レポート

まちづくりセミナー2013

まちづくりセミナー 第二回講演録 講師 山出淳也氏 

2014/02/26 

■テーマ「まちづくり×アート」

 

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 皆さん、こんにちは。先ほど大分県別府市から到着したばかりですが、やはりちょっと寒いですね。九州もたまに雪が降るのですが、雪質が似ているなと思いながら見ていました。

 

 我々は、BEPPU PROJECTNPOとして運営し、大分県別府市で活動しています。このNPOはアートに関係する様々なことを行っていますが、まちづくりというよりも、アートを紹介する文化芸術振興を行っている団体です。美術館やギャラリーだけではなく、街の様々な場所でアートを展開することによって、街が少しずつ変わっていくといいなと思いながら活動をしています。

 

 

■感じる心

 アーティストという存在がいます。もともと僕自身も、物を作る側なのですが、そういう人間には「創造性があるから、そういうことができる」とか、「自分は創造力がないからできない」とか、そういうお話をされることがよくあるんですね。

 最近、「創造性とは何だろうか」ということを特に考えるようになりました。作り手は様々なものを駆使しながら作品やパフォーマンスを行っていくわけですが、これが非常に分かりづらい。「何を表現しようとしているのか、何を言いたいのか、もうサッパリ分からない」というようなことを言われます。僕は毎日のように色々な方から言われて、「山出さん、何となく言いたいことは分かるけど、そもそもあなたがよく分からない」という話をされます。

 今から100年近く前に、ある絵描きの方が同じように問いかけられたんですね。「鳥のさえずりは何を話しているのか分からないから美しくない、ダメだという方はいますか。何を言っているのか描いているのか分かることが大切ではなく、それを美しいと感じる心が大切ではないか。芸術は、社会において忘れ去られた大切なことを気付かせるために存在する」と、ピカソが言ったんですね。ピカソも非常に分かりづらい。何を書いているのか分からないことをやっていました。ですから、毎日のように言われる中で、このように答えたんだと思います。ここで非常に重要な点というのは、「感じる心」という言葉。例えば、そこに鳥がいる。「鳥が鳴いているんだ」ではなくて、「春になったな」とか色々なことを感じるわけなんですね。

 それで、ひとつ思い出したことがあって、確か1970年代末か1980年代初頭に実際に静岡県であった話です。ある幼稚園の先生が、園児を動物園に連れて行ったんですね。動物園でみんなに写生大会をしてもらっていたんですよ。そこにはキリンや色々な動物がいて、子供たちが画用紙に色々な動物を上手に書くわけです。一人の男の子がいて、その子は紙を真っ黒く塗りつぶしていました。その絵を先生が見て「何を書いているんだろう。もしかしたら、心に傷があるんじゃないかな、大丈夫かな」ということを感じながら、「何を書いているの」と問いかけました。すると、その子はあっけらかんと「象さんを書いているんだよ」と言います。確かに、目の前に象さんがいるんですね。先生が「象さんは鼻も長いし、耳も大きいし」という話をすると、その子は「知っているよ」と言います。その子が次に言った言葉は、僕の心にとても響いて大切な言葉なのですが、「象さんが大きすぎて紙に入らなかった」と言うんですね。その子は、目の前の対象物、象さんというものを感じた時に、「とても大きい」と感動した。心が動いたわけですね。それを素直な気持ちとして、そこに表していった。我々はともすると、その紙の中にきれいに書いていく。象は鼻が長い、耳が大きいということを知識として覚えているかもしれない。だけど、その子のように、目の前の物事、もしくはそれは街かもしれません。そういうことを感じているかどうかということを考えるんですね。

 

■角度を変える

 もうひとつ、よくある質問ですが、目の前にイチゴとバナナ1房とリンゴ2個があります。これを3人でどうやって分けるか。どうやって均等に分けようかということを考えるわけです。この話を大分県の技術師さんの集まる会合で、この話をしたら、「正確に割れます。うちでそういう機械を作っています」と言われました。そういう解決の仕方もあると思います。ただ、これをミックスジュースにして分けるとか、少し違う観点から考えていくこともできると思うんです。少し違う角度から1つの物事を感じる、考えていくということが今から我々にとって必要かもしれない。

 もうひとつ事例をお伝えすると、1917年にフランスのアーティスト、マルセルリシャンという人が、アメリカのギャラリーに「泉」という作品を発表しました。男性用の小便器を横倒しにしてサインを入れたものです。リシャンは、「自分の手で、「泉」を制作したかどうかは重要ではない。それを選んだんだ」という話をします。「日用品を選び、それを新しい資材と観点のもと、その有用性が消失するようにした」と言うんですね。ギャラリーに便器を置く、サインをしていく、そのことによって通常はトイレにあるようなものが作品、彫刻として扱われるようになるかもしれない。それは、ある種システムの問題かもしれません。そのようなことを考えさせるひとつのきっかけになる。何かを解決しているのではなくて、問いを投げかけているんですね。美術館というものや、アートという仕組みについて、何なんだということを投げかけているのかもしれません。

 

■アートを考えるように街を考える

 そのように考えながら、街を考えていきたいと思っているんです。我々にとってのアートというもの。それは、物事を色々な角度から考える、感じる、それを思い出させてくれるものではないか。つまり、自由なものの考え方、見方を促してくれる。気づきを与えてくれるもの。そのように感じています。

 先ほどのリシャンもそうですが、アーティストは何かを解決するわけじゃないんですよね。便器がより良く使いやすくなったら、こういう形になりましたというように何かを解決するということは、デザインということかもしれない。ただ、アート、アーティストというものは何なのか。それは問いを投げかけるということじゃないのだろうかと考えています。問題提起を行う。今まで我々が全く見向きもしなかった場所、それがある人にとってはとても美しい場所に感じられたり、すごく意味のある場所なのではないかということを投げかけられたり、そういうような存在としてアート、アーティストというものを僕らは感じています。

 街づくりや都市と関わることにおいても、こういう少し違った角度から町を見ていくことが重要ではないかということを我々は考えています。私たちの活動する場所は、別府市という温泉地です。「温泉の街づくりをしよう」ということはよく言われますが、温泉が何なのか、それが他の地域とどう違うのかと言うことを語る方はなかなかいらっしゃらない。お湯がたくさん湧いているから、それを活用しようということでしかない。少し違った角度から見たら、全然違った見え方がするのではないかなということを感じます。

 これまで我々は大量生産・大量消費の中にいて、豊かさの指数が「モノに満ちている」とか「お金を持っている」とか、そういう観点が中心になっていた。しかしながら、これからは、質。つまり、心の問題ですね。どういう生活をしていきたいか。どういう未来を過ごしていきたいか。心が尊重されていくようなあり方、それをどうやってこれから築いていけるのか。BEPPU PROJECTは、そこにアートをつなげていこうという存在なのです。

 

■別府について

 JR別府駅の前に銅像が建っています。油屋熊八さんという、人を驚かすのが大好きな方で、100年ほど前に活躍された方です。湯布院を再発見して街を築かれたのも、温泉マークを全国に広げたのも、この油屋熊八さんなんですね。聖書の一説、「旅人をねんごろにせよ」という言葉を胸に秘めて、愛媛出身の彼は別府にやってきて、そこから様々な観光を興していく。今の別府観光の父といわれる方です。そのような方が築かれた別府という場所には、湯煙が至るところで立ちのぼっています。

 僕は別府生まれでも別府育ちでもなく、別府に1度も住んだことのないよそ者です。あえてそうしているのですが、ひとつ山の向こう側から毎日40分ぐらいかけて通ってきています。

 別府の人口は約12万人ですね。隣の大分市で40数万人、大分県全体で100万人ですから、ちょうど富山と同じような規模です。温泉の源泉水・湧水量ともに全国1位。源泉水2,508本。これは日本の源泉水の1/10は、別府にあるという計算ですね。毎分87,000リットル出る。どのぐらいの量か。日本人一人ひとりに対して換算していくと、毎日1人に1リットル以上のお湯が供給できるという量なんですよ。流しっぱなしでもったいないなと思いますが、このように温泉資源の豊かな場所です。就業人口の構成を見ていくと、8割以上の方が第3次産業に従事されています。観光客は横ばい、もしくは少し右肩上がりという数字として、別府市は出しています。ただ、宿泊観光客は毎年右肩下がりになっています。大型の温泉観光地としては、かなり頑張っている方ではあります。大分県全体を見ていくと、全体の48%が別府市に宿泊されています。別府市がどうやって再活性化されるかは、大分県全体の観光の観点から非常に重要な意味を持ちます。

 別府には誰が来ているか。6割以上の方が男性客なんですね。全国平均では、6割以上の方が女性客なので、そこは逆転しています。さらに、宿泊形態。JTBの宿泊白書2008年とやや古いものですが、72%の方が個人客で、20%の方が団体客。しかしながら、この団体客が10%に落ちているといわれています。ですが、別府市は団体客が70%程度といわれており、ここでも全国平均と逆転しています。だから悪いということではありませんが、このデータからは多様なニーズに対応できていないなということを感じます。もともと歓楽街として発展してきた街ですから、その延長線上に今の別府はあるのですが、これからどうやって本来のニーズと向き合っていくのかが大きな課題です。これからのターゲット層を考えると、よく言われるのは60代の方、団塊の世代の方が含まれます。今、アクティブ・シニアと言われていますよね。年間で宿泊を伴う観光旅行に行かれている方、60代で1.45回なんですね。しかしながら、この方々が70代になると、1.03回に落ちます。今は団塊の世代の消費額が1番多いと言われていますが、2017年以降は世代が変わっていく。そう考えていくと、ここばかりにフォーカスしていいのだろうかということを最近考えるようになりました。特になるほどなと思うのは、20代前半は年間1.41回旅行に行かれています。数でいうと、60代に次ぐ層です。この若年層は、それ以上の世代と比較すると、それほどお金を持っているわけではないかもしれない。しかしながら、彼らは情報の発信能力に長けているので、別府に来て「おもしろ〜い」とツイッターやFaceBookに書いてくれるということがたくさんあります。この情報の拡散力というのは非常に重要ということは誰にでも分かりますが、どのように重要かということを考えていくと、JTBがシニア層にアンケートをとった中の問いに「今後5年間でお金をかけたいことは何か」というものがありました。答えは、旅行が圧倒的に多いんですね。次に、「どんな商品を購入する時、子どもに聞きますか」という問い。国内旅行が1番なんですね。例えば、娘さんがどこかに行ってきて「すごく良かったよ」という言葉は1番響くと思うし、そうやって動いていくということはすごく重要だと思います。

 我々が情報の発信をしていく時、我々から一方的に出すのではなく、その情報の流通の仕方をデザインしていくことが重要なのではないかと考えています。そのような問題意識を持ちながら、日々別府で活動をしています。

 

 ■BEPPU PROJECTとは

 先ほどお話ししましたが、アートというのは様々な見方や考え方があるのではないか。それを我々はアートの可能性だと考えています。可能性を社会化し、より広くより多くの方々にお伝えしていく、より多くの方々に共有していく。その連続によって、色々な価値が認められる。もしくは、色々な価値が生まれてくるような社会であってほしい。我々はアーティストとともに考えていきたい。アートと地域をつなげていく組織なんですね。

 僕は、1999年から2004年の秋まで海外で仕事をしていました。たまたま日本に帰ることになり、別府という知り合いも1人ぐらいしかいなかったような街に突然やってきて、「アートだ」というようなことを言い出して組織を作っていきました。今は組織が少し大きくなって職員が18人。組織として様々なプロジェクトを動かしています。

 後ほども紹介しますが、アートプロジェクトやアートフェスティバルの企画・運営、「混浴温泉世界」という芸術祭などを行っています。また、「学校や様々な教育機関で、アートやアーティストと出会っていただきたい」との思いから、様々な学校の課題や目的の中で、画家や写真家、女優、音楽家、ダンサーなどといったアーティストをマッチングさせる出前授業というものを行っています。県内の1/10の子供たちにアーティストを届けることをひとつの目標とし、年間40校の学校で行っています。さらに、アーティストが滞在したり、住んだりする仕組みづくりや、街の中を回遊する拠点作りをしています。富山は先行事例として、中心市街地活性化ということがモデルになった街ではありますが、別府市でも小さいながらも中心市街地を活性化させていくという動きがありました。そのコンセプト作りなども行いました。そういう場所を活用しながら、地域とアートをつなげていく仕組みづくりというものを行っています。

 

■シンポジウムを機に実現したplatform

 地域とアートをつなぐ1番最初に行ったことが、2007年のシンポジウムです。確か102728日だったと思いますが、私も属する別府市の中心市街地活性化協議会が、NPOと協働主催で街の再生を考えるために、文化・芸術を切り口として、都市再生を行っている様々な事例を学ぼうということで、チャールズ・ランドリーという方や、フランスの行政のジャン・ルイ=ボナンさんという方にお越しいただいてシンポジウムを行いました。チャールズ・ランドリーさんには、「創造的都市とは、社会に関わること、環境に関わること、行政に関わること、政府に関わること、全ての分野において皆さんが創造性を発揮できる町のことです」とお話ししていただきました。国内では金沢市や横浜市、札幌市が創造都市、クリエイティブ・シティを進めようとしていますが、世界的にも様々な都市でそういう事例があります。しかも、そういう都市は非常に持続力が強いという研究をチャールズ・ランドリーさんはされているのですが、その中で僕がすごく重要だなと思ったのは、「何かの箱を作ればいい」「何かの仕組みを作ればいい」ではなく、一人ひとりが様々な観点から意見が言える、想いを伝えられる、ということ。街を良くしていくのも、人に懸かっているということをお伝えしてくれたのだと思います。

 このシンポジウムの時、僕からも1520分の簡単なプレゼンテーションを行いました。例えば、複合的な施設を作ろうとする時には、21世紀型の考えであれば、集中的にビルを縦方向に建てるということで集積させる。これは、よくある話で、一概に悪いとは思いません。しかしながら、街の中には空き店舗や遊休地施設がたくさんある。そういう場所をうまく活用しながら、様々な物事がつながっていかないかなということをいいました。これもよくあることですが、問題は誰がそれを管理運営するかということです。街の中に公民館や公園のような場があって、例えば高齢者の方が運営していたり、商業を活性化しようとするNPOがいたり、僕らみたいなアートの方がいたりと、色々な方々が街に関わる仕組みを作りたいという話をしました。また、街の中に住むことに対して、安く住めるなど色々な仕組みが作れないかということを提案をしたんですね。僕のプレゼンテーションに(※長い構想名を割愛)市役所の担当課長が興味を持たれて、翌年の4月から実際にやろうということになりました。そうして生まれたのが、platformという仕組みで、まちなかの回遊拠点になります。空き店舗を活用しながら、初期投資のコストを非常に安く抑えてスペースを作り、その中で様々なプロジェクトを動かしていく仕組みを作りました。これは、別府市が中心市街地活性化の補助金を入れて、その仲介が大家さんと契約を結ぶ。僕はその中でコンセプトも作るし、契約できる場所の調査から契約書作り、家賃交渉まで全て行います。家賃は基本的に相場の1/3と決め、家賃交渉を半年間ぐらいして、おかげさまで借りられるようなことになりました。今でも6年以上続いている場所です。

 

 

■街の寛容度

 今、platformといわれる場所が街の中に7箇所ありますが、18年間空き店舗だったところはレンタルスペースとして稼働しています。シャッターが開いて、中で何をやっているかが分かる。演劇の練習をする車椅子の方々、ギターの練習をする高校生、日舞やヨガなど、色々なことをされています。予算があまりなかったので、周りも中も銀色に塗りました。この商店街は銀座通りといいますが、JCDアワードの銀賞をもらうなど、銀尽くしなんですよ。

 2008年にできてすぐの時、京都のアーティストグループの方々がここでイベントをしたいということで、ダンスのイベントを行いました。その時、大分市の若い女性の方から相談されて考えたのが、商店街の通りが舞台で、platformが観客席という企画でした。その次に僕らが企画したのが、この商店街と違う商店街とで同時多発的に行ったダンスのイベントです。300人ぐらいが移動しながら次の会場に行くので、まちなか全体が舞台のような場所になりました。2時間半ぐらいかけて町を歩いて、夜の8時半ぐらいに皆さん色々なところにご飯を食べに行かれました。

 このポイントとして僕が重要だと思っているのは、スペースの外に出て行ったことに加え、街の寛容度が変わってきているということ。もちろん、建設許可などは全て取っていますが、東京の商店街でこういうことをやろうと思ってもなかなか難しい。コンタクトゴンゾというアーティストが初期に下イベントは、殴り合いだったんですよ。前日のリハーサル中に近所の人が飛んできて「喧嘩をやめろ」と止められたことがありました。何をやっているのか分からないけど、若い子たちが色々なことをやっているのはいいことかもしれないといって、寛容度が変わっています。僕はまた別のNPOにも入っていますが、色々な街づくりを考えるにあたって、町の寛容度が上がっていくかどうかはひとつのポイントになってくると思います。

 platformで不定期に開催している「おもちゃの部屋」という事業があります。アーティストや工芸家の方にオモチャを作ってもらって、子供たちに遊んでもらいました。子育て世代の方々に来てもらって、無料の場で遊んでもらうという趣旨なんですね。ただし、開催時間は午前中。街の真ん中で子供たちを遊ばせたら、ちょうどお昼になるから、ままカフェに行ったり、八百屋に行ったりと、少し街と関係性を持ってくれればいいな、町のことを知ってくれればいいなということを思いながら企画をしました。

 商店街に空き店舗が多くなってくると、大体自転車通りになっていきますが、こういうイベントをしていると子供たちがたくさん来てくれるから、街の方も気を使ってくれて「自転車は危ないから通らないようにしてください」というようなことを言ってくれるようになりました。ただ、イベントをしていない時は元に戻ります。なので、こういうことを恒常的に積み重ねていくことで、気がつけば歩行者にとって安全な優しい商店街に変わっていくことが僕の理想です。

 

■街とアートをつなげていく仕組みづくり、SELECT BEPPU

 また別のplatformでは、「SELECT BEPPU」というセレクトショップを運営しています。別府や町で生まれた材料を地域の方々が大切に技術を引き継いでいきながら丁寧に作っている商品などを、若干我々がプロデュースに入りながら商品化しています。目指しているのは、ここでしか買えない品揃え。今は3割ぐらいなので、もう少し増やしていきたいなと思っています。

 こういう場所では現金で購入される方が多いのですが、金券も発行しています。我々は2011年ぐらいから年間200本ぐらい別府の中で様々なイベントを行っているんですね。2013年は1年間、金券をお休みしましたが、アートイベントと街を楽しむ時に非常にお得に楽しめる仕組みを作っていこうということで、金券を発行しています。

 「SELECT BEPPU」の商品に、「ザボン漬け」というものがあります。ザボンという大きい柑橘類があって、その皮の部分をシロップ漬けにしたものです。それが、A4用紙ぐらいの袋にごろごろっと入って、土産物店で1,000円で売っています。僕はザボン漬けが好きだからお得なように感じるけど、知らない人からしたらそうは思わないのかもしれないなと思いました。そこで、サボン漬けの老舗店の方に話を聞いてみると、煮る時間を長くすると味や色が劇的に変わると。「時間をかけてじっくりと煮ると、味にコクが出て、深みのある琥珀のような色になる」と言われていました。それを商品にしましょうということで、僕らがマッチングに入り、その商品の入門編を作ることにしました。高さ約78cmのケースの中に野菜スティックみたいなものが45本入ったものを「琥珀」と「べっこう」というその色からイメージする商品名で販売しています。我々のセレクトショップで売っていると、1人で2個買っていくことが1番多いんですよ。34つ買われる方もいらっしゃいます。ワンコインで買って友達に配るとして考えれば、500円だったらちょうどいいなと思ったりする。1,000円じゃ、みんなに配るというのは、ハードルが高いかもしれない。考えてみたら、12つ買えば1,000円なんですよね。原価率はこっちの方がよっぽどいいわけで。味の良さも評判になったりして、多い日は1日に3,000個受注があるということも聞きます。

 他には、別府は竹工芸が有名なんですね。真竹の生産量は、日本で1番と聞きます。つげ細工、つげってなかなか知らないですよね。昔は、かんざしが定番でしたが、今はなかなかしませんよね。ですが、つげ細工のブラシが「静電気が起きなくて、とてもいい」という話をスタッフから聞きました。値段は結構高くて10,000円近くしますが、使ううちに飴色に変化していく良い素材だということを知ったので、価格に幅をもたせ、店頭でしっかりと良さを伝えながら販売しています。

 竹製品も職人さんが作ったものはやはり高くて、手が出しにくい。どうしようかなと思い、うちのスタッフや僕も含めて自分たちがほしいと思う商品をオーダーするようにしました。僕は出張が多いので、パソコンなどを入れて持ち運べる大きさのバッグをオーダーしました。女性スタッフがオーダーしたのは「お座敷バッグ」といって、中の袋には古い着物の帯が使われています。それを作ってもらって販売しています。

 つげ細工のアクセサリーは、1番売れていますね。2坪くらいの狭いお店ですが、そういうものが少しずつ育ちつつあります。今、少しずつ広げていって、大分県全体の産品にブランディングを施していきながら、新しいブランドを作っていこうということを大分県に提案し、うちの8人がその開発に専従であたっています。2016年にヨーロッパでお店を出そうということで準備をしているところです。

  

■作り手の顔が見える情報誌

 商品を作ってお店に並べても、なかなか皆さんに知られることがないので、情報誌を作っています。不定期で刊行しています。最初に作った時は年間4冊。季刊誌で出していましたが、かなり大変になってしまい、今年は1冊しか出せませんでした。B5版の情報誌、フリーマガジンなんですよね。ページ数は、なんと200ページ。全部カラーなのですが、特徴は一切広告をとらない。フリーペーパーを否定するわけではありませんが、フリーペーパーは記事と広告が連動しているんですよね。掲載されているお店に行ってみると、う〜んと思うわけですよ。広告に頼っているビジネスモデルで、それで成り立っている記事の信頼度は低いなということを僕なりに感じて。であれば、我々が紹介したいお店をしっかり紹介していく媒体を持ちたい。物や食品だけでなく、作り手の思いなどにフォーカスしていくような作り手の顔が見える冊子を作っていきたいと、多い時で1回に7万冊ぐらい発行しました。基本的には大手の書店などには卸さない。某全国チェーンのレンタルビデオ屋に置かしてくれるという話になって、嬉しかったけど、お断りしました。なぜかというと、狙いが全く違うんです。某レンタルビデオ屋のレジに平積みされていたら有り難いですよ、皆さん持っていってくれるから。だけど、それってすごくマスを対象としたあり方で、情報の価値が下がっていくような気がしてしまい、それよりもその本がある書店や小さな雑貨屋さんに10冊届いて、Facebookで店主が入荷をつぶやいて、そのお店のお客さんたちが「それ欲しいからとっておいて」と返信して、その本が大切に人から人へ渡されていって、別府のことが色々な人たちの間で話題になるというような形がいいなと。この本は無料ですが、大切に扱われたいなというのがあり、そういう渡し方・情報の伝え方をしたいと思っています。おかげさまで2012年は全国で5万冊配布しました。2万冊は県内で配布しましたが、Facebookやツイッターの発信の数、さらにはそこからフォローしている数、友達の数を調べていくと、300万人以上に情報拡散されたということになりました。2011年に掲載されたあるフリーマガジンのイベントでの人気ランキングは3位だったので、2014年はそれ以上を目指そうとしています。

 

■永久別府劇場&フリースペースPUNTO PRECOG

 街の中の回遊拠点や、町と地域をつなげていく施設など、「platform」は現在7施設稼働しています。さらには、我々が運営している小さな劇場「永久別府劇場」があって、元ストリップ劇場なんですよ。今はストリップはしていません。我々が色々なイベントをしています。先月末は女優の鶴田真由さんが演劇をしてました。これらの施設はいうなれば、まちなかの公民館みたいなものです。我々のNPOも企画・運営に入っていますし、高齢者の方々も運営に入っています。様々な拠点が街の中で動いています。

 我々だけでなく、県外の方々も中心市街地に様々なスペースを出してくれるようになりました。PUNTO PRECOG(プントプリコグ)というフリースペースは、我々の仲間のダンスのプロデューサー、東京の方なのですが、そのチームが出したオルタナティブスペース。フリースペースで自由に扱えるような場所なのですが、キッチンだけあるようなとても狭い場所。そこが季節ごとに中身が変わるんですね。最初はベジタリアンのお店が入って、その後パン屋が入ったのかな。パン屋は朝7時からオープンして、並んで買えなかったこともありました。その後、喫茶店が入って、今はスープ屋になっています。毎回変わるので大丈夫かなと思っていたら、案外お客さんもついていたりしています。

 

■清島アパート

 様々な活動を通して、2つの商店街の空き店舗がなくなっています。僕が考えたのは、小さなスペースを稼働させ、とにかくハードにお金をかけないということ。色々な人が街に関われる仕組み、または関わりたいと思う気持ちを醸成していくことが非常に重要だろうと思っています。

 そのうちのひとつとして、僕らは「清島アパート」というアパートの運営をしています。2009年に混浴温泉世界というイベントをして、それに色々なアーティストが全国から関わってくれて、132組の方がこの場所に滞在したり、作品を展示したりしてくれました。混浴温泉世界以降も、我々のNPOが借りています。戦後すぐに建てられたアパートで外観はボロボロ、冬は結構寒いのですが、今は7組のアーティストの方々が入居されています。混浴温泉世界の時に、借りたいという思いを大家さんにお伝えしたら、1度は断られました。しかし、その後、何回かお話しする中で、「例えば、大学で色々な夢を語り合った人たちが、歳月を経た後に再会するような場所が別府にあったらとても素敵だなと思う」という話をしたら彼女に共感をいただいて、それから借りられるようになって今に至ります。当初は、混浴温泉世界の2ヶ月間だけ借りる予定でしたが、アーティストが大家さんと交流してくれたおかげで、大家さんが「アーティストたちにずっと住んで欲しい」という強い思いを持たれ、2009年からずっとここに住んでいる若い子もいます。そういう方々がずっと自分の場所だと思ってくれています。4畳半の部屋を2部屋渡されて、光熱費、共有スペースの最低限の消耗品、インターネットの接続料を我々が提供して、入居者から毎月1万円ずついただくという、非常に低コストでお貸ししています。黒字化する事業ではありませんが、完全な赤字というところまではいかない。そのぐらい家賃を安くしてもらっています。「アート版トキワ荘」を目指しながら色々なことをしていますが、7組の方々は1年間を通して地域の方々と交流してくれています。たまにアパートがメディアに露出することもあって、地域の色々な方々が遊びに来てくれるんですね。毎月、ここでバーベキューパーティなどを開催していますが、僕が行ってもほとんどが知らない人ばかりです。1日に150人ぐらい来て、僕が知っているのは30人ぐらいじゃないかな。そのぐらい少し僕らの手を離れて動いている場所です。

 清島アパートには、2012年まで8組入っていましたが、今年から7組になりました。なぜかというと、昨年入っていたアーティストが床を抜いて、砂を撒いてしまったんですね。そのままにして帰ってしまったので、みんなで色々考えてギャラリーにしました。「ギャラリー砂」と言って、床が砂なのですが、清島アパートのアーティストの方々が思い思いに個展をやっていました。様々な方々にも借りていただこうとしています。

 こうやって、街に人が一定期間でも住むということが、僕ら別府で活動する者にとって大変重要です。先ほどの街の方との交流もそうですが、我々が全てを引き受けてやっていくということではなくて、どんどん色々な動きが生まれてくることが重要だと思うんです。我々は、家賃を下げて生活のコストを下げる分、色々な制作にあててほしいと思ってアパートを運営しています。最近は、彼らの発表の仕方には美術館やギャラリーに作品を展示することだけではない、もっと違う社会との関わり方があるんじゃないかということを考えるようになりました。

 

■アーティストと店舗のマッチング

 3ヶ月ほど前に大分県でビジネスプランのあるコンテストがあって、アーティストと地域がつながっていく仕組みづくりというあり方を出品し、賞をいただきました。それを機に今進めているのが、アーティストと店舗のマッチング事業です。そのひとつとして、清島アパートのアーティストに仕事をお願いをし、コンビニに欄列するオブジェを作ってもらっています。コンビニで商品を選んでいたら、オブジェと目が合って「おっ」とするような仕掛けです。コンビニに商品を買うためだけじゃないお客さんが来てもいいんじゃないかというようなやり方です。せっかくだから何か買って帰ろうというところにつながればいいなと思っています。

 清島アパートに住んでいる絵描きの子がいて、その人は大体キャンバスに描くんですね。それはアーティストの仕事として分かりやすいけど、キャンバスや紙からもっと広がっても面白いねということになりました。これはケーキ屋さんとアーティストをつなげた事例です。ケーキ屋さんは、クッキーも販売していますが、そのクッキーには店名が書かれているだけなんです。美味しければ買うかもしれませんが、そこまでで終わってしまうものかもしれない。そこで、そのクッキー自体をアーティストのキャンバスにしたらどうかなと思いました。原画を読み込んで食べられるインクでプリントしているのですが、もちろん食べられます。パッケージもアーティストに作ってもらって、4枚入りで800円ぐらいで売っているのかな。ですから、食べられる作品、買って帰れる作品というか、そういう形で皆さんに紹介しています。

 こういう事例を20ぐらい積み重ねていって本に起こし、モデル自体をオープンにしていく。色々な商店街やお店でもこういう仕組みができるようにしていこうと思っています。このポイントは、2つ。ひとつは、マッチングをしていく時のつなぎ方の問題です。もうひとつは、県内のアーティストに限定しようとしていること。県内のクリエーターの掘り起こしをしっかり丁寧にしていくことが重要で、今アーティスト・ファイルを作っています。それを見てお店の方々に選んでもらう。商品を作る時は、お店の方々がお金を払っていかないといけないので、こういう形でプロジェクトを進めています。

 

■別府北高架商店街

 アーティストが街に住むようになり、色々な活動から仕事が少しずつ生まれるようになって、「何かこの街でできるかも」というワクワク感が生まれると、とても嬉しいんですよね。次の事例は、そういうことがひとつ引き金になっているのかもしれないなと思っています。

 JR別府駅のすぐ脇にある高架下の商店街ですね。こういうところは、どんどん古くなっていって、夜になると電気も消えて少し怖いんですね。高架下の商店街のすぐ脇、徒歩1分のところに、20111月末に僕ら事務所を引っ越したんです。引っ越ししてすぐの時に、我々の仲間が「喫茶店をやりたい」と言い出したので、この商店街を管理しているJRにお願いして喫茶店を開くことになりました。真っ白のカフェギャラリー的な感じです。もともと目の前に歌声喫茶店がありますが、非常に対照的ですね。仲間の頑張りもあり、色々な方々が集まるようになりました。古着のリメイクや自転車やオートバイをカスタムする夫婦、ニットデザイナー、レコード屋、美容室、イタリアと日本のハーフのレストランみたいなお店など、色々な方々が入っています。僕らが入った時は、空き店舗が8割だったんですよ。今は空き店舗は全くなくなって、人通りもあって、照明もついて、すごく明るい。みんなここの中でご飯を食べていったり、洋服を買ったり、髪の毛を切ったり、そういう通りに変わったんですね。JRの方も「面白い」ということになって、アーティストにトイレに絵を描いてもらったり、週末はフリーマーケットなどのイベントを開催したりしています。今はメディアにもよく取り上げられるようになりました。最初はこちらから取り上げて欲しいと言っていましたが、今は向こうが積極的に紹介してくれるようになり、逆転しましたね。

 この商店街から空き店舗がなくなっていったのは、2年半ぐらいですね。ポイントは、行政の補助金は一切入っていないこと。税金はゼロ。ちょっとだけJRが家賃を安くしています。面白い場所って、アーティストやクリエーターの方は好きなんですよね。ある方が勇気を出してお店を出したおかげで、みんな面白いことに改めて気がついて、空き店舗がなくなりました。ちょっと不思議なお店ばかりが入っていますが、2年間続いているので、そこそこお客さんがついたのかなと思います。ある場所をキレイに作り直して貸し出すことも重要だと思いますが、今ある既存の施設や遊休スペースを少し違った角度から見ていくと、こうやって面白くなっていく可能性があるんじゃないかなと感じています。

 

 

■混浴温泉世界

 今、別府の街の中で2つの芸術祭を行っています。1つは「混浴温泉世界」という芸術祭です。我々BEPPU PROJECTというNPOは「混浴温泉世界」の開催を目的に生まれた組織です。2005年に発足して2009年春に第1回目を開催しました。運営には、子供や背広を着ている人、車椅子の方など多くの方々がボランティアとして協力してくださいました。そのことに僕は大変感謝しています。   

 僕はこの芸術祭のプロデューサーです。その役割を一言で言うと、お金を集めることで、これが非常に大変なんですよ。ディレクターは芹沢高志さんという素晴らしい方なのですが、彼はプロデュースのもと、アーティストを選ぶのが仕事なので、楽しいんですよね。そんな芹沢さんが、「混浴温泉世界」というタイトルの発案者です。女性の会でタイトルを言うと、みんな目を背ける。不思議な名前ですが、色々なところで芸術祭のコンセプトを紹介する時に、いいタイトルだったなと思います。

 コンセプトは、ある場所にお湯が湧き出していて、それに地域の方々が気づいていく。何とかこのお湯を大切にしたいなと思い、お風呂の周りに垣根を作ったり、周りを草刈りしたり、つつじを植えてみたりと、色々なことをし始める。そのお湯を使うのは守ってきた人もそうだけど、市民も観光客も男性も女性も宗教も肌の色も文化も国籍も人種も全てを越えて誰もが共有できるわけですよね。お湯を緩やかに共有していくことは、もしかしたら色々な文化が共生し合っている姿かもしれない。しかしながら、特に別府の温泉は熱いので、長く浸かり続けることはできない。いつかみんなこの場所を去っていくかもしれない。でも、この場所をしっかり責任を持って守っていこうというある種の表明なんです。なので、我々にとっての「混浴温泉世界」は、BEPPU PROJECTの理念に近い考え方です。

 ただ、僕も体がひとつしかなく、色々なところに行って話をすることが難しいので、本も作っているんですよ。混浴温泉世界の2009年の記録集、興味のある方は読んでみてください。芸術祭が目指すことを伝えていく紀行文というのかな。芹沢さんのある種妄想を小説化している不思議な本なのですが、20123,000冊出してほとんど売り切れていて、アマゾンでもないかもしれないので、本当に必要な方は言ってください。

 この芸術祭、3年に1回開催しています。2009年に始まって、2012年も開催しました。右も左も分からない状態で開催した2009年の時は、実行委員会形式で行っていました。実行委員会には行政機関、大学、企業、NPO、色々な方々に参加してもらい、僕はプロデューサーとして全体の絵を描き、芹沢高志さんがアーティストを選んでいく。事務局はうちのスタッフが中心となって動き、そこに行政の方々のサポートがあるという構造で、ほぼ市民主体です。

 2009年も2012年も、国内外で活躍されている方々に別府に来ていただいて、この期間この場所でしか見られない作品を街の中に点在させようという企画でした。アーティストに、シャッター率7割の商店街に廃材を取り付けてもらいました。11店、不思議な空間を街の中に造っていく。照明が浮かび上がる独特の奇妙な感じでしたね。この場所で最終日の2日間だけダンス公演を行いました。テーマは「死」です。シャッター率7割でお店の方々の平均年齢75歳を超えています。そういう中でこのテーマは重すぎると思いましたが、アーティストが34ヶ月ぐらい商店街の方々と日常的に関わり、信頼感を得ていったんでしょう。制作中は何を作っているのかよく分からないんですよ。空き店舗に変な部品が転がっているわ、髪は長いわ、ちょっと変な人たちがいっぱい来たなと。もちろん、僕もアーティストを紹介しに回りましたが、何かよく分からないなというふうに見られていましたね。だけど、毎日朝から夕方まで一生懸命やっている姿を見ていると、労働には違いないなと思っていただいて、だんだん差し入れが届くようになったんですね。ある時、「最近、皆さん差し入れしてくださって嬉しいです」というアーティストの言葉が新聞に掲載されたんですよ。その日の夜に差し入れが届いて、それが寿司だったという非常に分かりやすいリアクションで()。そういう中でみんな頑張って作品を作っていって、ダンス公演を迎えました。別府の昔の風景をイメージさせるような人たちが歩いていって、その人たちがだんだん死んでいくイメージです。そして、その人たちがそこから再生していくという姿を映しています。盆踊りをして終わっていく。非常に重たいテーマだけれども、再生を感じてもらえればいいなと思っていたのですが、商店街のある方に「見方は色々あるかもしれないけど、なんだかいい葬式を挙げてもらった気分だ」と言われて胸にジーンと来ましたね。

 こういう商店街は延命のために観光計画や総合計画が始まることが多いのですが、僕らに来る話は非常に問題の大きいところが多いんです。その中で、どうやって延命するかということを求められることが多い。しかしながら、その地域の方々が望むのであれば、リセットしていくことも必要なのかもしれないなと考え、この講演をこの場所で行おうと決断したわけです。この場所は再生した方がいいですよということをいいたいわけではない。地域の方々がどうやって選んでいくかということも含めて問題提起を行ったつもりです。

 

 

■浜脇の長屋

 我々は、芸術祭を行っていくということをひとつの目標にはしていません。年間200本以上イベントをする中で、アーティストとともに地域の問題と向き合っていくということをプロジェクトという言い方で表現しています。

 2012年は混浴温泉世界で8つのプロジェクトを行いました。その8つのプロジェクトは同時開催され、「混浴温泉世界」という1つのプロジェクトとして浮かび上がっていく。日常の延長線上の中にあって、途中経過報告を芸術祭で行いたいというイメージを持っています。

 というわけで、「浜脇の長屋」というプロジェクトを行いました。これは「天空の庭」と「カボスの家」という2つの空間から成り、築100年を超えた長屋の一角にあります。私自身、子どもの頃から別府に馴染みはありますが、2004年末に帰ってきた時は、浜脇という別府の発祥の地といわれているこの場所に古い建物が残っていて、長屋も多く残っていました。帰ってきた時、区画ということが僕にとって非常に重要なことだと感じていて、街を歩いて楽しめる場所にしていくために、長屋には残ってほしいと思っていました。だけど、歴史的建造物でもないし、個人の持ち物だから、所有者の方が手放せば、駐車場やマンションに変わっていく場所なんですね。ある場所を残す時には、家主に責任がかかるわけです。例えば、街づくりに必要だと言われる建物を壊したら、商店街の方々は「別府市は何をやっているんだ」など色々なことを言うけれど、それを壊した家主の方は毎日心に痛みを抱えています。それはなかなか酷な話ですし、別府市が残さなければならない理由もありません。

 今回、「浜脇の長屋」というプロジェクトをしたのは、市民ファンドによって残せないかと考えたからです。この芸術祭には税金がたくさん入っていますから、民間のハードに投入するわけにはいきません。多くの方々の所有物になる仕組みづくりを考えていましたが、なかなか難しかった。そんな時に、「私がこの土地を買います」という50代の女性が現れたんです。土地も建物も残っていくアーティストの作品もすべて彼女が払い、芸術祭にアーティストが参加する部分やディレクションを行う部分は我々が支払っていくようにしました。そうやって残っていった場所です。

 「浜脇の長屋」を作ったアーティストは、廣瀬智央という方です。8畳間の中の4畳半ぐらいのスペースに切り込みを入れて、プール上の下にLEDの光が通っているんですね。その上にビー玉のようなものを並べているんです。そうすると、透過して空間全体が淡いブルーの光に満たされます。1番いい鑑賞方法は、長時間この場所にいるということ。67時間いると、ある体験ができるんです。吹き抜け空間にガラスを貼って、その上で寝られるようにしたのですが、アーティストがそこで何を感じてもらいたいかといったら、光の特性。この人工的な空間から、外に出ると辺りがオレンジに見えます。もう少し長いと、ピンクに見えます。光の見え方の特性としてなのですが、風景が全然違う色に見える。そういうことを感じてもらうようなひとつの仕掛けなのですが、そんな空間を簡易宿泊施設として運営しています。

 

■輪郭の多様化

 この芸術祭の収支、2012年でいうと約12,000万円ぐらいです。中型規模のフェスティバルで、別府市の負担金を入れてもらっていますが、4%という数字です。2030%ぐらいになると楽になるなと思いながらも、僕の経営のテーマは「輪郭の多様化」にあるので、色々な方々に協力してもらいながら整備していく仕組みを作りたいと思っています。

 2012年の参加者数は117,000人でした。同時期に開催した我々が主催する企画も合わせると、17万人となります。観光消費額、実際に使われたお金の金額が33,800万。様々な媒体への露出は8ヶ月の換算で335件程度。その合計を換算した数字が45,700万という数字になっています。

 誰が来たか。2030代の女性が圧倒的に多いですね。2030代の女性が全体の43%です。2030代の男性も入れると7割が集中しています。これが大変面白いことに、2009年の混浴温泉世界は約92,000人ですが、2030代の男女の割合が全く同じ数字でした。さらに瀬戸内で行われている芸術祭や新潟の越後妻有アートトリエンナーレを見ていくと、同じような感じです。やはり、2030代の男女が1番多い。新潟で水と土の芸術祭があって、1回目のデータを見ると、全く違うんです。1番多いのは60代の男性です。新潟市は主催も事務局も行政の方が主体としてやっていました。4億のうちの25,000万ぐらいは新潟市の税金でやっています。そういう構造の違いがあります。これは考え方が違うので、いい悪いの話ではありません。

 どこから来ているか。県外が6割なんですね。別府市民が13%、それ以外の大分県民が24%、合計して37%の方は日帰り客です。61%の方は何らかの形で宿泊されています。1泊が1番多いのですが、2泊がかなりのびているという数字になりました。

 

■ベップ・アート・マンス

 同時期に開催したもう一つの芸術祭、それは「ベップ・アート・マンス」というイベントです。毎年行うアートプロジェクトで、これは僕が大好きな企画で2010年から始めました。混浴温泉世界は世界的にも活躍するようなアーティストに別府に来てもらって別府のためだけに作品を作ってもらうという企画です。ですから、県外の方もアーティストを目的に訪れることも多い。

 ベップ・アート・マンスは、混浴温泉世界とは全く違います。毎年11月に始まりますが、12ヶ月の期間中に別府で開催される文化的なイベントであれば何でも登録できるというプラットフォーム型の事業なんですね。例えば、生け花の教室の方々の発表会など、全てOK。参加される方を質で選ぶことはありません。ただし、公示良俗に反するものなど、幾つかルールはあります。さらに、幾つかの会場を僕らが紹介することもありますし、有料の企画の場合はチケットの販売や予約の窓口は我々の事務局が行います。ベップ・アート・マンスは、誰かが何かをしようとする時のハードルを少し下げるという企画でもあります。

 2010年に始めた時は、27団体・43企画が登録され、実現しました。ちなみにベップ・アート・マンスに参加しても、我々が助成金を出すことは一切ありません。0円です。登録料はもらいます。2013年は75団体が1ヶ月で参加したことになりました。企画数は86企画。この4年間で企画数は倍になっていますね。団体数も増えていますが、ほとんどが市民です。素人に近い方々です。

 どんなことをするか。例えば、主婦によるフラダンスの発表会や自宅での写真展、小説家のいしいしんじさんによる執筆中の見学と原稿の配布という豪華な企画など、色々な方々が色々なことを催されています。2011年には、笑いヨガという企画がありました。カフェギャラリーをされている女性が主催者で、みんなで笑うのですが、笑っているうちにだんだん愉快になってくるという内容でした。2010年には、元関取が主催者で、街を1時間ぐらい歩いてカロリーを消費してから、消費したカロリーを取り戻すためにちゃんこを作ってくれるという、とても平和な企画がありましたね。元関取は参加者から「これアートなのかな」と言われて、「食文化です」と答えていました。確かに文化祭のようなプログラムが多いんですよ。なので、アート・フェスティバルというのはおこがましいかもしれませんが、僕はとても大好きな企画です。

 参加者は、60代の女性が多いです。結構お年を召された方も参加されてて、2012年の最高齢は99歳。この方は95歳の時に、ある日突然松ぼっくりに色を塗り始めてアーティストデビューした方です。実践する方が別府市民なら、来られる方も別府市民。お客さんも別府市民が多いんですね。県外が13%ですから、混浴温泉世界と全く逆ですよね。ベップ・アート・マンスは僕らがリーチできないような方々にお客さんとして来ていただいています。

 

 

■国東半島芸術祭

 大分県の北部、国東半島という場所でのアートプロジェクトについてご紹介します。この半島は、岩の山が大変多いんですね。ジオパークにも認定されるぐらい地質学的にユニークな場所で火山地帯です。また、1,300年前に山岳信仰と仏教がつながっていく神仏習合の発祥の地とも言われている場所で、お寺がたくさんあります。

 ここには日本でも最も古い田んぼのひとつがあります。1,000年続くものは日本で2箇所しかないと言われています。これは、田染荘という場所ですが、岩場なので磨崖仏や石仏が多い場所です。日本の石仏・磨崖仏7割が大分県に集中していると言われています。それは、火山岩のちょっと柔らかい岩質ということと、お坊さんが修業のために彫っていたということもあります。

 さらには、色々なお祭が繰り広げられています。毎年1014日に行われる、ケベス祭りでは、不思議な仮面をつけます。この仮面は神様なのですが、ケベスといいます。ケベスになる人はくじ引きで決められますが、その家族はお祭りの2週間前から家の外で火と交わらないということを守ります。ペットボトルのお茶を飲むのもダメで、子供たちは学校給食を食べません。弁当を持っていきます。こちら側からすると大変なことのように思えますが、この地域の人々にとっては当たり前のことだといいます。そのような風習を当然の如く数百年継続している地域。この地域だけでなく、国東半島にはそういうメンタリティがあります。

 この場所で2014年の104日から1130日まで約2ヶ月間、国東半島芸術祭というものを今実現しようとしています。これは別府と違って、主催者が行政です。大分県と豊後高田市と国東市という行政が中心となっています。そこから依頼を受けてディレクターも制作もうちが行っていますが、半島の中を6つのエリアに分けて道標となるようなアーティストの作品を設置していきます。このプロジェクトで重要なのは、作品をめぐる旅を演出していこうという考え方です。アーティストがパフォーマンスをしたり、滞在制作をしたりというものも入れますが、芸術祭の本質は歩いて半島を巡っていくという考え方です。

 実は今、キーンというブランドのシューズをうちがデザインしていて、国東モデルが2014年夏に商品として発売されます。宿泊も必要なので、宿泊の仕組みづくりなど色々なことをこのプロジェクトのために準備しています。昨年からこの準備が始まっていて、今年作品を少しずつ恒久施設に残していくことを進めていきながら、拠点作りも同時に行っています。

 2012年は、地元のNPOの方が耕作放棄地を花畑に変えようとしている運動があって、その場所にチェ・ジョンファという韓国のアーティストに作品を作ってもらおうということになりました。彼が作ったのは、低いところでいうと3〜4m弱のピラミッドなんですね。花畑のピラミッドになっていて、花の生育と共にピラミッドがだんだん成長していきます。つまり、農業そのもの。他には、オノ・ヨーコさんや千葉正也くんにこの場所で作品を作って残していってもらうなど、準備を重ねています。そこは国東市と豊後高田市の両市にまたがっているところなのですが、2012年には北の方から始めていきました。2013年はルート上に作品を作ります。道沿いや大きなダムに作品を設置しています。

 国東半島は岩の山で覆われているような場所です。両子山を中心として谷筋に集落ができています。一つひとつの山は高くありませんが岩山なので、隣の集落に行くのは結構大変です。ですので、その集落ごとに文化が全然違っていたという歴史があります。今は国道213号線が通っているので、少し便利になりましたが、ルートから中に入っていくという仕組みを作ろうとしています。地形的に雨が降っても半島の中に水が溜まるということは少なく、流れ落ちていくという構造になっています。ですから、ため池も、昔からこの地域の方々がすごく大切にされている場所なんですね。山に治水をするために、なるべく広葉樹を植えていました。特にクヌギが多いのですが、それを切って椎茸を作っています。この半島の椎茸の生産量は圧倒的に多いのですが、そういう循環のサイクルを作ろうとしてきました。1000年近いんでしょうかね。その歴史が評価されて、20135月にユネスコの「世界農業遺産」に認定されました。さらに2014年は、違うルート沿いに1つ、国道沿いに1つと、さらに作品が増え、入り口も2つ増えます。同時に色々なパフォーマンスや作品の設置があります。

 ここのひとつのポイントは、予算は混浴温泉世界の3倍ぐらいなのですが、僕はあえて作品の数を少なくしました。恒久設置をしているのは6箇所のみです。一つひとつのプロジェクトに時間をかけてやりたいというのがひとつあります。また、数が点在しているのではなくて、どうやってこの半島を体験していくか、旅によって生まれていくというコンセプトを作っていくために、数を絞って作品を深くしていこうという考え方でやっています。

 

■国東半島芸術祭のプレイベント

 2012年、この芸術祭を行うために、プレイベントとしてツアーを作りました。これはアーティストにお願いしたんです。演出家の飴屋法水という方なんですね。彼と共に小説家の朝抜麻理子という方、音響のザックさんなど様々な方々に関わってもらって、アートツアーを作りました。別府からバスが出発して12時間かけて半島を巡っていくというかなり長いツアー。別府から1時間半かけて1番最初のポイントに来るわけなんですね。誰も通らない、電気もついていない、真っ暗な廃トンネル。何の説明もなしにここに連れて行かれて、紙を渡されて「460m。反対側で待っています」と書いてあるだけなんですよ。真っ暗なトンネルの真ん中で懐中電灯を上に向けるんです。黒い物体がいっぱいついているなと思っていると、飴屋さんが「コウモリです」というんです。何百匹? 何千匹?と思ってみていると、電気を消され、また歩いていく。怖いったらありゃしないというか、他の動物もいるんじゃないかといいつつドキドキしながら歩いていく。こういうような形で様々な場所で様々な人と出会ったり、廃屋の中で音を聞かされたり、ご飯をいただいたりしながら、不思議な体験が繰り返しあるんですね。何の説明もないけれど、巡っていくうちにジーンと来るというのが、このプロジェクトの特徴です。201211月の毎週末に9回このバスツアーを行いましたが、毎回満席になって、最後はキャンセル待ちが300人を超えたのですが、今でもまたやって欲しいといわれるプロジェクトになりました。2014年は、地域のガイドの方々と共に巡っていくロングトレイルという歩いていく旅などを行っていきたいなと思っています。2013年の参加アーティストを簡単に紹介すると、アントニー・ゴームリーという方。山のがけのところに、彼の作品を設置します。あと、日本を代表する演出家・ダンサー、勅使川原三郎に彫刻を作ってもらおうとしています。秋にはこの場所で彼にダンスパフォーマンスを行ってもらおうとしています。こうやって少しずつ準備を積み重ねながら、2014年の歩いて旅する芸術祭の仕組みを作ろうとしています。

 

■大分トイレンナーレ

 国東半島芸術祭は大分県の北部で行っています。僕はディレクターとして関わっています。2015年の春には、隣の大分市で行っていくプロジェクトが、大分トイレンナーレといいます。大分市の職員が企画して提案するもので、市長が1つだけ面白いものを選んでそれに予算をつけて行うという企画なのですが、「トイレのみを会場とするアート・フェスティバルをしたい」ということで、市から相談を受けました。コンセプトは「開く」なのですが、ともかく街の中の1番奥、そういう場所を開いていくと。例えば、建物の4階にある映画館のトイレに作品を設置する。そういうのが30箇所ぐらいあるんですけど、そうやって奥に奥に入って行くという企画を作ろうと思って、今年4つのトイレをアート化します。こっちのプロジェクトは若いアーティストが多いのですが、最近面白くなり始めてます。

 

■大分県全体にアート・ネットワークを

 次回の混浴温泉世界は、2015年の夏に開催されます。僕が企画していいことになっているので、毎回季節が変わります。最初は春で、2012年は秋で、次回は夏にしようという非常に緩やかな考え方なのですが、ある意味ライブなんですね。色々な人と地域の方々が出逢っていくということを誘発させていくことを大切にしたものです。

 同時に幾つかプロジェクトが動いています。

 僕らが関わっているわけではありませんが、県内の色々な地域で地域性を生かしたアート・プロジェクトを色々な方々が行っています。一つひとつの方向性は全然違います。ただし、別府は別府、国東半島は国東半島らしいあり方。大分は歴史を辿るというよりも、ひとつの都市の機能をモデル化していくという形を今考えていますけども、地域地域のあり方の中で、文化的なものと地域がつながっていこうという仕組みが生まれようとしています。いうなれば、これはひとつのアート・フェスティバルを美術館で行うという文化振興の縦割りの中での事業というよりは、福祉・教育・地域活性化・観光など色々なものを文化が支えていくというイメージです。こうしたイメージを持ちながら、大分県全体にアート・ネットワークを作っていこうということを勝手に考えているんですね。色々な地域のコンセンサスはとっていませんが、今から進めていこうとしています。

 

 

質疑応答】

 

Q.私は富山県内を県外客にご案内するというプロジェクトを行ったこともありますが、国東半島のツアーがキャンセル待ち300人超えということで、募集の仕方や金銭面などがどういうふうになっていたのか興味を持ちました。少しお聞かせいただければと思います。

 

A.2012年のツアーは料金が4,500円だったかな。12時間で2回食事が出るんですよ。1回目は発酵玄米といってフードコーディネーターが1週間練り続けて発酵させたものをおにぎりとして出したり、軽食だけど結構お腹がいっぱいになる料理で4,500円はちょっと安すぎたかなと思っています。旅行は色々なことがあるので、販売は僕らができないんですよ。代理店が窓口となって販売していく。宣伝に関しては、この時はPRの専門家を入れていません。僕らのチームがわりと中心となってやっていました。思ったようにPRができていたとは思っていませんが、色々なライターさんに先に国東半島を見てもらおうということで、NPOが国交省から別の事業で半島の活性化みたいなものを持ってきて、半島が動くから色々な人に見てもらうためのモデルツアー的なものを作りますという形で、色々な方に事前に見てもらうツアーをしました。無料でお土産もついてくるようなものなのですが、事前に見てもらった上でこの場所でこのような形のものが行われるんだということで興味を持ってもらうというやり方をしましたね。色々なメディアでご紹介してもらったということもあって、7割ぐらいが県外客でしたね。これはひとつ仕掛けがあって、朝8時から別府から出発なんですよ。そうすると、県外の方は1泊しなくちゃいけない。8時くらいに終わるから、2泊します。そういう手を使いました。

 

 

Q.国東半島に踏み込む時に、あちらの方の反応や感触はどんな感じだったのですか?

 

A.ツアーを行うことに関しても色々な説明会をしますが、主催者側がよく分かっていないこともあって、2012年は伝えていくのが大変だったんですね。1回やると「飴屋さん、またきて欲しいな」といわれるようになりましたが、これは僕よりも行政側が言っているんですよ。それだけ反響が良かったし、県職員も口々に良かったといっている。

 

Q.どんなチームの方とどんなふうに関わっていらっしゃるのかお聞きしたいなと思って。

 

 

 

A.国東に関しては我々が主催者じゃないので、勝手にやっていくわけにはいかないんですよ。国東半島芸術会議というのを企画して、このぐらいの部屋に300人ぐらいが来たことがあるんですよ。もう大変でみんなが立って、シンポジウムといいながらも全員に話を聞いていくということをやって。そういうことをやりたいんです。こっちの一方的な思いだけでなくて、色々な人の色々な思いが出てきて。僕にとって重要なことは、作品が生まれることじゃない。自分たちの子どもや孫にどう残していくか、未来をどうやって作っていくかということを、ひとつの芸術祭というものを通して、もしくはスタートにしながら、市民がみんなで話し合っていくということが生まれるのが理想です。それは別府でも同じなんですよ。だからこそ、アート・マンスとか商店街が生まれたということが重要で、あれは僕らは何もしていないですから。それが僕にとって1番嬉しいことですよね。国東は今、ようやくスタートし始めていています。1番最初に、みんなが創造的に物事を考えられる、発言できる、それが許される場なんだということをいいましたよね。それをやりたいと思っています。

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