レポート

まちづくりセミナー2011

第2回講演録 講師:伊藤香織氏 東京理科大学准教授

2011/12/17 

2回 平成23年1217

演題  「シビックプライド~まちづくりのコミュニケーションをデザインする~」

講師 伊藤 香織 東京理科大学准教授

 

 

シビックプライド

郷土愛と似ているが、より良い場所にするため

自分自身がかかわっているという当事者意識に基づく自負心がある。

 

郷土愛がシビックプライドの非常に強い源泉になっているがそれだけではない。

郷土愛は富山に生まれ育った人が特権的に持てるのが郷土愛だが、最近富山に来て、でも富山が大好きだという人も持てる

 

YOU ARE YOUR CITY 「あなた自身があなたの町なのです」

イギリス、バーミンガムのシビックプライドキャンペーンフラッグ。

ゴミをポイ捨てするのをやめましょうというキャンペーンだったが、「ゴミを捨てるのをやめましょう」ではなく、家ではゴミをポイ捨てしない、それは自分の家だから、町にゴミを捨てるとしたら、それは町を自分と関係のない場所だと思っているから。だから「単にゴミを捨てるのをやめましょう」ではなく、「あなた自身があなたの町なのです」考えてみてくださいとよびかけているわけです。

 

シビックプライドに関する演説

デイビット・ビリバンド大臣が政府、及び地方政府大臣、労働党のミニバンド、の就任挨拶でシビックプライドに関するスピーチをした。

「シビックプライドがなければ、互いを尊重し、自治能力を持つコミニュティへの意欲は頓挫してしまう。シビックプライドによって、その動機、ひらめき報いがもたられる。シビックプライドは集団の行動や、個人の自発性の原動力である。」

シビックプライドがあるからこそ、まちづくりの行動力となり、ひらめきももたらされる。そうすることによって町が変わって来た、町がこたえてきたということは、報いがもたらされたということになる。自分を犠牲にしてまちのためにすることではなく自発的なシビックプライドです。

 

まちの「気分」

シビックプライドを持っていると、それを表現したい、こんなところが好きなんだとか「ねぇ、ねぇ、知ってる?って表現したくなる。友達や遠くから来た人に言うだけでなく、まちなかに表現されていると「町の気分」がまちなかに生まれてくる。

 

都市計画が専門で、できるだけ多くの町を見ようとしている。トレーニング166都市行くと、その町、その町の気分がある。行かないとわからない気分がある。その気分を生むひとつがシビックプライドを表現する人たちがいる。

 

気分が生まれていると、ほかのひとたちにも伝染していく。

共有されていって、まちの出来事やビジョンを知るようになり、興味を持つようになり、「自分は何ができるだろう」と関わる人が増えて行く。良いスパイラルが生まれ、まちのひとたちに、そのまちのビジョンを届けること「デリバリー」を創造的に考えて行きましょうが「まちづくりのコミュニケーションをデザインする」ということをタイトルにした

 

「デリバリー」

建設プロジェクト「デリバー」竣工 竣工は作る側の論理

デリバーは届けて行くこと、誰のためにあるのか、竣工して使われて行くプロセスを考える上で、プロジェクトをつくる、デザインをするのがわかりやすいので「デリバー」「デリバリー」を使う。

 

アムステルダム I amsterdam

ヨーロッパの都市間競争を強く意識している。「あらゆる分野で競争力を持っているが、どの分野でもトップではない」ということが問題意識。アムステルダムはおもしろい人がいっぱいいるが、「自分たちが盛り上げて行くぞ」というのがもう1つの問題意識。そこでI amsterdamキャンペーンをはじめた。

 

I amsterdam宣言」都市は多様で複合的なものである。だが、そこにいるのは「人」である。人々がよりクリエイティブでよりイノベーティブでいられる都市、それがアムステルダムである。アムステルダムにいる人が「I amsterdam」というとき、私たちははっきりと誇りを持って、アムステルダムを自分たちのまちとして選んでいる恩恵を、機会を、その素晴らしさを表すことができるのである。」

 

町のなかに素晴らしいところはたくさんあるが、まずは「人が構成している」「人自身がアムステルダムの資産であるということをまず言おうというのがこのキャンペーン。

広場に「I amsterdam」のロゴを見て写真をとる、とるといきなりとった記念写真がポスターになってしまう。乗ったり、顔を出したりそれで世界中に「I amsterdam」が広がって行く。その組織は「アムステルダムパートナーズ」公共、各地域、民間、パートナーシプをくんで、一緒にマーケティングをはじめた。都市の現状と、あるべき姿を項目ごとに調査した。

 

I amsterdam」を単にポスターにしたりせず、写真集をつくり、写真展を行った。オランダの20人の若手写真家に、それぞれの思うアムステルダムを撮ってもらった。普段の姿のアムステルダムを写真集にした。市長が海外に行くときには写真集をお土産に持って行き、写真展をする。という方法をとり、各地でキャンペーンがひろがっていった。

 

単なる家族写真もロゴを入れると、アムステルダムを表現するポスターになる。

グッズ展開があり、自転車のまちでもあり、映像をつくったり、2008年の年末につくった。2009年を迎えようという映像。自転車のベルや紙ナフキン入れ、バッグ、いろんなグッズ、まちに現れてくる者を多くつくった。「I Amsterdam 」はだじゃれだけどオランダなのになぜか英語、「北海道はでっかいどー」はでっかいということしか言ってない、「I amsterdam」はあなた自身がアムステルダムということを言っていて、メッセージが違う。

 

I ambasadar」といってアムステルダムの大使としてのウェブサイトをつくったりこのキャンペーンがおもしろいのは、言葉とロゴがよくできていて、言ってみたくなる、もじってみたくなる。当初の意図以上の効果をうんでいて観光客にも「I Amsterdam」アムステルダムに行くと仲間になれた感じがする。「行けば自分もアムステルダム」になれる。ここで写真をとりたくなり、「I amsterdam」と言いたくなる。アンブテナール(公務員団体)のウェブサイトでも、使われた。

ホームレスの人のデモでも「I Amsterdam TOO」というキャッチで「私たちの権利も認めてくれ」というデモをやった、ニューヨーク ゲイパレード「ゲイプライド」でアムステルダムから公式出場して市長が行き、同性の人の結婚を認めた(2009年)「I amsterdam」を持ってニューヨークでパレードした。「I amsterdam」にとどまらない様々な派生キャンペーンを引き出した。

 

「まちづくりキャンペーン」日本で言われるときは、ロゴをつくってどうするか?ときく。

ロゴをつくればどうにかなると思っている方が多いが、ポスターにしていきましょうとか、もっとみんなが言いたくなるものにしようとか、目的がないと仕方がない。

逆にロゴがなくても、ロゴをつけることで、客観化されてポストカードだったりポスターのように町の風景が見直せる手段があれば、それはロゴじゃなくてもいい

 

ブラッドフォード

イギリスの町中、ぱっと見、イギリスなのに白人が少ない。人口の2割が東アジア、カリブ系の移民。カレー屋さんが多かったり、サリーの仕立て屋さんが多かったり、どこだろうってなってしまう。その町が暴動で有名になってしまった。

民族対立がもともとあった少しあった2001年のぶらっとフォード暴動が報じられて危険な町、外国人があばれている町ということで危険な町の烙印が押されてしまった。いってみるとそこまで危なくないが、評判は不当に低い。

 

隣町のリーズももともと繊維産業、商業で栄え、今ではリーズはショッピングやナイトライフの町で栄えているが、投資も落ちてこない。投資はみんなリーズにいってしまうと思われている。

新しいマスタープランを作ることになった。マスタープランをつくっても実現には、多くの課題がある。

 

図書をみせてもなかなか理解できないし生活とのつながりが見えづらいため、動画をつくった。現状と広場のディスプレイや市役所など歴史的な建造物秋テナントや空き家が多い、車が多いけど人のいる場所があまりない。この町が不要な建築をなくしたらどうだろうという動画で、所有者のある物件も、どんどん消すという大胆な動画をつくった。風景がずいぶん変わるよね。新しい公園ができたらどんな感じだろう。車で占領されている中心市街地もわざとどんどん緑化していく動画で、「こうなったらどうだろう?」という動画をつくっていった。映画館で映画の前に流したり、学校で流したり、マスタープランを示し「どうだと思う?」ということを伝えた。これらの努力で評判はよくなった。投資家も市民も。「もしかしたら町はよくなるんじゃないか?」と信じるようになった。

 

2008年、その後、景気の悪化や政権交代により都市再生会社が20103月で解散してしまい、

マスタープランは規模を縮小しながら開発が進行している。

映像をつくっていくという手法は、シティパークの大使、といって高校、大学から30人を募り1年かけてまちづくり、再開発の勉強をして、そのうえで映像の勉強をし、シティパークがどうかわるかという映像をつくって、いろいろなところで上映している。時間はかかるだろうが、今後の展開に期待している。

 

ハンブルク

ドイツの都市。ハンザ同盟の中世からの貿易の同盟で重要な都市。重要な港の役割を担って来たが、中世の役割が見れる。港は大事な港なので、市民が行くような場所ではなかった。

ヨーロッパは川沿いに港がある。コンテナ貿易が主な手段になると川沿いの港は入って来れなくて、ハンブルクも河口に港の機能がうつったことで、再開発が1997年に決定し、住居、オフィス、文化施設、大学の複合開発になっている。

 

建築業界では作品でも注目されている「エルベフィルコンサルト「フランスの建築家がやっていて「煮こごり」が乗っている。2012年完成予定。かなり姿をあらわしてきている。開発がはじまる前につくったのが情報センター大きな模型があって、コンサートホール、計画が具体化しているものとブロック単位でしかできてないものを色分けして模型にしている。

 

地理的、歴史的、開発の構造的、デザイン的な話がなされている。カフェが併設されていて、夏は昼からビールを飲んでいる。建物は、港だった当時のボイラー発明書でユネスコ登録されているが、ルール内でリノベーションしている。

 

ドイツ人は都市模型が好きで、大都市はどこも都市模型を持っていて、市民はそれを見るのがとてもすき。カフェがあるので、散歩がてら、模型を見て、年間20万人が訪れる。

工事現場をみるための展望台があり、天気の悪い日にも、まちの人が見に来る。開発には2〜30年かかり、日本の場合は、借り囲いがあり、いつのあにかまちができていて、借り囲いがなくなって「あ、こんなことになってたんだ」となる場合が多いが、まちのできていく場面を見ることができることで、愛着がわく。

 

街郊は日本では最後につくるが、ドイツでは先につくることが多い。日本も、単に消費することから「知ること」何が起こってるか、勉強することが楽しいっていうことが強く感じられる。

建設過程はエンターテイメント。現場はものすごくおもしろくて、公開は難しいけれど、見たら絶対におもしろい。

 

新潟

新潟ではなくてもどこでもあることかもしれない。欧米では都市グッズがあるINYあれは市ではなくて州のキャンペーン。今まで都市グッズをみたことがなかった。最初にみたのが新潟。新潟市街似ユーキャッスルゲイツヘットという街でも同じロゴをみた。

 

アルビレックス「あいしてる新潟」あるビレエックスのサポートターがやっている。

新潟Tシャツ部はひとりの人がTシャツをデザインしている。Tシャツ部は委員会に昇格して、仲間も増えていた。作品は郵便局に展示してあったが街でやっているものではなく、勝手に作っていたところ、新潟中央郵便局がショウウインドウをつかっていいよと郵便局から申し出があり、ゆうぱっくで送れるサービスまで開始した。

また別のプロジェクトで「新潟港物語」という本をつくっている人もいた港の歴史を表現して港をプロモートする絵本にしている。絵本は子供たちにも伝わりやすいよい手段だ。港に関するNPOがつくったころ新潟港湾整備事務所がオフィシャルに刊行している。

 

上古町商店街は、焼け残った中心市街地で古くのシャッタータウンが、2000年代に入り、家賃が安く、「昭和な雰囲気がいい」と若者が集いはじめ、空き店舗がほぼなくなった。迫さんという方がやっていて九州の出身で、新潟大学にいたことがきっかけで、デザインを学んだあと、Tシャツなどを販売はじめた。酒屋さんでイベントをやったり、古本を置いたりしていた。迫さんがひとりでやったわけではなく、商店街に入り込み、理解を得ていたことが大きく、若者が歩くような街にかわっていった。

(最初のきっかけは、商店街の会議に最初に出たときに、あまりにダメだったので自分がなんとかしなきゃと思ったことだったそう…)商店街のロゴも、勝手につくり、勝手に商店街グッズをつくっているうちに、公式ロゴになり、アーケードをかけかえたときにアーケードに正式ロゴとして商店街中にロゴがはいった。他の既存店舗とのコラボも積極的で、商店街の和菓子屋さんおおまんじゅうに迫さんがデザインして顔を書いてかわいいパッケージに入れ、ウエディンググッズにとしたところ大人気になり日本中から注文があるようになった。

 

また長岡造形大学の大学生が新潟の染物屋さんと一緒にデザインした手ぬぐいをつくったり付加価値をつけて商店街から流行発信をしている。さびれた商店街から情報発信基地になってしまった。傘置き場を作ったり、フリーペーパーを一緒においたり、フリーペーパーもちゃんとまちながかに置かれていることがとてもいい。

 

新潟のおもしろさ。

Tシャツ部、港の絵本、迫さんにしてもすべて勝手に個人でやったものがいつのもにかオフィシャルになっていること、いい活動だ評価する人がオフィシャルにしてくれていることがおもしろい。

 

都市空間の気分、空間の中に現れてくることが大事だと思う。

その事例紹介。

 

アメリカ、ポートランド

パイオニアコートハウススクエア 市民のリビングルームと言われ愛されている広場、途中で資金不足が起こったが、レンガひとつひとつを買ってもらい、市民の名前を入れてもらって資金をつくりだした。

富山のポ-トラムのベンチと同じ手法。遠目にみるとわからないがすえてのレンガに名前がはいっている。

 

公というのは富山では、パブリック、お上というイメージになるが、欧米ではパブリックはみんなのというイメージで、市民の広場というのは「私のものである、と同時にみんなのものである」という意識になる。

それがこのレンガに表現されている。レンガだと小口でたくさん入れてもらえるのでいいやり方。

 

フランス リヨン

光の祭りを開催しているいろんなアーティストが市役所をライトアップする。

ライトアップは新しい建物をつくるより、安く、建物の見え方をずいぶん換えてしまうことがいい。新しい発見が得られる。ライトアップの技術も産業にしていて、副市長がライトアップ会社の社長だった敬意もあり、技術を世界に売っている

 

ドイツ ミュンスター

自転車の街でみんなが自転車に乗っている。緑の自転車道を整備している、都市グッズで自転車のメッセンジャーバッグをつくっている。まちの政策と合っていて、外で使うものなので、ミュンスターは自転車の街だという気分が町中に表現されている。

 

オーストラリア リンツ

きれいな街だが、仮説の足場を美術館の上に組み、上から見ることでさらにきれいに見える。石の舗装のパターンなどは上からみないと再発見できない。日本の街と違って高い建物がないので、新しい発見がある。

まちは、住んでいる人にとってあたりまえの風景になってしまうので、いったん違う高さから見たり、ライトアップすることで再発見がある。

 

アルゼンチンのコルドバ

スペインの植民地だったが、その時代の大聖堂や中心広場、市役所、新しい建物もあり、ごちゃごちゃしていて歴史があまり感じられなくなっている。上からみるとよくわかるが、立面図を広場の大理石に書き出している。

かわいくてユーモラス、これをやることによって、「これは街の大事な建物だった」という再認識ができるようになるおもしろいやりかたをしている。

 

フランス ボルドー

LRT95年に新しい市長が就任し、LRTの整備、公共空間の整備をはじめた。

ボルドーのトラムは架線がない。旧市街は歴史的な街区になっていてこの景観を壊さないように架線を出さないシステムを開発した。レールから電源を得ていて、感電しないシステムになっていて、とても特別で費用もかかるため、旧市街を出ると、架線をつかって通電させている。

古い街の一部を歩行者専用にした。LRTの大きな窓から古い町並みが見えるようになる。古いものは大切にしつつ、車両も駅も現代的でアート作品をのせたりしている。

 

アランジュペ市長自身もボルドーが大好きで、こういっている。

「私たちはボルドーで生まれ、ボルドーで人生の喜びを見出し、ボルドーで死んで行く、疑いもなくここは私たちの人生の舞台であり、私たちが愛すべき街だ。朝の雨に洗われ、青空にうきたつジロンド島のモニュメント、黄土色のガロンヌ川とその背景に見える右岸の木々と建物、夜の観覧車と造船所、そして灰色のクレーンまだひっそりとしている明け方のペイベイ、ベウラン広場これら全ての理由によって、そしてこれら以外の全ての理由によって私たちはボルドーを愛すべきなのだ。」

 

ベルリン 巨大あやつり人形

ベルリンで見たが、フランスのロワイヤル・ドゥ・リュクスが行っている。2009年に8~12メートルの女の子と潜水服をきた男性の巨大あやつり人形。(設定:何年もあっていない、女の子と叔父)

1日目、川の中からおじさんが現れる。2日目、おじさんは西ドイツ側を歩き回る、女の子は級東ドイツ側をずっと歩き回り3日目の夜に出会うのが東西の統一を表していブランデンブルク門の前でおじさんのひざの上で女の子が寝ている。最終日、二人が一緒にパレードをして手紙(東ドイツから西ドイツに届けられなかった手紙)をまいている。

 

同じ人形をつかっても他の街で上演するとまったく違う演目になる。この人形も巨大であることによってふだんと全然違う風景に街を見せる。街が全然違うふうに見える。歴史性や、新しい見え方が出てくるという表現がされている。来年はフランスのナントとイギリスのリバプールと、カナダで上演の予定があるよう。

 

富山

ポートラムは車両もきれいでいいし、フィーダーバスに乗り換えられるのも素晴らしく、電停のパネルもデザインされていて美しく企業協賛で入ることにも感動した。去年はセントラムもできて、グランドプラザも本当たのしそうでよかった。

環水公園、デートができるところがあるのがいい。みんながゆったりできる場所がまちなかにあり、景観といても美しく、カップルがそこに座っていたくなるような空間がそこにある、ストリートファニチャーやシェアバイクシステムがあったり、それが富山の印象。

 

富山で何か起こっている、どんどん変わっていて富山から目が離せないというのが印象。

コンパクトシティの構想はたくさん見たが、これらを見て「富山は本気だ」と思った。富山はどんどん変わって行くのがおもしろいし、何が起こるだろうとわくわくする。デザインが妥協なくやっていることが空間に現れているところがいい。富山は不思議だったけど、コンパクトシティの政策をプレゼンテーショナルに目に見える形で、かっこよく実現していることで訴求力を高めているというのが印象。

 

新潟の例はときどき紹介しますが、資料がそろったら今度は富山にしたいと思っている。次のどこかでの講演では。

 

デリバリーの方法にはいろいろある。

伝えた相手がどう思うか。

アイデンティティを感じたり、共感したり、都市を理解するような知り方と都市をもっと体験するような知り方もあり、そのためには、何をデザインするのかというのをシビックプライド研究会で整理していた。

 

アイデンティティを感じるためには、シンボルを、体験するためには、空間を、共感するには、アクティビティを、理解するためには情報をデザインするべきだろう。

具体的にはもっと多くの方法があるだろうが、広告キャンペーンや、都市景観、ワークショップ、都市情報センター、ロゴ、ビジュアルアイデンティティ、様々ある。

どれかだけやるのではなく、うまく組み合わせてやっていかなくてはならなくてお金をかけてやればいいというものでもなく、なにかの都市が変わって行く機会を逃さず、もう少しこれを組み合わせてみることでうまくドライブしていくことになろう。

 

YOUR CITY IS YOU

YOU ARE YOUR CITY をきかっけに話をしてきたが、日本人には「YOUR CITY IS YOU」のほうがしっくりくるかもしれない。

ヨーロッパでは市民性が強くある。ひとりひとりが市民として確率しているが日本は少し感覚的に違う

あなたの街はあなた自身なのです。と言い換えれば、アイデンティティは国家、家族、仕事、民族、この中には街もあって「富山の人」「東京の人」が人を構成している1つである。

国家を考えると、60年でサイクルが変わって行っているが 江戸でも300年、国家ってすぐに変わる。

資本主義はいつまで続くかはよくわからない。

 

国家だけが確実なものではなくて国家が変わっても都市はもっと長く長くあり続けている。

ベルリンも一度分断されて戻ったり、富山も東京も空襲を受けて東京はさらに、関東大震災で壊滅しているが、それぞれ都市はなくなっていない。都市は非常に持続性があるし、そこにアイデンティティであったり、これからビジョンを託しているのに適しているのではないか。

 

だからあなたの街は、実はあなたの一部です。といういい方もできるのではないか。

あなた自身があなたの街です。あなたの街はあなた自身なのです。

ということをお伝えしてまずは終わりたいと思います。

 

 

 

<質問タイムを変更して伊藤氏からの提案>

 

近くの2人でそれぞれ富山のおすすめを紹介しあって下さい。(数分間)

その後、ふたりで話していた「相手の方」のおすすめを紹介してください(みんなの前で順に発表)

 

・行政の意見に反対しないいい流れがある街

・延命寺蔵水(夜中まで水くみにきていて、周囲の方々が誇りに思っている)

・中教院モールに日本で一番小さい神社がある、夜店もやっていた

・薬の売薬の栄えていた頃、仕事人口が8番目に多かった。その利益で北陸電力や、北陸銀行が成立したのは売約の影響

・魚がおいしい。水がおいしい(命の源)

・3,000メートル級の山と富山湾の深海1,000メートルの高低差

・立山の眺め、それぞれが一番のビューポイントを持っている

・人、田畑、山、自然/延命以外にも子安地蔵水など豊かに湧いている

・自然、山、川、海、人、(人と人が繋がっていく機会を作り出して行きたい)

・車で30分で国立公園へ行けること

・高速道路の頭上に「航空機注意」と書いてあり着陸時は機体が近くてびっくりする

・山と海が近いこと/大昔富山は世界の中心だった「竹内門上」という呉羽山にキリストも、釈迦もモーゼも富山に研修に来ていたといういわれがある

・いたち川(水もお店も生活にとけ込んでいる)

・売薬によって薬業界をピラミッドに産業が広がっていて、パッケージデザインや、缶ビールの缶をつくったりする企業が出て来ている

・道路が東西、南北に繋がっていて暮らしやすい

・魚津は人口あたりの飲み屋の数が最も多い

・雨晴からの神秘的な立山の景色

・はじめてあった人が知人のお父さんだった。富山の濃密な人間関係、ナチュラルにソーシャルネットワークができている規模感

・根性がある、まじめな気質

・自然と関われる場所が多い

・岩瀬のけんか山

・富山の都市計画

 

ページの先頭へ