レポート

まちづくりセミナー2016

第三回講演録 講師 鈴木輝隆氏

2016/07/25 

2016年まちづくりセミナー第3回講演録

平成28年2月27日(土) 

TOYAMAキラリ 図書館セミナールーム

主催 NPO法人GPネットワーク

 

「地域に磨きをかける。ローカルデザインの取組」

講師  江戸川大学社会学部現代社会学科  鈴木 輝隆氏 

 

八尾町の吉田桂介さんのこと

こんにちは、鈴木です。よろしくお願いします。私も大懸さんから発見されて嬉しかったです。この本(「みつばち鈴木先生-ローカルデザインと人のつながり」)は、桂樹舎の吉田桂介さんの本を作りたいという思いがあり、1/3くらいが桂介さんのことを書いているのです。僕が30年以上前に桂介さんにお会いしたのは、桂樹舎の建物が作られてすぐの時でした。それから桂介さんを師と仰ぎ、富山に何回か来ました。

 

デザイナーの原研哉さんや、ここ(TOYAMAキラリ)を設計した隈研吾さんが、今、日本で会わなきゃならない人は誰だということで、原さん、隈さん、デザイナーの梅原真さんを連れて、桂介さんのところに来て、それ以後、原さんもずいぶん通うようになるわけですね。その影響を受けて、ナガオカケンメイさんも行ったようです。吉田桂介さんは99歳で亡くなられてしまいましたが、遺言めいたこともあって、桂介さんが持っているモノは素晴らしい、本当に世界に誇れるものではないかと先ほど話をしておりました。

 

ジャパンハウスと日本人の美意識

ここ秋田県の乳頭温泉鶴の湯は、原研哉さんや梅原真さんと、毎年冬に行っております。昨日、原研哉さんと隈研吾さんからメールが入ってまして、二人はなんとサンパウロに一緒にいるんですね。僕が「ちょっと調子が悪いな。」と言ったら、「温泉で悪いことやったんじゃないか。」ってことが返ってきたりしていました。

 

サンパウロの話は、みなさん知っていますか?ジャパンハウスと言って、今、外務省が500億円かけて、ロンドンとロサンゼルス、サンパウロにワンストップで日本が分かる日本を紹介する施設です。カフェやレストランもあって商品も置くというようなことを昨年の7月くらいから始めたのです。そこにどういったモノを並べるかという相談もあったのです。それから、『伝統の未来』という銀座松屋の7階のギャラリーで行う展示会の相談もあって、伝統がこれからどういう価値を生み出すかということ、手仕事の話も出たのです。

 

今言っているのは『日本の美意識』、『日本人の美意識』、『伝統的な工芸』とかですね、伝統と言ってもいいと思います。30年経っている(富山の)ガラス工芸にしても、未来の遺産になっていくというような話なんです。

 

今年の123日に、日本観光研究学会、観光では一番大きな学会なのですが、江戸川大学で全国集会をやります。日本人の美意識は観光資源であると、原研哉さん隈研吾さんには基調講演をしていただきます。シンポジウムでは、女流義太夫の三味線奏者の鶴澤寛也さんにも入ってもらって、『日本人の美意識』を議論していきます。

 

デザイナーと知り合ったころ

原さんとか隈さんには、彼らが30歳代の時にお会いしました。当時は今ほどは有名ではなかったのです。梅原さんと知り合ったのも同じころです。今は、若い2030代のデザイナーとも一緒に地域を歩いています。原研哉さんたちが30代のころに会って、「あ、こういう人の力を借りたら、日本はもっと面白くなるな。日本はもっと素敵になる。」ということを直感的に感じたのです。

 

原さんとお会いしたのは、職人についての勉強会を資生堂でやっていたのです。平成7年、『日本の職人』を一緒に勉強していたのです。例えば、江戸鍛冶なんて1人しかいなかった。京都の染織家の吉岡幸雄さんは、吉田桂介さんも知っていた人です。原さんが隣にいて、日本は伝統を活かしていけばどうなるかなど、論じ合っていました。それで、原さんが銀座に自分の事務所があるから、「帰りに来るかい?」といいますので、「あ、この人の力を借りれば伝統は新しい表現にできるな。」と思ったわけです。

 

隈研吾さんとは、恵比寿ガーデンプレイス近くの日仏会館でお会いしたのが、はじめての出会いです。食事しながら、「東京で仕事がないから地方に連れてってよ。」と言われて、その後一緒に旅に出るのです

 

吉田桂介さんは人生の師

そんな出会いから、隈さんや原さん、梅原さんと、ローカルを魅力的にするということを20年以上、旅に出たりしています。そこには原点として吉田桂介さんがいるわけですね。桂介さんは、「覗いても覗いても底の見えない人間になりなさい。」と、言ったことがあります。それから、人生にとって師は必要だと言われました。これは『ろーかるでざいんのおと』という本、2005年に、そのことも書いたのです。人生には師がいれば、「自分が困ったとき、先生だったらどう考えるだろうなと思って判断すれば間違いはない。」と話しました。

 

桂介さんが国内外から美意識で集めたモノがある民俗館に、我々が寝泊まりしながら、話を聞いていた。今から10年以上前のことです。富山が好きになったというのは、奥深いことに気づかせてくれた、桂介さんのような方がおらたことが原点になっています。

 

地域×デザイン

今年の正月に、全国の地方紙に『デザインと農業』という記事が出ました。これは秋田ですが、あと高知と山形、山梨の新聞に出ました。デザインのこと、四万十ドラマとか梅原さん、私が出ているんですが、ローカルにデザインを取り入れていく時代となっています。デザインによって地域に磨きをかけていくことが増えています。

 

『地域×デザイン』も、218日から始まって、36日まで東京ミッドタウンのデザイン・ハブで行っています。お渡ししました資料に書いてありますように、世界が憧れる町が、地域の目標になって来ているんじゃないか。

 

今、インバウンドでたくさん人が来ていますが、報道で爆買いなんてことを言っているのですが、昨年お手伝いをした調査、北海道には日本のインバウンドの1割が来ています。外国の人を招いて、北海道の歴史や文化の旅のモニター旅行を調査したのです。結果、『歴史と文化の旅』が外国の人から評価を受けたのですね。

 

地域×デザインについてです。皆さんの手元(リーフレット)にある清里の焼酎は2倍近くの売れ行きになり、人気があります。清里というと、山梨県の清里と思いますが、北海道にも清里町があるんです。私とデザイナー3人、それからカメラマンやコピーライターも一緒にやっています。ほかにも一緒に行きたい人たちがいれば連れて行きます。例えば29日、明後日のNHKU-29の番組がありますが、谷川ももこさんが出ます。対馬では鹿が1年に約一万頭捕獲されます。柵を作って電流を流していかないと、畑や田んぼは粗されて、農業はできません。彼女は28歳の獣医さんで、狩猟の免許を取り、鹿肉を使って、ハムやソーセージを作る会社を立ち上げます。彼女は私についてきて、内子町にも7来ています。それは商品を作るだけでなくて、デザインを勉強しなきゃということで訪ねてきました。皮もイタリアまで行って学んで加工品を作るということをしています。また3月7日に岩手県八幡平市に彼女と行き、若い人を励ましに行く予定です。

 

イメージが大事

私が40年近く地域を歩いてきて分かったことは、「イメージの貧しい地域や組織は生き残れない。」です。イメージはとても大事です。ステレオタイプとは「思考の節約」ということなのですね。社会心理学のリップマンが、ステレオタイプは「相手を一瞬で判断するために便利。世界を単純化して捉えるということができる。」ということです。人間の脳というのは、一瞬にして物事を捉えようと「思考を節約する」のです。例えば縄を投げられたら、それが蛇か縄かということを判断しなければ危ないわけですから、一瞬にして物事を判断してしまう。人間の脳は思考を節約するようにできているのです。若い人の脳はもっと判断を早くしようという方向に進化しているそうです。血液型が、AB型、B型、A型、O型だから、「あの人はこうした性格の人だ!」と言ってしまうわけですね。また何県だ、富山県人はこうだとか、北海道だとこうだとか、ひどくなると差別や偏見になります。リップマンは、ステレオタイプで固定化したイメージで捉えるように、人間の脳ができているということを証明したのです。

 

私が大学時代に読んでいたブーアスティンの本「幻影の時代」ですが、「旅行者は現実によってイメージを確かめるのではなく、イメージによって現実を確かめるために旅行する。」と言っています。自分たちにまずイメージがあって、イメージを確認しに旅行に出かける。イメージに人間が左右されやすいということ。いい悪いは別として、人間はそのように思考してしまうのです。忙しい人ほど「A4一枚で持ってこい。」とか、一瞬にしてイメージで捉えてしまう。集団のイメージというものがブランドになっている。地域ブランドはイメージの確認や思考の節約から生まれてくる。イメージやデザインが重要であることは、人間の脳が早く判断しようとするからです。

 

大学もみんな平成生まれ、デジタル世代、Z世代と言われています。そういう人たちは生まれたときからインターネットが存在し、脳は視覚や映像にさらされている。だから、一層、イメージというものに左右されるようになってきています。

 

みつばち先生「鈴木輝隆展」

松屋銀座のデザインコミッティーが主催で、みつばち先生「鈴木輝隆展」を、原研哉さんやナガオカケンメイさんたちが中心になってしてくれました。2012年のことで、その時のことは「みつばち鈴木輝隆先生」の本に記録されています。

 

大懸さんも公務員ですが、私も16年前は山梨県庁にいて、人事異動が3年ぐらいであると、「また変わっちゃったの?一貫性がないじゃないか。」となんて言われちゃうわけです。富山市にいても、富山市の仕事だけやっているわけでなく、全国できれば世界を知っていないとだめだということを、30年ぐらい前に思っていました。だから、全国いろんな地域を知って、自分の住んでいる地域はどうなんだろうと考えるわけです。

 

人間にはアンカー(いかり、頼みの綱、固定する)があるんです。富山にアンカーがあるにしても、そこだけにとらわれてしまうと、発想に自由度がなくなり、地域の本質や良さを見ることができないと感じていました。そこで全国いろんな地域を、いい町やいい人がいると、フットワークが良くずっと歩いて来たわけです。人間はいい経験したり、いいものを見たり、いい人に会わないと自分のアンカーも良くなりません。だから、いいものを見なきゃだめだし、いい経験をしてなければ、どんないいことを語っても、感動は伝わらない、共感は得られません。

 

みつばち先生「鈴木輝隆展」は、約1ヶ月、松屋銀座のデザインコミッティーの7階の会場で、サロントークもしました。「地域には個性や文化があり、理想を持つ土地の人がいるけれども、思いはあってもカタチにすることはなかなかできない。土地の人の思いや個性をカタチにできる優れたデザイナーが必要です。地域とデザインの関係に気がついて30年になります。地域が生み出した独自のデザインは、情報や形となって人々に伝わり、経済を生み出し、文化となって地域の歴史に残ります。真のクリエイティブは地域に新しい価値を生み出し、人びとに勇気を与え、ヒト・コト・モノに生命を蘇らせる再生力となります。伝統とは革新の連続であり、土地の力を覚醒させる遺伝子が伝統にあります。土地の人にデザイナーを受粉し、地域の根源となるカタチが生まれることを楽しみにして、いまも歩いています。

 

山梨のデザイナーを誘って、長野県でゼミ合宿に参加してもらったら、いままで以上に張り切ったのです。これまでにはない新しい視点から見たり、考え方も鋭くなり、デザインも尖っていました。東京のデザイナーだけではなく、ローカルのデザイナーも、世界中のものをデザインしたらいいし、世界中からデザイナーがきて、地域に刺激を与えてもらえばいい、基本的にはそういう考え方を持っています。

 

北海道むかわ町のたんぽぽのお酒です。たんぽぽ畑があって、その花でお酒を作る。それをお手伝いしたのが、原研哉さんです。自分で宣言して、たんぽぽのお酒のデザインをしますと、住民のみなさんに宣言してしまいました。

 

乳頭温泉鶴の湯、秘湯を守る会のワインを、梅原真さんにデザインしてもらったのです。毎年、原研哉さんや梅原真さんと行って、佐藤和志(鶴の湯温泉代表取締役)さんと話します。一泊二食付で1万円、すごく料理もよくて、稼働率は99%ぐらいですから、なかなか予約が取れません。山の中の1軒宿で、世界の人が感動する宿をやっています。いつも佐藤さんにお世話になるから、「お礼に何かしたい」と言ったら、いいもの見たい、いい経験したいと言われたのです。「じゃあ、桂離宮へ行こう」と、京都の俵屋に泊まって、桂離宮や修学院離宮を見るなど、いい体験し、いろいろなことを議論しています。この宿には、隈研吾さんも連れて行ったら、佐藤さんが、スキー所のある山に、スイスのような登山列車を走らせたいという夢を隈さんに語り、絵にしてもらったこともあります。それはまだ実現していません。

 

隈研吾さんが設計したサントリーの美術館の和紙は、新潟県柏崎市高柳町の小林康生さんの漉いた紙です。日本酒の久保田のラベルの和紙を漉いている人です。久保田の製造量は一升瓶で年間約360万本かな。だからラベルの紙漉きで、50人ぐらい人が雇えるです。その和紙をサントリーの美術館にも使ったりしているのです。

 

これは今も募集していますが、住まいとコミュニティづくりに、ハウジングアンドコミュニティ財団が100%助成し、最高200万円まで出します。富山県の方も何人か申請しています。アートチャレンジ氷見もそうです。その助成金の審査委員長もしています。その活動の報告書は地域で頑張っている人が、冊子のデザインが良いと、誇りをもったり自慢ができ、次の活動の展開の時にも使える、捨てられない報告書を作りました。アイデアはダンボールの表紙のデザインですが、デザイナーの梅原真さんにしていただきました。今ちょっと変わりました。「捨てられない報告書を作る」、ただダンボール紙をつけただけですね。

 

私は離島や半島に関する国の国土審議会の委員もしています。半島というのは三方が海に囲まれた地域で、半島振興法というのがあり、24箇所あります。半島展を東京でデビューするときに、イメージが大切で、半島というカテゴリーを覚醒させるには、デザインが必要だと提言したのです。ポスターや報告書、パンフレットのデザインを考え、チラシは三方が開いてて、一方が糊で閉じてあったりするんです。デザインによって半島への認識を深めてもらい、半島がいかに大切か、魅力があるということを伝えたりしました。

 

小布施は人口が11,000人で、120万の来訪者がいます。小布施堂には白金(はっきん)というお酒が江戸時代にあったのです。それを原研哉さんが新しくデザインし、ステンレスのボトルに中にガラスがコーティングしてあります。この器だけで6,000円かかるのです。お酒は桶で作ったもので、1万円で売っています。引き出物に使われたりしています。今、フランスでは、ステンレスではなくガラスを作って、同じデザインで小さくした器て香水を売っています。このようなことをして小布施の町とは30年以上お手伝いしています。

 

これは山梨県の韮崎市穂坂町の農家のワインとおいしいフルーツのジャムです。果物の産地でありますが、加工品を持っていない。六次産業化を図りたいとデザインしたのです。穂坂地区のお百姓さんのワインで、イタリアの赤の発泡酒のランボルスコを目指して、農家のワインを作りました。また農家が作ったビジュード穂坂という宝石のようなジャム、煮込み過ぎず、色の美しいジャムを作り、それまでは400個くらいしか売れなかったのですが、今は2万個以上売れています。デザイナーの三木俊一さんとしました。

 

山梨県甲州市勝沼町の中央葡萄酒、世界のワインコンクールで優勝しています。社長の三澤茂計さんと作ったワインで、ラベルのデザインは原研哉さんです。勝沼には30軒のワイナリーがあるのです。世界でこんな小さな地域に、ワイナリーが集積した産地はないのです。日本のワインは12,000円以上で売らないと経営が成り立たないのです。日本のスーパーでは、海外のワインを300円とか500円で売っている中で、2,000円で売っていかねばなりません。ワインの原料の甲州ぶどうは1300年以上の歴史があり、ワインは146年の歴史があります。中央葡萄酒は93年の歴史を持ったワイナリーです。ラベルの文字は、原さんのお母さんが書道家で、これを書いてくれたそうです。

 

東京でお披露目会をした時のことです。レストランのオーナーから、ワインに日本語で書いてあると安く思われちゃうから全部フランス語にしてくれと言われたことがありました。しかし日本語を変えませんでした。今は世界のワイン評論家がこのラベルを評価しています。私がこのワインを、パリ国立大学の学長のところへ持っていったら、フランスの高価なワインと交換してくれました。今ではワインの品質も世界のワイン評論家に認められて、そしてワインのラベルというのは文化だから、このワインを真似なさいと言われています。この甲州ぶどうは1000年以上の歴史を持っているので、ヨーロッパでも作っているのです。なぜかというと化学肥料も農薬も使わずに、ワイン用ぶどうが作れるからで、その遺伝子が評価されているのです。これまで山梨のワインは富士山の写真があったり、ぶどうの絵があったり、金銀を使って高く見せたりしたりしていました。はじめ中央葡萄酒のワインのラベルのデザインは寂しすぎると言われたのですけど、今では日本の文化を表現しているということで評判になっています。

 

「デザインとは掃除することとか掃き清めるということ」をのちほど話します。京都の銀閣寺など日本庭園は掃き清めて300年とか1000年になります。掃き清めた京都の庭とか建物は、日本人の美意識で、ラベルはこの精神を表現しているのです。

 

鹿児島県霧島市の天空の森です。今や有名なJR九州の七つ星の宿泊施設です。34日で100万円以上金を出す人はここに1泊目は泊まれる。天空の森の宿泊費は1120万で話題を呼んでます。オーナーである田島健さんとは、30年以上の付き合いがあります。

 

鹿児島県の種子島というのは波が非常によくて、サーファーが300人以上住んでいます。サーファーの仕事を考えられないかと言われ、米を作ってはどうかと提案して始まりました。種子島って6月には米ができ、やる気なら三期作くらいできるわけです。一番まずい米なんて言ってたのですが、サーファーがお米を作って「サーファー米」って売り出したら、美味しい米だとテレビなどで評判になりました。私が名前を付け、2合入って五百円で販売しています。デザインは梅原真さんです。

このように地域とデザイナーをつなぎ、原研哉さんや梅原真さん、隈研吾さんを連れて、地域の人達と遊んでいます。

 

これはサロントークです。小布施堂の市村次夫さんとナカオカケンメイさん、これは隈研吾さん、小林康生さんという新潟県柏崎市高柳町で和紙を梳いている人、茅葺きの環状集落を守っている春日俊雄さんです。梅原真さんと乳頭温泉鶴の湯の佐藤和志さん、原研哉さんと勝沼の三澤茂計さんです。

今年の101日にノーベル賞を授与された大村博士と一緒に、三澤さんと原さんと私で、北海道、東北、甲信越、関東のテレビ局の勉強会としてのシンポジウムで、ローカルデザインの話をします。

 

資源家と愛媛県内子町石畳

富山のデザイナーが北海道のデザインしたりすることは面白いです。地域の人は地域に対する思い込みがあって、イメージがちゃんとできています。だけど、新しい視点や新しい物の見方、サプライズがないと人も地域も活性化しないのですね。

「世界の人が憧れる町と資源家」の原稿のコピーを見てください。資源家というのは、”地域にあるものをデザインして資源にする人のことを資源家”といいます。僕がやっているってことを原(研哉)さんがそう言ってくれました。私がやっているのは資源家かと思って、それを名乗っています。デザイナーなどクリエイティブな人と一緒に地域にある可能性のあるものを魅力的にしていく、磨いていく地域クリエイターだと思っています。富山県のクリエイターの人が、違った場所で、違う視点に立つことも必要じゃないかなと思います。

 

愛媛県内子町石畳地区に2ヶ月に1回くらい行っています。若い30代のデザイナーの高田唯さん、コピーライターの小宮由美子さん、虎屋(とらや)のコピーの仕事をやっている人、カメラマンの井上佐由紀さんも連れて行って、地域の価値を育てる仕事をしています。石畳は人口が311人で、高齢化率が49%を超えています。物事を多数決で決めないというのを20年以上やっているのです。一人でもやる気があったら、その可能性を応援する。住民とクリエイターが刺激し合って、一緒にクリエイティブを楽しむ。多数決で決めない地域ということを僕は初めて聞きました。多数決で決めれば、やるかやらないかです。一人でもやる気があるという人がいたら、言った人が中心になり、みんながお手伝いすることは覚悟もあり楽しいです。

 

すごく面白くなってきて、外務省が進めている“ジャパンハウス”に、お茶炭“菊丸”を飾ってくださいと原研哉さんにお願いしています。菊丸を内子の大洲和紙で包んで、1個500円で販売したら、外国の人がまとめ買いしたのです。買った理由が燃料じゃないのですよ。美術品として買ったから安すぎるというのです。驚きました。お茶炭を外国の人は美術品だと感じたのです。そういうふうに美しくデザインしていけば外国の人も買っていったり、これは美術品ですよと差し上げることもできます。この炭焼きの人は新潟出身の人で、移住者です。自分のような炭焼きの仕事をやりたい移住者を募集と、今日、東京でしています。その人がその地域に住み着いた理由は、見返りを求めない地域だらかです。石畳に行くと驚くぐらい見返りを求めず、地域力、みんなが助け合っていく優しい力があります。彼が炭焼きをしている写真を使ってポスターを作って、伝統を新しく表現しています。彼はアーティストであり、芸術家であるということを、デザイナーと一緒にやったらデザインしたら、外国の人がまとめ買いして、こんな素敵な物を安く買えたと喜んだということがあるのです。

 

青森県鰺ヶ沢町でのゼミ合宿

ゼミ合宿に、「ゼミ合宿に来てください。」ということで行きました。昨日も打合せをしたのです。スイカやメロンの産地で、スイカは運ぶ時に人は5mぐらい離れて、スイカを投げ続けてトラックの上に乗せるのです。その写真を撮りました。鰺ヶ沢町の農産物を東京で売るときのポスターがほしいと言われんました。学生だけでは評判になるものはできません。プロのカメラマンやコピーライター、デザイナーも一緒に行ったのです。ゼミ学生も加わり、みんなで作ったのが、「世界自然遺産はおいしい」のポスターです。世界自然遺産は日本には3つあるのです。屋久島と知床と、この白神山地です。世界自然遺産から出てくる水を使った農水産物はおいしいです。「世界遺産はおいしい。」と、夫婦で手をつないでもらったりして写真を撮りました。「30年ぶりだ~。」なんて奥さん喜んでいました。スイカを投げて運んでいるところです。これは奥さんが傍にいなかったから、男同士です。これは長谷川自然農場です。普通の豚は生後6ヶ月で出荷なのですが、ここは残飯や規格外の農産物を食べさせ、10ヶ月間育てて、その肉は東京のレストランでも使われたりいます。かつてはたばこ農家だったのですが、農薬使うので奥さんが身体が弱っちゃったから、自然農法でやろうってことで、鶏を飼うことにしました。鶏の餌の野菜を作るために、豚を飼ってたい肥を作っています。

 

鰺ヶ沢町でタウンプロモーションが欲しいということで、世界自然遺産に負けるもんかを方言にしてコピー「世界自然遺産に負げらいね」を作りました。この町では特徴的なものが少ないので、地域の人ひとり一人が応援していこうと考えました。ポスターサイズの印刷物を封筒サイズに畳み、シールを貼って、これをパンフレットとして渡します。広げればポスターになるのです。今ここは、ふるさと納税で7,000万円寄付されています。今年も増えているのです。4,000人ぐらいからあるから、今度ふるさと納税特集号を作って、新しい産物を作って、「ふるさと納税したらこれがもらえますよ。」ということをやり宣伝しようという話も出ています。このパンフレットは、「ふるさとパンフレット大賞」の選考委員長が南伸坊さんで、選考委員長を受賞しました。「広げれば新聞スタイルで、裏はポスターに、形式が斬新だしデザインが新鮮で力強い。折りたたんでペタリと綴じたシールもいい。そのことを激賞したい。」と評価されました。

 

北海道東川町でのゼミ合宿

ゼミ合宿の二つ目です。異質文化を受け入れるコミュニケーションの時代、北海道の東川町の話です。東川町は豪雪地域の小さな町ですが、人口は7,000人から8,000人になったのです。私は東川町とは1516年お付き合いしています。今では1年に180人ぐらい海外から長期留学生が来ます。語学の専門学校を公立で持っているのは、この町だけなのです。この町には空き店舗がないのです。1年の間に、5~6軒も新しい店ができます。有名なモンベルの店があり、靴下専門店ができたり、おにぎり屋さんができたりするのです。ここがすごいのは何かと言ったら、全世帯水道のない町、全部地下水でで賄っている。全部井戸水なのです。上水道の普及率0%は驚きです。

写真甲子園を1985年からしています。世界の写真の町をめざして32年目ぐらいになるのかな。今は世界の高校生を招いて写真甲子園をやったりしている。語学の専門学校もあるので、自然と国際化になっている。

ゼミ合宿は、プロのカメラマンとコピーライター、デザイナー、学生は中国からの留学生3人も含めて8人、学生たちは夜遅くまで編集やデザインをしています。

 

東川町では、お土産は買うのじゃなくて、自分が撮った写真がお土産ですよという写真帳を作ろうと提案しました。みんなが東川町に行って写真を撮ったら、そこでプリントアウトして、エンボス仕上げの判をパチッと押せば、記念になるようなもの。1冊は持って帰り、もう1冊は町に記念に置いていこうという提案。「お土産はあなたが撮った写真です。想い出は置いていこう。」、「旅に出たら、帰りを待つあの人へ、お土産を買おう。旅の感動と想い出のおすそ分け。でも、ここでひとつ思う。北海道の真ん中、上川郡東川町には、思わずシャッターを押したくなる、いつまでも記憶に留めておきたくなる風景が、産物が、そして人が溢れている。東川町すべてが、カメラを手にしたあなたの被写体。別に上手に撮らなくたっていい。1人ひとりが、心惹かれたモノを撮る、写心家になろう。買うだけでなく、自分が撮った写真で世界にたった1つのお土産をつくろう。想い出は持ち帰るだけでなく、カタチにしてこの町に置いてゆこう。旅人から旅人へ。みんなの想い出を共有していこう。「買う」から「つくる」へ。お土産の新しいカタチが、写真の町から始まります。」ということです。

北海道の真ん中、写真の町、東川町、「移住は自由。」、「日本は広い。世界は広い。宇宙は広い。移り住むということ。住む場所は自由。どう生きるかも自由。残してきたものと手にしたもの。今日もこの町には、活気ある風が吹いている。」と、こうした写真帳を学生と一緒に作っています。

 

これ、「ニセウコロコロ」は「どんぐりころころ」。「ニセウ」というのは、アイヌ語でどんぐりです。この町に移住して、宿を作った人がいて、その人の風景や生活を撮って、写真帳を作りました。大雪山が見え、周りは田んぼが美しいです。これは子ども、今は4人います。これは奥さんとご主人の共同作業、シーツを敷いています。これが宿です。設計は北の住まい設計社で、手作りの家具を製造していて、50人ぐらい人が働いています。これが写真帳です。ポスターも作って「いじゅうは、じゆう。」というコピーです。この人は蒸しパン屋で、20種類くらい作っています。町が分譲宅地を作って売れ残ってるところがあるから、団地の販売のパンフレットを作ってくれと言われ作りました。移住フェアに置いたら、1月に3組の申込があったのです。我々も喜びました。

 

この東川小学校は平屋建てで、長さが280mあります。グランドはサッカー場や人工芝が2つあって、野球のグランドもあるのです。総工費は52億円です。町では未来の子どもたちのために金をかけることをやっていると自慢しています。

 

ここは家具の町なんです。中学校でも、3年間使った机と椅子は卒業すると、持って帰れることができます。移住すると20万円分の家具をくれたり、木造でカーポートを作ると50万くれたり、木造の景観を作っています。景観条例も北海道で一番先に作った町です。その他、オリジナルの出生届や婚姻届があります。届けにサインすると記念の冊子になっていただけます。法務省と話して、こうしたことを可能にしました。この町の住民じゃなくても大丈夫で、1年に100人以上が利用しています。一緒に行ったコピーライターもここへ婚姻届を提出に行ってました。

 

お米屋さんが廃業したら、その店舗を借りて、自然食のお店を作ったりしている若い人もいます。美しい景観とアートと写真文化、おいしい食と一緒に暮らしていく。

 

これが北の住まい設計社です。廃校となった小学校の校舎を改築して、家具を造っています。冬の雪の日でもけっこう人が来ているのです。実はうちの子どもが家具大工で、ここで56年間働き、今は独立してやっています。米屋さんを改築したら、こんなふうにお洒落な店になっています。これは靴下専門店、山の中ですよ。学生たちは靴下がおしゃれの時代だと言っていました。これは国産の愛知県の靴下メーカーがアンテナショップで作ったのです。この前はアウトドアのセレクトショップで、儲かって表に出ちゃったから、この後靴下屋さんになりました。

 

そのほか、卵をつくっている農家がオムレツ屋さんをするとかですね。毎年56軒新しい店ができて驚きます。これは町の中にあったおにぎり屋さんが、儲けて郊外に作った新しい店です。娘さんとお母さんでやっている。学生が撮ってきて、「先生、可愛い子がいましたよ」といって写真帳を作ったのですね。次の年には「玄米おむすび茶店」って、山の中に移ったのです。玄米のおにぎり、1個200円、結構いい値段です。このおにぎりやが移ったので、空いたところにお好み焼き屋さんを作った。

 

それから、子どもが生まれると「君の椅子」をプレゼントしてくれます。建築家の中村好文さんや小泉誠さんらがデザインして、それを地元の木工所が製作して、子どもたちに贈ります。これ1個が2万円以上するのです。3.11には、東北の被災地の子供にも贈りました。この町だけでなく美瑛など周りの町とも共同して、生まれた子には、「君の椅子だよ」、君の居場所はここにあるよというメッセージを込めて贈っています。町の家具産業も豊かにしていくということでやっています。

 

これが新しい東川小学校です。木工の人が手がけた家具やインテリアです。平屋建てで280メートルです。これは世界から留学生が来る語学の学校で、卒業すると、日本の大学や日本の企業に勤めたり、国に帰ります。台湾に行くと、同窓会で人が集まったり、台湾やバンコクの留学生支援事務所を作ったりしています。職員も外国の人が来たり、外国に派遣したりして、異文化を積極的に入れています。

 

デジタルネイティブ(Z世代脳)の時代

デジタルネイティブとは、1995年から2010年に生まれた若い人たちのことです。インターネットの存在しない生活を知らない。私の学生も電話をしてくることはありません。メールもしません。LINEです。小さいころから鮮明な画像にさらされて、視覚野が大きく発達し、映像やイメージの影響が強くなっています。ツイッター、フェイスブック、LINEは、短い言葉や写真で、素早い意志決定と反応をします。正しいかより、判断を早くして、間違っても続けてどんどんロールゲームのようにやっていきます。脳学者に言わせると、若い人の脳と我々の脳は違うのだそうです。我々は正しい判断をしようと思ってじっくり考えるけど、デジタルネイティブは素早く判断して、間違っても次また判断すればいい。それだけ意思決定が早い。デジタルな情報を常に浴びているから、イメージやデザインというものにもの凄く敏感になってきているのです。

 

それから、「インパルス・ソサエティ」といって、モノがほしいと思ったらすぐワンクリックで買えるから、我々のように何かを探しに行くとよりも、衝動的です。現実的に必要かどうかよりも、ほしいと思ったときにワンクリックする。底なしの欲望を添い、今すぐ欲しいという即時の満足に応える世の中です。一層イメージやデザインというものに対して敏感になってきています。脳自体が進化し、「電話をしていいですか?」とLINEでくる世代です。デジタルネイティブはこれまでと全然違う世代で、我々はデジタルネイティブ世代に入れてもらっているわけです。学生の世代に僕がデジタル移民として入っていて、彼らの感覚を研究しています。彼らの持っている力をどう利用していくかということでもあります。

 

「世界の人が憧れる町と資源家」に書きましたが、世界の中心を担っているのはデジタルネイティブです。世界の平均年齢は、27歳ぐらいなのです。日本とドイツだけが中央値が46歳なのです。韓国は36歳、アメリカと中国は37歳、ブラジルとベトナムは30歳、インドは26歳、フィリピンは23歳なのです。アフリカは19歳ぐらいなのです。世界の人口は1日に22万人ずつ増えているわけですから、1年に7,000万人ずつ人口は増えているのです。コミュニケーションの仕方や考え方、脳が変わってきつつあるということを、デジタルネイティブを研究している先生と一緒に勉強会をしていると、ウェブ世代は即時に情報発信ができる。だからローカルでデザインしたものを編集し、情報発信しています。こうしたことが今世界で起きていて、さらに日本では若者の田園回帰が進んでいる。今や、僕がローカルデザインといっても、「先生、そんなの当たり前だよ。」と言われます。

 

じゃがいも焼酎・清里

じゃがいも焼酎・清里の話しをしたいと思います。日本で最初にじゃがいもの焼酎を造ったのは北海道の網走の隣で、清里町です。行政で焼酎工場を持っているのは、この町だけなのです。行政だから、焼酎も一旦作るとデザインを変えないわけなのですね。それで、売上げが下がっていってしまった。われわれのデザインの狙いは、「世界の評価を受けることで、長く愛される地域の特産品、じゃがいも焼酎・清里」です。

 

2000年、当時の課長で、今は町長の櫛引(くしびき)さんと一緒に、フットバスの研究で、一緒にイギリスに行きました。その後も、フランスの農村を研究しようと、南プロバンスに清里町の町民や行政の方と一緒に行ったことがあるのです。この町の農村や自然風景は美しいし、町の中もガーデニングで非常に有名な町です。ガーデンアイランド北海道のモデルになっています。農家の平均農地は40ヘクタールです。風景はヨーロッパに負けない美しい農村風景だと自慢しています。作物はじゃがいもとビート、麦で、これまで健全に農家が生き抜いてきている町です。

 

この町は、頑張れば世界に誇れる農村になると思い、デザイナーを連れて行くわけです。JAGDA(公共社団法人日本グラフィックデザイナー協会)の新人賞をとった若い人たちが3人いて、その一人、大黒大悟さんに、「地方の山の中で展覧会やらない?」と言ったことから始まったのです。展覧会を都会でばっかりやらずに、「山の中の学校で小さな展覧会をやっています。」と行ったのです。地元の人に食事や何かでもてなすことをやったら、みんな驚いて、「こんなに地域って楽しいんだ。じゃあ、先生、私達にもどこかで一緒にデザインがやれるとこない?」って、言われました。この展覧会をしたときに、デザイナーから地域の色々なことを全部やらせてくれないかと。お金は要らないからと、カレンダー、入場券、パンフレットも作り、商品も作ろうということで、色々なものを作っていくわけです。

それを見ていた同じ賞を取った若いデザイナーが、「どこかやるとこない?」って言ったのです。

 

僕は清里町とは10年以上お付き合いがあったから、「若い人が勉強したいというならばデザイン料は要らないから、みんなと一緒に10年間勉強させてくください。」と提案したのです。それでデザイナー3人で清里町に行ったわけです。みんなが勉強しながらやろうということで、もちろん、北海道のデザイナーの人も来るというときに一緒に誘いました。

その後もコピーライターや写真家が加わりました。

 

また、地方のデザイナーが清里に行きます。今年は、愛媛県の田舎の方に帰ったデザイナーも「来たい。」、さっき言った対馬の谷川さんも「来たい」、マルシェという飲食のグループ、八剣伝等のお店を経営しています谷垣会長はじめ社長以下5人で来て、約540店舗あるからと、新しくデザインした焼酎を一度に3,000本注文してくれました。その縁で、アサヒビールの方も勉強に来たいと行って課長が来ることになりました。

 

狙っているのは、地域の誇りになるものを作っていこう。ヨーロッパに負けない風景を俺たちは持っている。農産物もいいものを持っている。さらに、地元にも世界にも長く愛される焼酎へと高めていこうと考えました。持ってくるのを忘れたけど、職員が自費で清里焼酎の物語、漫画本を作ったのです。かつて役場職員である長屋さんが、国税庁へ行って焼酎の勉強をして、日本で初めてじゃがいも焼酎を作ったのです。インターネットのホームページにも出ています。それを役場の職員が後世に伝えていきたいと、3300冊を自費で本格的な漫画を作ったのです。プロの漫画家に描いてもらいました。長屋さんは残念ですが癌で亡くなったのです。漫画本にはそのことも書いてあります。

 

さて、焼酎は1種類しか作っていないのです。あとは樽で熟成したものです。

この町は北緯44度ですから、44度という原酒、それから原酒の5年もの、樽に入れたものを作った商品構成です。同じ方法で製造した焼酎ですが、ラベルはもっとたくさんあるのです。話題性がなくなってきたのか、売り上げは年々下がっていました。そこで、地元の人と毎回議論しながら、海賊ごっこといって地元で色々なものをやっている人のところへ行って、例えばパン屋さんのところへ行ってパンを食べながら議論する。農家の方がやっている肉まんを応援しがてら、僕らも学び遊ぶわけです。そんなことをしながら、清里のマークやロゴタイプ、ボトルのデザインなどを作りました。

 

これは焼酎の普通のスタンダードですね。25度です。この写真を撮るのは、透明の便だから、難しいのです。制作のプロセスを大事にしたいと本を作ったのです。樽に入れた焼酎はウイスキーの味がします。これ以上色を濃くすると、税率が変わります。ウイスキーになっちゃうからで、でも、味はウイスキーです。

 

原酒のボトルは磨りガラスです。スタンダードがあって、樽があって、原酒があって、原酒5年ものがあって、全部が同じ瓶のスタイルですから、パッケージや輸送料も安くできます。裏摩周湖はこの町の土地なのです。きれいな水をバックにして写真を撮ったり、森をバックにして撮ったり、雪をバックにして写真を撮ってもらいました。地元の放送局では、この写真を使って、広告を流しているのです。

 

原酒5年物には、地元の札鶴ベニヤといって北海道で2番目に大きなベニヤ工場があり、それを枠に使用して飾ったり、3本セットを作ったり、地域の文化として誇りを出していこうときめ細かいデザインをしています。そして、この焼酎を世界に売ろうとしています。これは女満別空港ロビーの大型のコルトン(広告)です。

私が日経に頼まれ、私のお歳暮でこの焼酎を紹介しました。隣のサントリーは1万円です。清里の樽は1,170 円です。この紹介ページでは1番売れた商品です。

 

写真家の阪野さんが撮った写真を、町で使用する名刺にして、10種類ぐらいあります。町の色々な人から名刺をもらうと、町の風景全部が分かる美しい名刺です。法被も作ってというから、清里らしく白で作ったら、みんなが「え?」って。「白じゃ汚れちゃうじゃん!」って言われました。汚れても洗濯することで美しくなる、それがデザインだということで、ボトルがドカンとした白い旗もデザインしたのです。

 

残したい風景をデザインする

地域は文化景を作っていかなければいけない。清里は文化がないわけじゃないけど、まだ100年足らずの歴史の北海道です。産地のイメージは貧しいことが多いのです。また最高級品が産地で手に入らない。加工品があっても質が低い。地元の人は特産品を飲んだり食べたりしていなかったりする。ライフスタイルにも反映していない。生産情報はあっても、消費情報がない。モノカルチャーなことが多いのです。美しさ、楽しさ、面白さをデザインで表現して、その覚醒力を活用し、じゃがいも焼酎の王国にして世界から人を呼ぼうということを考えてやっているわけです。

 

グローバリゼーションというのは、世界が均一化していく可能性が高いわけです。富山で言えばアルミサッシですが、世界中で売れれば、世界中の家が同じような窓が同じになってしまう。

 

パリ国立大学のビット先生は、フランスの農村は、世界の人にワインを買ってもらうことによって、ぶどう畑が残ると言ったのです。残したい景観があれば、それをブランドにしていかなきゃいけない。清里町に携わっていますデザイナーの人に、「コメントくれる?」と言ったら、こういうことを言ったのですね。

 

大黒大悟さんは、「デザインというものの可能性を地元の人に知ってもらいたい。自分たちがやってきたデザインプロセスを見直すことも勉強になった。最初は単純に面白いことができそうという気持ちでしたが、多くの町民の方々にお会いし、さまざまな場所に連れて行っていただいたり、夜遅くまで今後のことを話し合ったり、もちろん清里焼酎を呑みながらしたことで、清里町全員の誇りとなるものを作りたいと思うようになっていました。」と、自分の誇りになっているということです。

大黒さんは、後ほど話すTAKAO599をやってもらったり、伊勢のデザインもやってもらっています。世界で2番目に古いというお札を伊勢で作っていた。それを入場券にしたデザインを伊勢でやってもらっています。

 

高田唯さん、この人と一緒に内子町石畳の炭のデザインをやってもらっている。この人たちはみんな30代です。「清里に合う形を導き出すというのは、そう簡単ではない。何度も通って空気を吸って、3年かかりました。時間をかけて、ずっといい関係を作っていく。」私はモノのデザインからではなく、人からデザインに入っていくようにしています。

 

天宅正さんは、銀座のみつばちプロジェクトが焼酎を作りたいということでNPO銀座みつばちプロジェクトの仲間に紹介しました。銀座のビルの屋上で芋を植え、九州の豊前市の福祉施設で芋を作って、それを豊前市の焼酎工場で焼酎にしています。銀座のブランドを作るなら、本当にいいものを作らないとだめだと言っています。銀座を中心に、二十数社の人が屋上にサツマイモを作っています。銀座の焼酎を世界に売り出そうと、2,800本から始まっています。コピーライター、カメラマン、デザイナーの人がチームを作っています。ボランティアですが、彼にはすぐにほかの仕事が紹介されました。福祉施設と焼酎を作って、銀座で世界に売り出そうというのは志がいいと思います。彼を紹介したら、彼が喜んでいるわけです。

彼は「偶然の出会いがきっかけでいただいたお話ですが、自分だからこそという気持ちで取り組んでいます。デザインでできることでどれだけの結果が出せるのか?ということではなく、デザインでできることを通じて地域の方たちとどれだけのことを考えられるのか?ということを考えられるようになった。」と言っています。

 

是方法光さんは、コピーライターです。いつ訪れても、地元の方は、休日返上で本当に面白い体験企画を作り、名物を味わい、斜里岳には登り、流氷遊びも企画してくれました。ただ私はスノーモービルで、腰を痛めて帰ってきました。

彼は、「現場で向き合わなければ、町に愛される本物は生み出せない。私は、向き合うことの大切さを学びました。」と。彼は婚姻届は東川町に届け、沖縄で結婚式を挙げて、引き出物は清里焼酎でした。そしたら、北海道から沖縄まで祝電が来て、非常に彼は喜んだわけです。

 

10年ぐらいはみんなでやっていこう。旅費とちょっとした経費は出るけど、デザイン費は無料で、勉強というつもりでやっています。だから、北海道新聞には、「デザイン料タダ、選択権は地元にあり」と掲載され、地元の人の生活そのものもデザインしていきましょうと議論しながらやっています。

 

次は、カメラマンの阪野貴也さんですね。著名な写真家・藤井保さんのお弟子さんです。「清里町の激しくも豊かな環境や人間を、環境が人を育み、人が環境を育む。この焼酎も人や環境によって育まれ続けることを願いたいと思います。」ということを言っています。

 

よいチームを作れば、よいものができる

このように、私は、住民とクリエーターが一緒になって、クリエイティブを楽しむことをやっています。一緒に地域の未来に夢を見ていこう。先ほどの鰺ヶ沢もそうですが、こういう物を作りたいという夢があったら、デザイナーと一緒に作って、それを実現していきましょうということをやったりしています。地域の価値は希望だと思います。

 

思ったのは、「よいチームを作れば、よいものができる」。旗ひとつでも、展示コーナーひとつでも、1日に何回もやり取りがあります。コピーでもすごいですよ。地元の人が「こういうのやりたいけど …。」と言ったら、「コピーはこうだ!」とか。センスや勘というのは経験がないと育たないのです。学生にも言っているけど、年取った人は経験があって知識があるのだけど、やる気がなくなってくるのです。私もそうですね。若い人と行くと、やる気が湧いてくるのです。若い人は経験が少ないのです。デザイナーの人たちも、まだ経験が少ないから、いい経験をするとみんなすぐに成長してきます。だから、いい経験ができるところへ連れて行ってあげたいと思います。原さんや隈さんも、考えてみれば、同じように、彼らの30代、40代の頃、吉田桂介さんやいい人に会ったり、いい経験をしたり、いいモノを見たりすると、それ以後は違ってきました。

 

デザインはモノからではなく、人からです。「土地の力・誇りを共有して見えないモノにカタチを与える」、どういうことかというと、新しい共同体感覚の発見です。内子町も清里も共同体があって、自立した自己があって、他者の信頼と共同体への貢献がある。先ほどの内子町の石畳は、多数決をとらない。地域力はすごいです。一人の人をみんなで支えていくということに、我々が驚いちゃったのです。人を励ましたり、他者への信頼とかね。自立した自己というのは、自分がこういうものをやりたいということを尊重するわけです。議論がものすごく出るのです。デザイナーが地域に行って、地域はどう変わったかというと、中学生や高校生がデザインと地域づくりになると来るのです。デザインを学びたいという若者も出てきています。ローカルではデザイナーという職業には出会えないのです。

 

ローカルデザインが文化資本の質を高める

ローカルデザインは、地域に眠る文化資本の質を高める手法だと思っています。それは景観や産物だけに留まらず、生き方や自然を観る力、創意工夫、ユーモア、人の営み、プロダクトに現れてくる力強い地域個性の凝集・表出だと思っています。日本人の美意識は、「繊細」、「丁寧」、「簡潔」、「親切」なのです。一緒に行くコピーライターの人も、地域の人の願いに、それに対してものすごい丁寧に対応しています。それでいて簡潔なコミュニケーションを創造します。原さんがデザインの方向性を決める無印良品もそうなのですが、デザインとは、掃き清めること、掃除をすること、本質を明らかにすることです。

 

先ほどの写真は、私がフィンランドを訪ねたら、アラビアという会社、イッタラもありますが、その8階に、京都大学を出て鳥取の大学の先生をしていたフィンランド人がいるのです。その人がパソコンの壁紙に、掃き清められた京都の庭を使っているのです。彼女は「簡素は豪華に勝てる」と言ったんです。日本で学んだことは、簡素は豪華に勝てるということだというのです。無印良品そのものです。

 

デザインによる合意形成“TAKAO 599 MUSEUM

TAKAO 599 MUSEUMの話しです。高尾山を知っている方、いらっしゃいますか? けっこういらっしゃいますね。東京から50分で行けるところなのです。高尾山の標高は599mです。昔、600mと言われていて調べ直したら1m低くて、599m。高尾山で林野庁の委員をしたときのことです。高尾山には林野庁や東京都、八王子市の土地もあります。3.11の時に、ロープウェイも京王電鉄やJRもすべてストップし、帰宅難民が出ました。台風の災害があったときにも、登山道の修理や倒木処理など、森林所有者の調整が取れないのです。そこで、大円卓会議というのを作って、議長をやってくれないかと言われました。全部が集まって、行政だけでは決められないこともあります。市や環境省、東京都、ロープウェイの会社、薬王院という宗教団体、観光協会なども全部が集まって議論する場を作ろうとしたのです。議長をやってくれということで、非常に利害関係があって難しかったのですが、それをまとめたのです。

 

それを観ていた八王子市の西田観光課長(当時)が、かつて東京都の博物館が高尾にあったのですが、人が来ないから閉めましたが、2万点標本を地元で管理したのです。植物の標本なんか黄色くなっています。蝶など昆虫の標本があっても、普通の人はなかなか興味が湧かないのです。動物の剥製もたくさんあるのだけど、普通に見れば死がいです。それを閉めると言ったら、学校の先生のOBが、「人が来なくても博物館が必要だ!」と。「いや、そうじゃない。人が来なけれだめだ。インフォメーションセンターや観光センターなど人が来るところを作らなければいけない!」という対立が7年間あって、揉め続けて、うまくいかないから先生、議長をやってくれと言われたのです。

 

議長を受ける時に、博物館のようなものは作らないといけないので、新しいメディアを作ることが必要です。私のような年代だと、現代の最新メディアがなかなか理解できない。その時に大黒大悟さんなど若いクリエイターに入ってもらおう。委員会では、結果こういう本を作ったのです。できた内容は、計画書はそのままが実現しました。絵の通りに完成しました。

 

委員の皆さんの意見を聞いてそのまま作ると、どこにでもあるような凡庸なものになっちゃうのです。どこかで見てきたようなものになってしまう。だから、若い人のメディア表現の仕方をもっと勉強していこうとしたのです。「みんなの意見は聞くけれども、その通りにはやらない。それ以上のものを作ります」と言いました。みんなの意見は、「いいものを作ってもらいたい。」、「魅力的なものを作ってもらいたい。」、「とにかく自慢できるものを作ってもらいたい。」と言いますが、抽象的なのです。普通はそれをコンサルや設計事務所がまとめるという形になるわけです。そこで、「みんなの意見を聞いて魅力的なことはこういうことだね。」と、新しくデザインすることによって、合意形成しようじゃないかと言いました。

 

委員長をしましたが、最初から紛糾し、「議長、博物館を作らなければならないと思います!」とか、すごいのです。議事録は公開しないと言ったのですが、あまりにも紛糾するから、全部公開したら、また問題になったのです。「俺、あんな発言したの恥ずかしいから削ってくれ!」とか言うわけです。

これまで、みんなでワークショップや何かで作っても、どこかで見たものであったり、凡庸なものになります。だから、若い人の新しい感性を理解して、新しいデジタルネイティブの人たちのことも聞きながらやっていかなきゃならない。それでもメディアや展示は、5年なり、10年なりですぐに古くなります。こうした公共の施設は作ったときは最高で年々汚れていき、壊れていくので、年々よくするために運営委員会の委員長もお願いされました。例えば、できるだけ、貼り紙は排除することがいいことです。

 

行政がいいものを作ることは大変ですが、地域の価値はローカルデザインから生まれると、この報告書は議論して半年で作ったものです。この施設の目指すところは、100年先も世界に愛され続けるようにすることです。僕の考え方はずっと一貫していて、こうした公共施設は地域の人や世界の人に愛してもらわなければならない。検討委員会に提出するため、毎週1回ぐらい市役所の人とメディア関係者と一緒になって、先端のメディアを勉強するのです。職員も、こんなにクリエイティブなことをやったのは初めてだと言うわけです。後ほどやりますがプロジェクションマッピングを作ったときも、月に1回ぐらいみんなで試写をしながら、みんなで議論しながら作ったのです。

もちろんデザイナーが中心になってやっています。映像は映像のプロがやるわけですが、ミュージアム機能と公園機能とビジター機能などを作りましょう。新しい視点で生態系を見せる。剥製を置くにも美しく見せなきゃいけない。蝶やカブトムシも、いかに美しく見せるかということをしないと、普通の人は興味を持たない。

 

本気で動植物のことを勉強するなら、国立博物館に行ってもらうということで、自然を美しく見せるメディアを作ろうとしました。それから、展示ケースは全部はずすことができて、いざ災害となったら、帰宅難民が入れるような機能を持たせることも、公共の施設には必要だと思います。

 

隣接した林野庁の施設が元からあって、ほとんどそこに人が来なかったのです。なぜかというと、京王電鉄の高尾山口からみんなロープウェイの方へ行っちゃっうのです。この施設の土地はロープウェイの反対方向にあるのです。東京都が持っていた土地を市に寄付をして、自分たちで造りなさいと言われたのです。登山者の導線からいうと外れているところなんです。実は建物の設計だけ先にできちゃっているのです。中から外を変えていくという、非常に難しいことをやったわけです。

 

カフェテリアは地元の多摩産材を使ってオリジナルで椅子や机も作りました。展示は、何も入れなくても美しい展示ケースを作って、何を入れても美しいというものにしてくれと言いました。地元の人は、この施設で物を売ると地元の商店街の観光協会とぶつかるから、全部オリジナルで作れというのです。記念品はデザイナーと組んで、全部オリジナルしています。

 

八王子市は「高尾599ミュージアム条例」を作ったのですよ。今までにないカタカナと数字の条例です。599という数字は、地元の人も覚醒され、「そうだよ。599mだ。」と。博物館に抵抗していた反対だった人が、最後は賛成に回ったのです。「俺たちも何か手伝わせてくれ。」って、全員賛成になったのです。みんな驚いたのです。

 

展示ケースには、世界で初めてアクリルの中に植物を入れています。これは中央線沿線に日本でここでしか作っていないという会社があったのです。蝶など昆虫もどうやって美しく展示したらいいかと、プラスチックで浮いているように見せ、説明文もデザインし、全部こだわっています。

 

カブトムシが飛ぶところを、中央線沿線にあった「むし社」という会社が制作しました。カブトムシはアクリルで1個ずつ飛んでいくところをピンで留め、全部固定したのです。日本のもつすごく繊細な技術なんです。ドングリなど子どもたちも触れる木の実は、地元のボランティアの人たちが集めてきます。子どもたちが、高尾山の形をした絨毯で1番よく遊んでいますね。

 

映像スペース「NATURE WALL」の映像は、プロジェクションマッピングです。イノシシとかキツネ、鳥のはく製をキレイに置いておいて、プロジェクションマッピングで魚が泳いだり雪が降ったりと、季節ごと変化させています。後で映像でお見せします。

「低いけれど、大きな山。」、599は誇りです。599は覚えやすく、そしてなんだろうと思う。後ほど見せますが、数字で地域を紹介する映像も作ってあります。それで、全部一貫した美しく楽しいデザインで統一しています。「入口で写真が撮りたくなるようにしてくれ」、という注文を出したわけですが、写真を撮りたくなるようになりました。去年811日にオープンして、今18万人以上来ています。「アド街ック天国」などいろいろな取材が、約100社以上が来ています。

 

封筒やパンフレット、本も作りました。オリジナルグッズを売っています。指定管理者の京王エージェンシーが、デザイナーと一緒になり、積み木やノート、トートバッグ、中吊りのポスターまで全部作っています。オリジナル・デザインにこだわっています。

検討委員会でいった言葉は、「すべての委員の意見を聞かせていただき、さまざまな主張がありましたが、最終的には、全員一致で賛成を得る案を作成することができました。行政のプランづくりは合意形成に時間をかけ、民主主義的ではありますが没個性的な妥協案に陥ることがあります。今回は、魅力的な施設とするため、クリエイターとともに、現代のデザインやメディアについて学び考え、責任感と自信を持って魅力的な施設の実現をめざしているのが特徴です。このプランを基本に魅力ある施設の建設を進めていただきたいと願っています。」。

市の職員が、この報告書のあとがきに、「恥ずかしながら我々も一緒に作ってきたから名前を載せたい」、そういう本がこの施設を作ったわけです。議会が報告書が欲しいと言うので、議会で予算をつけたらといいですよといい、作って配ったのです。みんな誇りを持って計画を進めることができ、委員に出た人は欲しい!、欲しい!ということで、1冊ずつ渡しました。

 

単に今までのようにみんなの合意形成を、委員の意見をまとめるから、デザインを使って合意形成をやったのです。そこで、この言葉を載せたらといったら、市の人から「民主主義を否定するように思われるかもしれないから、言った先生の名前を出してください。」ということで、私の名前で出したのです。 

 

来場者は、1年間に15万人来るという予想だった。メインから場所がちょっと離れているからどこまで来て下さるか。そしたら5ヵ月ぐらいで15万ぐらいが来てしまった。山登りのガイドも映像で、高尾山の歩き方、高尾山の特徴を数字で表す高尾山の紹介です。昆虫が5,000種類、野鳥は約100種類です。構成要素は、アート、サイエンス、ヒューマニティで、プロジェクションマッピングをサイエンスで監修し、標本をアクリルに入れてLEDで照らしたり、説明も丁寧にやっています。外国人は2割ぐらい、多いときには3割ぐらいの人が来ています。この間はコンゴの人が来ていて、一生懸命写真を撮っていて、ビックリしました。ロゴタイプとピクトも全部オリジナルで、手描きの注意文の紙はなくし、デザイン面から施設をきれいに掃除しています。

 

最初デザインしたポスターは駅にもあります。手帳とかポストカード、木製の三角定規とか、分度器とかも作りました。バッグとか、箸置きとか、積み木とか、木の香り袋とか、制服もオリジナルで作っています。皆さんの手元にあるパンフレットは2回目につくったものなのです。なぜかというと、副市長がこれで出すと認めないという。「こんなに抽象的なデザインの分からないポスターやパンフレットを作ってどうするんだ!といわれたら、どうしましょう。」というから、1回通れば後は大丈夫だから、1回目は分かりやすいものにしようということで、このポスターにしたのです。最初のポスターも人気があったのです。1回目で、市長や副市長の承認を得たから、次からこのようなデザインのパンフレットやポスターを作りました。

 

京王電鉄の高尾山口駅がいま人気があります。金子座という100年以上前の古い民家を寄付した市民がいて、市長は高尾山口駅の観光案内所がある「観光協会に使います」と言った。西田課長が私のところに飛んできて、「先生、どうしましょう。」と言うから、「100年前の木を使って駅をするのは面白い!」って、その場で、研吾さんに電話して「この話に乗らない」と言ったら、「やる、やる」という話になった。隈さんが「やるって言ってるからどう?」といったら市の方もOKになって、そしたら京王電鉄の社長が会いたい、駅全体を改良しようと、コンペを行い、結果、隈さんが木材を美しく使って設計しました。すごく評判がいいです。

 

ここで言いたいのは、「合意形成には時間がかかり、没個性的になることもある」と、言うことです。イメージが悪いと共感が得られない。人は理解しようとも思わない。デザインを使った合意形成から、地域の合意形成を編集し表現することで、地域イメージがハッキリするということなんです。

 

※プロジェクションマッピングの映像を放映。

 

共同体感覚が大事な時代が来た

以上長くなりましたが、私がみつばち先生と言われる由縁です。全国でも、ぜひ富山でもセンスの良いローカルデザインをやってもらいたいです。クリエイターの人にも参加してもらい、住民とともにもっと地域を知るや表現することは楽しいと思います。

デザインのプロセスは、人から入って一緒にクリエイティブを楽しむことをやっていると言いました。今週は、愛媛県内子町に行って石畳地区の人たちと夜話をして、次の日は朝7時ぐらいに起きて住民の方と四万十に行ったり、今度は尾道の方へ行こうと、地域の人といいものを見て、いい経験をしてみんなで同じ夢を見て、地域をデザインをしていこうとしています。デザイナーも、地域の人も勉強になるし、持っている力が合わさってパワーが増す、力をつなげることをやっています。それで、「ローカルデザインと人のつながり」ということを原さんが言ってくれたわけです。これからはつないでいくことを色々やっていけば、地域の魅力を増す可能性があると思います。地域の価値は希望から生まれます。

 

先ほど言いましたように、吉田桂介さんが持っているものは素晴らしくて、彼のコレクションは世界のひとが憧れるものを持っています。紙については、世界の素晴らしいものを持っています。吉田さんが装丁した本や雑誌「民藝」も、すごくセンスのいいものを持っている。それは本当に日本民藝館に負けないものを持っているので、吉田桂介さんのところに原さんと一緒に行ったときに、整理して、きちんとした吉田さんのコレクションの本を作り、展示もしたら、世界の人がくるものができます。地域のものを掃除して整理して、いいものであれば、本物であれば、それをどうやって表現していくかということを、世界の人の力も借りて、世界の人が見に来れば、僕はそういう地域の生き方がこれからの地域のモデルになるんじゃないかと思います。

 

今、小学生に、人に頼るのではなくて自分で楽しんで生きている尊敬できる人に会わせたいと思っています。江戸川大学の学生たちに、ゲストで尊敬できるような人、嫁や希望を持って自分の道を開いていく人に会わせることが、これから世の中に必要なんじゃないかと思っています。地域の経済も非常に大切なのですが、地域の中で面白い人や尊敬できるような人を、子どもたちに会わせて、次の世代へつないでいけば、いろいろな変化があっても生き抜けると思っています。

 

人口減少の時代、希望のある住民1人でも、応援したり支援したりしてつながっていく時代じゃないかな。学生たちと地域に行って、いろいろな人とつながって、自分も励まされたりしています。心理学の先生アドラーが言っていすが、共同体感覚をもっと信じて生きていくと、自分が安心できたり、緊密な関係を作って、もっと楽しいねという社会が実現します。長くなりましたが、私の話はこれで終わりにしたいと思います。最後まで聞いていただき、ありがとうございました。

 

 

質問タイム

 

質問者A:今日はありがとうございました。私も市役所の職員で大懸くんの同僚なのですが、私も今地域に入って色々なものをつなげていきたい、地域の人のやる気を出させてあげたいということをやっているのですが、さっき先生が仰ったようにワークショップをやり続けても実際にものができなかったり、本当にそれが合意形成になっていないことが多くて、デザインの力を借りてというのはすごく面白いなと思って、ぜひ実践する形を探してみたいなとお話を聞いていました。その流れで一つお聞きしたいのですが、北海道の東川町に入っているときに異文化を受け入れるコミュニケーションのお話をされていましたが、住民の人たちはそれをどういうふうに受け取って楽しんでいらっしゃるのか、実際の雰囲気を教えていただけないかなと思います。

 

鈴木先生:東川町長の松岡さんは、役場の職員から町長になった人なのです。写真甲子園は、町の100周年の時に、後世に残ることをしようと、写真文化が若いから自分たちもそれを育てていこうと始めました。私の「ろーかるでざいんのおと」の本の中では、その町長をおっちょこちょいの町長と言ったのです。その町長は「俺が責任を持つから何でもやれよ」と言ってどんどん職員や住民を育てるのです。私が何か言うと、すぐ飛んでいったり、見に行ったり。ちょっとおっちょこちょいな人間の方が、こういう閉塞感のある時代はいいのではないでしょうか。町長は英語も話せないんですよ。「俺が話せなくても時代がそうだから何とかなるんだよ。」と。いろいろなものをつないでいくのですよ。大雪山の文化で大雪山の本を作るとか。結果のことを先に考えるのではなくて、東川の場合はさっきの出生届なんかも役場の職員が発想すると「すぐやれよ。」と言うのです。町長はそういうことがOKという。だから、我々が結果を心配しすぎて慎重になりすぎている。学生もそこに行くと居心地がいいというのは、安心感があるからなのですよ。

「失敗しても許してくれるという空気」があって、その町に行くと、それが分かります。色々な人と会って話してやっているときに、失敗を許すと、前向きなのですよ。だから、原さんたちも連れて行くと、みんな面白いなと思うのは、「失敗ぐらい許してあげていいじゃない。」という。水道の問題だって、「そんなもの飲めるか」という住民もいるけれど、検査もしているけど、心配しないで住もうという空気がある。心配を助長するような慎重なところ、こういう時代はなかなか生きづらいんじゃないんですか。

異文化を入れたらどうなっちゃうんだろうというけれども、やってみればいいじゃないかと、町長は前例のないことをやるので、常識を越えるということをやっているという感じがします。町民の方は国際的な交流を普通の生活から自然になじんでいます。紹介しますから、ぜひ行ってください。

僕らがゼミ合宿に行くと、泊まるのは小西音楽堂とか岩村医院の先生の家です。小西音楽堂は国鉄の職員だった人が、東川町に退職後の夢を描いていたら癌で亡くなっちゃったんです。その家には、高級なステレオシステムや世界3大ピアノのスタンウェイのピアノがあります。小西さんの遺族が家を町に寄付、それも1,000万円を付けてです。その建物ゼミ合宿でタダで使用させてくれます。ゼミ生の中国からの留学生がスタンウェイでベートーベンを弾いたりするのです。岩村医院というのは、町の病院の院長をやっていた人が亡くなり遺族の方が寄付されたのです。表札や椅子も蔵書もそのままの状態で、それを合宿に使わさせてくれるのです。それが、僕らの合宿所なのです。他の先生も紹介すると、自分たちも行って合宿したいという、そういう地域ですね。それが異文化を普通に受け入れている町のチカラが、この町を元気にしています。

 

質問者A:すごいですね。富山は、けっこう抑圧された雰囲気があったりして、自由にやりたいというのがふつふつとあるのですが、何となくみんな失敗しちゃまずいという気持ちがありまして、住民の皆さんにもそこら辺をうまく刺激してあげないと、僕ら自体もなんですけどね。動いていかないという雰囲気がまだちょっとあるので、住んでいる僕ら自体が変えていきたいなと思いました。

 

鈴木先生:東川町は富山出身の方がけっこう多い町でした。寛容は、富山県人は本質的にそういうところがあると思いますけどね。そういう人ばっかりが集まっていると、みんな慎重になるのかもしれないけど。

 

 

質問者B:富山市に住む林と言います。この本(ろーかるでざいんのおと)を10年前に買いました。私のバイブルとして使わせていただいております。私は国の出先機関の公務員をしていますが、実はこのテキストにも書かれていましたが、30年以上前に静岡、登呂遺跡の近くの芹沢銈介美術館に行って、その作品を見たときに文字のデザインを見て非常に感動して、それをずっと覚えていて、八尾の吉田桂介さんがそれに目を付けていて、それがつながってきたということが書かれていて、鈴木先生が来られるということで、お会いして本当にエネルギッシュな方だなと思いました。一つだけ質問なのですが、私の仕事に関係したことなのですが、日本の政府はインバウンド観光をやろうとしているのは分かるのですが、政策としてDMODestination Marketing/Management Organization:「観光地経営」の視点に立って観光地域づくりを行う組織・機能)ってありますでしょ。そういうものを各地に作ろうと、政府も予算をとっていますが、そういうやり方というか、鈴木先生は極めてローカルに近い活動をされている印象があるのですが、一方政府は海外の成功事例を見てDMOみたいなものを作ってマネージメントをやっていこうというのは私には分かりますが、ローカルと地域的な観光というもののマネージメントみたいなことになってくると、いろいろな問題や障害が色々とあるような気がするのですが、先生自身は政府がやろうとしているDMOによる地域の活性化や観光資源の活用について、どのようにお考えなのかお聞かせください。

 

鈴木先生:日本観光研究学会を、今年123日に、江戸川大学で全国集会をします。僕は実行委員長をします。「日本人の美意識は観光資源」をテーマにした講演会やシンポジウムをします。

去年、若い人による「新しいアタマ」をテーマに、プレ的に11月の学園祭でやったのです。その時に観光庁に後援のお願いに行ったのです。そしたら、後援依頼の返事がなかなか来ないのです。観光の統計やもてなしは旧運輸省なのです。グリーンツーリズムは農水省なのです。それから経済産業省も観光はやっているし、国土交通省もやっているけれど、全部を総合して観光政策をやっているところはないのですよ。全部その時に気付いたのは、国の観光行政というのは、観光統計を取ったり、統計学だけやっているだけではないかと。だけど、地域の観光は総合的なんですよ。農業もあり、色々なことがあるのです。国では総合化した体制がとりづらいのだなと思っています。

お渡しした資料にも書いたのですが、私のゼミ生だった、神田太郎君がNPO尾道空き家再生プロジェクトに行って、ゲストハウス「あなごのねどこ」をやったら、1年目で4,000人来たのです。今は4,800人来るのです。すぐに黒字になっちゃって、今度また新しい「見晴らし亭」を作っています。こうしたゲストハウスに行くと、23割は外国の人が見つけてくるのです。僕は伊勢に行くときにも、伊勢で泊まる「星出館」は外国の人が半分以上でした。ゲストハウスは、政府観光旅館とは違うのです。岩手県八幡平市で元宿屋の空き家があり、若い人が何を使おうかというから、世界とつながるならば、民泊のゲストハウスを作っていけば、そこに4,000人とか来る可能性はあります。

どんなに小さな町でも世界の人が憧れる町は、どんなに小さな町でもほんものがあれば見つけてくれます。若い人たちが「泊まりませんか?」と、世界に情報発信しているのです。時代が違ってきて、国が音頭をとるのではなくて、「世界を歩いてきた人はどんな田舎でも世界の人が来る。」と僕に言ったのです。そういう時代が来て、デジタルネイティブの時代は、世界の人が地域の魅力を見つけてやってくる時代なのだと思います。自分の町にこういう良いところがあるよと言ったら、そこに行ってしまう。Airbnd(エアビーアンド:世界中のユニークな宿泊施設をネットや携帯、タブレットで掲載・発見・予約できる信頼性の高いコミュニティ・マーケットプレイス)6,000万人が利用しています。190カ国にあります。時代はもうそんなに構えてやらなくても、世界の人が自由に行ったり、来たりする時代だから、国でもなかなか予測ができません。今の若い人たちにどこの地域でもほんものの個性を持っていれば、世界の人たちがそれを見つけてきてくれるよ書いています。いわゆる観光業は観光業でやっていくこともできるし、個人でも4,000人が来て、その2割が外国人も時代です。東川町も8,000人の町で、190人ぐらい長期留学生が来ています。現実に起こっている。僕は現実の実態を押さえながら、デジタルネイティブを理解していく仕組みが必要です。国の方法は、デジタルネイティブ以前の人たちの議論の中ではそれは成立しますが、これからデジタルネイティブの人たちは全く違う行動をとるんじゃないかなと思っています。

 

質問者B:ありがとうございました。

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