レポート

まちづくりセミナー2013

まちづくりセミナー 第一回講演録 講師 北村森氏

2013/12/27 

北村です。どうぞ、よろしくお願いします。今日は、「新幹線・途中下車の魅力」というテーマをもとに、7つのお話をしたいと思います。

 

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【とやまを巡る前提】 

■素通りの危険性

 まず、県知事は「富山は50年に1度のビジネスチャンス」だとおっしゃっていますが、私は「50年に1度の大落下」になる可能性もあると思って本気で心配しています。なぜかというと、富山は新幹線に1520分乗ったら、金沢に着くので素通りされる可能性がある。また、富山から長野や金沢に人が出て行く可能性もあります。実際、信州大学は富山にリクルーティングをかけていると聞きます。つまり、人が来るのではなくて、人が流出してしまう可能性が大きい。私は、それがすごく心配でなりません。

 

■大勝負をかけるのか

 富山に観光客を呼ぶために、予算を使って富山に何かを誘致するのか、何かのビジネスを起こすのか、あるいは今から観光地を徹底的にブラッシュアップするのか。どれもいいのかもしれませんが、大金を使ったり、大それたことをしたりすることが得策なのか、冷静に考えなければなりません。結局、大金が出ていき、成功も見えない危ういバランスの中でプロジェクトを進めていくということはあまり賛成できません。

 北陸新幹線の新駅に「黒部宇奈月温泉駅」が決定しましたよね。その時、ちょうど富山にいましたが、富山新聞も北日本新聞も一面に掲載していました。「宇奈月の人たちは色めき立っている」と。私、帰りの飛行機の中で、富山以外の新聞を見たんです。そしたら、黒部宇奈月温泉駅のニュースがベタ記事にも載っていなかったんです。関東や関西、九州や北海道の人にとっては、北陸新幹線に対して、それほど意識が向けられていない。県内外で温度差があるということは意識しないといけません。

 

 

■足もとの宝物を発掘すべき

 じゃあ、どうするのかといった時に、私が思うのは「足もとの宝物を発掘すべき」。これが重要な作業だと思います。反対に、大きな箱を造ったり、有名なシェフを呼んできてグルメを作ったり、コンサルタントを呼んできて何かをやったりと、急ごしらえの厚化粧みたいなことをやるのは1番良くない。私が四方の近くに住んでいた頃、孫は「富山から外れたところ」とバカにされていましたが、今でも田舎出身者であることに誇りを持っています。ただ、都会風を装っている田舎の人は、本当の田舎者になるんです。東京をはじめとする大首都圏の人は、富山の純朴な原石を見たくて訪れるのだから、都会風にしたりお洒落にしたりすることが逆効果だということを、今一度私たちは考えなくてはいけない。富山には、わざわざ寄りたくなる場所というのが多々あると思います。お洒落は表参道や心斎橋に任せておけばいいんです。富山には富山の魅力があるんです。

 

■宝物を見つけて磨くための時間

 北陸新幹線が開通するまでの13ヶ月は、ものすごい大事になってくると思います。つまり、足もとの宝物を改めて見極めて何が重要か、また自分たちにとって何がアピールできるものかを見定めて、それを磨く作業、そして人に知ってもらう作業をしていかなければならない。じゃあ、どういうふうにやっていけばいいのかという話を、幾つかの事例でお話していきたいと思います。

 

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【まちを磨く事例】 

■誰が動くのか

 世の中には色々なものがありますが、ここでは4つの事例を話します。

 1つ目は、静岡県の掛川市。静岡市と浜松市のちょうど間にあって、元々それほど裕福じゃない町だそうです。私、この前この町へ新幹線で行ってきました。地元の商工団体の方や信用金庫の方と話をした時、「新幹線の駅は、実は陳情駅なんです。その駅の建設費用は誰が支払ったと思いますか」と聞かれました。誰が出したのか。市民が出したんです。一世帯平均で10万。私だったら、一世帯3万が限度かな。いやぁ、ビックリしましたよ。信用金庫で「こだま貯金」みたいなものを作り、市民の寄付で賄ったそうです。

 また、掛川駅には在来線側に木造の渋い入り口が残っているんです。耐震性への危うさから壊すことも検討されましたが、市民は在来線を使うことが多いですから、残すことになったそうです。そのお金誰が払うか。市民が払う。

 さらには、商工会議所の隣にある小高い丘の上に掛川城が建っているのですが、それは木造で再建した国内で初めての城なんです。市民の寄付で賄って建てられました。すごいですよね。県や市や一部の企業ではなく、市民や町民がお金を出したり動いたりすることが重要だと思います。高松市の丸亀町商店街が再生の事例だといわれていますが、丸亀町商店街の常務理事の話を聞いても、「まずはみんなが金を出す、あるいは動くこと」だと言われていました。誰かがお金を払ってくれる、誰かが動いてくれるというのはやっぱりダメだと思いましたね。

 

■何を使うのか

 次の事例は、茨城県のひな人形です。富山県はいつも住みやすい県の上位を争っていますが、茨城県は「魅力度ランキング」で47位なんですね。ところが、行ってみると悪くないんです。私の好きな真壁という町は、桜川市内にあるすごい小さい地区で、蔵のある昔ながらの町なんですね。一大観光地ではなく、少し観光客が来るぐらいなのですが、冬の間、寒い中わざわざ来てくれた人たちに、どうやったらおもてなしができるのかを、約10年前に町の人たちが考えたんです。ただ、お金はない、お祭をでっち上げるのも変。色々考えた結果、ひな人形に辿り着きました。蔵のある町だから、江戸時代から残っているひな人形がいっぱいあるんです。それを飾れば少しは華やかになるだろうということで、2月から33日のひな祭りの日まで、家の軒先や店舗の玄関先、土間などに飾ることにしたそうです。最初は十何軒でしたが、徐々に増えて今では百何十軒じゃないですかね。数多くのひな人形が1ヶ月間並んでいます。元々あったものを生かしているので、コストはゼロです。商売をする人というのは鼻が利くんですかね。口コミで広まって、2月から33日までの間に10万人の人が来るようになりました。生活の場である真壁地区にそれだけの人が来るのはすごいことなんですよ。また、その期間は屋台が並びますが、真壁町の人たちは露天商の人たちと交渉して、町の景観に合った造りの屋台を出してもらうよう働きかけました。コストがゼロ。家の中に飾るか、外に飾るかの違いだから。それをやったというのが、私は偉いと思いました。

 余談になりますが、毎年夏は阿波踊りに行って、秋の始まりに八尾のおわらに行くんですよ。阿波踊りは外に開かれた祭りで、風の盆は町人たちのものをよそから見させてもらうという違いがあります。そういう違いがあることを踏まえても、阿波踊りは徳島空港に着いたら、阿波踊りの音が聞こえてきて、ロビーでは有名な人たちが踊りに来ています。富山は空港からも駅からも、おわらの匂いがしない。よそから来た人をもっともてなすような、別のやり方があるんじゃないかといますね。

 

 

■どう決めるのか

 先ほど少し話したように、高松丸亀町商店街は視察の絶えないところです。地方の議員の先生方や商工団体の方など、年間1万人ぐらいが行っているんじゃないんでしょうか。日本でも随一の、再生に成功した商店街ですからね。

 どうやって成功したかは簡単で、再生する時に土地を全員から召し上げたんですよ。それをまちづくり株式会社に委ね、振興組合が株主になって、1度ゼロにしたんです。いわゆるテナントミックスというのですが、土地は定期借地を活用して適材適所の店を設計しています。だから、自分の土地の上にどんな店が建つのか、最初は分からないんです。では、この方法を他の商店街でやってもうまくいくか。私はそうは思いません。 

 丸亀町商店街のケースで学べることはひとつしかない。システムではなく、どうやって進めていったのか、その一点だと思うんですね。その一点を聞くために丸亀町商店街に今年3度ほど足を運び、常務理事に会いました。これだけの大変なことをどうやって進めて行ったのかを聞いたら、「1度決めたことを後からぐちゃぐちゃ言わない。その1点だ」と言うんです。ぐちゃぐちゃ言う人は、常務会から外れてもらったそうです。ただ、その人は地権者であり商業者でもあるので、土地を差し出さないと言い出しかねません。それを説得しに行くのが、長老なんだそうです。老・壮・青とよく言いますが、常務会にいる人たちは、だいたい壮から青ぐらいまで。「長老は前面には出ませんが、次世代の人たちを生かすためにちゃんとバックアップする。世代間の役割がすごくしっかりしていることがすごく大きかった」と言っていました。言葉にしたら簡単ですが、実際にそれができたのは、すごい粘り腰だと思いますね。丸亀町商店街の学ぶべき点だと思います。

 丸亀町商店街で再開発の話が始まったのは、1989年ぐらいだと言っていました。なぜか。1988年に瀬戸大橋ができたからです。当初、丸亀町商店街の人たちは、瀬戸大橋ができたら関西や中国地方から車がどんどん来ると思っていたそうなんです。ところが、実際は瀬戸大橋から直接色々な都市に行ってしまい、丸亀町商店街の人も減ってしまったそうです。それまではフェリーに乗って高松港に着くため、近くの丸亀町に立ち寄る流れがありました。それが車で来られるようになったらパスされるようになってしまった。それで何とかしなきゃいけないということで、商店街の再興に乗り出したわけです。どこかの地域と似ていませんか。

 

■誰に伝えるのか

 青森県の八戸市の例を挙げます。2002年に東北新幹線は八戸まで開通し、八戸は観光客や出張客で賑わいました。ところが、2010年に新青森まで開通してしまいました。八戸は魅力的ですが、どちらがより魅力的かといえば、そりゃ新青森ですよ。トンネルをくぐれば函館に行けますし、八甲田山へも近いですからね。しかし、八戸への出張客も観光客は、それほど落ち込まず、今また元に戻ってきています。なぜだろうと思い、今年の春先、八戸に取材に行ったら、これも足もとの宝物だったんです。

 八戸には、戦後間もない時に横丁ができました。戦後間もない頃にできたたぬき小路から、2002年にできたみろく横丁まで、あわせて8つの横丁に小さい店が百軒以上と立ち並んでいます。昭和の香りがして風情がありますね。私、そこで4軒ハシゴをしました。お酒は大好きですが、かなりベロンベロンになります。その時、お店の方に「八戸の横町は飲み倒れができますね」と言ったら、「あるよ」というんです。「何ですか」と聞いたら、春と秋に飲みだおれスタンプラリーというのをやっているそうなんです。8つの横丁すべてが協力するイベントで、参加費は2,000円。1枚で飲み物1杯と軽いつまみが1個出て、今年の春はこの店というふうに決められています。私は観光客を呼ぶためのものかと思いましたが、「これは八戸市民のためのものだ」って言うんです。これは、どういうことか。八戸の人だって、何百軒もお店があれば馴染みにする店はせいぜい23軒くらいですし、1回足が遠のくとなかなか行かないようになります。なので、春と秋に実施する。しかも、店を指定することによって、安いから行ってみようかということになる。何軒巡ればも、1軒ぐらい自分に合う店が見つかります。新規開拓してもらえばいいということで実施しています。また、口コミもすごいんですよ。地元の人がFacebookやツイッター、ブログなどで、いいお店を広めるのが1番強くて1番効くんですよね。

 8つの横丁はそれぞれ商売敵ですが、一致団結してスタンプラリーを何度もやってきたという事実があるということをお伝えしておきます。富山は商店街同士の仲がいいですかね? もう喧嘩をしている場合じゃないですね。

 

【キーワード】

■学校という名のプロジェクト

 次に、5つの事例について話をします。

 先ほどから言っている「足もとの宝物」をきちんとやっているところがあります。皆さんは干し芋が好きですか? 干し芋はトレンドの最先端ではないし、テレビの2時間番組も作れないと思う。時代に取り残された感はありますが、茨城のひたちなか地区や東海地区でよく作られています。

 それが、2007年に「ほしいも学校」というものが作られました。誰が作ったか。干し芋の農業者、商工団体、市、そして「おいしい牛乳」で知られるプロダクトデザイナーの佐藤卓さんです。学校を建てたわけではなく、干し芋の歴史を再認識し、未来を考えることを目的とした崇高かつ壮大なプロジェクトなんです。2010年、ほしいも学校という本を作りました。世界初、賞味期限のある書籍なんですね。干し芋の歴史が延々と書かれている。デザインの力は重要ですよね。干し芋の写真がすごくキレイなんです。その書籍が大きい箱に入っていて、横に干し芋が付いて、値段は3,800円。誰が買ったかというと、干し芋の仕事に従事している人、プロのデザイナー、食のプロ。さらには、今年初めて「ほしいも祭り」をして、ほしいも学校の校歌まで作ってしまった。ほしいもを〜、欲しがる人は〜、星をつかむ〜という歌です。振り付けはラッキィ池田さん。 ほしいも学校の本は、茨城で作っている人にとっては自分の仕事に誇りを持てる。外の人に向けては、俺たちはこうなんだということを示すことができる。中の人に対しても、外の人に対しても、両方に旗を掲げる意味があったんですね。これが、すごい大きいと思います。

 

■足もとの宝物を考える①〜伝える言葉とデザインの力〜

 富山の事例です。「itona」ってご存じですか。これを作られたのは、デザイナーであり、街づくりのコンサルタントでもある富山出身の方です。1回東京に出て地域活性化の仕事をなさっていて、通っていてはダメだということで富山にUターンされてきて、色々なまちづくりの案件を商工団体と一生懸命取り組まれています。そして、コンサルタントに留まらず、ご自身で「itona」という本を作り始めました。「itona」は、富山に生きる女子たちが今から作る当たり前だけど特別な日常。1617人の方が書いているのですが、誰が書いているのかというのが重要なんですよね。富山の有名なところだけでなく、織物をしている方が織物のことを書いたり、自分の近くの町のことを書いたり、景色のことを書いたり、書かれていることは「こんな私がこういうことを感じています」という1点だけなんです。情報というのは、そういうものだと思います。つまり、自分自身で「あなた方がどう言おうが、これが好きなんです、ここが好きだから行くんです、それを言っているのは私なんです」というのが情報なんです。そういう意味で、これはデザインもいいし、伝える力もある。富山に途中下車したくなるには、こういうものが必要なんです。

 なぜ、今日「新幹線・途中下車」というテーマにしたかというと、富山に1泊してくれ、2泊してくれと一生懸命言っても来ない。私も富山のこと一生懸命宣伝していますよ。ただ、最初は金沢に寄った帰りに1時間だけ来てください、というところから始めることが重要だと思っています。でも、来るか来ないかで大違いですからね。最終目的地じゃなくてもいい、というところから始めないと。そういう時に、こういう情報が効くんです。

 

■足もとの宝物を考える②〜その一軒のために人は向かう〜

 人は唯一無二のものがあれば、行くんですよ。南砺市(福光)の「春乃色食堂」をご存じですか。大正年間にできて以来、ペンキを1回も塗り替えていない古い食堂で、いまは先代の孫が後を継いでいます。私、この前、開店と同時に入り、おでんとラーメンとビールを食べ飲みしていたら、5分もしないうちに家族連れ、カップル、中年男性が来ました。地元の人が使っているお店です。切なくなるような物語を感じるお店です。その1軒があれば、人はそこに向かいます。

 

■足もとの宝物を考える③〜大都市圏の人は厚化粧を好まない〜

 新湊市の放生津地区にある内川は、昔ながらの船が停留しているキレイな場所です。高岡から万葉線に乗ってずっと行くのはなかなか大変だけど、行ったら風情がある。先ほど言いましたが、大都市圏の人は厚化粧を好まない。田舎は田舎の顔がいい。だから、わざわざ富山に来てくれる。明石あおいさんは、ここが好きで、昔畳屋さんだった家を買うか借りるかして、今はカフェをしているそうです。

 高岡の歓楽街の裏の方にあるバー「河童」も、ものすごくいいですね。河童のために人は新高岡で降りると言っても過言ではない。旅に詳しい人、食にさとい人というのは、そういうものですよ。バックヤードが高くて、大きな窓からは雪が見える。河童という名前も洒脱です。下手に再開発しない方がいいと思いますよ。あそこも横丁ですよね。そういう宝物は大事にしないといけないと私は思います。

 

■自律開発力を再評価する

 先ほどの丸亀町商店街の常務理事が「商店街を活性化させるには、自律開発力のある店が2割あれば大丈夫です」と言っていました。自律開発力とは、その店にしかない独自の商品やサービスなどを開発できる力があること。常務理事曰く、おいしいコロッケを揚げる肉屋、やたらボリュームのある定食屋などが、自律開発力のあるお店だそうです。だから、人が来る。今年、総曲輪通りに「SUNSET BB」ができましたが、総曲輪通りにはほかにも相次いで夜のお店ができました。夜、総曲輪通りを歩くことがすごく気が楽になった。この前、「SUNSET BB」に行ったら、賑わっていて、人の香りがしました。人の気配がするというのはすごい重要。ああいう店が総曲輪通りにできたということは、総曲輪通りにとって非常に大きいと思いました。

 

【情報のセレクトショップ】 

■金を使えばいいのか

 この前、入善町商工会に行き、何をすればいいのか話をしてきました。イベントをするにしても何をやるにしても、必然性がないとダメなんですよ。必然性があるのは、入善ジャンボ西瓜。あの大きさは世界有数でしょ。あんなに大きくて味もしっかりしているスイカはそうないと思う。ただ、最近はスイカを丸ごと買うことが少なくなってきている。そこで、私は、彼らに何を言ったかというと、「必然性があってお金のかからないことだったら、西瓜割り世界大会をやればいい」と。開催日は夏休みの最初の土曜辺りがいいですね。そうすると、全国版のテレビやニュースで流されるんですよ。取材に来るのが目に見えているじゃないですか。

 

■やりすぎからの決別

 田舎のブリ大根は、丼鉢にどんと盛ったもの。おもてなし越中料理は、深めの洋皿にブリの切り身が1個ポンと置いてある。その上に大根が置かれていて、水菜が盛られている。これが田舎者の料理なんです。昆布スイーツもそうですね。あれは違う。なぜかといったら、必然性がないから。B級グルメというのは、元々あったものが何かの拍子でスターダムにのし上がっていくから、そのプロセスが面白いんです。でも、それをわざわざ作るということ自体が、私はさもしいと思う。ゆるキャラと一緒。商工団体の方が一生懸命考えた結果、なぜかとんちんかんなものになってしまった。それで、みうらじゅんさんが、ゆるキャラと名付けて広まった。最初から、ゆるキャラを作ろうというのは、さもしいと思う。よそから言われることであって、自分で言っちゃいけないんです。

 

■よそものをいかに使うか

 自分で自分の足もとはなかなか見えない。そういう時に、異業種の人や隣町の人を活用することが重要。潰れそうだった千葉の「いすみ鉄道」が社長を公募したら、外資系航空会社の社員が手を挙げ、その人が社長になった。いすみ鉄道は持ち直しつつあるんです。彼はよそものの目を持つと同時に、そこにちゃんと根付いた活動をしたから、何とか下がついてきているんですね。ただし、よそものは曲者でもあります。口だけの人、責任を取らずに去っていく人もいます。

 

■富山情報のセレクトショップ

 私は、富山の情報のセレクトショップを作ろうと思っています。ウェブサイトですね。富山県在住のコンサルタントが作る、itonaの全体の観光案内版みたいな感じ。こんな私が書いてますということを示した上で、こんな情報があるという。偏っていていい。例えば、富山で1時間だったら世界で1番美しいスタバを勧めるとか、新高岡で3時間だったら先ほどの春乃色食堂を勧めるとか、黒部宇奈月温泉で2時間だったらセレネ美術館を勧めるとか、ここで1時間ならこれ、ここで2時間ならこれという感じ。見る人にとって、富山の友達が本音で勧めるといった感じにしたい。お金をどこかからもらってやると、全てを平等に紹介しなくちゃいけなくなるので、そうじゃない形でやりたい。人臭さを感じるものを作ろうということで、平成26年中には作りたいと思っています。

 

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【私の考え】 

■いいもの同士の厳しい戦い

 町の話とずれるかもしれませんが、町をどう作るか、私が普段考えていることをお話しさせてください。最近、大企業、中小企業、地元のお店の方などによく聞かれます。「こんなにいいものを作っているのに、なぜ売れないのか」と。私はいいます。「今は、いい物が見逃されない時代です」と。これからは消費増税で景気不透明になりますが、買わなきゃいけないものがある。こういう時って、買い物に真剣勝負になるんです。バブルが弾けてから20年ちょっと経ち、爪に火を灯すようにお金を貯めてきた。だから、みんな徹底的に調べて買います。1回失敗したら、もう1回買えるだけの余力がないからです。安ければいいのではなく、自分にとって1番重要な機能は何かを考えて、それに合わせていいものを選ぶ。いい物が見逃されない時代。でも、実際に売れていない物もある。なぜか。いいもの同士の戦いになるから。私、日経トレンディの編集長になる前、旅と食の雑誌を立ち上げていたので、国内の観光地やホテルは大体頭の中に入っています。能登半島の先に「湯宿 さか本」という大好き宿があるのですが、ここ3年行けていない。なぜか。自分のベスト10の中にはいつもさか本が入っていて、家族旅行の宿を選ぶ時にいつも最後は違う宿と迷うのですが、3年連続で次点。いいものを作っても売れないというのは、私個人の話でいうところの、このさか本的な感じになっているということ。いい物同士の戦いは厳しい。2位ではダメなんです。それがいいものでも売れないということの構図だと思います。

 

■消費者をびっくりさせるアプローチ

 じゃあ、振り向いてもらうためにどうするか。私は消費者をびっくりさせるアプローチをすることが重要だと思っています。消費者におもねてもダメ、消費者を上から目線で見たらもっとダメ、消費者を見失ったら誰も買わない。消費者と製品・サービスとの担い手との関係が水平なのがいいと思います。ビックリ型商品って、今年も売れたでしょ。金の食パン。「えっ、コンビニで250円の食パン!?」。売れたじゃないですか。5ヶ月で1,500万食ですよ。ローソンのパンケーキ、350円。3ヶ月間で9億売れたといいます。ノンフライは、発売直後から品切れ。多分、30万台近く行きますね。これらはビックリ型の商品。

 ビックリには、考え方が3つあると思っているんです。1つは、「そんなバカな!」。ペットボトルのお茶が世界で初めて出たのは1990年。伊藤園が「お〜いお茶」を出した。それまで缶入り緑茶はあったけど、メインストリームではなかった。お茶もそんなに売れていなかった時代にバカ売れしたでしょ。牙城を崩した。「お〜いお茶」は人の食生活も変えましたね。ちびちび飲めるから、喉が渇かない。2つ目は、「そこまでやるか」と思わせる製品やサービス。東京ディズニーリゾートの接客が好例です。3つ目は、「わかっていたのに!」とライバル企業が思う商品。そういうアプローチが重要になってくると思います。

 

■伝説のホテルマンの言葉

 私はずっとホテルのチェックをしてきました。日本に伝説のホテルマンが何人かいますが、なかでも私が好きなホテルマンがいて、中野さんといいます。その人がホテルを動くと、スタッフみんな動くぐらい人気で、その人がフリーになるといったら、色々なホテル企業が動くというぐらいすごい人です。その人のサービスを直接的に何回も受けたことがありますが、本当にすごいですよ。日本を代表する高級リゾートの総支配人でしたが、編集長時代に一人で行ってご飯を食べていたら、すごいキレイなタイミングですっとお皿を出してくれるスタッフがいたんですよ。タイミングがうまいなと思って振り返ったら、中野総支配人が笑っていました。気付かなかったら気付かなかったでいい、気付いたら気付いたでいい、そういうサービスができる人なんです。押しつけがましかったり、もてなさいといけないと思ってやるサービスは、何かとんちんかんになる。

 「判断の難しい場面で、我々の都合を優先するか、客の都合を優先するか。そこですべてが決まる」。伝説のホテルマンである中野さんの言葉です。ホテルの都合ばかりを優先していたら、お客さんは行かなくなる。でも、客の都合ばかりを優先していたら、そのホテルは荒れるんですよ。客も一緒に育んでいかなければならない。客の都合ばかり聞く居酒屋は居心地が悪いでしょ。互いにまっとうな意見が拮抗した時に、どっち側に寄るかなんですね。これはすべてのサービス、ものづくりにおいてもいえると思う。その時に、サービスが決まると思っています。

 

「朝食終了15分前」の真価

 考え方の例ですが、ホテルの場合は中野総支配人が「朝食終了時刻の15分前に行けば、そのホテルの全てが分かるといっても過言ではない」と言っていました。15分前はちょうどランチタイムのことで頭がいっぱいになる頃。そこが、ポイントなんです。編集長時代、部下と手分けして、約100軒のホテルで朝食終了の15分前に入りました。すごい違いがありますよ。早く去れといわんばかりに物音を立てるところがあったり、かと思えば、まだ料理を勧めてくるところがあったり。しかも、高いホテルがいいとは限らない。皆さんの仕事においても、ホテルの朝食終了15分前みたいなポイントがあると思うんですね。ここを踏まえれば、先ほど言ったビックリ型の商品、あるいは店、場所ができ、いい者同士の戦いにも勝てる店・町・商品が生まれると私は信じています。

 

■もてなし下手を返上へ

 富山県人は「PR下手だから、もてなし下手だから」とよく言います。私、北日本新聞の担当の方と話をし、「PR下手だから、もてなし下手だから」という言い訳を隠れ蓑にするのはやめて、真剣にやっていくようにしようということで、1月から「富山の磨き方」という連載を始めさせていただきました。12回の予定でしたが、延長という光栄なお話をいただいたので、続けて書かせていただきます。

 「PR下手だから、もてなし下手だから」というのは、PRしなくていい、もてなさくていいという言葉の裏返しでしょ。PRしなくても、そこそこ豊かだし、素通りされてもいいって。でも、そんなことをしていたら、いつか忘れ去られる日が来るんです。やっぱり、もてなし下手は返上しないといけないと思います。八戸の人が八戸の横丁を使うように、富山の人は富山の店を鍛えていかないといけない。富山には美味しい店がいっぱいあるよ。私も行けていないところ、いっぱいあります。新しいところを開拓していかないと。私自身が語れるように勉強していかなければならない。

 

【コンサルの責任】

■コンサルの責任とは

 私は、もともと商品ジャーナリストです。消費者がお金で買えるすべての物を見ています。住宅や車、コンビニの肉まんなど、どの商品が良いか、そういう仕事をずっとやっています。また、コンビニのおでんの企画やトイレブラシのチェック、ANAのプレミアムクラスの機内食のチェックなど色々なことをしています。

 地方の隠れた商品を発掘すると、色々なところから声がかかるんですね。編集長からフリーになった後に、富山県推奨とやまブランドものづくり部会の審査委員を拝命し、茨城ではいばらきイメージアップ大賞の審査委員を務めているうちに、地域活性コンサルタント的な仕事をやることが増えてきました。

 地域活性コンサルタントと名乗る人がすごく増えていますが、他の地域活性コンサルタントと一緒にされたくないと言う人もすごく多い。なぜかというと、補助金が出る時だけに来て、補助金が打ち切られた時にいなくなる、口だけコンサルがすごく多いんですって。だから、私みたいな人間にも声がかかるんだなって。私はコンサルの勉強はしていないけど、商品をずっと見てきたという経験から、製品やサービスを通した地域活性化という観点で話をしたり、相談に乗ったり、一緒にプロジェクトをしたりするわけです。

 私もそれはダメだろうというコンサルの人がいたので、言いますね。コンサルの人がこの会場にいたら、ごめんなさいね。よその成功例を持ってくるだけのコンサルがすごく多いです。問題点はその町ごとにあるんだから、そういう人はまず信頼できない。コンサルは、原石を見つけ出すという作業をし、それをどうやって伝えるかをお手伝いするのが仕事であって、補助金は関係ない。

 

■通っていることの自覚

 そして、もう1つは、通っていることへの自覚ですね。私はここの在住ではないのだからという謙虚さを持ってやらなければいけない。よそから通っている人には、地元の人はいい顔をして話を肯定してくれるけど、それは違うだろうと本音を言い合えるところまで関係を築かないといけない。あるコンサルタントにそこは自らを戒めているという話を伺いました。住んでいるコンサルタントは、相当腹が据わっているということですよね。

 

5色の絵の具で色を出す

 もう1つ聞いた話で、これは私も肝に銘じなければいけないと思った話があります。よく外部支援から来るコンサルタントは、絵の具を100色持っているということをひけらかしたりする。でも、地方には5色しか絵の具がないかもしれない。5色絵の具があれば、大概の色は出せるそうです。5色しかない町もある。そこに95色を持ってきても、急ごしらえのものしかできない。持っている5色が何色かをちゃんと見い出して、その5色を大事にしないと。色の過不足を見極められるコンサルティングは本物なんじゃないかという話を聞きました。こういう考えのできるコンサル業務を私もしたいし、こういう考え方のできるコンサルティングは信用できるんじゃないかなというふうに思った次第です。

 

■演者化をいとわない

 プレーヤーになることをいとわないコンサルタントも信用できます。実際、高松丸亀町商店街は、まちづくり株式会社のテナントを決めるコンサルティングとして、元パルコの人を呼んだそうです。その人はお役ご免になった後も高松に残って、商店街の中でセレクトショップをやっている。案件ごとにプレーヤー化していたら、お金も体も足りないという意見もありますが、実際にそうすることをいとわない人もいるんです。さっきの明石あおいさんもそう。実際にコンサルティングを責任を持ってやろうと思ったら、自分がやらないとダメだという思いになっていきます。書籍には、新しい事柄は載っていない。新しいことは自分で作っていくしかない。東京のコンサルティングの方は「見続けているだけの人にまちづくりはできない」とハッキリ言っていました。やっぱり動かないといけないと思いました。

【私も演者になる】

 今年1年、皆さんのおかげで、富山に何回来たか分かりません。私も話をするだけ、新聞に書くだけ、テレビやラジオに出るじゃなくて、私にできることを責任を持ってやらないといけないと思っています。そういうことをやってこそ、また皆さんの前でお話ができるのはないかと思っています。

 

【質疑応答】

Q.先生が日本全国をまわられて、これは失敗だったという例を幾つかお聞かせください。

  屋台村。最初は北海道で生まれたんですよ。綿密にやったので、その屋台村は今も成功している。でも、そこを見てみんなが屋台村を作った。この前、函館の屋台村を見に行ったんです。初めて行った時は出来たばかりの時で、いかにも、とってつけたような感じで、なぜわざわざここで食べなきゃいけないのと思うような店でした。値段もそんなに安くないし。去年、もう1回見に行ったら、すごい寂しかった。それでも屋台村で食べる気が起きない。惨めになるような気がして、やっぱり、必然性がないからだと思う。最初はいい。魂がこもっているから。でも、その形だけを真似ると、こうなるんだなと思った。

 先ほどの八戸のみろく横丁は、屋台村に似た雰囲気ですが、通りに沿って屋台が並んでいるから屋台村に見えない。未だに成功しているのは、「屋台村です」という顔じゃなくて、「先輩方の横丁に寄り添って私たち先輩方を見習って勉強させていただきます」というような空気が流れているから。そこが違うところだと思いました。屋台村は、ただ追っかけて作ったものはダメだというひとつの例だと思います。

 あとは、B級グルメ。ひとつだけ例を言えば、神奈川県の湯河原町という温泉街。そのすぐ横にB級グルメの聖地、静岡県の「富士宮やきそば」があります。戦後間もない栄養不足の時代に生まれた富士宮やきそばは、油かすにも蒸し方にも魚粉にもすべてに必然性がある。そのうち、俺たちの焼きそばは他とは違うということで、町の若者が売ってスターダムをのし上がった。一方、ここ数年前の話ですが、湯河原町がそれに対抗して、うちも焼きそばでいこうと。タヌキ伝説があることから、「たんたんたぬきの担々やきそば」。エバラ食品が協力して辛めの焼きそばのソースを提供し、町内の幾つかの店がそのソースを使って自由に作るということで、焼きそばを作った。定着するはずがない。これまでB1グランプリを獲っているのは、もともとあるものです。とってつけたようなものは違うんじゃないかなと思います。房総地区の丼物もそうです。香川でなぜあれだけうどんが賑わったかは、うどんは何杯も食べられるから。海鮮丼は何杯も食べられない。その辺りはうまくいっていない事例だなと思いますね。

   

Q.全日空の機内食は、同じメニューでも出発空港で味が違うといわれたが、答えは何ですか? 

 東京のプレミアムクラスの機内食というのは、ANAケータリングというANAの関連会社がやっていて、そこには総料理長がいます。地方初の大都市圏以外は、その土地の弁当を作る業者が作っている。1日に何便もあるし、365日ちゃんと製造できるところにしなければならない。それで地元の業者に委託するのだけど、メニューはANAケータリングの総料理長がチェックするけれども、どうしても力量差が出てしまう。実力差がハッキリ出ている。それじゃあダメだということで、今は地方からも料亭や寿司屋などとタイアップしたものを増やしている。ANAの人に私は言いました。いっそのこと、各自治体を巻き込んでできないのと。自治体を巻き込んで、なんとか県スペシャルみたいな。プレミアムクラスの人は情報発信力や発言力が高いじゃないですか。そこで県や市がプロデュースして、お金をもらってやればいいじゃないか。今までは食材にこれを使って欲しいという売り込みは結構あった。今までありましたかと聞いたら、ないって。そのアイデア、国際線でされちゃいましたね。くまモン人気と掛け合わせて熊本の食材を使った機内食を、国際線のビジネスクラスで提供するというのを。さすが小山薫堂さんですね。富山でも何か仕掛けていけばいいなと思います。新幹線が通っても飛行機は残るわけだから。機内食は富山のPRを担っているプレミアムな存在を我々が作っているということを、富山の顔を提供しているんだという意識や思いを、富山の弁当を作っている会社はぜひそれを力の源として頑張ってほしいなと思います。

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