レポート

まちづくりセミナー2017

第二回まちづくりセミナー講演録 講師:大野慎太郎氏

2017/03/02 

《まちセミvol.2

魚津発!自分たちの街は自分たちで面白くする!

 

 みなさん、こんにちは。大野慎太郎と言います。魚津市からまいりました。よろしくお願いします。

 

 今日は、「魚津発!自分たちの街は自分たちで面白くする!」というタイトルをつけさせていただきました。プロフィールは、1031日、ハロウィンの生まれで、3人兄弟の長男です。趣味は音楽です。

 大野商店は、魚津市で曾祖父が、お菓子の材料の専門店という形でオープンしたのが始まりで、とこなつというお菓子を作っている高岡の大野屋がうちの本家になります。昔から砂糖を扱っていて、今もお菓子屋さんに砂糖を納める商売をしています。1番強いのは豆です。日本中の国産の豆の中から上質な物を集めて、お菓子屋さんに卸しています。

 

 今日はNPO法人GPネットワークさんからの依頼でここに居ますが、GPネットワークさんのように街中の活動支援を行っている団体は、魚津にはないですし、そのような活動も全然やっていません。ただ、商店街の団体があるだけで、富山市にはお金があって大学生もいて羨ましいなと思っています。では、少しずつお話をしていきたいと思います。

 

 

大野が、今やっていること

 

 僕は、5年前に藤吉というお店を魚津市の中央通り商店街で始めました。中心市街地の活性化のために「起爆剤で」という大層なハードルを上げられて運営していますが、今はだいぶん安定して、お客さまも付いています。

 今は、藤吉と、先ほどの大野商店と、イタリアンの3店舗を運営しています。その中でマルシェをしたり、魚津のリンゴを使って商品開発をしたりと、いろいろな事業を少しずつやっています。

 これらの商売を始める前、僕は京都にいて、三条河原町にある十字屋という楽器屋さんで働いていました。高校の時にブラスバンド部に入って以来、ずっと音楽をやっていたことと、親爺から「何でもいいから平社員をしてこい」といわれたことが、そこで働き始めたきっかけです。ある時、母親からの電話を機に魚津市に帰りましたが、そのときは地域のことに全く興味のない人間でした。仕事終わりに友だちと遊んだり、イオンやファボーレに行ったりと、大学生と変わらないような生活をしていましたが、このままじゃ面白くないなと思ったので、自分でいろいろ調べてこだわった食材屋さんを大野商店でやり始めました。富山県の方々はいい魚を食べているからか、舌が肥えているという印象があったので。すると、結構売れ始めたんです。

 800円ぐらいのミカンのジャムが結構売れているのですが、300グラムと量は少なめなのに800円もするんですよ。それでも、おばあちゃんが買っていって、次の日に10個買っていくんですよ。どこに持って行くのか聞いたら、「おいしかったから、友だちにあげる」と言っていて。それから1週間後ぐらいに違うおばあちゃんが、同じジャムを買っていかれて。富山の人たちは自分がいいなと思ったものを人に紹介するような性分があるんだなということが分かったので、こだわった食品もスポットでやっていけば結構いけるなというのが実感として分かってきました。

 商店街の若手という理由で、まちづくりのセミナーに参加させられて、何のために行っているのか自分でも分からずに行っていましたが、唯一自分の中で結論が出たのは、魚津で今後50年生きていくということ。これだけは決まっているなと。これから自分の人生を考えていくときに、50年は魚津で生きていくんだろうな、責任はとるんだろうなというのが分かったんですね。それから、ここで面白いことをしたらいいんじゃないか、どうやったら面白くなるかという考え方をし始めました。それからはすごくシンプルで、自分の好きなこと、面白いことをやろうというふうに決めました。

 

 

誰のために何をするか

 

 「誰のために何をするか」ということを結構考えるようになりました。イベント1つとっても、このイベントは誰のために行って、何のためにやるのかというのを深く突き詰めていくと、本当にやるべきなのか、続けていかなきゃいけないんだろうなというのが少しずつ分かってきたので、この言葉を今日何回か言うと思います。

 自分の地域の次世代のために、自分の育った街を楽しくしようというのは、今僕が思っていることです。次の世代の人たちの踏み台になりたいなというのが、今の自分たちの思っていることです。商店街が今、すごく寂れて面白くなくなってきていて、それを僕らの世代で何かしら上向きにできれば、20年後、30年後にもっと楽しい形で続けてくれるだろうなというのが僕の願いなので、今はまず自分の好きなことや得意なことで次の世代が楽しいと思ってくれそうなものをやってみようというのが、1つの始まりになっています。

 

 

商店街に来る理由を創る

 

 藤吉は、商店街に来る理由をいっぱい作ろうという形で始めました。批判されるような言い方になるかもしれませんが、商店街って必要ですか。必要じゃないです。スーパーがあれば、基本的に日常の生活には困らないと思います。イオンがあれば服も買いに行けるし、商店街に行く理由がなくなっているというのが、今日本中の現状になっています。でも、僕、商店街は必要だと思うんです。抽象的な話になりますが、日本の大都市でも商店街がなくなっている街というのは基本的にないです。栄えているところで。逆に商店街がなくなっているところは、本当に死に体になっているところが多いです。商店街の意味というのは、多分人それぞれ違うと思います。生き残っていくためには、商店街に来る理由をそのお店お店が作れるかというのが1番大事だと思いますが、商店街が必要かどうかは自分たちで決めるわけではなくて、地域に住んでいる方や周りの人たちが決めることだと思うので、商店街に来る理由を僕は作ろうという形で店を作りました。

 ここの商店街は、昔からのお客さんを商売相手にしているので、突然ちゃらちゃらしたお店が5年前にできて、パッと見、入り口も分かりません。1年目は、入り口が分からないおばあちゃんが、ガラス越しに店内を見ているということがよくありました。また、「入ってみたいけど、オシャレで入りづらい」という方も多く、1年目はいろいろなお客さんの対応をしながら進んでいました。

 藤吉は、2件分のお店をぶち抜いて1つのお店にしています。1件分を完全に飲食スペースにしていますが、あり得ない空間のとり方をしています。代々木公園の丘の扁平率を調べて、丘に座ってご飯を食べられるというのを畳で表現したくて、畳をうねったような形にしました。店内の雰囲気は、コンクリートと木製のもので開放感を出すような形で今時の作り方をしています。

 

 

商店街のアンケート

 

 藤吉が始まる前、県と魚津市の協力で、藤吉の半径2kmの世帯にアンケートをとりました。約49%が商店街を利用していないという、これでよく成り立っているなという状況がすでに6年前です。ヘビーユーザーが20%ぐらいで、その人たちが売上げの8割ぐらいを担っていると思うのですが、「なくなると困る理由」で圧倒的に面白かった答えが、「寂しい」でした。50%以上の人が「寂しいから」という。寂しいってお金にならないので、難しいなと思いながら、このアンケートを見ていました。先ほど言いました「行く理由」というのもアンケートでとっていて、ほぼ銀行と郵便局なんですよね。商店街には各銀行が揃っていて、みんな口座を変えていないので、来たついでにちょっと商店街を利用するというのがありまして、他はほとんどないというのがすごく残念な感じでした。この資料は結構見ましたが、見れば見るほどお店をするのが怖くなってきて、どうしようかなと考えていましたが、「あったらいいお店」という項目もありまして、総菜とお弁当、パン、お菓子。うちの店、完全にこの2つだけやっています。「あったらいい」というのもすごく抽象的で、さっきのヘビーユーザーの話なのか、寂しいといっていた人の話なのかも全然分からなくて。でも、地元の方が歩いて行ける範囲にお総菜のあるお店を作れたらいいなというのは、この頃に考えていました。

 

 事業計画書なるものを作りまして、当時は結構真面目に考えていたのかなと思いますが、魚津市は今人口が44000人ぐらいで、世帯数が約16000になっています。僕が最初にやりたかったのは、こだわった食品のお店です。けど、こだわった食品って、毎日買うものじゃないじゃないですか。なので、魚津の人口を考えたら何人ぐらい毎日くるんだろうなと思って、44000人のうち、こだわった食品が好きそうな3050代ぐらいの女性がいる家庭で、というふうにどんどん減らしていくと、365日で平均したら110人ぐらいになったんです。絶対無理だなと思って、ランチをやろうと思ったのですが、魚津市でランチをしているお店が少ないんですね。「困る」という話は聞くので、行きたい人がいるということなのですが、それならもっとランチをするお店ができてもいいはずなのにできないということは、多分必要とされていないという結論も出てきました。結局、総菜とランチとこだわりの食材、この3つをやったら、いけるんじゃないかなという安直な足し算を形にしたのが、先ほどの藤吉というお店です。

 カフェの方は、街の喫茶店とは違うよというのをいろいろと勉強しながら。総菜は、デパ地下よりも値段的にもこだわって、コンビニよりもいいものを扱って体に良くて、スーパーよりも若干高いかもというような形でやり始めました。最初は、小さく始めようという思いもありましたが、出る杭は打たれるが、出過ぎれば打ちづらいと考えて、すごい総菜屋さんを作ったらいいんじゃないかと思い、大きなお店を造りました。

 

 

とりあえず大赤字

 

 施工費に4,000万円ぐらいかけて、すごくいいものを造り、「商店街にこんなお店が!?」という雰囲気にはなっていますが、オープン時ですでに年間500万円の赤字が出ているわけです。当時は、県と市から補助金を出して、この事業をやろうという形になっていたので、何とかやっているというような感じでした。

 すごく難しい問題なのですが、いいものを売るということは、原価率が高くなるわけです。また、きちんと接客したいとなると、接客自体に時間がかかるので、人件費がかかるんですよ。さらに、いい空間だと、回転率も悪くなってしまい、商売として成り立たないモデルになってしまっているというのが現状です。

 子ども連れのお母さんに来てもらうために畳の部屋を造り、お母さんは子どもにいい食品を食べさせたいだろうと思いがあり、それが利益につながるだろうと思って取り組んでいましたが、朝10時に来て夕方5時に帰るという若いお母さんが激増しました。ある時、畳の部屋で若いお母さんたちがはしゃいでいて、その隣に2人連れの奥様がランチをされていました。その奥様方が怒って帰られたので、畳の部屋を見に行ったら赤ちゃんのおむつ替えをしていたんです。だんだんそういう感じになっていきました。

 基本的に僕のやりたいことは変わっていません。いいものは売りたい、ちゃんと接客をしたい、いい空間でゆっくりすごしてもらいたいというのは変わっていませんが、その割合をできるだけ事業としてできるように、公共の場に対して配慮できる感覚を持たれた方に限定させていただくような形にして、騒いだら1回目と2回目は注意しに行くけど、3回目は帰ってもらうという形に、2年前にしました。妻を中心にスタッフでそうやっていった結果、今はサラリーマンの方やスーツを着た女性、おばあちゃん2人連れが増えていきました。また、子どもがぐずったり、泣いたりしたら帰られるようなお母さんたちが増えました。いいのか悪いのかは分かりませんが、そういうのもすごく大事だなと思ってやっています。

 結婚をした年に、初めての経営で大きな店を出して、右も左も分からないままやっていたという、悪魔の1年間を過ごしたおかげで今は結構打たれ強くはなりました。現状は、ちょっと良くなりました。いい形でまわるようになり、5年間続けさせていただいています。成功しているとは全く言えませんが、やめなければ負けにはならないので、できる限り街のために続けていきたいと思っています。

 

 

商店街で出店するリスク

 

 オープン1年目に、会社の経営者や後継者から成る青年団体に入会しました。商店街に出店する場合は、往々にして助成金を使っていることがあります。お総菜屋をやろうと思った時に、1年間かけていろいろな地域にお総菜屋を見に行きました。商店街にお肉屋さんと総菜さんと八百屋さんが一斉にオープンした街がありましたが、助成金がなくなったことが原因で1年後に潰れていました。

 自分で商売をして分かったのですが、オープンしたときはすごくお客さんが来るんですよ。オープン需要は3ヵ月間は続くと一般的にはいわれていまして、そこからドンと落ちるから3ヵ月からが勝負だといわれていて、僕は明治30年から続く大野商店の看板があったので、できるだけ長く商売するためにもあまり宣伝したくなかったんです。でも、周りが宣伝してくださって、1日目にすごくお客さんが来てくださって、新聞も来てすごく期待をされてオープンしました。

 入居してから知ったのは、商店街はアーケードの維持費がかかるということ。毎月1万いくらを払わなければいけないんだということを知りました。また、商店街の青年団や町内会の集まりも断りにくいんです。当時は、毎日僕がいないとお店がまわらない状態だったのですが、お店を開けてしまうからスタッフに負担をかけて社内がぎくしゃくし始めるということもあって、商店街に出店することのメリットが何かを結構考えました。助成金があるからいいよと誘致をするというのも違うんだろうなと思っています。

 

 

街に入るということ

 

 商店街の中には、商店街の人間ではないけど、他の事業で成功していて、お金もあって、まちづくりにも興味があって、話に入ってこられる方というのもいます。東京で成功しているからといって街として呼んできて、1年間なり契約でやるコンサルタントという人間もいます。でも、その人たちは責任感がそこまであるわけじゃないんです。自分で責任を持って商店街で事業をやることによって見えてくるものがあって、何の事業をするにしても最低3年ぐらいは自分でやらないと、その人のものにならないなというのは身を持って感じました。

 僕は今、お店から出させてもらって違う事業をやって、種まきをして育ってきたのを、今度は違う事業にして他の人に任せてというのをやっていくと、自分の会社をどんどん規模を拡大していけるので、そういうのが性に合っているなと思って、そういうのをやっていますが、3年間やったことで藤吉=大野伸太郎のお店という色が付いているなというのも今思っています。

 今、清水さんという方のリノベーションスクールというのがあって、「まちにダイブせよ!」という言葉を書かれていて。すごく抽象的なのですが、富山市の新世界という重ための雰囲気があるところや、桜木町もすごく繁華街という感じがしますし、富山市と言ってもいろいろな色が時間帯によってもすごくあると思っています。富山市、魚津市というのを裸で感じて、そこに入って、そこから見えてきたものが本物なんだよというのが、僕が勝手に思っているのですが、「まちにダイブしよう」というのをどの街にいっても時間がある限り、やっています。でないと分からない。上っ面だけ見ても視察だけでは分からないことが結構あるので。一緒にやろうという人間は、50年ここでやろうという人間じゃないと、50年後のビジョンは一緒に見られないかなと考えています。

 

 

自社が儲かること

 

 「自分の会社が儲からないと、まちづくりなんかやっちゃダメだよ」といわれたことがあって。「そうですね」といいましたが、自分の中では「?」が残って。お金がある人が街づくりをするというのも何か違うなと思ったんですよね。自分の会社が儲けてからまちづくりといっていたら、アメリカのトランプさんと同じ。自分のところをしっかりしてからという切り口は間違っていないと思うんです。けれど、まちづくりを考えたときに、僕は自社がそれなりに儲かって、なおかつ街が良くなることを少しずつ増やしていけば、いつの間にか街がいい感じになっていくという形でやりたいなと思っています。この考え方、魚津ではあまり分かってくださる方がいないし、お金に余裕があるわけではないし、すごく大変ではありますが、そういうことを常日頃考えながらやるというのもひとつなのかなと思っています。

 結局、5年間やってきて、富山県内で必要とされる経済力を持ったところに僕がなれない限りは、街に対してもいろいろ言えませんが、自社の利益だけを追求するのも嫌だったので、1つずつですが、地域を盛り立てていきながら、自社の利益を出せるような事業展開をしようとしています。

 

 

新しい地域事業1〜水だんご〜

 

 水だんごといって、黒部のお団子なのですが、黒部の生地という漁師町で食べられていたお団子で、お得意先のおじいちゃんがずっと作っていたのですが、水で洗って食べるという食べ方をする夏の食べ物で、ツルツルして喉ごしのいい食べ物なんですね。生地では、1パック298円ぐらいですが、シーズン中は1日で2,000パックぐらい売れる、驚異な売れ方をする伝統的な食べ物ですが、今は受け継いで僕がやっています。4年間かけておじいちゃんの味になるように続けてきて、去年ようやくおじいちゃんにも認めてもらって、今ちょっとずつやっています。富山県産の米粉と片栗粉と水だけが原料で、きな粉も富山県産なので、これを売りにしていって東京でも販売したのですが、けっこう好評で、特にアジア圏の方々からは「輸入できないの?」と聞かれて、「無理です」とお断りしたのですが、面白いなというものがあります。

 

 

新しい地域事業2〜間伐材の教材&ネクタイ〜

 

 かつて音楽の会社にいた時に仲の良かったメーカーさんと飲んで話をしているときに、今何をしているのか聞かれて、「まちづくり」と答えたら、「木、ない?」といわれたのがきっかけで、新川の間伐材が木琴になりました。上の木はローズウッドですが、下の部分は全部富山県の間伐材で作っています。富山には杉がすごく多くて、それが今問題になっているのですが、これは全部杉でほぼお金になりません。パルプになるか、木の杭になります。

 それを作る工場で、今また違うことをやり始めました。木のネクタイです。アメリカで木のネクタイを作っていまして、こういうの作ったらいいんじゃないかと話をしたら、すぐ作ってくれて。特許のことは知らないのですが、日本中をネットで調べたら、23万の木のネクタイはあるんですよね。でも、話を聞いたら、6,000円ぐらいでできると言われたので、それなら売れるんじゃないかと思って、今進めている商品です。

 もうひとつは、スピーカーです。秋葉原のスピーカーの展示会に毎年出品していて、スピーカーの専門雑誌にすごくいいスピーカーを作る人だと認定をされた方が、たまたま魚津にいて、コメリで買ってきた板を使っていたので、「その板を間伐材にしたらいいんじゃないですか」と言ったら、すぐ商品化になりまして。今は漆を塗って販売しています。5万円ぐらいなのですが、すごく評価されていて、いい商品です。

 

 

新しい地域事業3〜アップルパイ〜

 

 魚津の加積りんごのアップルパイを作りまして、今日から販売を開始しています。今、ディズニーのエクスペアリで限定的に販売をしていまして、「加積アップルマーケット」という名前でやっています。

 今、ご説明したものは、基本的に地域の課題からスタートしています。魚津はリンゴですごく有名なのですが、加積りんごは数がなくて、富山のスーパーにも出回っていません。数がないというか、収穫された物の2割ぐらいがギフト用になって、後の8割が傷物で売られています。今までリンゴ農家さんは、B級品を人にあげたり捨てたり、安く売ったりしていましたが、お金にしたいという相談をずっと受けていました。リンゴは12月がメインなので、110月は売上げがないんです。そこを乗り切りたい、新規就農者が入ってきてほしい、自分の子どもはやりたがらないというのをよく聞いていましたが、ブランド価値としてはあるなと思っていて。でも、リンゴは長野と青森が強いので、そこには数では全く対抗できないと。じゃあ、差別化できるところは何だろうと。高岡や石川県でもリンゴは作っていますが、魚津の加積には100年ぐらいの歴史があって、リンゴが海外から入ってきたときに、日本中でリンゴを作りませんかと国がやったんです。手を挙げたところがいっぱいあって、青森と長野が農家として1番多く残った。魚津も残ったんです。水はけのいい、リンゴに適する地形だったので。ただ、暖かい。青森県だと、11月ぐらいに氷点下になるので、リンゴを採取しないといけないんですよ。魚津は11月はまだまだ暑いので、青森県と比べると、40日ぐらい木に成っている。甘くなる時間が長くて、完熟リンゴと言われると。リンゴの木というのは、マルワとワイカという品種があって、よくあるのは細い木にたんかが刺さっていて、それに寄りかかってリンゴが成っているのが、ワイカです。これは量産型で、約10年でリンゴができます。魚津はみずみずしさを伝えるためにも、大きい木じゃないと、おいしいリンゴはならないとずっと言われてきていて、マルワという土壌のもので、60年選手ぐらいからが本当に美味しいリンゴができてくると。リンゴ農家さんも、「俺がリンゴで食わせてもらえているのは、じいちゃんとひいじいちゃんのおかげなんや」と言われていて、今新しい木を植えられていますが、「孫がやりたいと言ったときに商売にならなかったらダメだから、今育てている。やってくれるかどうかは分からないけどね」と言われて、すごく感動したので、今りんごを使った商品を作っています。今、話しただけでも日本で戦えそうな要素があったので、やってみて、たまたま知り合った横浜のパティシエさん。金沢の辻口さんの師匠なのですが、その方に作ってもらっています。

 戦略としては、ブランドのあるところで売ろうと思って、ずっとディズニーに話していたら、たまたま引っ張ってもらえたので、今ディズニーで販売して、これから展開をしていく予定です。

 

 

ブランドを創る

 

 難しいところではありますが、知名度が上がれば商品を作っていけるし、やっていけますが、その上がり方やブランドのつけ方によっても変わってきます。

 ブランドという話が出てきたので、好きな先輩のところから引っ張ってきましたが、地域ブランドとよく言われます。ブランドとは、約束かなと思っています。11万円のラーメンは、1万円の価値を約束してくれるから1万円を払うのであって、それで満足してもらえるから次にまた来てくれるお客さんがいる。1600円のラーメンで満足して、600円の金を払ってくれるお客さんがいる。値段の問題ではなく、ビジョンという問題があって、「うちのお店はいいものを扱います」というのはビジョンです。それをお客さんに認識をしてもらって、買ってもらうと言うことは、自分たちのビジョンと一致している。それを約束として販売して続けていくというのが、ブランドの作り方かなというのを少し勉強させてもらいました。地域ブランドって、特産品なんですよね。加積りんごもそうかもしれませんが、地域で愛されているだけだと、ただの特産品だという考え方です。

 

 

必要性から発想する

 

 まちづくりの観点から考えて、グランドプラザの広さをそのまま上まで大和の敷地にしてしまったら、年間何億ぐらいとれるか。結構な床面積があると思うので、お金にはすごくなると思うんですよ。でも、富山市はそれをしなかったんですよね。なぜ、しなかったかというと、ああいう空間を街に作ることはいいはずだというところからスタートしていると思うんです。自分ニーズと社会ニーズのところで必要だと思うからやろうというところのスタートなんですよね。

 

 

他を見て発想する

 

 最近、ハワイで流行っているパンケーキです!と言って、日本に来ました。代官山で売っていますといって、金沢や富山などいろいろなところにパンケーキ屋さんがすごく増えて一瞬で消えたと思います。ああいうのが、「場所ギャップ」という仕事のやり方で、場所を変えることで価値を作っていこうと。業界というのは美容院でこういうのが流行っているから、飲食業でこういうやり方をしたらいいんじゃないかなという考え方の違いでというようなやつですね。

 僕がよくやっているのは、既存ビジネスを合わせて発想するやり方で、先ほども言いましたようにカフェとランチ、お総菜とこだわった食品、というのをやれば人が来るんじゃないかなというやり方です。

 この考え方を全部網羅できれば、まちづくりもいい方向に向かっていくはずなんですよね。これを全部やって、どこから見ても絶対大丈夫だというところまでいければ、ほぼほぼ勝てると思いますので。

 

 

街のにぎわいとは

 

 僕は、「うおづ銀座マルシェ」というものをやりました。ちょうど3年前の125日、寒い日でしたが、延べ5,000人ぐらいかな。いっぱい人が来て、ドームテントも借りて、いい形で販売ができました。クオリティで縛る形でマルシェを開催しました。ここに来れば富山県内のいいものが手に入るという名目でやったところ、これぐらい人が来るんだなというのが分かったので、すごく良かったなと思っています。この後、新幹線の効果で、いろいろなところでマルシェと付くものがいっぱい出てきました。でも、どういうコンセプトでやろうとしているのか分からないマルシェで、一緒になるのは嫌だったので、一旦僕やめました。来年度からやろうかなと思っています。それは毎月必ずやるという形で、地域の方にも「日曜にはマルシェに行こうよ」、観光の方にも「日曜だからあそこのマルシェやってるよね」という感じでやってもらえるようなマルシェを考えています。

 人がいっぱい来たら、賑わいなんですかね。というのがあります。パンマルシェには人がいっぱい来ているし、いっぱい売上げがあるし、本当にいいイベントだと思いますが、それが365日のうち何日あるか、それでどのぐらい売上げがあって、年間にならしたらどうなのというのが、経営者として考えるところなので、そこをちょっと考えなきゃいけないんじゃないのかな。

 助成金の話を少しだけします。税金を払われていると思いますが、年収400万の方だと、25%ぐらいは税金を支払われているはずです。保険や年金も含めて。これはあるところから引っ張ってきましたが、助成金と調べるだけでいっぱいサイトがあります。こういう補助金がとれますよ。補助金が取れたら、僕らにいくらで成功報酬をくれれば、書類を作ってあげますよ。というのがいっぱいありますが、下の方に小さく、「原則的に返済不要で」という素晴らしい文言が書かれている。補助金は返さなくていいよというのを前面に押し出しているホームページがたくさんありますので。補助金や助成金が悪いとは全く思っていないですが、使い方ひとつだと思うので、気をつけなきゃいけないなと。

 

 

富山の街について

 

 富山大和は、13年、14年、15年、16年の売上げだけ見ると、だんだん下がってきています。総曲輪フェリオができてからの話です。皆さんご存知だと思いますが、これからどうしていかなきゃいけないというのが、これから出てくると思います。

 ガラス美術館は、すごい美術館ですよね。今、ふらりと歩いていましたが、多分台湾の方がカメラ片手に上から下まで写真を撮られていて、観光名所になっているなという印象がすごくあります。ただ、批判されている方も結構いるんですよね。確か100億ぐらいかかっているはずなんですよね。ワンフロア10億ぐらいかかっているだろうといわれていて、それなのに入っているのが図書館と銀行。それって、どうなのという目線もあります。ただ、ここが世界有数のガラスの美術館になっていて、隈さんが設計されたことによって、気持ちのいい空間になっていて、若い方から年配の方までいっぱいおられるので、空間として、すごくいい空間だと思っています。

 日本橋にアンテナショップができました。有楽町にあったので、ひとつになるのかなと思っていましたが、別でやっています。別でやるのもお客さんが付くのでいいのかなと思いましたが、詳しい話は知りません。僕が知っているのは家賃だけです。日本橋はすごくいい場所なだけあって、家賃が年間1億ぐらいかかっています。365日で割ると、130万円ぐらいかかっています。「富山の上質なものを都会の方々に知っていただいて、富山に来てもらう機会を増やそう」というコンセプトはすごくいいのですが、企業目線で考えると、10万の家賃だったら月間100万を売らないと合わないと言われています。その計算でいくと、1300万ぐらい売らなければいけない計算になるんですよね。税金の使い方については僕がどうこう言える立場にないのですが、行政と一緒にやっていくのも民間だと思いますし、主導でやっていくのも民間だと思いますし、うまくやっている地域はあります。

 

 

おもてなしは、Sサービス

 

 飲み会では、SMかで盛り上がりますが、誰かに何かしてあげたいという能動的な人は多分まちづくりに向いているんじゃないかなと思っています。SMSの人の方がまちづくりに向いているよという話です。僕の主観になりますが、望まれるのが好きな方というのは、どちらかというと受動的な方が多いので、できればまちづくりを主導される方はSの方がいいのかなと思っています。

 

 

大野の考える街づくり

 

 自分ニーズというところから、僕はいつも物事を考えています。自分たちの街は、自分たちで楽しくすると思ってからですが、人がいっぱい来たらいいよな、自分のほしい買い物ができたらいいよな、美味しい魚が買えて安くて、ボーリング場も映画館もほしいな、気持ちいい空間があったらいいよな、すぐ近くに郵便局や市役所があったらいいな、といろいろなことを考えています。商店街に来る理由を作りたい。誰のために、というのが街の人のためにというところで、今考えているのは、氷見の市役所は市長がいい方なので面白い造り方をされて、高校のリノベーションで普通の総工費よりもだいぶん安く今の市役所を造られましたが、魚津市は全くそんなことを考えてはいなくて、すごくお金をかけたいい市役所を造ろうとしています。黒部もいい市役所ができたところです。僕がもしそう言う立場にあれば、観光課は商店街にあっていいと思うんです。国も京都に官公庁を造りました。いろいろ分散させて、今時スカイプでも何でもあるのだから、市役所にすごくお金をかけなくても、土木課は森林組合に造ればいいと思っているんです。そうしていくとコストもすごく安くなって、街の人とも交流が持てて、行政との間も少しずつ何とかならないかなと思ったりもしています。

 脱線しましたが、結局商店街がここにしかない目的地になるのが大事かなと。自分ニーズを他人に話して、それいいねといわれれば、社会ニーズがクリアになるのかなと。社会ニーズもアメリカやヨーロッパ、東京などいろいろなところでやっていること、ポートランドや岩手県とか、今いろいろあるのですが、いろいろなところで勉強をして、それのいろいろな要素を自分のところに持ってきたときに、100%コピーではなく、自分のところに合うものを探そう、それを考えることが僕らのしなければならないことで、ひとつの目線としては50年先を考えてそれを入れるかどうかを決めるというところです。

 

 

防火建築帯による街づくり

 

 魚津は、5年後に富山市を抜いて有名になる予定です。富山は空襲に遭って焼けましたが、魚津は昭和31年に大火があって商店街が焼けています。火祭りというのがあって、燃えた地域のところはお面を飾って火の用心をすることになっていますが、防火建築帯という街並みになっています。コンクリートで帯状に造ってしまえば、火を商店街で食い止められるだろうと言うことで、昭和の中期に造られた建物です。今、防火建築帯と言うものが建築学の世界では建築誌に出てくるぐらい名前が通っている物になります。これを過去の遺産としてきちんと保存をして使っていけば、建築の方では特異性が出てきたということで、神奈川大学の防火建築帯の専門の先生に話をしたら、学生に来てもらって調査をしてもらいました。僕が今いるのは、中央通りという商店街です。学生たちがこういうふうに街を残して、防火建築帯を残していけば、すごく面白い街になるんじゃないかということで、街ぐるみのビジョンを今描いてもらっています。真ん中は車1台が通れるようになって、緑が植えられていて、ホテルも造られていて、屋上がつながっている面白い地域で、建物の一つひとつは地権者の持ち物ですが、屋上は真っ平らになっていて隔たりなくつながっています。そこをキャンプできるようにしようかなという話もあって、今年1回商店街のど真ん中でキャンプを開催する企画をしています。温泉もあってと、すごく自由な発想でいろいろやってもらっていまして、大きな模型もあります。それを元に街をこうしていこうという案が出てきています。防火建築帯を生かしたまちづくりというのは、日本では今のところ例はありません。1番古い鳥取、沼津は、壊されることが決定しました。4大防火建築帯というのがあるらしく、鳥取が1番古く、沼津、あと横浜の関大の方にも防火建築帯は多いです。そして、もう1つが魚津です。氷見にもありますが、ばらついているので、防火建築帯としては離れています。魚津は一体感のあるところということで、面白いということになっています。屋上に菜園があったり、学生の話でいくと何億かかるんだという。現実的なところはちゃんとしていかないといけませんが、生き残る方法として面白いなということで、今考えていることのひとつです。

 

 

朝市の構想

 

 今、僕の頭の中にあるものをご紹介します。魚津の商店街で今、朝市をやっています。朝10時半からやっていますが、おばあちゃんたちが臨戦態勢で紐の貼られた向こう側におばあちゃんたちがずっと待っているという状態で、オープンしたらワーッと行く。滞在時間が約10分です。1045分には誰もいなくなるというような朝市で、地元の新鮮な野菜が安く買えるので皆さん来られていて、もう5年以上やっています。うちのお店としてもお総菜を少し提供しているのですが、その15分で約2万円の売上げがあります。15分のためにやるのが大変でいろいろ考えていましたが、僕のカレンダーの色別になっているところが同じエリアです。1店舗で30分で23万円稼げるので、1区画で約15万は売上げがあります。2回行けばいいかなと思って。今、買い物弱者という課題をテーマに、今この話をしているのですが、朝市のエリアを毎日2箇所行きます。12に行った後に、御用聞きといいまして、サザエさんの三河やさんのサブちゃんみたいな感覚なのですが、米などの御用聞きもそこでします。参考にしたのは、天下のアマゾンさんのアマゾンパントリーです。規格の箱の中に詰められる分だけであれば、無料で発送するサービスなんです。魚津でも、この箱の中だったら毎日持っていきますよという形ができるんじゃないかなと思い、酒屋さんと交渉をしまして、話を聞いたら毎日魚津市内を回っていると。誰もいなかったら、外に箱ごと置いてくると言っていたので、ヨシケイの冷凍のボックスと一緒だなと思って、これは使えるなと思ったので、アマゾンパントリー、アマゾンダッシュですね。注文書を持っていて、朝市の時に聞いて、13時から配送します。火曜日は34のエリアに行って配送します。56のエリアは水曜に行きます。週2回というのを繰り返していくと、基本的に1015万円ずつ売上げがあるので、130万ずつをこうやって繰り返していくと、藤吉をやっている場合じゃないのかなというぐらいの売上げに。これはアイデアなのであれなのですが、多分どこの街でもやろうと思えば、できると思うんです。軽四にいい野菜と魚を積んで、そこに行く。公民館とかがいいと思うんです。人が集まってくるところに話をして、毎週粉の時間に来るからという話をする。それをカバーするのに御用聞きという形で、重いものを後から運ぶというサービスもする。スーパーに行かなくなるような仕組みをこっちで作るというのも考えています。プラスで面白いのが、昔、魚の行商というのがありました。おばあちゃんが魚を担いで山まで持って行って、山で売るんですよね。で、山で何をしてくるかというと、野菜を仕入れるんです。今度は、海で野菜を売るんです。そういうのをずっと続けているおばあちゃんが数人いるはずなんですけど、そういうのが今できるんじゃないかなと思って、農協さんと話しながら、これに組み合わせようかなと思っています。

 

 

まちに泊まろう

 

 アルベルゴディフーゾという、空き家問題があります。空き家対策が昨今良くいわれるようになって、ゲストハウスや何やらという話がありますが、ホテルというのはそこに区画があってそこに泊まっていくという感覚ですが、これは街の至る所に泊まるところがあるという感覚です。どこかに受付があって、いろいろなところに泊まるところがあって、鍵だけもらえる。商店街に受付があって、空き家。東京で住まいをしているけど、家はあって、でも家は仏壇があるから手放したくない、きれいにしておきたいという方がおられます。年間1万円で、家を掃除しておきますという契約をして、家を借ります。それをゲストハウスにします。沖縄でコンドミニマムというのがあって、貸別荘のような形で、人がそこに泊まったら500円のキャッシュバックがあるという形をとります。そういうのがスタートできると、家賃がかからない、貸す人もお金が入る、ゲストハウスとして使えるというのができれば、お金をかけずに空き家のゲストハウスという問題も解決できそうだなと。旅館業法などいろいろな問題があるので、今これをやっている最中です。

 

 講演会が初めてということもあり、まくし立てるように話して申し訳ありませんでした。僕が今、考えているのは、誰のために何をするか。それを何をするにも考えるようにしています。ここで講演会をすることが決まったときに、1番最初にしたことは、GPネットワークのことを調べて見ました。ここにおられる方々のためになることを1つでも話すことができないと、ここに居る意味がないのかなと思って、僕の考えていることのひとつでも面白いなと思ってもらえたら幸いです。誰のために何をするか、というのを胸に秘めて持ち帰っていただけたら幸いです。ありがとうございました。

 

 

《質疑応答》

−同世代の質問として、その商店街には同世代の方が多くないというのは想像できますが、これから50年先を見据えて一緒に活動していく仲間を今、魚津・新川エリアにどのぐらいのネットワークを作っているのか教えてください。

 

大野さん 経営者の中でも、食という分野でも、農業の分野でも結構いろいろなつながりがあって、僕が全部できる限りやりたいと思ってやっています。JCにもいい先輩方がおられて、街のためというのを多角的な目線から。ひとつは、僕、59年生まれなのですが、59年生まれ組の飲食店経営者2人、設計士の男の子が1人、家具職人が1人、富山市職員が1人、同級生でいまして、みんな魚津で起業をしています。この同世代の人間で、魚津に新しいホテルを作ろうという話があって、そういうものをやろうとしていますし、農家の方は農協はできるところとできないところがあるので、若手で農業を頑張って販売促進しようという会社を作ろうという形で今やっていまして、そこは若手ではありませんが、40歳ぐらいが2人と30代と僕、リンゴ農家が3人、ブルーベリーが1人、梨が1人という形でプロジェクトとして動いています。後、お米関係の果樹じゃない農家さんで、27歳ぐらいの若手で六本木やDデパートメントにもお米を納めている子が1人いて、東京でいろいろ販売されている方もいて、黒部にこだわってお米を作られている方がいて、という形で農家のつながりもあったりして、森林組合もあるし、漁協関係も楽しくなってきているし、という形で、同世代という形では結構みんな交わってはいないんですよね。スポットスポットで合わせるのが僕の仕事かなと思っています。

 

 

−質問は2つありまして、2つはマルシェなどのイベントを仕掛けられていて来年もやりたいといわれていましたが、今は魚津中央通りのお店を拠点に活動されていると思いますけれども、例えばそれがもっと広域になった場合、地域や他の商店街だったり、合同でされるイベントもあるんですよね? その場合、このGPネットワークみたいな団体やまちづくりとやまという第3セクターがありますが、そういうような団体がないというときに広域をまとめるやり方として、実行委員会のような形をとっているのか、商工会議所が音頭をとっているのか、まとめ役のやり方をどうしているのか聞きたいです。

 

 まとめ役は、基本的にいません。マルシェのコンセプト作りを行政にお願いしてしまうと、行政や商工会議所のつながりになってしまうので、クオリティが分からないまま集められるので、自分が知り合って「面白い」「これはすごい」と思った方々を中心に呼んでいます。マルシェは僕の要領の悪さが原因で、2週間ぐらい前までお店が決まっていませんでしたが、電話を直接かけて参加してもらいました。あと、実行委員会というのは実態がないんですよ。なので、責任感がすごく曖昧な感じになるんですよね。誰かが名前を公表しているのであればまた違うのかもしれませんが、この人が責任を持ってやりますというのが見えた方がいいのかなと思っているので、実行委員会というやり方もそんなに好きではないです。

 

 

魚津の頑張られている方から見て、富山市のまちづくりの印象を率直に教えてください。

 

 まちづくりという観点が人によって違うので、何とも言えないところがあるのですが、お金があるなという印象しかないです。きらりを建てるお金が、魚津の商店街にもらえるのであれば、さっきの日本に1つしかない防火建築帯を使った商業施設兼住宅は余裕で作れるんですよね。富山市と魚津市は人口比率も違うし、人口が違えば税金のかけ方も違ってくるので、それは批判とかではありませんが、難しいなというのはすごく見えます。今、ユータウンができ、再開発のマンションも建っていきますよね。悪いことではないと思いますが、マンションが建って1番最初に入居されたのは朝日町や入善町、砺波市の雪の日が大変で子どものいない年配の方が自分の家を売って富山市に来たという話を結構聞いていたので、歩いて行ける範囲で事が済むのでそういうのもいいよねというのももちろんありますが、何のためにここを再開発しているのかというのを、いろいろな目線から明確にしていくと答えがもっと出やすくなるんだろうなと思って見ています。単純に羨ましいなというのが1番ですね。

 

 

まちづくりは1人ではできないので、一緒にやる仲間を作っていかなければいけないと思いますが、例えば退職をしたような人たちが、もう1度地域に戻って頑張ろうという人もいらっしゃるなと最近思っているのですが、そういう人たちが何をしたらいいのか分からなくなっている雰囲気が見えるんですね。どうやって自分の思いを人に伝える機会を作ったりされているか、どうやって仲間を作られているか、というのをお聞きしたいのですが。

 

 僕の交友関係って、広く浅く、所々深くという感じです。いろいろな方と知り合いになって面白い話もいっぱいして、交友関係が広がっていきますが、本当に何かを一緒にしようというときは深い人間としかやらないので、多分友達が少ないんだと思うんですよね。ディズニーの話に関しても、本当に運だけで生きているなと思っていて、仲間づくりというのをやろうと思ってやっていないというのはあります。何かをしようと思って追求していって、1個のプロジェクトをしようと思ったときに集まってきてくれた人たちが仲間で、それに応じてチームが違うので、目的があってそれに合うベクトルの人たちがたまたま集まってきているという考え方なのかなと。とりあえず集まってみようというのはあまりないですね。

 

 

−質問ではなく、感想でもいいですか。私、常々、魚津が好きといっているじゃないですか。東京や富山の駅前で富山をPRしなきゃいけないという仕事に携わってきた私が、なぜ魚津が好きかというと、富山は外向きにいいことを一生懸命やっているのを感じていますが、魚津に行くと暮らしている人の臭いがするというか、富山では感じないものを感じるんです。私の勝手な思いでいうと、お金をかけずにやってる感がいいなと思っているんですよ。建物を建てたり、何かを整備したり、新しいことをやっているということよりも、魚津変わらないで!というところがすごく好きなんですね。いつも魚津に行って感じるのは、魚津って人がいいじゃないですか。美味しいものが好きで、美味しいものを人にもっと教えたいという人が多いなと、いつも感じているんですよ。マルシェに関わったときも、魚津の人たちはお金の使い方が違うと思ったんですね。富山とは全然違って、人が美味しいよと勧めたものに対して、あなたが美味しいというなら買うわという決断がすごく早い。買って美味しかったら、私美味しいもの見つけたのよと、人に言いたいんだろうなというのがすごく伝わったんですよ。小さいお店がいっぱいあるじゃないですか。魚津のいいところを教えてくれる人が多い。大野さんも教えてくれるじゃないですか。それはやっぱりディープで面白いところで。そういうふうにサラサラといいところを教えてくれるのが魚津で、それはちょっと富山と違うなと思っています。そういうものの結集って大事じゃないかなと思っていて、それこそ魚津の商材だと思っていて。それをどう伝えていくかというのもあって、今商店街を活性したいということで商店街にいらして、アンケートの結果で商店街がなくなってほしくない理由の寂しいは、金にならんわと。その寂しいと答えた人たちって、昔賑わっていた思い出があって答えた人たちなんじゃないかなと思って。じゃあ、今賑わっていない中で育っている子どもたちって、大人になった時にどうなんだろうと思って。なので、商店街もそうなのですが、商店街の周りを取り巻いている小さな商店さんたちが、あそこの何々が美味しいとか、あそこに面白いモノがあるとかが今残っているじゃないですか。そういうのが集まった魚津の面白い人たちと回れる商店街になったらいいなと思っています。魚津に遊びに行きたいのは、まだまだ面白いのかもしれないと思っていて。外からの人たちにもっと来てもらえる、そういう意味もあるんじゃないかなと思っていて、外の人たちが自然によっていくんじゃないかなと思っていて。魚津の人たちが魚津の人たちのためにやっていることから派生して、私たちみたいな人も来るということを意識してやっていただけたらいいなと思っております。

 

 ありがとうございます。今のお話にもありましたが、ひとつは観光というのも、賑わいのキーワードになってきますが、自分たちのいいなと思っている暮らしがそのまま観光になってくると最上だと思うんです。観光地にはお土産物屋さんがあると思いますが、どこに行っても同じものを売っていると思いませんか。観光地で買うものと、魚津なら魚津の人たちが好きな物を買うというのは、今後付加価値を買いたいと思って来る世代が、これから絶対に来ます。なので、まず自分たちのいいものをもっと発信していって、それをいいと思ってくれる人たちを増やすというのが、僕らの目指すべきところなんだろうなと。あと、今はモノじゃなくて、コトで売るみたいな話がようやくいろいろなところで出てきていて、次はヒトで売るところにくると思っています。この人がいい、この人が美味しいといっているものに共感することによって、モノを買うということに、次なってくると思います。今、ネットではうまくいっていませんが、キュレーションサイトという、有名なブロガーがみたいなのがそうなのですが、それのリアルバージョンがくると思っています。昭和初期のいい時代の話がまた戻ってくるんだろうなというのは実感として感じる部分はあるので、そういうものを商店街で表現できたらと

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