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嬉しかったのは、農業を続けていて良かったといわれたことです。 (まちセミ講演録:高野誠鮮その4)

2013/01/21 

スーパー公務員「高野誠鮮」さん講演会 

「こうすれば人は動き、まちは変わる」 

2012年12月15日 富山国際会議場

主催 NPO法人GPネットワーク

協賛 富山大手町コンベンション株式会社

 

その4

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2日後、私たちの米が突然売れ始めたのは、カソリック新聞に書かれたからです。ローマ教皇は、11億人の信者の頂点に立つ人です。影響力も絶大でした。

そして、上智大学の中の教会関係者の、大変品のある雰囲気の奥様から、電話がかかってきました。「お宅様に教皇様に献上されたお米、ございますの。」はい、ありますけどと答えたら、「バザーに使いたいので、5キロの袋で何百個、3キロの袋で何百個、1キロの袋で何百個、直ぐに届けてくださらない。」値段はと聞くと、「いくらでも結構よ。」ときました。

こちらは、まだ売れてないので、値段も決めていなくて、1kg700円でいかがですかと聞いたら、「あら、お安いわね。」と言われました。1kg700円の米が安いというのです、カチンと来ました。しかし、どういう人か察しがつきました。

当時、私たちはデパートの地下で米の値段を調べていました。南魚沼、830円から1300円なのです。誰がこんな米買いますか。売り子の人に誰が買うのと聞いたら「お買い求めいただく方がいらっしゃるので扱っています。」としか答えてくれませんでした。普通の主婦は1300円の米なんて替えませんよ。デパートの地下で米を買うのは富裕層なのですよ。

最初にお電話いただいた、教会の関係者の奥様も富裕層なのです。そのことは、直ぐに広まりました。日経、産経、NHK様々なメディアに伝わっていきました。1か月で7百俵の米を役所が売ったんです。

 

最初に賛成してくれた農家3軒だけでは、7百俵の米は用意できません。ところが、反対していた連中が、農協経由だと1万3千円の米が、役所経由だと4万2千円なので、みんなこっちへ来たんです。そうして、僕は2年間米を売ったんです。

そして、もうひとつやりました。何かというと、あえて米を売りませんでした。

東京都世田谷区成城からお電話があっても、絶対に売りません。白金も田園調布も自由が丘にも売りません。高級住宅地から電話があった時には、残念ながら売り切れましたと答えるのです。そして、「ご贔屓のデパートにご相談ください。」と付け足します。

 

そもそも、私たちはデパートに米を置きたかったのです。そのための作戦です。

デパートに頭を下げて米を売ってくださいと行くと、通常は門前払いです。仮に扱ってもらっても、1/4以上の粗利が先にとられます。輸送費も米の袋もこっちもち、さらに、玄米で倉庫に持って来い、保管代も払えと言われます。

私たちは、その作戦として、高級住宅地からの注文を断ったのです。60件位断りました。そうしたら何が起こったかというと、デパートのバイヤーから電話がかかってきました。

「お前のところに、ローマ法王に献上した米があるか。あるなら直ぐに寄こせ。」と言うのです。

そこで、すぐに寄こせと言われても、量はどのくらいですか。トラックを神子原の倉庫に寄こしてもらえますか。袋は単品だと125円ですがどうしますか。と聞きます。実は袋の仕入れ値は87円なので、袋を売るだけでも儲かります。

卸値で10%しか引けませんが、それでも良ければ取りに来てください。というのです。来ますよ。

希望小売価格特にありませんが、1000円以上付けないと絶対に合わないです。西武・そごうは1035円で売っていました。

毎年デパートを替えました。向こうから、頭を下げて売ってくださいというまで、絶対に売りません。東京の老舗デパート、京都のそごう、九州の山形屋、一通り置きました。

調子に乗って、720ml33600円の日本で一番高い酒を作ったのです。こんなの私は絶対に飲みません。買いません。

議会である議員が、5kg3500円の米とか、4合33600円の酒とか、こんなもの大丈夫なのか、わしゃ心配だ。と言うのです。それで、私たちは、議員さんそんなに心配されるなら、3500円の米を直接農家から買ってやってくださいと反論しました。そんな議員に限って心配なんかしていません。

 

また、11680円のどぶろくも作りました。それを、東京の外人記者クラブに持って行って、米で作った酒が、麦やブドウで作った酒より劣るのかと試飲会を開いたのです。

彼らは、まるでワインのようだと評価しました。米をワイン酵母で発酵させたのですから当然です。外国人のスタンダードは世界で一番高い酒はワインなのです。

記者たちは、一斉に、ワインのような日本酒として紹介してくれました。その結果、日本航空のエグゼクティブクラスから連絡がきました。

これを、石川県で発表したらどうなるか。地元新聞の「能登版」にしか掲載されず、能登の人間しか知らないことになります。

 

さて、二年目に反対していた農家の人たちに、「米」売ったんだから、約束通り、会社作ってくださいといったけど、駄目でした。

何故か。失敗したらどうするのだ。赤字になったらどうするのだ。今は人気だけど、いつまで人気が続くかわからない。子どもみたいなものです。

最初に反対したのは公務員です。赤字になる会社に出資する馬鹿はいないというのです。

次に反対したのは、元県庁職員です。私は長年県政に係わってきたけど、農家だけで作った会社が成功したためしは無いというのです。

みんな、そうだ、そうだと言い始めたのです。

赤字になったら役所が補填してくれるという確約書でも無ければ、危なくて会社なんか作れないと言い出すのです。

役所や農協の補助輪を外そうと言っているのに、また補助輪を付けようとするのです。結局45回会合を開くうちに、ある農家の人が、「俺は昨日パチンコで2万円負けた。みんなも、今回、パチンコに負けたと思って2万円出してくれ。150世帯集まれば、資本金300万円の会社が出来る。」と言い出したのです。

その途端、反対意見はなくなりました。社長は、その中で一番若い人、といっても50代の人に決まりました。

そして、直売所を作ったのですが、設計アイデアは奥様達です。なぜなら、ここで働くのは全て奥様たちなのです。

そして、オープンの時を向かえ、農協の組合長は、「本来なら農協がやらなきゃならないことを、役所がやってくれた。」と挨拶でいってくれたのです。

この時から、役所と農協は一緒に農家の背中を押す役割になりました。補助輪からエンジンに変わったのです。

会社ができて軌道に乗ると、一番最初に反対していた奴が、視察の案内で「これは私たちが作った会社です。」と自慢しているのです。

最初から黒字です。売り上げは1億を超えています。社長以下11名が働いています。額は小さいけど村には十分です。

目指すものは何か。人口減少に歯止めをかけることはできません。

嬉しかったのは、農業を続けていて良かったといわれたことです。

 

その5に続く・・・

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