸血したら何が起こりますか。紫色に腫れて、壊死しますよ。
人間の体ほど、必要なところに必要な血液をきっちり送っているモデルは、他にはありません。これが、私たちの理想なのです。
経済の理想、社会の理想、どこにあるのか、人間の体です。他には無いです。
最初にやったのは、「やる気」を見せることでした。
あいつら60万円しかないといっているが、本気でやるつもりらしいと思ってもらうための策をとったのです。
そのため、金沢大学から副学長を始め14人の教授陣を呼んでタウンミーティングを開いたのです。神子原は素晴らしい地域資源がある。生物の多様性も豊かだ。と、地域の人たちと話し合ってもらったのです。
では、大学から副学長を始め14人の教授陣を呼んで話し合うだけで集落は活性化するか。しません。あいつら60万円しかないといっているが、本気でやるつもりらしいぞ、副学長なんて初めて連れてきたし本気らしい。と思ってもらうことが目的でした。
同時にやったのは何か。根本治療と対症療法です。
根本治療、これは流通の業態の変革です。第3者が値段を付けるのではなく、農家そのものが6次産業化して独立できるようにしようという考え方です。農協に頼らない、自分で希望小売価格を付けるやりかたです。
対症療法、これは現実を見てやるのです。集落を見渡すと、かつて1000人いたのが500人になってどうなっているか見ると、農家の家はあるけど、人が住んでいないのです。空き家です。その空き家に対して、他県からの移住者を迎え入れるのです。しかも、高齢化しているので、若者を迎え入れるのです。
それをやっただけなのです。ただし、戦略は作りました。戦略が大事なのです。計画は作るけど、戦略を作らない。戦略を実行しない。というのが多いです。それはだめです。
三つの基本戦略を作ったのです。メディア戦略。できるだけ多くの人になびいてもらいたいのです。そのためにはどうすれば良いか。人の行動です。人間の行動は、目と耳から入った情報で心が動くのです。そして行動に出るのです。だったらできるだけ多くのところに情報を投げないと動く人は増えません。1万人くらいに話しかけて、ようやく100人位が動いてくれるのです。ですから、意識的にメディアを使わないといけないのです。
もうひとつ、農作物は結構安いのです。それを、どうやった高価値化するのかこれを考えました。すなわち、ブランド化戦略です。
もうひとつ、過疎の村にできるだけ多くの人にきてもらい、一番大事な栄養(お金)を落としていってもらいたいのです。そのための、交流戦略。この三つの戦略を同時にやっていったのです。
しかし、予算が無いので業者には頼れません。そもそも業者もいいかげんです。うちの会社はブランドを作ってきました、なんていう会社もありますが、よくよく聞いてみると、パッケージのデザインをしただけなんて話もよくあります。ただのデザイナーです。
ブランドを決めるのは誰なのか、消費者ですよ。作った本人がブランドだと決めたものは無いです。本屋の本「こうすればブランドが出来る。」嘘っぱちです。
とにかく、失敗しながらやるしかないのです。自分でやるのです。但し、常にど真ん中に過疎の村を置くのです。コンソーシアムを組んで、常に「神子原」という集落を真ん中に置くのです。またあいつら同じようなことやっているぞ、といわれながら、グルグルと回すのです。戦略とプロデュースを継続するのです。
但し、我々にノウハウが無いもの、例えばどうしたら美味しいお酒が出来るかなど、それは専門のところの助けを借りるのです。大学ももちろん活用させてもらいました。
「空き農家の情報バンク制度」というのを作ったのですが、全国の失敗例を全部調べました。同じ過ちをしないためには、失敗例を調べるのが良いのです。たくさんの失敗例を調べて、あることが分かりました。
頭を下げているところは全部失敗しています。お願いですからうちに来てください。大分県の山の中ですが、帯封がついたまま札束を渡すのです。お願いして来てくれるのはお客さんしか来ません。集落が来て欲しいのは、一緒になって汗を流してくれる人、村の住人なのです。お客ではありません。
私たちは、高飛車に出ることにしたのです。村に来たい人には試験を受けてもらうことにしたのです。まず、書類審査、それに合格したら現地見学会、そして、村の人たちが点数を付けるのです。さらに、一番高得点を取った人だけにもう一回来てもらいます。そして、むらの人たちで周りをとり囲んで、するどい質問をぶつけるのです。徹底的にやり込めるのです。そして、最後まで耐え抜いた人だけ、移住を許可するのです。
現在12家族35名。誰一人も出て行っていませんよ。移住をお待ちの家族が70家族以上あります。農家の空きがないのです。
次にやったのは、過疎の集落に女子大生を入れる事業をやったんです。男子はだめなんです。しかも、酒を飲める女子大生です。
国交省国交の補助事業、「若者の地域づくりインターン事業」、これは残して欲しい事業でした。蓮舫議員が事業仕分けしたようです。経験と知識が浅いと切ってはいけないものを切ってしまうんです。
な是、女子大生なのか、農家の裁量権は親父さんが持っているのです。サルの世界では、ボスザルのところに若いオスザルが近づくと喧嘩になります。若いメスザルだと未防備に受け入れます。しかも、酒が飲めるんです。
農家の親父さんは、役所が頼むから仕方なく受け入れるがと言いますが、本当は嬉しいのです。もちろん、食事代などはいただくのです。
これは、烏帽子親制度、かつての日本の伝統です。能登半島にはいまだに残っています。
ところが、この事業を始めると、県庁からクレームが来ました。保健所の許可はいつ取ったのか。旅館業法にも抵触するので、その手続きもしてください。と言われました。ほおっておいたらまた電話が来て、とうとう怒り始めました。食中毒が出たらどうするのですか、誰が責任とるのですかと言うんです。出たなと思って、県庁が責任取ってくれるのかと聞いたら、電話を切られてしまいました。
次は、この子達の現住所・連絡先を知らせなさいときたのです。何年、何月、何日、どんな食材をどう調理して提供したのか、全部書類にして出せというのです。農家のお年よりは、昨日食べたものだって覚えていませんよ。
さらに、地方公共団体ともあろうものが、何故、食品衛生法、旅館業法を守らないのか、顛末書を書いて、県の担当課長のところに、説明に出頭しろというのです。
出頭という言葉は犯罪者に向ける言葉です。私は行きませんでした。代わりに、朝日新聞と読売新聞の記者を2人送り込みました。
平安・室町時代からの伝統に今日になって法律を適用しようとするバカな公務員がいるのだけどどう思うかと伝えておきました。どうするつもりかと言うので、全面戦争だと言ったら、記者は市役所と県庁が全面戦争ですか、これは良いネタをありがとうといって、県庁にすっ飛んでいきました。
翌日、県庁は羽咋市の烏帽子親制度は、不特定多数を相手にした生業ではないので、旅館業法を適用しませんと言い出したのです。28軒でやっています。
農家民宿でも、必要なのは分かっています。しかし、ここは下水道も無い。旅館業法、食品衛生法に適合させるには500~600万円もかかります。ただでさえ疲弊しているところに、そんなこと口が裂けても言えません。苦肉の策です。
受け入れた家は、この家だけは、夜まで賑やかなのです。
特区も取りました。県には言いません。時間がかかりすぎます。国の担当者と直接やったら直ぐにできました。
棚田のオーナー制度も最初にやりました。しかも、案内は外電に対して行いました。
イギリスの新聞が扱ってくれました。イギリス大使館員が第1号で名乗りを上げてくれました。
日本人ほど、近いものを過小評価する人種は入ないのです。
なので、外国人が第一号で決まってから、地元のマスコミにも発表したのです。40組の募集に100組応募がありました。足きりです。
40kgの玄米を保証するから3万円払えというものです。農協なら60kg1万3千円です。農家は必ず得します。
しいたけ、なめこ、レンコン、たけのこ、オーナー制度、やれるものはみんなやりました。
最初に泊まりに来てくれた女子大生が、大学に帰って叫んでくれたのです。
「先生、変な村に行ってきました。」「農家に泊まったら、いきなり杯を交わされて、今日からお前はうちの娘だ、なんて言われ、烏帽子親制度をいまだにやっているのです。」
「ケイタイつながらないけど、心がつながりました。」
最初に泊まりに来てくれた女子大生が、大学に帰って、「ケイタイつながらないけど、心がつながる村に行って来ました。」と話してくれるのが良い宣伝になりました。
そのうち、法政大学の先生がやってきて、是非、うちの学生も泊めてくれというので、お受けしましたが、泊まる家は自分で交渉してもらいました。
先に、どこも受け入れ先がなかった場合の、冷暖房も食事ないひどいあばら家を見せるので、学生たちは真剣に農家とお泊り交渉をします。
女子学生が泊まるとじいちゃんが、男子学生が泊まるとばあちゃんが、元気になります。
とにかく、生き生きとしてきます。
この子らを泊めても、何も得はありません。少し宿泊費としてお金はいただきますが、ごく僅かです。この子たちは農業のことも全く知りません。
ところが、未熟な学生を受け入れることで、農家の方の気持が豊かになるのです。
お前ら、縄の結び方も知らないのか、種のまき方もしらないのか、あれも知らないのか、これも知らないのか、お前ら学歴あるかもしれないけど、生活能力ゼロだな。
教えている方が心が豊かなのです。
じゃあ、今度、外人を連れてきて良いですか。
何でも誰でも良いよと言われて、日本語がほとんどしゃべれないニューヨークの不良高校生を2ヶ月泊めたのです。
過疎の集落が外人を受け入れるようになるのです。冬場、なんでもやることはあります。2月から3月、棚田に巨大な雛人形が現れるのです。これは、農家の人たちと学生たちで作ります。数年前からは社会人も参加してもらっています。
最初の年は力が入りすぎて、100mかけ40mの巨大なものを作ったんです。
私たちは、雄雛と女雛の間でチラシを配ったのです。何のチラシかというと、「お帰りには村のレストランをご利用くださいというチラシです。」それは、岐阜市から移住して農家カフェを営んでいる武藤君の店のオープンを3月3日にしたのです。
この、カフェには道案内の看板をあえて出しませんでした。チラシをもらった人は、村にはコンビにさえないのに、レストランなんかあるのかと不安がりながら、一時間も探し回ってコーヒーを飲みに来てくれたのです。
人は、こういう体験をすると、他の人にも同じ体験をさせたくて、また、誰かを連れて来てくれるのです。共感です。
金沢のあるコンサルタントは、「君たちは半年もしないうちに岐阜に帰ることになるから」と言ったそうです。携帯も繋がらない、国道沿いに看板も無い、こんなところに客が来るはず無いと。
馬鹿だと思いました。戦後の日本人の食に対する欲求は「量」でした。それが「質」に変わり、そして「時間」に変わりました。早朝に食べたい、深夜に食べたい、だからコンビニがこんなに普及するのです。
今は何が重要か。目に見えない空間・雰囲気、これと食が合わさるのです。
さて、彼らは食べていけるのか。久本雅美のクイズ番組になりましたので、ご覧になった方もおられるかもしれませんが、こんな過疎の村の農家レストランで年収はいくらか。
なんと、税務署を意識してか800から900万円と言っていますが、実際は1200万くらいだと思います。
彼が作ったカボチャは1個一万円以上になります。普通の農家は当然一万円になりません。なぜなら、生産・加工・販売をするからです。一次産品は包丁入れただけで値上がりするのです。細かくスライスするともっと上がります。衣を付けて油で揚げたらもっと上がるのです。それが一次産品なのです。
彼はカボチャ1個からいろいろなものを作ります。シフォンケーキ、プリン、パイなどです。280円から400円位のものです。
1個のカボチャが1万円に化けます。しかし、187平米の農地しかもっていないのです。
石川県の新規就農者の会に入っています。僅かな農地でも生活していけるのです。
彼らが、平成18年に初めて子どもを生んでくれたんです。何が起こるかというと、近所のおばあちゃんが、子育てを手伝ってくれるのです。なぜか。おらが在所の子どもなのです。18年も子どもがいなかった村で、子どもが生まれたら地域の子どもなのです。
過疎の村には、何も無いわけではなく、教育力が残っているのです。
同時にやっていたのが「ブランド化」です。
動機は、魚沼でできるのなら、僕らも出来ると思ったことです。
最初に導入したのが人工衛星の利用です。
人工衛星からの写真で、田んぼにある段階で、役所が米の味の仕分けをしたんです。写真で青く写っている田んぼはとっても美味しいお米です。赤いのはとっても不味い米です。黄色は不味い米です。
レッドカード、イエローカードの不味い米は、農協に出荷してください。美味しい米は自分たちで高く値段を付けて売ろうと考えたのです。
このシステムは役所がビジネス化しているのです。クライアントは、山形から岡山まで10箇所くらいのJAや営農組合が私たちの顧客になっています。
地元の新聞で、最初は酷評されました。その次は褒められました。どっちが正しいのでしょう。
さて、ブランドですが、ブランドは生産者がブランドを作るのではありません。消費者がブランドだと認めたものがブランドなのです。
消費者がどうしてブランドと思うのか。心理構造の確信部分が説けない限り、ブランドを理解できません。
人間は、自分の買ったものを人に語りたいものです。その時のために、「物語性」が必要です。農作物にもそれがあるかないか。
人間は、自分以外の人が、持ってる、飲んでる、着てる、身に付けてる、履いてる、食べてるものを欲しがるのです。
あの人良い鞄持っているな、あの女優さんが着ている服どこのメーカーだろう。ケリーが持っていたバックは、エルメスでケリーバックと呼ばれました。アメリカのダレス国務長官が持っていたバックはダレスバックと呼ばれています。
つまり、私たちの農作物をブランドにするにはどうしたら良いのか。簡単です。いつも誰が食べているかが問題なのです。しかも、影響力の強い人が良いのです。影響力の強い人が、食べたり、持ったり、使ったりしているものがブランドになるのです。
そこで、3人選びました。 ここは日本ですから、天皇・皇后両陛下。神子原と書きますのでローマ法王。そして、米の国と書くアメリカの大統領。
すぐ、実行に移しました。宮内庁で不思議な言葉を聴きました。石川県といえば旧加賀藩ですから、前田家です。宮内庁に前田さんがいるのです。
明治以降、廃藩置県で、城と用地を政府に明け渡しました。政府は、未来・末代までの、藩主の身分保障をしています。だから、前田さんがいるのです。第16代、前田家当主がおいでたんです。宮内庁の受付の人は、「殿様。今日、石川県の羽咋市から市長さんが来ておられますが、約束はありますか。」と電話で確認しているのです。
今、この人「殿様」と言わなかったか?否、空耳に違いない、と思っていました。ところが、応接室で、女官さんが、「殿様・・・」と話されたのです。
私たちも、名刺を出すときに、思わず「殿様、こういうものです。」と、名刺を出しました。殿様は「はい」と返事されました。未だに「殿様」なんです。
徳川さんもおられましたよ。呼称は「徳川の殿様」です。
私たちが、この前田の殿様に何をお願いしたかというと、皇室の「皇」に「子」と書いて「みこ」と呼ぶ。だから、私たちの「米」を両陛下が定期的に召し上がっていただくことはできませんかとお願いしました。
殿様は、「ああ、良いですね。僕は石川と関係が深いし、早速、やりましょう。」とおっしゃいました。すぐに料理長を呼んで話をされ、料理長は、「今晩の夕食に早速使いましょう。侍従長には、自分から話をしておきます。」とトントン拍子でした。
私たちは、役所に直ぐに「成功したぞ。」と連絡し、宿泊先のホテルに帰って、ドンちゃん騒ぎでした。頭の中には、菊のご紋を使ったポスターやのぼり旗のデザインが出来あがっているのです。あっ、「菊のご紋を勝手に使って良いのか。」位のことを、早々と心配していました。天皇・皇后両陛下御用達「神子原米]近日発売の文字が頭を巡っていました。
ところが、どんちゃん騒ぎして、ホテルに帰ってみると、電話の横の伝言メッセージのオレンジ色のランプが光っているんです。
聞いてみたら、宮内庁からの連絡で、「先ほどの件については、無かったことにしてください。」ええっ・・・でした。
ドンちゃん騒ぎは何だったのか。なぜ駄目なのか、食い下がって聞いてみました。1:15:04
献穀田制度の輪番制が崩れるというのが理由でした。
帰りの飛行機の中で、市長から文句を言われました。
次に、ローマ法王に手紙を書きました。「神子原」は英訳するとキリストの原っぱという意味になってしまいます。ここのお米をあなたに召上がっていただけないか。でも、1ヵ月たっても、2ヵ月待ってもバチカンからは返事がありません。失敗したと思いました。
次に、三つ目、アメリカ大統領に狙いをつけました。米国。米の国です。当時はブッシュ大統領です。
しかし、私たち普通の農家が丹精込めて作った米5kgをホワイトハウスに送ったらどうなると思いますか。ネグレクト、受け取り許否されるのです。
一方で、食べたくもない遺伝子組み換え大豆が400万トン、トウモロコシは1300万トン、日本に入ってきているんです。たった5kgの米がホワイトハウスに行かないのです。
カチンと来たんで、アメリカ大使館の職員に頼んで、先代のブッシュ、父親のところへハンドキャリーして、父から息子に渡してもらおう、急がば回れ作戦に変更しました。
そんな交渉をしているところに、ローマ法王庁大使館から電話が来たのです。
怒られると思ったら、違っていました。「直ぐ来なさい。」でした。
私と町会長で45kgの米を担いでいきました。市長は手ぶらです。
玄関で大使代理が待っていてくださって、「あなたたちの神子原は500人の小さな集落ですね。バチカンも800人しかいない世界一小さな国なのです。小さな村と小さな国の架け橋を大使と私がやりましょう。」とおしゃっていただきました。
日本からローマ法王への正式の献上品としてこのお米をみてあげますとのことでした。
私たちは、古くからの献上品のリストを見せてもらいました。誰が何を献上したか、主だったものは、みんな書いてあるのです。織田信長の送った「屏風」もリストにありました。米もあるか調べてもらいましたが、ありませんでした。つまり、私たちの米が、ローマ教皇への始めての献上米になりました。
それまで、私たちの米は全然売れませんでした。突然売れ始めたのは、その二日後です。
私たちの米が突然売れ始めたのは、カソリック新聞に書かれたからです。ローマ教皇は、11億人の信者の頂点に立つ人です。影響力も絶大でした。
そして、上智大学の中の教会関係者の、大変品のある雰囲気の奥様から、電話がかかってきました。「お宅様に教皇様に献上されたお米、ございますの。」はい、ありますけどと答えたら、「バザーに使いたいので、5キロの袋で何百個、3キロの袋で何百個、1キロの袋で何百個、直ぐに届けてくださらない。」値段はと聞くと、「いくらでも結構よ。」ときました。
こちらは、まだ売れてないので、値段も決めていなくて、1kg700円でいかがですかと聞いたら、「あら、お安いわね。」と言われました。1kg700円の米が安いというのです、カチンと来ました。しかし、どういう人か察しがつきました。
当時、私たちはデパートの地下で米の値段を調べていました。南魚沼、830円から1300円なのです。誰がこんな米買いますか。売り子の人に誰が買うのと聞いたら「お買い求めいただく方がいらっしゃるので扱っています。」としか答えてくれませんでした。普通の主婦は1300円の米なんて替えませんよ。デパートの地下で米を買うのは富裕層なのですよ。
最初にお電話いただいた、教会の関係者の奥様も富裕層なのです。そのことは、直ぐに広まりました。日経、産経、NHK様々なメディアに伝わっていきました。1か月で7百俵の米を役所が売ったんです。
最初に賛成してくれた農家3軒だけでは、7百俵の米は用意できません。ところが、反対していた連中が、農協経由だと1万3千円の米が、役所経由だと4万2千円なので、みんなこっちへ来たんです。そうして、僕は2年間米を売ったんです。
そして、もうひとつやりました。何かというと、あえて米を売りませんでした。
東京都世田谷区成城からお電話があっても、絶対に売りません。白金も田園調布も自由が丘にも売りません。高級住宅地から電話があった時には、残念ながら売り切れましたと答えるのです。そして、「ご贔屓のデパートにご相談ください。」と付け足します。
そもそも、私たちはデパートに米を置きたかったのです。そのための作戦です。
デパートに頭を下げて米を売ってくださいと行くと、通常は門前払いです。仮に扱ってもらっても、1/4以上の粗利が先にとられます。輸送費も米の袋もこっちもち、さらに、玄米で倉庫に持って来い、保管代も払えと言われます。
私たちは、その作戦として、高級住宅地からの注文を断ったのです。60件位断りました。そうしたら何が起こったかというと、デパートのバイヤーから電話がかかってきました。
「お前のところに、ローマ法王に献上した米があるか。あるなら直ぐに寄こせ。」と言うのです。
そこで、すぐに寄こせと言われても、量はどのくらいですか。トラックを神子原の倉庫に寄こしてもらえますか。袋は単品だと125円ですがどうしますか。と聞きます。実は袋の仕入れ値は87円なので、袋を売るだけでも儲かります。
卸値で10%しか引けませんが、それでも良ければ取りに来てください。というのです。来ますよ。
希望小売価格特にありませんが、1000円以上付けないと絶対に合わないです。西武・そごうは1035円で売っていました。
毎年デパートを替えました。向こうから、頭を下げて売ってくださいというまで、絶対に売りません。東京の老舗デパート、京都のそごう、九州の山形屋、一通り置きました。
調子に乗って、720mlで33600円の日本で一番高い酒を作ったのです。こんなの私は絶対に飲みません。買いません。
議会である議員が、5kg3500円の米とか、4合33600円の酒とか、こんなもの大丈夫なのか、わしゃ心配だ。と言うのです。それで、私たちは、議員さんそんなに心配されるなら、3500円の米を直接農家から買ってやってくださいと反論しました。そんな議員に限って心配なんかしていません。
また、1本1680円のどぶろくも作りました。それを、東京の外人記者クラブに持って行って、米で作った酒が、麦やブドウで作った酒より劣るのかと試飲会を開いたのです。
彼らは、まるでワインのようだと評価しました。米をワイン酵母で発酵させたのですから当然です。外国人のスタンダードは世界で一番高い酒はワインなのです。
記者たちは、一斉に、ワインのような日本酒として紹介してくれました。その結果、日本航空のエグゼクティブクラスから連絡がきました。
これを、石川県で発表したらどうなるか。地元新聞の「能登版」にしか掲載されず、能登の人間しか知らないことになります。
さて、二年目に反対していた農家の人たちに、「米」売ったんだから、約束通り、会社作ってくださいといったけど、駄目でした。
何故か。失敗したらどうするのだ。赤字になったらどうするのだ。今は人気だけど、いつまで人気が続くかわからない。子どもみたいなものです。
最初に反対したのは公務員です。赤字になる会社に出資する馬鹿はいないというのです。
次に反対したのは、元県庁職員です。私は長年県政に係わってきたけど、農家だけで作った会社が成功したためしは無いというのです。
みんな、そうだ、そうだと言い始めたのです。
赤字になったら役所が補填してくれるという確約書でも無ければ、危なくて会社なんか作れないと言い出すのです。
役所や農協の補助輪を外そうと言っているのに、また補助輪を付けようとするのです。結局45回会合を開くうちに、ある農家の人が、「俺は昨日パチンコで2万円負けた。みんなも、今回、パチンコに負けたと思って2万円出してくれ。150世帯集まれば、資本金300万円の会社が出来る。」と言い出したのです。
その途端、反対意見はなくなりました。社長は、その中で一番若い人、といっても50代の人に決まりました。
そして、直売所を作ったのですが、設計アイデアは奥様達です。なぜなら、ここで働くのは全て奥様たちなのです。
そして、オープンの時を向かえ、農協の組合長は、「本来なら農協がやらなきゃならないことを、役所がやってくれた。」と挨拶でいってくれたのです。
この時から、役所と農協は一緒に農家の背中を押す役割になりました。補助輪からエンジンに変わったのです。
会社ができて軌道に乗ると、一番最初に反対していた奴が、視察の案内で「これは私たちが作った会社です。」と自慢しているのです。
最初から黒字です。売り上げは1億を超えています。社長以下11名が働いています。額は小さいけど村には十分です。
目指すものは何か。人口減少に歯止めをかけることはできません。
嬉しかったのは、農業を続けていて良かったといわれたことです。
さて、私たちは、2年前から、根本的な問題に取り組んでいます。
私たちが作っている米は腐りません。
皆さんが食べている米、腐りませんか。白米をコップに入れて水を入れておいたらカビ生えませんか。皆さんが食べている果樹・野菜、腐りませんか。中国から輸入した、ほうれん草、冷蔵庫1週間で溶けていますよ。私たちが作っているリンゴは枯れるのです。
この農法を最初に作りだしたのは木村秋則と言います。弘前にいらっしゃるリンゴ農家です。水稲、野菜なども作っておられます。この方の農法を自然栽培と言いますが、農薬・肥料・除草剤、外部から一切資材を導入しないのです。すると、枯れる野菜ができるのです。生命力が強いです。
そのトマト、水に入れたら沈むのです。皆さんのトマト、水に浮きませんか。農薬・肥料・除草剤を使わないトマトは沈みます。
先ほどの木村さんのリンゴも沈みます。
腐らず枯れる野菜や穀類を輸出することが出来れば、嫌なものを出すのではなく、イタリアの米は腐りますよ、私たちのコメは枯れますよ、枯れるものを食べませんか。
今までの日本人は、家電製品、電子部品、車、など世界に売ってきたのです。何で、コメ、野菜、果樹を売らないのですか。これは、世界が求める商品です。
しかし、勘違いもあります。 JAS有機、一番初めに腐ります。
JAS有機は安心な野菜だったはずです。なぜ、最初に腐り始めるのですか。中国の野菜と一緒です。最初に溶けますから。
八百屋さんで聞いてみてください。有機は足が早いからねと言われます。
分かりますか。食べてはいけないものは溶けるのです。植物は枯れるのが基本なのです。もし腐るのだったら、山は枯れ葉が腐っていたら、臭くては入れませんよ。腐るのは異物が入っているからなのです。
つまり、JAS有機は食べてはいけないものなのです。私たちは、有機栽培を否定しているのでは無いのです。未完熟な有機肥料を使うと、野菜が溶けるのです。日本には完熟と未完熟の境の規制が無いのです。未完熟でも良いよと言っているのがJAS有機法なのです。ザル法です。未完熟の有機を使うくらいなら、何も入れない方が良いです。
このことは、江戸時代の人たちは知っていました。こんな未完熟のものを使うのは、火縄銃の火薬を作るときだけです。五箇山です。穴を掘って、枯葉を入れて、し尿をかけるのです。何が取れるか、硝酸の結晶塩です。
一番初めに腐る米、JAS有機米。2つめ、冬に水を張って、野鳥を呼んでいる田んぼの米、若しくはアイガモ農法、こんな米臭くて食えません。鳥の生糞が入るからです。是非、止めてください。冬水田んぼもアイガモ農法も江戸時代にはやっていません。私たちは間違いを犯しています。
九州くらいの面積しかないオランダが、世界3位の農産物の輸出国なのです。1年間68億ドルです。日本は48位、年間たった1億ドルです。
じゃあ、日本のものは売れるのか。売れません。何故か。ヨーロッパの基準では生鮮加重1kgあたり硝酸塩の濃度が2500PPM以下のものしか扱えないのです。流通できないのです。
日本は8200PPM。これは、ヨーロッパでは廃棄物の値です。人に食わしちゃ犯罪です。
ホウレンソウ、完全にアウトです。日本で売られている野菜。何一つヨーロッパでは流通の基準に合いません。
せっかくの技術がある日本で、売れないものばかり使っているのです。
未完熟な有機肥料や化成肥料を大量に使っていると、植物の体内で硝酸体窒素がたんぱく質やアミノ酸に変わるのが間に合わなくて、植物の体内に大量に残るんです。ヨーロッパの基準には合わない、非常に高い数値で残ってしまうのです。日本の基準はゆるいのです。
硝酸濃度の高いものを虫は大好きなのです。だから虫がつくのです。山の天然の栗には虫はほとんど来ません。何故、栽培の栗は虫だらけになるのか。だから殺虫剤がいるのです。
農家も勘違いしています。おれのダイコン見てくれ。農薬を使わないからこんなに虫が食っている。違います。虫が来るものは危険なのです。人間が食べてはいけないものを、虫がみんな食べてくれます。蠅は腐ったものに集って我々に教えてくれるのです。
硝酸塩は、口の中で亜硝酸に変わります。胃酸と反応してニトロソ化合物になります。発ガン性物質です。危ないです。
日本人のお金持ちは、発ガン率が高いのです。JAS有機ばかり食べていると発ガンします。
逸見正孝さん、アナウンサーでしたがガンで亡くなりました。奥さんは、健康を考えJAS有機に切り替えました。1年ほどで奥さんもガンで亡くなりました。
おかしいと思っていたのです。しかし理由が分からなかった。自然栽培と出会って初めてわかりました。
遺伝子組換え、安心ですと厚生労働省は書いています。本当でしょうか。GMOは遺伝子組み換え植物のことですが、大豆400万トン、トウモロコシ1300万トン、入ってきています。
皆さん、口にしていませんか。加工品には書いてないですよ。日本という国をよーく考えてみてください。40兆円しか収入の無い国で、30数兆円の医療費を使っているのですよ。一般家庭で、400万円の収入で300数十万円の医療費を使っていたら、何かおかしいものを食べていると思うじゃないですか。
何故、ドイツやフランスは必死になって遺伝子組み換えに反対したのですか。このフランスの新聞ルモンドの記事は、遺伝子組み換え食品でねずみが13ヶ月で全て発ガンしたという記事です。
日本は無防備ですよ。厚生労働省が遺伝子組み換えを安全と言うのなら、そこの役人は愛する奥さんや子どもに、毎日、安全な遺伝子組み換え野菜を食べさせてあげてください。13ヶ月で発ガンしていますよ。
作ったメーカー、モ○サ○トの職員は食べないのですよ。自分たちが食べないものを、何故、日本人が食べなきゃならないのですか。フランスが危ないと言っているものを、厚生労働省はなぜ安全だというのですか。
そんな国潰れますよ。国民に毒を食わせるような政府は終わりですよ。
だから、僕らは反対しているのです。
国連の食料農業機構の環境部長を呼んで、神子原を見せました。
あなたに、日本が見せることが出来る、最先端の農業システムをお見せしますと言って来てもらったのです。
お見せしたのは、農薬、肥料、除草剤を一切使っていない、農協がやっている田んぼです。皆さんの農協、農薬、肥料、除草剤を使うなと言っていますか。そんな農協は、今日現在、日本に3箇所しかありません。宮城県の加美よつば、羽咋、岡山の3つです。 でも、来年はもっともっと増えます。
そんな栽培で米はできるのか。出来ます。1反に7俵ちょっと収穫できます。この米は腐らないのです。僕らの米を水に漬けておくと、甘い香りがして発酵するのです。普通の米、カビが生えて腐ります。発酵する米と腐る米、どっちを食べたいですか。
私たちがこれをやろうとしたら、周りは大反対でした。そんなことしたら害虫の温床になる。害虫がここから回りに飛び出すというのです。
ところが現実は、虫は農薬を撒かれた田んぼからここに非難してやってきます。ここから外へは行きません。そして、ここで食べられてしまいます。
何が起こっているか、ここは、水中の生物が非常に多いのです。カマキリ、ゲンゴロウ、ヤゴ、ありとあらゆる生物がいます。くもの巣がたくさんあります。耳をそばだてると、ブーンというミツバチがたくさんいます。カメムシが入ってくると大きな殿様カエルに食べられてしまいます。特定の害虫が大発生することはありませんでした。
肥料を撒かなければ植物が育たないのであれば、今世紀まで植物は生きてこられません。
誰か山に肥料を撒いていますか。それでも、山菜も毎年育ちます。収穫できます。私たちはこれをジャポニックと呼んでいます。これを世界に広めようとしています。
先ほどの田んぼ、遊休農地なのです。4年も5年も肥料・農薬を撒いていない農地は宝なんです。成分解をおこして、以前の農薬や肥料が消えている可能性が高いです。
そんな米が売れるのです。フランスの超高級フランス料理店でも使ってもらっています。
このマーケットを取れれば、オランダ並みにいけます。輸出できないものでなく、輸出できる農産物を作らねばならないのです。
これ、全国に広げれば、オランダ並みになっただけで68倍になります。68倍に急成長できる可能性のある産業は農業だけです。私たちは、本格的に世界に打って出ようとしています。駄目もとなのです。成功と失敗は紙一重です。何かやるから失敗し、何かやるから成功するのです。
しかし、何もしないこととは、雲泥の差があります。世界中に1個でも前例があれば出来るはずなのです。うちの若い職員向けですが、冒頭にも言いましたように、役人は役に立つ人なのだよ、必要な人間になるのか、不要な人間になるのか。オーナーは住民なのだから、血税なのだから、自分の狭い経験とあいまいな知識で判断していないか、出来ないと他の人が思うことを成し遂げる時に大きな喜びがあると伝えています。
今、我々がやろうとしていることは、過疎の村から世界のマーケットを取りに行く戦略なのです。しかも、相手が本当にしあわせになってくれるものを届ける。嫌なものを相手に押し付けるのが戦略ではないのです。
日本をもう一回み直してもらおう。国がやらないことを地方でもやろうと思っています。
最後までありがとうございました。