レポート

まちづくりセミナー2013

まちづくりセミナー 第三回講演録 講師 太田浩史氏

2014/02/07 

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■都市再生のための空間デザイン

 

 太田です。私は30歳ぐらいまで東大の助手をしておりまして、それからデザインヌーブという事務所を立ち上げて、その後東京大学国際都市再生研究センターに戻り、今は東京大学生産技術研究所の講師をしております。事務所を設立した最初の仕事が氷見の民家の改修でして、車で通っていました。その話は途中で立ち消えになりましたが、その時から富山にはよく来ております。19951996年頃から富山は随分と変わられて、とてもすごく好きな街です。

 というのも、私は30歳頃から建築の設計と一緒に都市のことをやり始めましたが、世界中の都市が幸福に包まれながら都市再生をしている中で、日本だけがどうもムードが違うんです。そんな中、富山だけが希望と政策がうまくかみ合った実験的なことをしているんじゃないかと思っているからです。

 また、私は「東京ピクニッククラブ」という任意団体をやっており、ピクニックの色々なご縁で街づくりをされている方に会っております。それから、東大再生研で都市再生学の研究や、デザインヌーブで福井市中央公園の改修などをしていますが、今日は研究や建築の話はせず、遊びながらやっていることをお話しするのが面白いかなと思っております。

 

 

■ポピュラスケープ 〜世界の都市人口を表現〜

 8年前、「ポピュラスケープ」という、世界地図の上を夜間飛行する10分間のムービーを作りました。世界の都市は一体どのようになっているか、8,400の都市の人口を棒グラフにし、ビルとして表すことで、世界の都市人口をすぐに把握できるようにしています。1階建ての都市が10万人、10階建てが100万人、東京だと120階で1,200万人、富山だと4階の建物になっています。ヨーロッパには34階建てが多く、富山の40万人というのはヨーロッパの有名な都市に大変近いということが分かります。

 ポピュラスケープは3回目で満足のいくものに仕上がりましたが、私は監督とプロデューサー、私の妻の伊藤香織がデータ収集とスクリプト(動く仕掛け作り)、そしてCG2人、音楽係が1人、計5人で作りました。すごく好評をいただき、パリやリンツ、韓国でも何回もやっていただいています。また、2011年からインターネット上で公開しているので、vimeoというサイトで検索すると、ムービーが全部見られます。解像度の高いパソコンで見ますと、文字がハッキリ見えますし、情報量も増えますので、そのようなパソコンで再生されるといいかなと思います。

 

■ポピュラスケープ 〜都市の時代〜

 もともとの発想は、「星の王子さま」のサン=テグジュペリ。サン=テグジュペリは、作家であると同時に、郵便輸送のパイロットなんですね。彼が書いた「人間の土地」の中で、飛行機の下に広がる夜の街のことを語っていまして、「灯火たちよ」と呼びかけるシーンがあるんです。それが頭にあって作りました。 

 ポピュラスケープを作ったもう一つの理由は、世界の都市人口がすごく増えていることにあります。世界人口は1900年初頭に16億人くらいだったといわれていますが、2000年に60億人になり、今は70数億人という数字だと思います。2050年に93億人と聞いていますが、とにかく驚くほどのスピードで人口は増えている。農村部では人口を栄えることができないので、都市に出てくるしかない。日本も戦前戦後に都市化の時期があって、東京や大阪に農村からたくさん人が出てきて、工業やサービス業に従事するという現象があったわけですよね。その都市化が世界的に進行しています。110年前は世界人口の8分の1しか都市に住んでいなかったのに、21世紀はその半分以上が都市に住んでいる。だから、サスティナビリティという言葉を考え詰めていくと、都市をどうするかが答えであるということになるんですね。50%を超えたのが2000年なのか2010年なのかは不明確ですし、どこから都市人口を数えるかも曖昧ですが、私たちは都市の時代に生きているということです。

 

■ポピュラスケープ 〜中小都市の重要度〜

 ポピュラスケープの元データはドイツ人がまとめたExcelの表でして、その表には緯度・経度・都市の人口・都市の名前が書いてあるんですね。人口ごとに都市を分布していくと、東京やニューヨーク、ムンバイなど1000万人以上の都市は数が少なく、富山が位置しているような2050万人の都市やポピュラスケープに入れている510万人の都市も数えれば、世界の半分は中小都市に住んでいることになります。都市論というと、どうしてもメガシティ論になりがちですが、それだけでは不十分で、それ以外の中小都市、100万人都市、50万人都市、20万人都市、それぞれが星座のように全体の都市システムを作っていると考えた方が良い。ヨーロッパは2050万人の都市が大変元気で、それがヨーロッパの情景を作っているということがだんだん分かってくるわけです。

 ムービーを作ってみて分かったことも多いのですが、色々なサイズの都市を実際に見ようと思っています。ただ、仕事や費用のことを考えると、どう頑張っても行けて年間20都市。それでも毎月新しい都市を2つ見なきゃいけない。ただ年間20都市でも、8400都市となればどうやら420年ぐらいかかるということが分かって、絶望的な気分になるわけですよ。

 人口は1年で1億人と、すごいスピードで増えていますから、1日に30万人ぐらい増えているんですね。その半分か6割が都市に出てきているので、11820万人が都市にどんどん流れ込んでいると。1番都市化が激しいのはアフリカ、次に南米、それからインド、パキスタン、東アジアですね。そういうところで人口が1820万人増えているから、100万人都市を毎週作らなきゃいけない。これが我々の21世紀であり、大変なことではありますが、皆さんの考えや新しい住まい方、富山の問題、もしくは東京の問題のようなものが、同時に毎週作られる100万人都市の治験にもなるのだろうなと思っています。

 

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■都市再生にまつわる著作本

 都市訪問は2003年からずっと行っていて、201311月に198都市になりました。あと2都市で200都市なのですが、とにかく自費で行っています。各都市のマグカップもたくさん集まりました。色々な都市を見てきて、研究センターの時に「世界の都市再生事例100」という本を出しました。僕は世界の都市の都市体制の事例など、7都市を書きましたかね。また、妻が中心となって取り組んだ「シビックプライド」という本は、2008年くらいに出しました。今度、日本版を作ることになっており、色々な都市の再生事例を調べています。建築の人はお聞きになったかもしれませんが、都市をどうやって造るかという「建築設計資料集成」という本がありまして、その都市再生編を作ります。20141月に刊行される予定です。

 つまり、日本においても都市再生は、いよいよ実践の時期になってきたと思っていまして、日本の津々浦々の実践から何か参考になる本を作ろうと思っています。私の研究室では、バーミンガム、ロンドン、ニューヨークなど、色々な都市の図面と建築の図面を一生懸命起こして、資料として作っています。あと、宣伝させていただくと、「都市再生とデザイン」という今日のタイトルと似たような本を出すつもりです。色々と都市を見てきましたので、それを1回まとめてみようと思っています。学生が建築を見るツアーというのがよく行われますが、例えばバルセロナに行ってもバルセロナの街づくりが分かるガイド本がないんですね。で、トラムに乗り忘れたり、ウォーターフロントに行き忘れたり、広場を見落としたりして帰って行くので、僕の行ったすごく印象的な都市を選んで、その解説をしようと思っています。富山はもちろん入っています。富山は教科書的にもすごくいいところだと思っています。

 

■都市再生の始まり

 僕の見立てでは、1992年がヨーロッパにおける都市再生のブームの始まりなんですね。1992年はバルセロナ・オリンピックがあった年なのですが、その年からウォーターフロントの話や公共空間の話が随分と盛んになってきました。その背景にはEUの統合にあたって、EU全体の共通の政策として都市再生をしようという気運がありました。それから、色々な建築や都市が出てきて、97年にビルバオのゲッケンハイム、2000年に創造都市論が盛んになる。2008年のリーマンショック以降は、かつてほどではありませんが都市再生が進んでいます。最初はヨーロッパなのですが、それが世界中に広まっていったというふうに思っています。

 

■都市再生時代の幕開け

 20都市の20年間の事例をお伝えします。例えば、ジェノバというのは、公安都市中の公安都市。コロンブスの出身地であることはご存じだと思いますが、マルコポーロが東方見聞録を書いたのもジェノバの牢屋の中なんですね。ベネチアと戦って捕まってジェノバに閉じ込められ東方見聞録を書いて、それがコロンブスに影響したという。公安都市の再生が、関西空港を建築したレンツォ・ピアノによって、1992年に始まるんですね。それが、色々な都市に影響していくという構図があります。

 コペンハーゲンのストロイエという中心市街の歩行者空間は、1962年からずっと取り組んでいますが、その30周年に本格的に車を排除して地面の舗装の整備や広場の拡張をしています。この辺はクラシックとして大変重要ですね。 

 

 

受け継がれる80年代の実験

 サンフランシスコのブエナ・イェルバ・ガーデンも再開発としては、超高層ビルをたくさん建てるのではなく、周囲の低層の建物に馴染ませ、オープンスペースを造りながら開発していくというものです。大変素晴らしいプロジェクトだと思います。

 フランスには、ロワイヤル・ドゥ・ルクスという巨大人形劇のパフォーマーがいまして、ナントを拠点に、ルアーブルでパフォーマンスを始めました。ルアーブルの人口は20万人、ナントの人口は30万人。フランスは地方分権と大道芸みたいなサブカルチャーの文化政策が並行しますので、パリ中心の文化ではなくて、地方都市であるナントもしくはルアーブルでこういう実験的なことが1993年から始まりました。

 

■新しい都市の言語、蘇る中心市街地

 富山とも関係しますが、1994年にトラムがストラスブルグで始まります。ユーロトラムという車体で、車軸がなく窓面が広い低床式のトラム。中心市街の交通政策と中心市街の活性化と密接に関係しています。そのユーロトラムが、富山のセントラムやポートラムのモデルのもとなんですね。

 あと、大事なのは、コペンハーゲンで自転車政策が始まる。それから、バルセロナの中心市街では、現代美術館の前に立ち並んでいた建物を全部壊して広場を造るんですね。その広場が中心市街の住民の人たちの社会的ツテとなります。そのような広場がバルセロナの中心市街にはたくさんあって、色々と参考になる事例だと思いますが、それが1995年に始まっているということです。

 大事な話を富山に即して言うと、公共空間を活用するために、とにかく色々なことをやっています。ルッセルブルグでは自動車道を全部埋めて、その上に芝を植えてピクニックのできる場所にしているんですね。東京も首都高を埋めるという話がありますが、20年前からルッセルブルグはそんなこともやっています。ルッセルブルグの人口は7080万人ぐらいじゃないかな。そんなに珍しいことではないですよという事例です。

 

グッゲンハイム効果と都市ツーリズム

 ビルバオ・グッゲンハイム美術館は、乗船所跡地にアートギャラリーやホテル、コンサートホールなどを造って、都市ツーリズムの拠点を作りました。ビルバオは自由工業の街なのですが、その美術館に来る観光客が増えて新しい産業を得ることができた。グッゲンハイム効果といわれる大変有名になった例です。

 ヨーロッパの都市再生のひとつのコンセプトは、経済格差をなくすことです。失業率が1番高いのは、断トツでスペイン。次がアイルランド、それからイタリア。そういう地域では、建築の力、もしくはパブリックスペースやアートの力を借りながら、新しい産業を作っていくということになります。20年取り組んでも失業率がなかなか下がらないのが難しいところなのですが、ヨーロッパでは都市再生が雇用対策、もしくは産業育成にものすごく重要になっています。

 

都市建築がつくる新たなコンテクスト、ミレニアム前夜

 1998年、ベルギーにポツダム広場ができました。ここにベルリンの壁が立っていて、東ドイツと西ドイツの国境で誰も入れない鉄条網の場所だったのが、ポツダム広場に改装することで、東側と西側をうまくつなぎ合わせました。また、リスボンでは、オリエンテ駅を造って、ポルトガルやスペインからフランスに至る高速鉄道のラインを作りました。新幹線を造ることでヨーロッパ全体の都市ネットワークを造ろうという話が、1998年頃から動いています。

 1999年のミレニアムの前夜にも色々なものがあるのですが、イギリスでは中心市街とクライド川の連繋を長さ1.4kmの歩行者専用道によって実現しました。また、フランスのリヨンでは光の祭典が行われました。

 

■再生の拠点とシビックプライド

 2000年は「創造都市論」が出版された年なのですが、都市ツーリズムの重要性はビルバオの話でだいぶん認識されてきて、美術館などの街のクリエイティビティを見に来るツーリストが街のひとつの活力であるということが分かりました。アートだけでなく、新しいインターネット系の企業やバイオ、大学など、都市が新しい価値を造るということが見直されている。金沢も創造都市理論を言っていますが、そのモデルになるナントにはシンボリズムなリュ・ユニークという建物が建っています。ビスケット工場をリノベーションしてアートセンターになった建物です。北京でもそういうことが行われていて、かつての化学工場がアートセンターになっている。それから、ミレニアムブリッジ。これは後でもお話ししますが、イギリスのニューカッスルゲーツヘッドで創造都市の取り組みが始まります。

 

■異形の都市再生、都市再生デザインの第2世代

 2002年はメルボルンのフェデレーション広場、横浜フェリーターミナル、イギリスのブルリングなど、もっと世界的に都市再生が展開しています。2003年には、ボルドーでシトラスブルグの次の世代のトラム、シタディスが走り始めます。ヨーロッパの中心市街は景観が大事ですから、シタディスは郊外を走っている時はパンタグラフから電気をとりますが、中心市街ではパンタグラフを閉じて床面のレールから充電するという仕組みになっています。普通に通電していると感電してしまうので、車体が覆っているブロックだけに通電するようになっているんですね。通電するゾーンがトラムの進行に合わせて動いていくというものです。色々なトラムに乗りましたが、ボルドーが1番美しい。パリから2時間半ぐらいで行けると思いますので、パリもいいけどボルドーもねということで、すごくいい街だと思います。

 今度は、都市空間を一時的に使うことがツーリズムと絡んで増えていきます。2002年ぐらいにプラージュという、パリのセーヌ川に砂を持ち込んで、バカンスに行けない人たちのためにビーチを造るというのが始まるんですね。7月ぐらいになると、みんなビーチバレーをしたり、体を焼いたりしていますが、都市空間を面白く使うというのが、2000年のミレニアムの後に増えてきたと思います。

 

 

■スペクタクル化する都市

 ドイツのバーデシフ・ベルリンは、ベルギーのスプレー川にプールが浮くという大掛かりなものです。これは、ベルリンから外れたアートギャラリーなどがあるところに突然あって、パーティやイベントが行われています。冬になると、屋根付き温水プールになります。もともとある都市空間に新しい価値を加えながら、どんどん使い倒していくという事例が出てくるようになりました。

 新しい発明も進んでいて、コロンビアのメディジンではロープウェイを使った公共交通が走り始めます。足もとがスラグなんですね。70年代に人が都市に集まってきたので、道路を造ることができなくなった代わりにロープウェイを建設しました。ここに行くと、下から子供たちの声がぐわーっと上がってきて、ものすごい迫力。スラグですので危なっかしいのですが、新しい21世紀の都市の風景だなと思いました。

 

 

■既存の都市インフラの活用、世界に広がる都市再生

 そして、富山のポートラム。既存の都市インフラの活用ということで、セントラムももちろん好きですが、試みとしてはもともとの車線を生かしたポートラムに汎用性があると思っています。しかも、東岩瀬とのカップリングで中心都市と離れたところと2つあって、画期的だったなと思います。車体を使って街の人たちを巻き込むデザインが考えられていますが、できたものをどうやって街の人たちにデリバリーするかもちゃんと考えてある。単なる交通政策を超えた総合的な取り組みが富山で始まっているということだと思います。

 オーストラリアのアデレードには、ものすごいキレイな広場があるんですよ。モスリー広場というのですが、色々見た広場の中で5本の指に入ります。19世紀の半ばぐらいにできました。19世紀末から路面電車が走り始め、その終着駅がモスリー広場の一辺にあるんですね。その反対側にあるのが、タウンホール。路面電車のすぐ横にも向かいにもカフェがあります。広場の一辺角がすこーんと空いていて、海に向かって開いています。しかも西側を向いて開いているので、サンセットが広場に差し込んでくるんですね。その海から200mぐらいの桟橋があって、海からさらに桟橋に行くことができます。この広場は、シドニーやメルボルンからも少し離れたアデレードの、さらに郊外にあるGlenelgという街にあります。さらにそこから離れて海に桟橋で行くという、離れ離れた場所にキレイな広場があるということにすごく驚きました。

 昔はビーチリゾートというのがすごく流行っていて、海にはお化け屋敷や水族館がありましたが、今もそういう文化が残っているんですね。東岩瀬は少し違うかもしれませんが、僕は東岩瀬の終着駅が海に向かって開いていてほしいと思っています。素晴らしい風景が来た人を迎えて、そこでちゃんと時間を過ごして帰って行くことができたらいいんじゃないかなと思って。もしも、メルボルンに行かれることがあれば、アデレードにも寄っていただければと思います。

 

 

■ リーマンショックの試練、パブリックアートの成熟

 2008年、リーマンショックがあって、結構大変だったみたいですね。イギリスはバブルが弾けたので、失業率が増えて住宅の価格も6割ぐらい落ちてしまいました。ヨーロッパの経済は色々変わり、アイルランドでは色々なものがストップしましたし、スペインでも色々なものが溜まって、今でもその状況にあります。

 僕が都市を始めたのは2003年からなのですが、20032008年までの間はめちゃくちゃ面白かった感じがあります。バブルといわれるかもしれないけど、メディジンにロープウェイができたり、ニューキャッスルに橋やアートなど色々なものができたりしたので、2008年近辺の実験的なものはちゃんと評価したいなと思って本を書きました。

 アートも色々な試みがありますが、ニューヨークでは、エリアソンというアーティストによる、滝を出現させるというプロジェクトが行われました。ポンプを持ってきて橋の下に滝を造るんですね。ブルグバーグ社と市長の寄付で行われましたが、今までにない都市の風景を創り出すことで、ツーリズムをプロモーションすることができました。パブリックアートは都市ツーリズムと関連しながら、ここ10年ぐらいは進んできているなと思います。

 ニューヨークのハイラインも有名ですね。鉄道の軌道を生かした高いところにあるブリッジのような公園です。また、2009年には、水都大阪のフェスティバルが始まりました。ウォーターフロントのフェスティバルとしては、日本の中では特に重要なフェスティバルだと思っています。

 

 

■加速する都市ツーリズム、パブリックアートの成熟

 色々な建築的発明から都市ツーリズムはどんどん進化しまして、シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズでは、とうとうプールが宙に浮きまして、こういうことが都市の生き残り戦略として大事なんだなと思いました。

 アメリカのリンカーンロード111は、建築家・ヘルツォーク&ド・ムーロンが駐車場ビルを設計し直したもので、単なる駐車場だけでなく、イベントホールやレストランなどを備えています。中心市街にありますが、ムードとしてはロードサイドっぽいんですね。車で入って車で降りるというシステムなので、中心市街と車の共存という、ひとつの面白いモデルになるのかなと思っています。

 ポルトガルのポルトでも、都市ツーリズムとしてロープウェイが走り始めるんですね。ロープウェイを造るために、橋の車道を縁に付け替えて、トラムと歩行者のための橋も造られました。ロープウェイの左側には中心市街があり、右側にはポルトワインの酒蔵があります。本当かどうか分かりませんが、ポルトガルの学生に言わせると、ポルトの2大輸出品はワインとコルクだということで、ワインは非常に重要な産業なわけです。街の中心市街からケーブルカーに乗って川沿いまで降りていき、川沿いのレストランで食べて、橋を渡ってワイン蔵を見てワインを買って、そこから今度はロープウェイで登って、登ったところにトラムの駅があって中心市街に戻ると。立体的な回遊性に現代的な交通の発明が総動員されていまして、そのループが閉じたのが2011年なのですが、面白い考え方だなと思っています。

 そして、9.11のメモリアル。アメリカは90年代はあまり面白いものはありませんが、ニューヨーク、ボストンとプロジェクトが続いてきて、都市再生というのはヨーロッパを中心に世界的に広がりつつあるのかなと思っています。

 

 

■複合的なアプローチが重要

 僕が198都市を見てきて思うのは、色々な発明的、もしくは実験的な試みが行われていて、第2世代のトラムや第2世代のロープウェイを造ってみたり、ロープウェイと広場とトラムを組み合わせてみたり、イノベーションを組み合わせたりと、複合的なアプローチが当たり前になってきているんですね。複合的なものを同時に扱えるというのがすごく重要で、自転車政策とトラムと広場と中心市街の居住促進を組み合わせている富山というのはとても珍しいと思っています。

 

 

■都市再生プロジェクトの配置論

 都市再生プロジェクトの配置のことを中心に研究しています。

 バーミンガムの場合、街の真ん中に高速道路があって、高速道路から外に出るアクセス路がなくて、街が分断されちゃったんですね。バーミンガムはイギリスで1番の工業都市なので、ドイツ軍がかなり空爆したんですよ。戦後に近代都市計画が起こって、車主体のなかなか歩くことのできない中心市街になったと。それを90年ぐらいから細かくつなぎ直して、車を降りることなく1周できるルートも造られました。20年かけて造るというその根気には頭が下がりますが、大事なのは一気に面開発するのではなく、プロジェクトを分散させて、それぞれの関係をとりながら進めていくということなのかなと思います。

 ジェノバでもプロジェクトが離れているんですね。離れたものを連携させていくという仕組みになっています。ニューカッスルゲーツヘッドでも色々なプロジェクトが分散しますが、歩行者空間でつないでいくんですね。バルセロナは、先ほども述べましたが、建物を全部壊して広場にしています。道は回遊できるようになっていて、点と線を組み合わせることをやったんです。

 日本はどうかというと、東京の例なのですが、丸の内、大手町は都市再生を頑張っていますが、エリア内で建物を玉突きのように変えていくんですね。北側の神田に人がなかなか住みださず、日本橋と丸の内も切れています。駅からは三菱地所と三井不動産のバスが別々に走っていて、もったいないじゃないかと。連携させないと相乗効果が出ないはずなのに、日本ではなかなかできていないんじゃないかということがあります。また、六本木でも、六本木ヒルズ、ミッドタウン、ナショナルギャラリー、この3つがバラバラなんですね。ちゃんと整備したらいいのではと思いますが、行政ではリンクするということはなかなかやらないです。なので、今後の日本の都市再生はもっとリンクさせる工夫をした方がいいんじゃないかと思っています。

 

■リンク型の都市再生と、ゾーン型の都市再生

 エリア内の再開発をゾーン型、分散した要素を街路でリンクさせるのをリンク型と呼んでいます。富山も全部焼けてしまいましたから、街路全体を新しく造るというのが考え方としてあったと思うんですよね。東京では、お屋敷、もしくは駐車場や工場跡地を再開発するということで、面開発がひとつの主流としてあったと思うのですが、そういう敷地もどんどんなくなってきているので、小さな開発をうまくつなぎ合わせながらやると。バーミンガムのように施設を離して、その間の歩道の整備をきちんとやる。そうすると、必ず人が行き交うので活性化されるんですね。ショッピングセンターでダンベルタイプというものがありますが、大きなホームセンターと西友みたいなものがあって、核施設の間を靴屋や服屋で埋めていくと。西友には必ず行って肉や牛乳を買うし、ホームセンターもわりと行くので、必ず買う物とついで買いというか、ちょっと欲しいなというものを間に置いていく。そういうのがショッピングセンターのダンベルタイプ、もしくは21モールというプランで、基本的にはそれと同じような考え方です。核施設が分散していて、その間を動いて、ついで買い、衝動買いをする。これは小さなスケールで再生を細かく積み重ねていく富山にはいいのではないかと。実際に富山はそういうやり方で中心市街を変えていくというふうに思います。

 

■バーミンガムにおけるリンク強化施策

 バーミンガムでは90年代に色々な政策が始まりました。街の真ん中に高速道路があるのですが、高速道路の右側と左側には地下道を通らないと行けなかったんですね。地下道は暗くて汚くて、男の僕でもちょっと怖いなという感じなので、誰も通らなくなるわけですね。

 そこで、彼らが最初にやったのは橋を架けたことだったんです。右側と左側を地上で結び、ビクトリア広場を整備し、国際会議場とコンサートホールを造り、サミットを開き、ホテルを誘致した。運河があるので、ウォーターフロント開発を始めたわけですね。歩行者専用路を伸ばして、1km歩ける空間を造りました。その後に今度はそれを複雑なループ状にして、その先にまた開発をしました。そこにはショッピングセンターがあるのですが、その中はずっとモールになっていて、歩いていくとファサードのところに来て、駅へ戻っていけるというループが造られているわけです。それから運河の施策も造っています。 

 設計図を見て面白いなと思ったのは、用地の広さではなく、中心を示しているだけなので、20年の間に事業者や土地取得の状況が変わって、面積が変わっても対応できるようになっているんですね。点と線の良さは、そういうフレキシビリティを持っていると。このプランがどうなったかというと、実際は整備拠点があって、少しずつネットワーク化されてきました。それぞれの開発の拠点の間隔は200300mという、休まないで歩いて行ける距離ですね。それより長いと休もうかなという気分になってくる。そういう密度で開発をしてきたのですね。また、拠点をネットワーク化することだけでなく、建物を隣の点にどうやって接続するかということがちゃんと織り込まれているんですね。国際会議場とシンフォニーホールには、真ん中に通り抜けられる通路があって、通路を行くと運河に出られるようになっています。これができたのが1991年なのですが、12年後にその線を受け止める広場が運河の反対側にできました。そのコンセプト図を見ると、国際会議場を抜けてここまで動線がつながりますよという、10年、15年のロングパスを平気で出すような感じになっています。パスをちゃんと共有できる。行政の役割や街に関わっている人が全体のコンセプトや戦術をよく分かっているんですね。だから、きちんと保たれて、ものすごく連携のある都市づくりができているのかなと思います。バーミンガム、とても面白いですよ。ロンドンから1時間半ぐらいだと思いますので、ぜひ。バーミンガムで1泊してからヒューストンへ行ってもいいと思いますけどね。

 橋の右側に国際会議場があって、左側に再開発のオフィスビルがある。何にも使われていなかった運河を、ナノボートという船でレジャーができる。運河は産業革命の時に張り巡らせましたから、ナノボートを使ってロンドンからバーミンガムを経由してリバプールまで旅行ができるんです。高低差は、閘門で細かく調整できる。ナノボートを借りて旅行する人たちがいて、そういう人のために水面を貸していたりします。運河を降りていくとショッピングセンターがあって、そこにパブリックスペースがある。イギリスは角を曲がると全然違う現代建築があったり、工事現場になっていたりして、基本的にガチャガチャしていて渋谷みたいな感じなんですね。大胆な現代建築は結構許されているところがあるので、驚くべき表現の対比を彼らは好んでやるんですね。

 

■双子都市をアートでつなぐ

 私の好きな土地で、ニューキャッスルゲーツヘッドというところがあります。タイン川を隔てて、南側がゲーツヘッド、北側がニューキャッスルという街です。ニューキャッスルは大変有名だと思いますが、実は双子都市でゲーツヘッドがあると。街の人たちは「合わせてニューカッスルゲーツヘッド」と言っていて、人口45万人程度。工業都市としては大変有名でした。というのも、炭鉱がゲーツヘッドでできましたので、産業革命の時の石炭はイギリスの北部で作られていたんですね。有名どころとしては、スティーブンソンという蒸気機関車を造った人がここの出身ということ。機関車の前に蒸気機関というのがあって、それは炭鉱の石炭を引っ張り上げたりするものでした。蒸気の技士というのは炭鉱で始まるんですね。それを機関車に応用したのがスティーブンソンで、蒸気機関車が生まれ、石炭によって鉄鋼業が栄えますから、鉄鋼業の街になると。鉄鋼業で造船を造りますから、武器も造るということになります。イギリスのニューキャッスルゲーツヘッド世界の1/4の船を造っていた。岩倉使節団が行って、日本の初期の海軍の軍艦はかなりここで造られた。日清戦争の時には、中国の軍艦もニューカッスルゲーツヘッドで造っていたほど栄えていたんですね。しかし、造船業、鉄鋼業、炭鉱業すべてがダメになって、失業率20数%になって疲弊するわけです。ビルバオもフランスのナントもそうですが、実はヨーロッパの都市再生の背景には重工業がなくなったから、新しい土地の利用法と産業を育てなきゃいけないという切実な問題があるんですね。

 

 

■鉱山跡地にアートを設置

 ニューキャッスルゲーツヘッドでは、とにかく産業を変えるために、アートを使って街おこしをし始めます。1972年に鉱山が閉山し、造船業も斜陽になった。91年にゲーツヘッド市によって鉱山跡地にアートを設置するという計画が立案され、94年にイギリスで1番有名な彫刻家、アントニオ・ゴームリーが選ばれて像を造るんですね。当初、街の7割の人がゴームリーの彫刻にものすごく反対していた。なぜかというと、高さ20m、幅54mと大変大きかったことに加え、もともと自由工業の街なのでパブリックアートにお金を使うこと自体が理解されなかったからです。

 アートのコンセプトは、斜陽になっている造船の工場で造船の技術を使って像を造り、それを炭鉱の跡地に置くというものでした。私たちはシビックプライドと言いますが、街が造られてきた産業への誇りを込めた像を跡地に建てようじゃないかというのがゴームリーのアイデアなんです。できた途端に、反対が7割から3割に減り、なるほどという人が7割になって、街の人たちの意識が変わっていくんですね。ニューキャッスルゲインツヘッドの人に聞くと、「全てはこれから始まった」という言い方をします。この巨大な像は「エンジェル・オブ・ザ・ノース」といい、大変風の強い丘に建っていまして、風に向かって羽を広げて風を浴びながら、顔を上げて前を見据えているんですね。その立ち姿が美しいんです。逆風に耐えて意志を持って立ち向かうというのがこの像に表れていて、それが風景になって、すごく感動的なんです。これはロンドンから3時間か3時間半ぐらいですので、バーミンガムの次はこちらに行かれたらいいんじゃないかと思います。

 エンジェル・オブ・ザ・ノースができた後、ニューキャッスルは色々な拠点を造るんですね。ひとつがバルティック・ミルで、使われなくなった小麦のサイロを使ってアートセンターを造ります。アートセンターの中の床を全部とってインスタレーションをやって、街の人を呼んで「アートとはこういうもんだよ」というのを見せるんですね。そして、ここが色々なアートの活動拠点になります。彼らが最初にやったのはコンペでしたが、デリバリチームを作って、ニュースレター用のフォントを作ったんですね。ジョセフパークリミテッドというフォントを使ってバルティックタイプを作って、全体のプロジェクト・アイデンティティを作り、ニュースレターを作って街の人や子供たちにコンセプトを伝えるということをやります。

 2001年には、ミレニアム・ブリッジを完成させます。2003年に初めて行った時、キレイな橋だなと思ってみていました。そしたら、この橋が回転していたんです。感動的で惚れ惚れしますね。都市ツーリズムはビルバオが都市再生の中心になってきたといいましたが、第2世代はこうした動きも含めたスペクタクルなものになっていて、そのことは大変重要だと思っています。このミレニアム・ブリッジが感動的なのは、できた時のムービーを見ると、まさにデリバリーなんですね。造船所で造られて、ヨーロッパ最大のクレーンで運んでくるんです。失業率25%までいった産業の展望もつかめない街に、ある日橋が届けられたら、みんなものすごく勇気づけられると思うんですよね。プロジェクトを作るだけでなく、それをどう伝えるか、どうデリバリーするかというのが大事。この日はニューキャッスルゲーツヘッドの人を合わせて6万人の人が見に来たといわれているので、1/210数%の目撃者はその光景を一生忘れないだろうと思います。

 

タイン川の開発

 2004年には、ノーマン・フォスターによるSage Gatesheadという音楽ホールを造ります。この音楽ホールも素晴らしいのですが、ニューキャッスルの中心市街から降りてくると、まずミレニアム・ブリッジが目に飛び込む。そのサイドに美術館のリノベーションが見える。歩いているうちにどんどん角度が変わっていって、音楽ホールが見えてくるという、大変ドラマチックにできているんですね。彼らは最初、ここにロープウェイを造ろうと思っていて、「ゲーツヘッドの中心市街にこの流れを伸ばしたいね」と言っていました。

 もうひとつ、タイン・ブリッジという1920年代にできた橋があるのですが、実はミレニアム・ブリッジというのは立面をこのタイン・ブリッジに合わせているんですね。新旧2つの橋が立面で呼応しているんです。平面的にもアールになって、ものすごくドラマチックなシーケンスを造った。これが両方ともコンペで選ばれたのですが、シドニーに次ぐくらいのコンペの奇跡じゃないかなと思います。

 人口は合わせて45万人ですから、これが日本でできないことがずっと悔しいんですね。先ほど富山はプロジェクトをうまく連携していると言いましたが、チャンピオンはもっとハイレベルな競争をしていまして、色々な施策がひとつの風景になっている。どんな風景を作るのか、何と何を合わせてどういう風景にするのかを、ものすごく考えて議論しながらやっているんですね。富山の施策の延長線には、例えばニューキャッスルゲーツヘッドやアデレードのモスイ広場のようなものがまだまだあるということだと思います。

 

■パブリックスペースを使った実験「culture10

 ニューキャッスルゲーツヘッドの場合は、色々なアイコンを使って新しい文化をどうやって街に育てていくかということをやっています。「culture10」というプログラムがありまして、ソフトの整備にもものすごくお金をかけて工夫しているんですね。ヨーロッパには文化首都という仕組みがあって、経済や政策は統合するが、文化は統合しないということを決めているんですよ。その代わりに、文化首都は毎年各地を動いているので、毎年変わるんです。それがフェスティバルになっていて、2008年がイギリスの回だったんですね。イギリスで色々候補都市が出てきて、ニューキャッスルとリバプールが戦って、リバプールが勝つんですね。ニューキャッスルは負けるのですが、その時にお金が集まったので、120億円を10年間で使い切ろうというプロジェクトがculture 10でした。フラッグシップとなるイベントをやって、色々なアーティストに払うお金だけでなく、教育プログラムやワークショップ、都市のプロモーションなどを全部一緒に育てていこうというものです。

 culture 10では、ミレニアム・ブリッジを使って花火をしたり、造船所の跡地で映画を見たり、2000人が裸になって街を練り歩いたりと、色々なことをしています。大変大胆なんですね。パブリックスペースを使って世界はこういうことをやっているんだなという例だと思います。

 大事なのは、できたハードをどう使うかを彼らは実験的にやるということですが、ニューキャッスル大学の調査でその効果を調べると、「ニューキャッスルゲーツヘッドのイギリスの中でのイメージが改善した」が95%、「若い人たちに音楽やアートの才能を伸ばす機会が増えた」が91%、「地域のプライドの感覚を作ることができた」が86%、「地域の人たちに雇用の機会をもたらした」が81%となりました。やはり都市再生というのは物理的なものだけでなく、雇用や気持ちの問題、シビックプライド、アートに対する機会が増えて新しい産業を育てる、そういうのを総合的に強化することだという話です。

 

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[質疑応答]

 

Q.鳥取から来ました。鳥取市は20万人ぐらいしかいないので、LRTではなく、バスでうまくやっているところをご紹介いただけないでしょうか。

 

A.バスで好きなのは、車体の名前が分かりませんが、ニューキャッスルにある水素バスです。これは日本橋にも走っているんですよ。水素ガスか何か忘れましたが、ガソリン車じゃなくて、すごくデザインされていてキレイですね。あと、浜岡のバスも名作です。シトラスブールは、トラムに濃いブルーと金色のラインが入っていて、バスにも同じラインが入っているんですね。すごいきれいなバスです。バスが主役になるというのはそんなに多くはありませんが、デザインは色々進んでいるなと思います。主役になるケースはどちらかというと鉄道になる感じで、トラムの代わりというか、ラピットバスという感じですね。ジャカルタやメディシンなどには赤いバスが走っていますが、それはホームがあって専用レーンで走る空間ですね。ツーイートと書かれていますが、ニューキャッスルの場合はツーラーン、ツーワークと書かれていて、バスを使って街の人たちにメッセージを送る。この2系統だけ黄色で他のバスと全く別なのですが、いいのは街のマスコットになるみたいなところがありますよね。マスコットになるバスを持っている街っていいなと思います。

 

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