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「大学卒業時期 青年金子は悩んでいた」(まちセミ講演録:金子洋二その1)

2013/01/30 

スタジオファイル代表 金子洋二さん講演会

「ミッションからはじめる組織運営」~NPOに学ぶ「思い」と「経営」の両立~ 

 

2012年12月22日 富山国際会議場

主催 NPO法人GPネットワーク

協賛 富山大手町コンベンション株式会社

 

その1

 

はじめに

みなさんこんにちは、お初にお目にかかります。新潟から参りました金子と申します。

 

今日はまちづくりセミナーの第3回ということで、お声掛けいただきましてこのような機会をいただき嬉しく思っております。拙い話ではありますが、最後までお付き合いいただければと思います。事前に大懸さんに色々と相談させていただいて、どういうテーマで話をするかを色々考えたのですが、こんなテーマにさせていただきました。

 

「ミッションからはじめる組織運営~NPOに学ぶ「想い」と「経営」の両立~というタイトルです。どんな方が参加されているか詳しく聞いていませんが、NPO法人主催ということでNPO関係、行政関係、企業関係の方々がいらっしゃるのではないかと思います。

 

このタイトルにNPOという言葉がピンとくるのか不安の種でした。そもそもNPOってどういうものかご存じでいらっしゃいますか。会場の雰囲気でおおよその感じが分りました。日常でよく耳にするという反応ではないかと思います。

 

「組織運営」、もっと大げさに言うとタイトルの下の方にある「経営」という言葉があります。「経営」というものに関してNPOを重ねて考えたことある方がいらっしゃいますでしょうか。どうやって「経営」を語るのかとお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、それをちょっとずつ話していきます。

 

自己紹介から講演の本筋へ

スタジオファイルという個人事務所をやっておりまして、言ってみれば一つの事業体の代表、社長みたいなものかもしれませんが、プータローと紙一重みたいなところがあります。定職なく自分の好きなことをやり、仕事の内容としては地域づくりやNPOの設立や運営のお手伝いをし、時にはこのような講演や大学の講義もやるなど、そんなことで食べているちょっと変わった仕事をしております。

 

主な役職としては新潟NPO協会代表理事で、今から約11年前に組織を立ち上げました。また新潟国際ボランティアセンター代表で、私が市民活動に入るきっかけとなった組織なのですが、当時の指導教官が大学生時代に立ち上げたものですから市民活動に有無を言わさず関わった。それ以来ずっと市民活動を続けており、やっているうちに新潟県NPO・地域づくり支援センター代表、新しい公共新潟会議代表などまちづくりに関するお手伝いをしています。まちづくり学校というNPOが新潟にありまして役員をしております。

 

20個くらいの民間の非営利組織で活動をしています。多くは役員や代表だったりしますがほとんどが無報酬です。決まった役員の手当てが一切ありません。NPOの役員というのは基本的にボランティアというのが日本の国でも、世界でもスタンダードだと思います。一番組織に貢献すべきはボランティアであるという考えがNPOの場合にはありまして、そういった形で活動しています。

 

何で食べているのか、何でしょうかね。霞とでも申しましょうか。新潟一霞を味わえる男というのを目標にやっております。(笑)本当幸いに、不思議なことに色んな活動のお手伝いをしているとお仕事をいただきます。時にはコンサルティングのような仕事もあれば組織運営のお手伝い、講演等を中心に色んな仕事をしていると食べていけるという状況です。

 

新潟でも中々いない幸せな人間ではないかと思っています。「中々うまいことやっているな。」と言ってくださる方もいらっしゃいますが、なぜこのようなことになったのかと、この講演のお話を頂戴したきっかけに考えてみました。

 

大学卒業時期、青年金子は悩んでいた

私が大学を卒業したのは91年。会場の中に同じくらいの世代の方はいらっしゃいますかね。ぎりぎりバブルの終わりくらいに引っかかりました。バブルの末期というのはバブルがはじける寸前なので膨張するだけ膨張していたのですね。非常に就職はよかったですね。今の若い人たちに申し訳ないくらい。当時は本当ここ行きたいと思えば、どんな一流企業でも公務員でもなりたいと思ったものになれるようなそんな時代でありました。

 

毎日家に帰ると束になってDMが届くわけですね。今の学生さんには申し訳ないですが、私(青年金子)は迷っていたわけですね。将来何をしたらいいのか分からなくなりました。どこの会社も「来てくれ!来てくれ!」、「一回温泉旅行に連れてってあげるからぜひ参加してくれ!」と言うようなそんな時代でした。「どこにも行きたくねぇなぁ。」、「就職したくねぇなぁ。」と悶々としていました。

 

公務員はどうか。当時の私は市民活動に首を突っ込んでいたこともあって、非常に退屈な世界に思えたのですね。ルーチンワーク的なイメージしかなく、そんな世界に入っていくのは真っ平ごめんだと思いました。だからと言って、企業に就職するのはどうか。企業に就職するとなると、競争で相手を蹴落として自分だけ儲かればいいような社会の歯車となって参加するのか。そう思うと若い私にはどうもしっくりこなかった。生意気にも、経験もしないで強くそう思いました。

 

迷いに迷って挙句の果てに休学して留学したりなんかして、時間稼ぎをしても迷いが消えなくて、自分が働くことで社会に役立つこと、貢献していることが感じられるような仕事とは何だろうかと、大真面目に当時から市民団体について考えていました。

 

当時はあまりNPOという言葉はなかったのですが、NGOという言葉がありました。そのNGOに働けないかと真剣に考えました。つてのあった東京のNGOに訪問しましたが、非常に狭き門。東京で働いている先輩の話を聞いていると月給16万円で、それだけでは食べていけなくて、夜中にコンビニのバイトをして、なんとか生計を立てているという話を聞きました。私と同じように考える若者はそれなりにいたらしく、入りたくても求人一人か二人に対して、四十人くらいが殺到するような状況でした。

 

「これはダメだ。無理だ。」と思って観念して一旦は就職しました。地元のちょっと大きな、商社のような会社で、随分と好きなことをさせてもらいました。社長の側近として中国への投資をさせてもらったり、会社をいくつか立ち上げたり、若いながらに非常に貴重な経験を積ませてもらいました。非常に期待もされてありがたい限りだったのですが、やってくうちにどうしてもしっくりこなかったのですね。若気の至りというのでしょうかね。「何の役に立っているのだ、おれは。お金を稼ぐことばかり考えて」と思い、ストレスまみれの仕事を毎日繰り返していきました。

 

そこで先ほど不思議な経歴の中に一つ、農業というのがあったと思います。米をつくってみようと思いました。新潟ですから、「米をつくれば間違いなく人に役に立つ!」と非常に単純で安直な発想でしたが、農業をやってみました。もちろん一から自分でやる力がないので、会社で農業を大々的に展開している先駆的な農家に弟子入りして米をつくりました。

 

そこで米の世界も綺麗ごとじゃすまないということが分かりました。農業関係の方がいらしたらご存じだと思います。そんなに思うようにいかない。いくら有機栽培だとか言っても売れないと話にならない。売れるためにはちょっとこすい事いうとあれですけど色々工夫する。そんな中でも細々と先駆的な社長が頑張っているのが分りました。

 

そんな中でタイミングよくと言うか何と言うか、農作業が重労働じゃないですか。腰を思い切り壊しまして、ちょっと休んでいる間に新潟でまちづくりをやっている連中から声をかけられたのですね。「お前なんかやりたいことがあれば、俺たちとやってみないか。」と。

 

物事を成功に導く絶対的な原動力

それで、ある組織の事務局を任されて、やっていくうちにこんなに面白い世界はないなと、そこで市民活動とかまちづくりの世界に目覚めて、今日の話につながってくるのですが、やっていくうちに「会社よりも面白いぞ!」と思い始めたのですね。経営という面でみても。ちゃんとお金が動くのですよ。地域活動のまちづくりも。ボランティアをやりながらもお金は動くところで動くのですね。しかもそれに関わっている人たちは目の色を輝かせて、夢中になってやっている。面白そうにやっている。そのパワーというのが物事を成功に導く絶対的な原動力だし、それを極めてみたいと思ったのですね。

 

その想いが高じて「NPOの先進国ってどこだろう。」と思い調べると、「どうやらアメリカがすごいらしい。」とそう思いましてアメリカに渡りました。半年間ではあったのですが、アメリカのペンシルバニアのNPO協会というところにオン・ザ・ジョブ・トレーニングで働きながら、NPOの支援、NPOが世の中で活躍する仕組みがどのようにできているかを勉強させていただきました。

 

ペンシルバニアで勉強して帰ってきて、新潟のNPO協会を仲間と立ち上げました。折しもその一年、二年後くらいに新潟県がNPOサポートセンターをつくるということでそこのセンター長を就任し、色んな形があると思いますがNPOの支援は行政がやるよりも民間で自立してやる方がいろいろと動きがいいだろうと思い、新潟県NPOサポートセンターを3年で閉鎖しました。

 

新潟NPO協会は民間で自立してやっています。新潟NPO地域づくり支援センターというのも先ほどプロフィールがありましたが、そちらも民間の団体です。新潟NPO協会とまちづくり学校という二つのNPOが合同で設置している、NPOと地域づくりのための支援センターですね。したがって新潟県はNPOの支援センターを持っていません。民間で運営しています。ますます色んな事に気がついてきたのですね。

 

経営学の神様ドラッカーが説く

NPOの経営って面白い、面白いに違いないと気付いた言葉がこちらです。ドラッカーはみなさんご存知でしょうか。経営学の神様です。もうお亡くなりになりましたけど、アメリカに行ったときにもドラッカー財団というところの研修も受けさせてもらいました。経営学の神様が晩年、研究に集中されたのが非営利組織なのです。非営利組織のマネジメントです。残した言葉が「非営利組織にこそマネジメントの本質がある。」ということです。

 

「本当かなぁ。」と私も最初は思いましたが、日本に帰ってきて、いくつかの非営利団体を立ち上げたり、関わったりしてやっていくうちに、「これは本当に間違いない!」と思うようになりました。いろいろ経験して、気付いたことを蓄えてきました。今日はその話をさせていただきたいと思います。ダイジェスト版としてご紹介させていただきます。

 

非営利組織(Nonprofit Organization)の材料(NPO=人+想い+仕組み)

非営利組織とは何からできているのか。ちなみにNPOって普通多くの方はNPO法人のことだと捉えられるかもしれません。NPOという言葉には、あまりしっかりとした定義が日本にはないですね。民間の非営利組織のことを総称的にNPOといっているだけですので、言ってみれば、市民団体、法人格あるなしに関わらず、市民が主体となって運営している組織のことをNPOといいます。

 

NPO法人というのはその中のごく一部と捉えていただけたらと思います。そのNPO、非営利組織というのは、何から出来ているかというと、「人」と「想い」と「仕組み」から成り立っていると言えるのではないでしょうか。

 

まず「人」というのはなんと言ってもNPOの第一の財産と言えるのではないかと思います。NPO法の中にもNPO法人は基本財産を持ちなさいという決まりは一切ないですね。お金がなくてもつくれるのがNPO法人。その代わりに仲間を10人集めなさいという法律になっている。想いを同じくする人を10人集めれば法人格をとれる要件としている。人を宝としている法律がNPO法なのですが、NPO組織の根本的な概念です。

 

人が集まって、その重なる「想い」をミッション、組織の理念にして成り立っている事業体ということですね。集まっている人たちの想いが重なる部分、言葉を変えると理念とかミッションとか、柔らかい言い方をすると組織の目的、定款には目的と書いてありますね。

 

そして人と想いを継続的に活かしていく「仕組み」があって、それら3つがそろってNPOと言える。これが基本的な構造なのではないかと考えています。そうなると必然的に非営利組織の運営のポイントとは、単純ですけど、人と想いを活かす仕組みをつくることということですね。言葉で言ってしまうと単純ですが、これが極意だと思います。

 

人と想いを活かす、仕組みをつくること=共感のマネジメント

いかに人と想いを活かす仕組みをつくるか。もうちょっとかっこよく言いかえると「共感のマネジメント」という言い方をしている。「共感のマネジメント」とは活動の中心である想いを共感に変えていく。共感を広げていく。広がっていった共感から運営資源を得る。

 

これが非常にシンプルに言った時の非営利組織の運営、経営のポイントです。想いを共感に、共感を資源にということです。

 

 その2 ~カメはどうしてウサギに勝てたのか~に続く・・・

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