レポート
まちづくりセミナー2011
第4回講演録 講師:水野雅男氏 地域づくりコーディネーター
2011/01/07第4回 平成24年1月7日
演題 「まちを遊ぼう、まちを動かそう」
講師 水野 雅男 地域づくりコーディネーター
はじめに
今日は石川県内の5つの事例を持ってきました。
まず始めに、大野地区(北前舟の寄港地、醤油の産地)について。
映像から
97年から10年間ぐらいまちづくり活動をしたものがありまして、総務大臣の地域づくり賞を頂いたご褒美に映像をまとめてもらいましたので、それをまず見てもらおうと思います。
※映像上映(音声:ナレーション を記載)
……………
昔ながらの古い蔵が立ち並ぶ路地。しかし、この中には別世界が広がっています。ここでは蔵をつかったアートによるまちづくりが行われています。
石川県金沢市の中心部から北へ8kmあまり。大野町は日本海に面した港町です。かつては北前船の寄港地として栄えました。古きよき昔を偲ばせる歴史ある家屋が点在し、そこだけ時間が止まったような雰囲気です。そんな古い町並みを歩くとあちらこちらで醤油の文字を見かけます。大野は江戸時代から続く醤油のまちでもあるのです。最盛期には60軒を越す業者が軒を連ね、今でも26軒が醤油づくりを行っています。
2004年11月、道しるべがまちに設置されました。地元の子どもたちとアーティストが一緒になって、手作りの道しるべを設置していきます。よく見ると道しるべ自体も素朴な芸術作品です。看板にもこんな仕掛けがあります。古い醤油のまちにアートがあふれているのがわかります。アートによるまちづくり。道しるべはその出発点となった場所を示しています。ここ「もろみ蔵」です。中に入るとかつての蔵の内装がそのまま活かされたおしゃれなカフェになっています。ここは醤油の原料、もろみをつくっていた蔵でした。テーブルはもろみを仕込んだ木樽の底。イスは小さな醤油樽です。
もろみ蔵の改修工事が始まったのは97年4月。もろみ作りを工場で一括して行うようになったため、役割を終えたもろみ蔵を利用しようと声が上がったのです。中心となった商工振興会のメンバーたちはまちづくりコーディネーターの水野雅男さんを招き、勉強会を重ねました。「大野のまちに40棟近くもろみを作っていた蔵があるでしょう。その内の10棟~20棟ぐらいは有効に使われていない、遊休化しているんですよね。その空間を使おうというのが主旨ですよね。そこにアートとか、ものをつくる人とか、そういう人たちが入れるような場をつくり提供しようというのが主旨かな。つまり、そのまちの人以外の人がここに通ってきたり、ここに住みつくような形になって、新しい風を持ちこんでくれればいいかなと思っている(水野氏のインタビューより)」。ユニークなのは、改修作業のほとんどを自分達の手でこなしたこと。地元の人ばかりではなくまちの外からも多くのボランティアが参加しました。「いろんな外部の方の知恵を借りてよかったなと思っていますね。地元の自分たちだけでやったら、なかなかこういった発想、改装、形に生まれ変わることは想像できなかった。わかっていなかったんですよね、正直なところ。(地元住民のインタビューより)」。
もともとは、地元の人々のたまり場として作られたもろみ蔵。今では年間2万人が訪れる観光スポットとなりました。蔵の再生を目指し、いろんな人々と協力するうちに、大野町以外からも若い人々が集まるようになりました。アーティストも加わり、いつしか「金沢大野くらくらアートプロジェクト」実行委員会が組織されていきました。
活動の大きな特徴は、組織を外に大きく開いたことです。専門知識がある人は知恵を、ない人は大工仕事をと、プロジェクトはそれぞれ自分の得意技を持って支えています。学生も参加してプロの建築家とチームを組み、デザインのアドバイスや設計に携わっています。遊び感覚で無理のないペースで進める。プロジェクトが長く続く秘訣はここにあります。「普段、社会とか仕事とか学校ではできないことを企画して、みんなで楽しむということですね。それが一番のポイントかな。なんでも楽しんでしまおうということ。それがあったからこそ続いているんじゃないですか(水野氏インタビューより)」。
アトリエやギャラリーとして生まれ変わった蔵では、若手のアーティストたちがおもいおもいの創作活動を行っています。午後8時、ハマヨスタジオに上村りの?さんがやってきました。空間プランナーとして昼間は仕事をもっている上村さん。この日は夜にスタジオを開放し、小さな個展を開きました。「一見こういう醤油蔵という古い町並みとアートというものは結びつかないんですけど、そのギャップがおもしろいというか、来てみてビックリしたというものはあります。こんなに大きいスペースで作品が作れるなんてという驚きもあるし、蔵のつくりの力強さとか建物としての美しさがすごくあると思うので、コンクリートのビルの中とか普通の天井が低い家の中で作るのとは全然感覚が違うので、そういう意味ではものすごく作品に影響します(上村さんインタビューより)。
山本基(やまもともとい)さんは4棟目に出来た、海辺のアトリエを借りています。すぐ目の前は海。町外れで人通りも少ない静かな場所です。創作にはある程度のスペースが必要ですが、広くて安い場所を確保するのはなかなか難しいのは実状です。アーティストにとっても蔵を利用したスペースは絶好の場と言えます。「蔵の面白さや建物の興味深さとかこういう街の雰囲気の良さはもちろんあるんですけど、まず第一に場所がほしかった。もともと広島が出身でこっちがベースではないので、製作する場所の確保が難しい。そういう場所を持てるというのが一番最初の飛びついた理由です(山本さんインタビューより)」。
くらくらアートプロジェクトで生まれ変わるもろみ蔵。5棟目は、「醤油処 直江屋源兵衛」の改装でした。おしゃれなカフェは観光客にも人気です。「これで満2年経ったんですけど、少しずつですけど確実に増えてますのでとても嬉しいです。励みになります。町を歩いている方もノラネコとお年寄りしかいない通りだったのが、若いカップルの方とかも目に見えて増えておりほんとに嬉しいですね。何よりの励みになりますね(カフェで働く人のインタビューより)」。改修した蔵ではコンサートやアートフェスティバルも開かれ、古い町とアートの融合はどんどん進んでいる。
「ずーっと実験してきたということです。社会実験をして。改修作業もそういう実験ですし、それを使ってアーティストに入居してもらうこともそうだし、地域通貨の実験をやるとか、アートフェスティバルをやってみるとか、映画をつくってみるとか、お芝居をつくって上演するなど、すべて実験ですね(水野氏インタビューより)」。
くらくらアートプロジェクトには、地元の住民や子どもたちも参加しています。道しるべも地元の子どもたちの作品です。作業の場所はオープンしたばかりの6棟目の蔵、「サロン・ド・楽々」。公民館としてまちづくりに利用してもらおうとして作ったスペースです。道しるべはもろみ蔵の行き方が分からないという声に応えたもの。子どもたちは思い思いのデザインで大野の名称を登板に記しました。
指導したのはアーティストの新保 裕(しんぼひろし)さん。新保さんはこうしたワークショップをずっと担当してきました。「たぶん、僕が来てアートでまちづくりをしていこうという流れが少し出来てきたと思うのですけど、実際いろんな作家の人たちが集まってきて、アートだけではなく、(ここのように)徐々に地域の人たちが利用できる場所とか少しずつアートだけではなく広げていけるような方向に持っていけたら、ここにいるアーティストも結果的には良くなるのではないかなという気がします(新保さんインタビューより)」。
案内板は石のオブジェをあしらった石柱にはり付けます。金沢城の石垣に使われているのと同じ戸室石(とむろいし)で、海辺のアトリエを改修したときに出てきたものです。苦労はしても最初から最後まで自分達で手掛けることがプロジェクトのおもしろさです。町の中を歩きまわって設置場所を探し、思い石柱を持ち上げるためにクレーン車も使いました。ここまで来るのにおよそ2ヶ月。とてもゆっくりしたペースです。仕上げの日、大野の街角や公園など10箇所に道しるべが設置されました。子どもたちは作業を楽しんでいる様子。意識はしていなくても立派にまちづくりに貢献しているのです。力を合わせてつくった道しるべはどれも味わいのあるものばかり。町歩きが楽しくなりそうです。石柱はイベントの時にはロウソクが灯ります。大野の町にまた一つアートな空間が増えました。
2004年はoxdol(オキシドール:ギャラリー)にアーティストの作品を集めたショップがオープンしました。また、サロン・ド・楽々では、町のお母さんたちがコミュニティーレストランを始めようと実験をしています。蔵の改修から始まり、とりあえずやってみるの精神で活動の輪を広げてきたくらくらアートプロジェクト。古い町にアートの風を吹き込みながら次はどう展開していくのか、先が読めないのもまたくらくらアートプロジェクトの醍醐味なのです。
……………
今見ていただいたようなもので10年くらい活動が続きました。
ちょっと古いですが、私が地域づくり活動に関わった最初の事例だったんですね。
学生の参画するいわゆる市民の団体、市民セクターが実際に自主的に企画管理、運営するという活動について、今日は紹介します。最初は大野の事例を紹介します。
まちづくり活動の際に、いかにマネジメントをしているか
皆さん、実際にまちづくり活動をやってらっしゃるという方はどれくらいいらっしゃいますか? たくさんいらっしゃいますね。
実際に企画して運営しているか、マネジメントしているかということですよね。
よくこういう勉強会に行くと勉強だけして帰ってらっしゃるという方が多くて、実際に現場でそれを実践しないと意味がないなぁと思いますし。
始めに「市民セクター」と書いたのは、行政じゃないということです。これから紹介するものは、行政とタイアップしているものもありますが、基本的には市民が自主的に企画して運営するというものです。なので、行政に頼り切ってないというところもポイントの一つです。
もう一つ、大野の場合は10年。入居者の場合は、そこで製作し、先ほどの山本基の場合は入居してから10年なのでもうかなり経つわけですけど、これを継続していくためにはやっぱり何らかのポイントが必要だと思ってまして「楽しいか、かっこいいか」ということだと僕は思っているんですね。そういうものは継続するし、広がりがあるという風に思うんですね。それが出来るかどうかがポイントで、行政がやるとそれは出来ないと私は思っています。なので、そこは市民がやるべきだと思っています。それを具体的に紹介しようと思います。
遊休している資産を活用する
もう一つは、今日紹介する事例のある程度共通するものとして、遊休している資産を活用する。そしてそれを所有するのではなく借りるということですね。借りて、そしてそれをコンバージョンして市民が使えるようなものを作る。共有の財産にする。
だいたいその創造性、クリエイティビティを追及しているということと、アーティストとか工芸作家とか、若者を含めて、クリエーターを育てるということも大事ですね。そこらへんが共通項かなと思います。
事例①:大野地区の醤油もろみ蔵を活用した地域づくり
最初の大野の事例を紹介します。
これは97年からNPO法人にはせず、任意団体として活動してそれでそのまま継続している。富山の岩瀬みたいな場所で、北前船の寄港地で、岩瀬も河口が港になっているが大野もそうで、大野川(浅野川の河口)に北前船が湖岸に接続して荷揚げをしていた。ここは猟師はあまりいなくて、醤油とか廻船問屋とかが生業をもっていた。ここで、今映像で紹介してもらったような6つの拠点をつくっていった。空いているところを借りて6つ拠点をつくりました。
大野の人たちは38の豪雪(昭和38年1月の豪雪)で陸路が立たれて、灯油が入ってこなくてものすごく困ったということを聞いている。その当時、金沢には大きな港がなく困ったので、ここに掘り込み航路をつくって、その影響で町が分断されてしまった。輪島までつながっていた幹線道路が行き止まりになり、この地区は袋小路に(金沢のチベットみたいな感じ)にどん詰まりになったので、ここには開発の手が入らなくなったので、古いものが残された。醤油蔵も残された。
もう一つ、これが金沢港の築港と同時に醤油協同組合をつくりました。工場をつくり、ここでもろみを一括生産するようになりました。それまでは、醤油蔵がもろみ蔵をそれぞれ持っていた。しかし、一括生産するようになってから、もろみを作る蔵の用途がなくなってしまい、倉庫に利用するしかなくゴミだめになっていたんですね。そこで我々は大野の人たちと町を歩いて、ここを使いましょう!ということで始めたんですね。
大野の人たちは人口減にはならないけど人口も増えもしないし、毎年1年ずつ平均年齢が上がっていくことに危機感を感じていたんですね。なんかしようということで視察に行き、それでこの空いている蔵を使ったまちづくり活動をしようということで動き出したんですね。詳細は先ほど映像にも出ていたので簡単にいきます。
一つだけ言っとくと、最初もろみ蔵を作るときに見積りを上げてもらったら700万円上がってきたんですね。で、どうするかということになって、ちょっと金額が大きいので県と市に行って補助金がないですかといって窓口に行きましたら、年度が始まっていまして予算の行く先が決まっており今ごろ来ても無理やからと言われて、1年待ってくれたら予算をつけてやるというふうに言ってくれた方もいらっしゃったけど、そんなの待てないということになって自分達で700万円持ち寄って始めたんですね。行政の力を一切借りずにやったんですね。それがポイントですね。
1棟目のもろみ蔵がこれです。
先ほど見ていただいた醤油ソフトクリームを食べていたのがここですね。
これが海辺のアトリエ。ちょっと離れたところにあるんです。
金沢工大に建築学科があるので、学生たちに設計をしてもらうということをやりまして、彼らに設計してもらったものをそのまま工務店に図面を渡せないので手直しをした上で工務店に渡して作ったんですね。
6棟目のサロン・ド・楽々も工大生の1つ後輩の学生たち3人が設計に携わりました。そういうことをやってたんですね。
で、空間を6つ作るだけではなくて、空間中をどう使えるかということを実験してみるということもやりました。作品展をやるとか演劇をやるとかして、空間の使い方を試してみたりもしましたし、町自体も面白いですね。人も面白い。なので、短編フィルムをつくってそれを上映するとかですね。空間の中でバーを開設して、交流を深めるであるとか。
ポイントはいくつかありますけど、「一緒に飯を食って飲む」ということはすごく大事ですよね。ネットワークが広げる上ですごく大切です。また先ほど見ていただいた通り、子どもたちに絵を描いてもらって空間モニュメントをつくってもらったりもしました。
6番目の蔵は地域食堂として、お母さん方が使ってました。去年からは若い女の子がここを借りて雑貨カフェを始めました。このように空間は少しずつ変わっています。
こういう醤油ビンをモチーフにしたアートフェスティバルもやりました。
96年1月に視察に行った後、1棟目、2棟目、3棟目と毎年1棟ずつ作ってコンバージョンしていきましたし、それ以外の庭作りをやったりとか看板づくりもやりましたし。3年半にわたって毎月1回、プロの演奏家を招いて「蔵コンサート」をやったり、地域通貨、映像をつくったり演劇をつくったり、いろいろなことをやりました。
大野というところで実験するということをやったんですね。
最初は大野町商工振興会というのが母体として活動を始めたんですけど、そのうちもろみ蔵協同組合というものを作って、さらに任意団体としてくらくらアート実行委員会というのを作って活動を展開していきました。このプロジェクトを手探り状態でやっていったんですが、みんなでやる、今でいうワークショップというスタイルです。共同ですね。みんなでやる。
これがそうです。建築学科の学生たちがプランと模型を一つずつ持ちよってそれを集約化していったわけです。で、改修をしていきました。とにかく、学生を入れようということです。それがポイントの2つ目です。3つ目が無理のないペースでやるということです。結果的に毎年1棟ずつやってきました。寄付金を募って、市の助成をもらってやっておりました。
1棟目は行政の支援は一切なくやったので、マスコミがすごく取りあげてくれたんですね。その当時の市長も見に来てくれて、おまえらいいことやっとるなということで新しい制度をつくってくれました。で、醤油蔵を改装して公開する。公の空間を作っていくということに対して、改修費の半額(上限500万円)まで出してくれるという制度を我々の活動のために作ってくれたんです。なので、2棟目から6棟目からはすべてその制度を使わせてもらいました。行政側も2500万円入っているわけです。その半額は自分達が持たなければならないので、蔵の所有者が出すとか、寄付を募って集めるとか、そのような形でやっていきました。
無理のないペースというのは、一応そのように行政が補助金を、予算を用意してくれるようになったので、1回どうしても出来ないということがあったので、その予算を翌年まで持ち越して使わせてもらうということもやりました。
遊び感覚でやるということですね。結構しんどいし汚い作業ですけど、楽しんでやるということですね。で、それぞれ自分達のもっている資産(蔵、労働力、アートの企画、デザインなど)を互いに出し合って町を活気付けていくということをやりました。
もう1つは生活の場を作り出すということです。蔵を残そうということでは考えていないんですね。建築的評価はそんなに高くないです。柱も細いし、そんなにいいものではないんですけど、我々はそれを活かして新しい場を作ろうということで活動を続けてきました。
先ほど映像に出た山本基は、ここに移り住んで製作して11、12年になります。彼は今は世界的に活躍しています。年に3,4回は海外に呼ばれて作品を作りに行っていますし、今も箱根彫刻の森で半年間彼の作品展をやっています。
生活の場をつくり出すということ。
大野の活動については、この「生活景」という建築学会が編纂した本の中に詳しく載っていますので、もしも情報を知りたい方はこれをご覧になったらいいと思います。
事例②:能登半島地震で被災した土蔵の修復
二つ目、能登半島地震で被災した土蔵を修復するという活動をやっています。
先にスライドで見てもらおうと思います。
約5年前、3月25日に起きた地震です。人的被害は大きくなかったんですけど、建物の被害は大きかった。我々は市民活動としてやっているわけです。
今も東日本大震災の被災地は国とか県とかのお金が入ってやっています。行政が基盤整備とかをやっているわけですけど、我々は行政がやらないところをやろうということで動いたわけですね。今も続いています。
我々がまずやったのは、傾いた家にこのまま住めるのか、どう直すべきなのかということをアドバイスするために、無料点検相談ということをやりました。被災者生活再建支援制度というものがありまして、それに基づいて建物を建て直したりしているわけです。
我々はもう一つ、行政が被災建物の解体撤去をする制度があって、建物の修復に対してはある程度お金は出ますけど、土蔵というのはその対象外なんですね。なので、土蔵の建て直しに関しては行政から一切お金は出ないし、逆に傾いている土蔵を倒してくれとオーナーが言ったら、分かりましたと言って解体業者を派遣して税金を使ってぜんぶ解体して残品もすべて処分場まで持って行ってくれるんです。タダで土蔵を壊してくれるという制度が今もあります。なので、今も土蔵が東北でどんどん壊されています。
我々はそれを見て、これはまずいぞ、輪島に土蔵がなくなってしまうよ、という勢いだったんです。何がまずいかというと、町並みが変わってしまうということももちろんありますが、輪島は輪島塗の仕上げを土蔵の中でやってるし、お酒も土蔵の中で造っているんですね。そうすると輪島の地場産業の根幹が揺らいでしまう。それはまずいということで、我々は土蔵の修復の活動を始めました。それは地震が起きてから3週間後にスタートしたんですけどね。
結果的にどうなったかというと、輪島市内だけで600棟の土蔵が税金で取り壊されたということですね。そういう現実はあります。どうですかねぇ、20億から30億がそれにつぎ込まれたわけですね。
最初に言った点検相談窓口を市役所において、点検をしてあげるということをやりました。一ヶ月間に300軒から申し出があって、大工さんと工務店、設計士がペアでアドバイスをしにいったということです。
我々は被災した土蔵から何をやったかということです。4つありまして、1つは、まずどんな被災状況なのかの現状調査をして、どのくらいこれが活用できるのかを調べようという調査をしました。
2つ目は、技術的にちょっと劣っているところがあったので、技術改良をして地震に強い土蔵を作ろうということをやったんですね。4つの違う直し方を提示しました。
3つ目は、職人の育成です。私は左官職人と地震のあとに出会ったんですけども、お付き合いしていく中で、左官職人と呼ばれる人たちの中で土蔵を作ったことのある人、直したことのある人はほんの1割か2割でそんな程度しかいないんですね。今はもうコンクリートを打っている仕事しかないんですね。またモルタルを塗るとか。で、職人さんは土蔵を作りたいんですよ。技術の伝承をしたい、知りたいわけです。身につけたい。だったらそういう人たちを育てようということをやりました。
4つ目は、まちづくりにしよう。輪島も典型的な地方都市の一つで、産業は衰退して、観光客も減っているし、輪島塗の売上もどんどん減っているわけです。人口も減っている。そういうベクトルが右肩下がりだったんですね。で、行政の復興というのは、被災の前の状況に戻すわけです。なので、ベクトルは同じなわけです。それではまずいわけです。意味のないわけです。我々はまったく違う方向の町を作っていかなければということで、被災した土蔵を直して違う町を作っていくということで、まちづくり活動を行っていきました。
被災した翌月、現状調査をするということで、関西から左官の職人グループの人たち、久住章(くすみあきら)とそのお弟子さんたち、いわゆる日本を代表する左官職人の人たちが駆けつけてくれて現状を調査してくれて、直せますよ、いくらでも直せますよということを教えてくれたんですね。
それで、その2週間後のゴールデンウィークの10日間にボランティアを募って、県内外から70名集まって、74棟の土蔵を調査点検してカルテをつくる。1棟1棟図面をつくって、どこがどうなっているのかということとか、オーナーはこの土蔵をこれからどうしたいのかということをヒアリングして、それをまとめてカルテにしました。それをもとに説明会、報告会ということをしまして、こういう風に直せますよ、あなたはどうしますかということを投げかけました。
で、じゃあ、直せることは分かったけど、どういう風に直せるのかということですよね。それをまず知らさなければいけないということで、まずは作ってみようということで修復セミナーをやってみる。
我々も私も含めてほとんどの人が、土壁がどういう構造かということは分からないわけですから、それをどういう風に下地を作って、土をこねていくのかということを1日かけて畳1畳分のサンプルをつくってみたわけです。そのあと、土壁にふさわしい土を選んできて、プールをつくって寝かせる。畳が建物をどんどん壊すので出てくるので、それを処分場からもらってきて、畳の表をはがして、中に藁が詰まっているので「藁すさ」を作るということもやりました。100枚処理をして、1トンの藁すさを集めました。
そういった材料がそろったところで、夏に3つの方法で土蔵を直していきました。富山に職藝学院という専門学校がありますがそこの生徒さんも来てくれて、10日から2週間くらい寝泊りして、小舞を掻くこともしました。そうやって土壁をどんどん作っていく。
もう一つこれは、泥団子ではなく日干しレンガを作るということをやって、こういうものをつくって天火で干して、それを積み上げていくという直し方をやりました。これは2つ目の直し方ですね。そのつなぎをしっくいを塗って、積み上げていくということをやりました。
3つ目の職人の育成です。こういう形で小舞を掻くということすら職人は知らないわけですから、赤いジャンパーを着たのが国内外で活躍している久住章さんですが、こういう風に小舞を掻くんだよということを教えてくれますし、地震に強いものを作ろうということで小舞の掻き方を提案してくれたわけです。特に北陸3県の若手の職人と、職人見習いも含めて、これを機に新たに左官の見習いになった人もいました。そういう風に人を育てていくようになりました。
これは去年、一昨年の様子ですけど、こういう風に小舞を掻いて、下地をして中塗りをした後に樽巻きをやりましたし、しっくいを自分たちで作ってみるということもやって、最終的にはしっくいを塗り上げました。そこまでやっているわけですね。
なぜここまでやるかというと、もちろんそうやって蔵を直すということもありますけど、日本の中でこういう現場で研修会をやっているところはないんですよ。だったらチャンスだって。輪島でやれば全国から職人が集まってくるということで、我々はこういう研修会をやっています。
4つ目のまちづくりです。これは細かなところは省いていきますけど、今出てきたA~Fまではオーナーが自分のお金を出して直すというところ。その他のG,H,IはNPO法人がオーナーから10年間無償でお借りして、我々が直して活用させてもらうというところなんですよね。この10年借りて直して使わせてもらうというのは、先ほど紹介した大野で3つそれでやりました。それがいいことかなと思って。借用するということで所有権は移らないので、オーナーが貸してくれるわけです。我々はお金を集めて直すということをやっています。あと2つは市が持っている土蔵ですね。こうやって見ると、土蔵を直して11棟はその半径200、300mのところに集積、点在しているんですけど、そういうものが出来ると今までなかった町ができるんですよね。そういう所を作っていこうということで我々は活動をしているわけです。
そういう土蔵を見て回るということでも回遊性が生まれていくわけですね。
ここでも学生たちが活躍しました。修復のための測量もしたし、設計提案もしてます。学生たちはその合宿所で寝泊まりもするし、ご飯も一緒に食べて共同作業もします。アメリカからも学生たちが4人来てくれて、いろんな大学の学生たちが集まって共同作業ということを体験しています。
改修する前はコミュニティレストランにするということで改修を始めたんですが、まだまだだなと思ったので、我々のセミナーハウスにしようということで今使っています。また、その同じ敷地にみんなの畑、コミュニティガーデンを作るということもやりましたし、その一角にピザ窯を作って合宿をやるときにはそこでピザを焼いたり肉を焼いたり、そういうこともしています。
これは、学生たちが提案した図面をもとに改修をしているところです。完成まではもう少しかかりますが、こういう形で一つの空間が、まちづくりの拠点ができたわけです。
それでですね、とりあえず土蔵が壊されたらまずいぞということで活動を始めたんですね。始めたんだけど、お金がない中でゼロから始めたんですよ。それで、動き出してからまずいなと思って、国からの支援を受けようということもしましたけれども、輪島にいて思ったのが、今も東日本大震災で義援金とかを集めていますが、義援金って集まって、あるルールのもとに平等に分配されるということですけれども、もっと目的を持った寄付って必要なんじゃないかなということですね。
我々の活動になんでお金が来ないのかということを常々思ったんですね。じゃあ新しい仕組みを作ろうということで、「土蔵にどうぞ」というダジャレで名前をつけてやりました。
1口3万円を出してもらって、出してもらったら3万円分のプレゼントをお返しするということをやりました。何をするかというと、頂いたお金で土蔵も直して、そこで直した土蔵でお酒を作ったり、輪島塗をつくって、それをプレゼントする。販売価格3万円分をお返しする。
3万円を出して3万円が返ってくるんですよ。損はないんですよね。それで、「ありがとう」というハガキも来るわけです。そういう仕組みを作ったんですね。それはすごく注目されましたので、国からもいろんなところで紹介して下さるようになりました。その中で、その形で200口、600万円が集まりました。その内の35%の200万円はNPOの活動資金に当てさせてもらって、お弁当とかいろんな形で使わせてもらいました。
もう1つ出てきたのが、セミナーハウスになった土蔵に、戦前の昭和20年前の輪島塗の不良在庫が残っていたんですね。じゃあそれを使おうということで、オーナーからすべて譲り受けて、輪島に漆芸研修所(漆の技術を学ぶ研修所)の若手の人たちに研ぎと中塗りをしてもらって、最後上塗りは輪島塗の普通の職人さんに塗ってもらって器を作ったんですね。塗りなおして輪島塗を再生して、これをプレゼントとしてお渡ししました。5000~1万円のものを1つずつお渡しする。このような仕組みを意図してやっています。
これはまだ継続中です。まだまだありますので、皆様ぜひご協力ください。
そういう形で、その場にあるいろいろな資産を活用するということです。いわばつなぐ、つないで仕組みにする。そうやって活動を継続する基盤を作っていくということが大事だと思います。
今までに500から600人ぐらいがボランティアに参加してくれていますし、お金を出してくれている人も200人くらいいるんじゃないでしょうか。そういった人たちの気持ちが繋がっていって活動もつながっているわけです。
またその様子を映像で見てもらおうと思います。
*映像(音声なし:写真スライドショー形式)
こういう形で活動はまだ続いています。あと1年半くらいですかね。
事例③:金澤町屋の活動について
3つ目は、「金澤町屋」の活動について紹介しようと思います。
これは、行政とタイアップしながらやっているものです。
NPO法人金澤町屋研究会というものが母体となっており、その前の任意団体として研究会があってNPO法人をつくって、さらにLLPという事業組合を作ったり、一般社団法人をつくったりと事業によって組織も展開していった事例です。
金澤町屋というのは昭和25年以前に建てられた歴史的な木造住宅のことを言います。25年というのは何かというと、そこで建築基準法というのが大まかに改定されましたので、昭和25年で切られています。それまでは石の上に柱がのっていただけなんですけれども、それ以降はそれをちゃんとつながなくてはいけなくなったので、それが変わったんですね。そういう形でそれ以前のものを金澤町屋と定義していますし、京都の京町屋も同じように25年の前と後とで分けています。京町屋も昭和25年以前です。
で、どんどん壊されていったんですね。金沢はご存知のように、東とか西とかに郭、茶屋街とかがありますし、金沢市はまだ東の伝統的保存地区の指定をして、そこの修復に力をそそいでいったんですね。面的に整備できるところに力を入れました。その後に「こまちなみ」の保存ということで、大野もそうですけど金沢市内10箇所をこまちなみ保存区域に指定していまして、面的に残っていないけどポツポツと歴史的な住宅が残っているところをこまちなみ保存区域に指定、保存して、その外観の修復に対して7割とかの補助を出すということをやっています。そういう風に金沢市としては順調に歴史的な建造物の修復保全をしてきたと思っていたんですね。
ところが、あるときふっと見ると、それ以外のいわゆる金澤町屋というものがどんどん壊されているという実態が明らかになって、このデータのように99年に10900棟あったものが、10年後に8300棟。10年間で2600棟が消滅しているわけです。1週間の内に5棟ぐらいが姿を消すというペースです。そんなペースでなくなっているということを分かった行政はですね、大学の研究者たちに呼びかけて、研究会を作って調査をしてくださいということがあったんですね。それが動き出したのが6年くらい前です。そういう実態があるということ。尻に火がついたというか、驚いたわけですよね。平成20年度の町屋実態調査によると、7100棟が残っていて、空き家が1000棟くらいあるということですね。空き家になるということは取り壊される1歩手前なわけですよね。そんな危機的な状況にあるわけです。
2005年に研究会が立ち上がりまして、調査研究から始めていきました。そして、そこから毎年活動を継続していったわけですね。まず任意団体の研究会をつくって、2年後にNPO法人を設立し、その翌年にLLP金澤町屋という事業組合を立ち上げました。そういう形でやっていって、2009年からはドミトリーの実験を始めました。そういう展開をしていきました。
その中でも、町屋のことをもっと市民の人たちに知ってもらって、町屋っていいもんだということを再認識してもらおうということで、町屋巡遊ということに取り組んだんですね。これは京町屋がやっていた「楽町楽家」という1ヶ月間のイベントを見に行って、これはいいなぁということで名前もそのままでいいと言われたんだけども、やはりそこは考えようということで「町屋巡遊」にしました。それで2008年から続けています。
町屋を開放してそこでいろいろなプログラムをやることで町屋の中に入ってみるというきっかけを作るということをやっています。1つは町屋内軒です。プライベート空間なので、普段は中に入れないんですよね。それを公開しようということで、中に入ってもらいその良さを感じてもらうということです。例えば、町屋に北欧のアンティーク家具を入れて、2日間公開したら400人くらいが訪れたということです。普通のモデル住宅の見学会より多いかもしれません。そのくらい皆さんは関心を持っていらっしゃるわけですよね。
また別のところでは8坪の町屋を改修して、改修前と改修後の写真集を用意して、それを見比べてもらうということもやりました。とにかくご近所さんでもなかなか家の中までは入れないわけで、この日に集まってくるわけですね。こういったものが町屋巡遊の柱の一つです。町屋でアート作品を展示するとか、芝居、演劇を上映するとかもやったりもします。あとはライブ、コンサートをやる。お庭を使ったりもして、コンサートを町屋の中で鑑賞したりということもやります。
町屋で学ぶとして、町屋を仕事場にしている方々のその仕事場で職人さんの話を聞くような、レクチャーを受けるということもやっています。聞くだけではなくて、身体を動かすようなワークショップ(柿渋を塗る)とか、壁を直してみるということをやってみるとか、いろいろなプログラムを用意しています。あとは、修復現場見学会というものもプログラムの1つです。なかなかオープンハウスというものは完成後しか見られないんですけど、町屋はどういう風に直せるのかということに興味があるわけですよね。構造をどう補強しているのかなどといったことを見れるように、途中を見せてもらうということをやっています。そして、設計士と職人さんにその場にいてもらって、工夫している点とかそういうものを教えてもらったりもしています。その最後に完成後も見せてもらうということもやっています。一般市民の方もすごく興味があって参加してくれたりもしています。
町屋で楽しむ。キャンドルバー、茶飲みバー、紙芝居小屋、工作教室、着物で町を歩くなど、そのようなこととか、後は食事が大事なので、1日限りの食堂をやってみるとかカフェにしてみるとか、そのようなことをやってみたりもしています。地元の食材を使うなどのこだわりをもって、食堂を経営しています。もちろんプロがここにきてやるわけです。そういうことをやったりもしています。
柱のもう1つは、住みたい町屋を探そうということです。町屋に住みたい人はたくさんいるわけです。特に若い人は町屋に住みたいというニーズが強いわけです。だけど、不動産屋のドアをたたいて町屋を見たい、3軒くらい比較したい、とはなかなか言いにくいわけですね。なので、このときにはある日、半日から1日くらいに空き町屋を公開してあげて、自由に無料でまわって見てもらうということをやり始めました。住みたい町屋を探そうというのは京町屋でやっている「楽町楽屋」のタイトルそのものです。
やってみるとやっぱりニーズがあるということが分かりましたし、最初の年はすごかったですね。空き町屋なので、掃除をしないと汚く、印象が悪いわけなんですよね。学生たちとみんなで掃除をして、スリッパを置いて、廻ってもらうということをやりまして、3日間にわたって公開した後に、10軒中の4軒が活用につながっているんですね。そのくらい、ニーズが多くヒットしているんですね。
これは材木屋の建物をオーナーが使いたいということでギャラリーと貸しスペース、我々の町屋研究会の事務所としてもお借りしています。商業的な空間でいうと、これは東茶屋街の一角にある和菓子屋さんなんですけれども、住みたい町屋を探そうで公開した、不動産物件に上がっていない物件ですけれども、公開して活用につながりました。今では金沢では話題のお店になりました。他には、ジュエリーアトリエとか八百屋とか、いろいろな形で商業的に活用されるようになりまして、少しずつ町屋も商業的にはブームになっています。
事例④:新しい取り組み(町屋アトリエ・ドミトリー)
もう1つ紹介しなくてはいけないのが、町屋アトリエとかドミトリーですね。
これは新しい取り組みなので紹介します。1年半前あたりからですね。実は2年前あたりぐらいに実験をした後に、こういうことにつながったんですけど、キーワードは、シェアすること、借用すること、若者ということですね。
金沢には大学がいくつかあり、特に留学生が最近増えているんですけど、外国から来ていてアパートに住むということは忍びないんですよね。ましては、郊外のアパートに住むとかですね、かわいそう。あるいはその、大学の鉄筋コンクリートの寮に住むということもかわいそう。じゃ、まずいんじゃないかということを、金沢大学の留学生センター長が言われていて、じゃあ一緒にやりましょうということで、町屋をドミトリーにするという活動を始めました。
実験を経た後、2010年の4月に1棟目がオープン、その半年後に2棟目がオープンしました。さらに、3棟目は、大きな町屋を共同のアトリエとして使おうということで、それは先月オープンしました。狙いは若者の育成をしようということです。大学生の共同生活空間を作るということがドミトリーで、アーティストとか工芸作家とかクリエーターの共同の製作空間を作ろうというのが町屋アトリエです。
これも最初のキーワードを借用するということを言いました。これも大野の事例を参考にしているんですけれども、ドミトリーの2軒は空き町屋だったんですね。で、空き町屋の所有者にドミトリーとして使いませんかということで提案しました。壊したくはないということを思っているんですよね。なので、ドミトリーとして活用しませんかということを提案しました。3軒目の町屋アトリエのところは、おばあちゃんが1人で住んでらっしゃったんですね。で、そのおばあちゃんと我々の仲間が建物を見させてもらったときに、ポロっと言われたのが、「もう私この寒い町屋には住みたくないわ。この冬には住まないで壊してどっか行く」ということを言われたんですね。それを聞いたので我々は、ほんならここを貸してもらえますか?ということで近くに住んでくださいと。結果として近くのマンションに住むことになりました。その家の家賃分を我々が町屋を借りる家賃分としてお支払いしますということで提案してお借りしました。
つまり、住んでらっしゃるお年寄りの移住住み替えをしてもらって、そこを借りるということをやったんですね。それは、金沢としては始めての取り組みです。そういうニーズはものすごくあるわけですね。そういうことですから、移住住み替えする人はマンションの家賃が出るのなら、経済的負担はゼロですよね、基本的に(引越し費用などを除いて)。で、自分の資産はそのまま残るわけです。例えば、建物を壊したら固定資産税は2倍から3倍になりますよね、空き地になると。壊す費用もかかるわけです。そのようなことをしなくてもいいし、愛着のある建物は使ってもらえるとありがたいと喜ばれます。
もう1つの町屋ドミトリーの2軒は、1軒は金沢市の補助をもらって、自分で600万円出して直されているんですね。じゃあ我々は6年間で600万円家賃として払うからドミトリー(改修)しませんかという提案をしました。金沢市の補助を受けて。つまり、6年経ったら、その人が持ち出したものが戻ってきてその後に自分が家を貸せるわけですから、ものすごくプラスなわけですよね。条件が甘かったかなと今、反省しているんですけれども。
いずれにしても、経済的な負担ゼロという提案をするわけです。リスクは我々がある程度負うということです。それで貸してくれということです。で、この3つについては、一般社団法人金澤町屋ドミトリー推進機構というものを教員4人でつくって、そこがオーナーの借主になって、我々が責任を持って入居者を募集してそこに入れて我々が滞納なく家賃を入れますよということを明らかにしています。大学の教員はどのように思われているか分かりませんけれども、少なくとも学生とかアーティストとかより信用性があるということで、それで我々が借りるということにしているわけです。
じゃあ、どのくらい空き家の需要があるかということですよね。調査しました。町屋居住者に対する調査。4200軒に対して有効回答が1700軒ありました。その内、70歳以上のお年寄りが1人で住んでらっしゃる世帯が18.3%ある。ということは後10年か20年すると亡くなられて相続される。相続されるときに壊されるんですね。なので、ものすごく活用する需要があるということですね。また、住んでらっしゃる方に、今後も住み続けますかということを聞いたときに8.9%の世帯は移り住みたいということをおっしゃっているんですね。町屋はもういいわということです。いろんな意味があります。お年寄りが1人か2人になったときに、家全体が広すぎる、最近はもう2階上がっとらんわや、と言われる方はたくさんいらっしゃいました。階段は危ないし、使わなくていいわけですからね。で、住み替えるとしたらどこに住み替えるんですか、と聞いたときに、マンションなどの集合住宅に住みたいという人は約10%もいらっしゃるわけですよね。お年寄りなので介護施設に入りたいという方もいらっしゃるし、そういうニーズはやっぱりあるんですよね。すごく大きくはないけれども、かなりあります。
住み替えたときに町屋をどう処分しますか、ということを聞いたら、2割は売却。賃貸したいというのは4.6%。売却か賃貸というのは7.8%ということで、約3割くらいの方は売却か賃貸したいということを思っていらっしゃるみたいですね。なので、そういうところにアプローチすれば、貸してもらえるんじゃないかなということです。最近10年間で改修してますか、ということを聞いたら、何も行っていないというところが約3割くらいあります。つまり、あと何年生きられるか分からないからもういいがや、というところも多いということです。住んでて気がかりなところは、ということについては、地震に対する心配とか、改修費がかさむとか、寒さが身体に堪えるという回答が多くありました。
ポイントはですね、我々がなぜこんな調査をしたのかというと、大工さんと繋がっているかどうかということなんです。昔は1軒1軒おかかえの大工があって、ちょっと困ったときに大工さんに電話してここを直してと言っていたわけなんですが、その大工がいないから直さないし、どう処分するかという相談もできないので、なんとなく不動産屋に行ったら、そんな中古物件売れんし貸せんし壊すしかないと言われるわけです。そういう問題があるんじゃないかなということで調べてみると、案の定特定の業者を持たないという人が28%、出入りの業者が廃業してしまった11.3%もあるんですね。以前からの付き合いが続いているのは約半数に留まっているという実態があるんですね。そういうことがあるので、町屋研究会も相談の窓口にならないといけないなということがありますし、いろいろな形でアプローチが出来るんじゃないかなということを思っているわけです。
そういう背景がありまして、我々がドミトリーとしてお借りする。これはもともとお米屋さんだったところで土蔵がついています。1Fは玄関があって茶の間があって食堂(団欒の場)があります。ここの2間を1人が借りています。ここの水まわりは全部現代のシステムキッチンとかユニットバス、トイレも入れています。普通の新築の住宅と水まわりは同じです。2Fもそれぞれ2間ずつ持っています。ここに襖で仕切られていた部分に壁を入れ、お互いのプライバシーを守るということにしています。改修前と改修後では、外観は変わりましたし、中は畳を張り替えるなどしています。3人で女の子でシェアしています。土蔵も使っていいとのことだったので、陶芸家の卵がここでものを作っています。
これは東山の町屋ドミトリーです。これは4人の男の金沢大学の学生でシェアしています。これもオープンカウンターのキッチンを入れて、水まわりはすべて現代のものです。共有スペースと、4つの居住スペースがあります。
もう1つが先月からオープンした共同アトリエですけれども、共同アトリエにする前のプログラムを組んでやっているということです。1つはここは染物屋さんだったんですね。それも廃業してご主人も亡くなられて、おばあさんが一人で暮らしていらっしゃった。染物の反物、歯切れを額装して海外に売ろうとしてたんですけれども、それは結局ビジネスにならなくて、何百ものものが残ったんですね。それをまずは展示しましょうということでアートグミというアートNPOの空間で展示をし、町屋の中も美大生と組んで授業の一環として、2つの会場で作品展をしました。
次にやったのが、おくりいえプロジェクトです。
「おくりびと」という映画がありまして、脚光を浴びましたけれども、これは家を送るということです。次の用途に行く前に、まずきれいにして送り出そう、みんなで掃除をして家の中に残っているものは気にいったものは持ち帰ってもらって、出来る限りカラにして次に持っていこうというものです。これは金沢で設計をやっている山田憲子(やまだのりこ)さんという方がやっている連続したプロジェクトで、2日間で200から300人が来て掃除してくれて、どんどん持ち帰ってもらうんです。
なので、ここにあるように、こういったものを持っていく家族もあれば、タンスを持っていくとか反物を持っていくとか。タダで持っていってもらえるわけですから、我々もありがたいんですよね。そんなようなプロジェクトをやった上で活用をするということです。
ラッキーなことに金沢美大を出て、今は染物を生業にしている人が入ってくれて、染物という空間がそのまま連続したんですけれども、土間を作業部屋として、その連続する土蔵の1階と2階を染物の乾燥する場所にしています。また、2階はプランニング事務所として新しく会社をつくった女性二人が事務所として使ったりとか、今は4組が入り始めました。それと、おくりいえをやったときに美大生が来ていて、ぜひここで製作をしたいと言ってくれたので、美大の油絵専攻の2人も4月から入居することになっています。なので、だいたい6組くらいでここをシェアすることになっています。
そういうような形でシェアするニーズはある。使いたいというニーズもあるし、貸したいというニーズもある。それをつなぐということをやっているわけですね。
金沢市は町屋情報バンクというものを立ち上げて、町屋の情報をネットで公開したり、町屋の修復を支援する補助金を出したり、職人学校をつくって職人を育てたりしているわけなんですね。それに対して我々は、1つはNPO法人を作って優良町屋を検収したり、町屋巡遊を開催して広報活動をするということをやっているわけですね。
もう1つは、職人学校を卒業した後に修復の現場があるとしたら、ないんですね。ないのでその修復の現場を斡旋するために我々はLLP金澤町屋という事業組合を作りました。
もう1つ、一般社団法人ドミトリー推進機構は、先ほど言ったようにドミトリーやアトリエの活用提案をするということですね。そういった形で、必要に応じて我々は3つの組織を作って、それぞれの特色を活かした形で連携して、町屋の活用、市場の流通化に向けて活動をしているわけです。
事例⑤:チャリdeアート、クリエイティブツーリズム
最後、レンタサイクルの事業をやっています。富山には素敵な自転車があるということは知っています。金沢市もその後追いでこの3月から市がレンタサイクルの事業をやります。しかし、我々はちょっと違った視点でやろうということで「チャリdeアート」というのをやっています。
何をやるかというと自転車を貸し出してアート拠点をまわるということをやっているんですけれども、そのきっかけは21世紀美術館です。21世紀美術館が出来る前後に21美だけでは面白くないので、21美に来る人々に街なかをまわってもらおう。
街なかにギャラリーもアトリエもたくさんあるので、そういうところを見てまわってもらいたい、そのための自転車が必要だねということです。バスも不便だし、歩くにはちょっと広すぎるし、車では機能的ではないし、では自転車だね、ということで自転車をつくったのが2004年と2005年です。
最初は廃棄された自転車を譲り受けて、このようにデコレーション、カラーリングして、ちょっと恥ずかしいけれども1回限りならいいかということで作って借りてもらったんですね。で、拠点をいくつか3ヶ所か4ヶ所くらい設けて、どこで乗り捨ててもいい形にしてやりました。それが30台やったんですね。暑い夏休みに大学のキャンパスでこういうことを21世紀美術館のオープンに合わせてやりました。
その背景には、21世紀美術館のまわりで市民のアートNPOがアナザームーブメント(略称:アナムー)という作品展をやったんですね。そこをまわるときにものすごく便利だったんです。アナムーの主催者からは是非来年もやってくれとのことだったので2年目もやりました。2年間この活動をやったんですね。
それで、チャリって必要だなということがよく分かりまして、アートシーンをつなぐという意味でアートなチャリが必要だ。このときにチャリdeアートという名前をつけて、今も使っています。そのあと2008年には21世紀美術館の主催で街なかの外で展示を行ったわけです(アートプラットフォーム)。そのときは我々はやらなかったんですね。そうするとやっぱり不便だったんですね。自転車はやっぱり必要だという声が上がってきたんですね。それで、じゃあ我々がやりますかということで、動き出したのが2009年からです。
ある男がポンっときて、チャリdeアートをもう1回やってみないかということで声をかけてくれたんですね。それならやりますかということで、最初は社会実験だった(その後も社会実験は続いてますけど)んですが、事業になることをやりましょうよということで活動を始めました。
それでNPO法人を作りましたけれども、社会人10人でその中に鉄工所の経営者とかデザイナーとかにも入ってもらって作ってたんですよね。とにかく富山は富山ならではの自転車だと思いますけれども、金沢も金沢ならではの自転車を作りたい。金沢に来るんだったらチャリdeアートを乗ろうというものを作りたい。
皆さんもご存知のように、パリには「ベリブ」という自転車もありますし、主要な先進都市にはおしゃれなデザインの、オリジナルデザインの自転車があるんですよね。金沢は金沢らしいものはないかということで作ったのがこれです。フレームはオリジナルのものをデザインして鉄工所がこれを作ったんですよね。今は十数台あります。貸し出しをしたりして実験中で、これが現段階の最終で、ステンレスでさびないように作ったものです。こういうものを作って貸し出しをしています。
実験は2年ぐらい続いていますけれども、21世紀美術館で貸し出しするということもやったりしましたし、別の場所で1ヶ所で貸し出しするということもやりました。これはどういう人が借りたかという表ですけれども、観光客の方で21世紀美術館に来られた方が多いです。もう1つオリジナルデザインというものとあわせて、我々が活動を行っているときにコンタクトがあったのはIO DATEというメーカーです。IO DATEは旅レコというGPSの電波を収録して記録する製品を売っています。
自転車を貸し出すときにこれもスイッチオンにして貸し出すんです。そうすると何時何分何秒にどこにいたかということが全部これに記録されるわけです。どこを通って行ったかも全部記録されるわけです。あそこに何分いたかということも分かります。また、時刻を記録するので、このデータとデジカメで撮影したデータを時刻でリンクさせると、どこで撮った写真かということが地図上に写真がプロットできるんですね。そういうサービスをつけて、自転車を貸し出すということをやっています。そのようなことをやっているところはないんですよね。
これはあるケースですけれども、地図上にどのルートを通って、どこに滞在して、合計どのくらい走ったか、これは平均速度も出る優れもののわけです。スマホはバッテリーがすぐ切れるので、GPSログはまだ優勢があるんですね。これを持って自転車を持って乗ってもらえるというサービスをやっています。
これはホテルが面白いといって、金沢市内の4ヶ所のホテル(駅前のアナなど)にもおいてもらいました。ホテルにとってみたらこれも商品になるわけです。自転車で街なかを巡るステイをしませんかというパッケージ商品をつくれるわけですね。で、この4月から我々は本格的に事業化しようと思っています。
こういうモデルルートをこれからつくって、マップという紙媒体も渡すし、スマートフォンにもデータを入れるようなことも検討してもいいんじゃないかなということも考えています。
*映像による紹介(音声なし:2分程度)
こうやっていろいろモデルコースを試してみたりもしました。実験も続いています。
もう1つこれと連動して動き出したのが、クリエイティブツーリズム(クリツー)です。社会実験と平行して別の組織を立ち上げて動いていますけれども、その背景は金沢市がユネスコのクラフト創造都市に認定されたのが2009年です。その翌年に金沢アートグミというアートNPO法人が出来ました。そして、チャリdeアートというものも同じ年。この3つがタイミングよく活動を始めたんですね。それで、金沢クリエイティブツーリズムというものをやってみてもいいんじゃないかなということで活動を始めています。
背景はカナダのソルトスプリング島というところでスタジオツアーというものがあったので、自由にスタジオを巡れるというのを私が何度か行って体験しているうちに、これは面白いなと思って、金沢でも出来るなぁというものもあったのでそれも下地にあります。じっくり作家と話をしたりするわけですね。とにかくその21世紀美術館を我々は意識していて、21世紀美術館以外のところをどうアートアンドクラフトを巡ってもらおう、その乗り物がチャリdeアートだし、その紹介するのはアートコンセルジュだとも思っているんですね。北陸新幹線の開業もある程度は見据えているわけです。
何をやっているかというと、オープンスタジオで金沢市内で製作をしているアーティストや工芸家のアトリエを一斉に公開して自由に巡ってもらうということですね。先ほどの住みたい町屋を探そうという感じかな。アトリエ訪問や建築訪問は1ヶ月に1回くらい定期的に今も続いています。そうすることによって、ツアーがどういう形で運営できるのかということを試行段階ですけれども、やっているわけです。
その後に、アートコンセルジュです。例えば、普段は公開していないアトリエとコンタクトをとってリクエストをもとにツアーを組んであげて、はいどうぞ行ってくださいということをやるわけですね。で、できたらチャリdeアートを乗ってくださいとするわけです。そういうサービスをやろうということで今準備を進めていて、この4月から本格運用をする予定です。
*映像による紹介(3分程度)
以上、5つの事例を紹介しました。
そういう形で活動は続いていますけれども、地域の課題を見つけて、それがかなりのウエイトを占めると思いますけど、それで遊休資産を活用する。それは人もそうですし、空間もそうですし、作品とか産物もそうだと思います。そこに想像力を加えるということがとても大事でアートとかクラフトとか想像的なものを作るということで、楽しいものになりますよね。そこがポイントだと思います。
今日紹介したのは市民が自主的に運営するということで、この豊かな地域社会を作り上げていることの一環になっているのではないかなと私は思います。
*質疑応答
Q1. 水野さんの原動力と大切にされていることは何ですか?
A1. そうやなぁ~。まぁ、他がやっていないことをやる楽しさはありますよね。それとやっぱり、こだわっているのは行政がやれることはインフラは整備できるけれども、まちづくりという活動は行政は出来ない。市民がやらなければいけない。誰かがやらないと町として全然面白くないので、そこをこだわっているんだと思いますけど。しんどいけれども、達成感があるから続いてるんかなぁと思います。
大切にしていること…。そうですねぇ。楽しむことかなぁと思いますけど。やること自体を楽しむ。結果もついてきますけど、毎回毎回参加する人が楽しんで帰ってもらえたらいいなぁと思うので、プログラムの内容もそうだし、その後飲食を共にするとか、そうですしね。もう1つは対等なネットワークですよね。対等なネットワークをつくることが必要で、勉強会で講師の人をなんとか先生と呼ぶことが多いと思うんですけど、先生といった時点で自分の思考回路が止まってしまって、なんかいい話が聞けるなという風に思うわけですよね。それじゃあアウトだと思うんですよね。僕はそれは最初に言います。言わないようにしましょう。そういうルールは作りますし、大野の場合も最初は講師としてギャラをもらって行きましたけど、大野の活動を始めるときから僕もお金を出してやってます。対等です。大野の町の人たちと同じように数十万円出して参加しているんですね。そういう同じ目線で接することがすごい大事なことなんじゃないかなというのを思います。
Q2. 大野の事例で、そこにいる町の人たちが町をつくっていくということが大事だということをおっしゃってましたけども、外部の人たちもどう入れるか、例えばアーティストであるとか外部の人たちを入れることはなかなか難しいと思うんです。外部の人たちがそこに何を魅力を感じてくるのか、そのポイントなどがありましたら教えていただけたらなぁと。
例えば、何か魅力というものをアーティストが感じるというものがないと、どういったらそういった価値を作りだすことができるのか。アーティストを呼び込まれた形はあるんでしょうか。
A2. 大野の場合は、最初はアートを入れてなかったんですね。もろみ蔵を使ってギャラリーとカフェを作って、ギャラリーを貸し出したときに、我々はそのままの建物を残したほうがいいと思ったので柱の梁もそのままにしてあったんですよ。普通ギャラリーはホワイトキューブっていう白い壁でおおわれてそのほうが作品が栄える。そういうこと自体もまったく知らなかった。アート自体知らなかった。それでそういう声が作品を展示する声が上がったので、そういうことを聞いてみないといけないなということで、私の幼馴染がたまたま金沢美大を出ていたので彼に相談したら、この男ならまぁまぁちゃんとしているかなぁということで紹介してくれたのが新保 裕という男なんですわ。奥さんが小学校の先生をしているのでそこで食わせてもらっているからまぁまぁちゃんとやっているだろうということでそこから彼に相談してみると、アートを入れたら面白いということが分かったので、そこからアートになっていったんですけど。なんとなくです。いろいろトライアルした結果としてアートが入ってきたということですけど。
何かを求めるためにその人に来てもらうということよりも、何かを与えるという姿勢が大事なんだと思います。そして、それに対して魅力を感じたらその人が来るんじゃないかなと思うんです。なんとなく漠然としているんですけど、そういう風に思います。Giveからでしょ、やっぱり。そう思います。
Q3. 何かをやるからには人が必要になってきますよね。話しの中で学生さんたちと連携してやっているという事例が出てきましたけれども、いろんな事業の中で学生さんたちが参加している割合、人数というのはどうなっているのかということと、学生さんたちは学校を卒業をして他に行ってしまうとなかなか続けるのは難しいと思いますが、事業の継続という部分をどのようにされているのかを教えて頂きたいです。
A3. 学生が参加しているところもいくつか紹介しましたね。大野の場合は院生、修士だった学生は2年くらい関わってその後卒業しましたね。彼らにとっては、自ら作ったものがあるということで就職活動ではものすごく有利だったと思いますし、どんどん卒業していきます。私は今たまたま教員ですけれども、それも3年前からなんですね。それまでずっと自営業でコンサルティング会社をやっていたので。いわゆる放課後のまちづくり活動の中で、学生たちと触れ合ってきたのであって活動をともにしてきたというわけなので、どのくらいの割合で学生が関わっているかというと答えにくいですけれども、たまたまそこに学生がいたということですね。設計の場合は、そこを狙って学生に呼びかけたりもしていますけれども。そういうことなんですね。
こういう分野の人たちが必要だなということでいろいろな人たちに声をかけて、こういう活動をやっているんですがどうですか?ということでネットワークが広がっているということだと思います。
最初に大野の活動でも言いましたけれど、組織を開くということがものすごく大事で、いつもいつも最初のメンバーでやるということは無理だと思うんですね。チャリdeアートは金沢アートチャリ推進機構という仰々しい名前のNPO法人をつくったんです。10人でつくったんです。これは最初はチャリをつくるということを目的に構成したメンバーなので、鉄工所の経営者とかそういう人がいるわけですけれども、いったん出来てしまうと彼らは興味がなくなってしまっていて、活動に参加しなくなってくるんですね。一方で、アートコンセルジュと連携していくために、アートグミであるとか美大の教員であるとかそういうメンバーも入ってもらいながら、次の展開に行くために活動のメンバー自体が変わっていってます。それでいいんだということを思ってやっているわけなので、必要に応じてそのメンバーを変えていくということ。金澤町屋の件でも、最初はNPO法人でやっていたわけですね。メンバー構成は大学の教員が多いんですわ。私はコンサルタントとして入りましたけど。しかもNPO法人なので意思決定するまでにものすごく時間がかかるので全員の理解を得なければいけないということで、しかも大学の教員は現場を知らないので町屋をどういう風に直したらいいですかという相談を受けてもアドバイスできないんですね。それを見てダメだなと思って、私は事業組合を4人で別個に作ったんですね。4人で決定してどんどん進めていけばいいし、仕事として相談を受ける。改修相談もそうですし、実際に設計しましょうかというときはそれも仕事としてやるわけです。責任を伴うわけなので、仕事としてギャラをもらいながらやるということです。そのあとにもう1つドミトリーとかアトリエというのが出てきたので、その運営は組織がないといけないということで社団法人を1つ作ってやってみたんですね。なので、最初の話に戻りますと、学生が入ると継続性がどうかということですけれども、学生が柱、コアになっているわけではないので問題はないと思いますし、輪島の活動で言うと、学生たちは自主的に交通費も全部自分持ちできてくれているんですね。そのくらい面白いから来るんじゃないかなと思います。
Q4. どの事例も建築が大きく関わってきていると思います。建築をつくるところにいろいろな人を関わらせる。そういった仕組みを非常によく作って大切にされているなということを思うんですけれども、その中で町と住んでいる人たちにとって、建築というものはどういった関係性を持つのか、また水野先生はどういう風に位置づけているのかということと、空間をより魅力的に見せる上での建物の空間の質についてはどのように考えられているのかお聞きしたいです。
A4. 建物から外れて、始めにシンボルモニュメントとかを子どもたちと一緒につくりましたよね。あれはデザイン的にはダサいものだと思うんですけど、ああいう遊び心がすごい大事だと思うんですね。建物でいうと、大野の改修もそうだし金澤町屋もそうですし、たまたまか分からないけれどもある程度の水準の人たちと出会っている。その人に任せるということですね。例えば、金澤町屋の改修で、これから学生相手に設計コンペをします。そして優秀賞のものに基づいて、市民に寄付を募って、集まったお金と金沢市の補助と合わせて改修をしようと思うんですけど、ある程度学生の設計提案の主旨をふまえてそれを尊重した上で改修していこうと思いますけど、どれがダサくてどれが優れているかはなかなか分かりませんけれども私はこの空間はあなたに任せるということをします。それは私は専門性は全然ないので、アートはアーティストに任せる、建築は建築家に任せる。そういうことですね。全体をマネジメントするというここと、一番しんどいのは金の工面をするということですね。