レポート

まちづくりセミナー2010

まちづくりセミナー第一回講演録 講師:藻谷浩介氏

2011/04/23 

「コンパクトシティってなんですか?富山市のゆくえ」
講師:藻谷浩介氏 <(株)日本政策投資銀行 地域振興グループ 地域支援班 参事役>

山口県生まれの46歳。
東大法学部卒業、日本開発銀行入行、米国コロンビア大学ビジネススクール留学、日本経済研究所出向などを経ながら、2000年頃より地域振興の各分野で精力的に研究・著作・講演を行う。平成合併前3,200市町村の99.9%、海外59ヶ国を概ね私費で訪問し、地域特性を多面的に把握。2010年度より現職。公職多数。近著に「デフレの正体」(角川Oneテーマ21)。

 

 

第1回 平成23年1月15日 富山国際会議場201号室 参加者91名
「 コンパクトシティってなんですか?富山市のゆくえ 」

 

題材
・先入観と思い込みは役に立たない
・人の話は良く聞け
・しかし、人の話は疑え。信実は数字のデータにある
・富山の小売業の現状
・景気は無関係
・富山と金沢の比較
・富山と東京の比較
・東京はコンパクトシティの先駆者
・富山の人口に何が起きているのか
・東京も勝ち組ではない
・鶴岡市と佐賀市の違い
・車が運転できなくなる時のコンパクトシティ
・団塊世代の高齢化が問題
・団塊世代の存在が世の中を変えてきた
・団塊世代の多子化と消費の激増・激減
・明治以来3度目の大転換
・日本は試練の時
・富山の現状のまとめ
・戦後の常識は非常識になった
・コンパクトでないと財政破綻する
・メリハリのある街が必要だが、超高層マンションはダメ
・個性的な街が大事
・東京の一番人気は吉祥寺
・総曲輪はなぜダメか
・終わりに・・・


[先入観と思い込みは役に立たない]


今日は長岡から電車で来たが、上越は大雪。
富山に近づくと雪が無くなって来た。
しかし、年によっては、上越に雪が降らないこともある。

こういうことを取っても、現場に実際行ってみると、
東京で考えている先入観とは違うし、前の年そうだったから今年そうだとは限らない。
物事は決め付けていると常に事実と食い違う。
教科書に書いてあったセオリーを振り回していても現実には通用しない。

 

[人の話は良く聞け]


私の先祖は小杉で、藻谷家は小杉の商売人の一つの流れ。
4代前は小杉町長で、3代前は県議会議員。
空襲で一家全滅になり、唯一、生き残った父親が金沢に引き取られた。

富山には、よく講演に呼んでいただいていて、ありがたい。
石川県は母の出身地だが、金沢はほとんど呼んでくれない。
私が、金沢の駅前の「ガラスドーム馬鹿」みたいなことを言ったと、
話を聞きもしないで、財界の誰かが怒っているらしい。

地元民の意識と、お客様の意識と、商売人の意識は違うので、
家の中を他人向けにする必要は無いが、
玄関口だけは他人様からどう見えるか強く意識しなければだめと、
当たり前のことを金沢の人に申し上げただけ。

[しかし、人の話は疑え。信実は数字のデータにある。]


ようやく北陸新幹線が来るが、過去に新幹線が来た地域で発展した地域はほとんど無い。

ところが、現場を踏まない人が、東京の人間が北陸は全部雪だと思い込んでいるように、
新幹線が来ると発展すると決め付けている人間が多い。

新聞、有識者の発言、テレビが何と言っているかで物事を決めている人がいる。
もっとひどいのがネット。ネットで本当のことを言っているのはほとんどない。
今日はリアルな世界を皆さんにご堪能頂きたい。
全国を歩いている私が、富山をどう見ているかを、数字で説明します。

[富山の小売業の現状]


富山のお店は、旧富山市と旧婦中町に多く、
どんどん増えてきたが、21世紀に入った頃から増えなくなった。

富山の売り場面積は、バブル崩壊の頃に47万㎡あり、
さらに、06年度末に61万㎡まで増えた。市民一人当たり1.34㎡くらいまでになった。
この間、初めは売り上げも増えたけど、それから減った。

バブルが崩壊後も、売り上げは600億円増え、その後700億円下がって、
結局バブル期の水準を割ってしまった。この数字は、個人所得に連動している。

バブル崩壊後、失われた20年なんて言って、売上げがずっと減っていると思っているけど、
実は90年代前半はちゃんと増えている。

[景気は無関係]


マスコミとか経済学者の一部が言っている景気とは関係ない。
経済学者は、「日本海側は、冬、雪が降ります。」とか、
その程度の非常にアバウトなことでものを言っているケースが多い。

実際、当時、富山市では売上や所得が増えている。
失業者が増えているので不景気だと騒いでいたが、実は不景気じゃない。
本当の不景気はその後に来た。

逆に、戦後最長の好景気という期間は、実感なき景気回復とみんな言っていた。
かなり産業のある富山でさえ、どんどん所得が下がって、
売上が減っているわけだからこれを好景気といわれると商業者は立つ瀬がない。

売れないのはお前の努力が足りないのだよといわれても、
足りない店もあるだろうが、いくら努力しても、トータルで売上が上がるわけがない。

しかし、富山市は賢い。途中から、店を増やすことを止めている。
この頃からお店の従業員が減り始め、今の富山市の範囲内で3400人減っている。
富山市の売上は、バブル期を100とすると、一時111まで増えている。
バブル崩壊の大不景気というときに。
個人所得なんて135まで増えている。それが、とうとう98を割り込んでしまった。
その結果お店1㎡あたりの売上はバブル期を100とすると75になってしまった。

そんな時に、店は2種類ある。
これは大変だと一生懸命努力する店と、何にもしない殿様商売する店。

殿様商売の人は、
「景気が悪くてかなわんなあ。いつか景気がよくなったらそのときは設けさせてもらいましょうか。」
と思いながら20年。全然景気がよくならないことに気がついてない。

結論からいうと景気じゃない。
実際に売上が上がった時期に不景気と呼ばれ、
戦後最長の好景気というときに、売上が下がっている。

景気は何も関係ない。
景気を見る暇があったら、実際の数字を見たほうがいい。
だんだん何がおこっているかわかってくる。

[富山と金沢の比較]


富山と、金沢市を比較すると、金沢はかなりひどい。
金沢市は気が狂ったほど田んぼをつぶすのが大好きなまちで、
お店の売り場が150位まで増えている。

金沢は売り場を増やしすぎで、過当競争で、値下げ合戦で、値崩れしている。
売り場効率は、富山は100が75になって相当やばいが、金沢は63。
3分の2以下です。自滅です。
あれだけお客さんが来ているようだけど、どんどん店が潰れている。
これで観光客が来なくなったらもっとひどいです。悲惨です。
こういう金沢的無意味競争は、富山の人はやらないように。
金沢の人は懲りてないからこの時期にまだ店を増やすんです。

富山は懲りて賢いから増やすのをやめるんです。
真面目に儲からないから増やすのをやめるぞ、というところと、
何?儲からない?もっと増やしてやる!とむちゃくちゃやるところは、
私に言わせると東日本と西日本の違いだ。

[富山と東京の比較]


東日本の代表選手、東京23区と富山を比較しても、富山の勝ちです。
東京が本社の通販、楽天なんかも全部東京に入るんですが、富山が98で東京90。
なんで有楽町の西武が閉まるかわかります?
この10年間、20年間、東京でどれだけデパートが閉まったか知っていますか?
有楽町のそごう、池袋の三越、新宿の三越、
日本橋の東急、上野の京成百貨店、次々閉まって二度と復活していない。
東京にあったでっかいスーパー、忠実屋など影も形もない。
「東京元気で田舎が死んでいる」というケースと違うでしょ。

これは全お店の売上も公共の商業統計で取れるので、
私が言おうが言わまいが事実だし、これは基本の「き」ですから。
みなさんが聞いている「東京が元気だ」という話の方が、
一部の話を誇張しているわけです。

富山だって総曲輪フェリオが出来たじゃないですか。
あれだけ見れば富山は元気になったわけだし、
実際グランドプラザでは、あれだけイベントを一年中やっている施設はないわけですね。
イベントに行ったら富山は死んでないどころかこんな元気な人たちがこんな面白いことを街中でやっている。

さっき聞いたら、ワインをみんなで飲んで、ラーメンとか、
子どもが床に絵を描きまくるとか。あんなすごいことを東京では誰もやっていませんよ。

東京が元気なら日本経済がこんなデフレだ、不況だってなるでしょうか。
東京は失われた20年から一回も復活してないのです。
金沢も富山も90年代に一旦復活しているのです。
ところが東京はずーっと落ちているのです。

東京に住んでいる人は、日本中全部が駄目だと思っているのです。
東京が一番なのに田舎が出来るわけない。
一番栄えている東京が20年だめだから田舎もそうだろうだと。

正月にニュースも見ず、チェックもせず、
桜島では雪が降って富良野では降っていないという事実を確認していない人と同じわけです。
決め付けている人は不勉強です。不勉強とは省力化、手抜きしているのです。
手抜きしている人を信じてはいけない。
 

[東京はコンパクトシティの先駆者]


ちなみに、今東京ではコンパクトシティ化が進んでいる。
東京は基本的に自由競争のまちでして、企業が物を決めています。
東京の企業はとっくのとうにコンパクトシティに向かっている。だれも新宿に新規投資をしていない。新規の商業投資は東京駅銀座周辺にしかやっていない。
いくつもいくつも残らないとみんなわかっている。
オフィスも丸の内あたりにみんな集まっていて、その流れに逆らってなんとか港区あたりを守ろうとしているのが森ビルグループです。
どんどん地区経済が縮小していく中でなんとか中心だけでも元気にしていこうという方向に自動的に走っちゃっているのです。企業ですから。
ところが富山は企業が郊外を大好きですから。ますのすしの観光工場にしても何にしても全部外につくってしまう。当然です。まだ富山は売上がそこまで落ちていないから。

[富山の人口に何が起きているのか]


みなさん、富山で何が起きているか。
5年前と5年後の比較で、何が起きているかということを、
社会保障人口問題研究所予測でお示しします。

この予測は国の予測です。厚生労働省の予測です。
ちなみに甘いので有名ですが、ホームページで全市町村とれるから便利なのです。
富山市では5年前と5年後の10年間では13000人、人口が減る。
このペースで行くと100年で人口が3割減る。かなりゆっくりとした減少です。

問題は、その中から、15歳から64歳だけを取り出すと3万人減少です。
全体で13,000人しか減っていないのに、現役が3万人減っているということは、
子どもが増えているわけではない。お年寄りが増えている。

このペースで現役が減り続けると、100年後には現役世代がいなくなる。
このペースは10年で1割減る。20年だと2割。30年で3割減る。
3割減ったら、税収がその分減る。富山市内のお店の売上も相当落ちる。
子どもはこのペースでいくと60年くらいで無くなる。

反対に、富山では10年間で高齢者が3割増える。
高度成長期に就職した団塊の世代が富山には沢山就職している。産業が多いから。

65歳はものを買わなくなるけど元気なのでまだ良い。
75歳以上になるとさすがに病気になる人も増えてきます。3割くらいは介護を受けています。

この10年で、富山市内で75歳以上が14000人増える。要介護の人が4~5000人増える。
ということは訪問介護ステーションを100箇所、
ヘルパーの人を1000人単位で増やさないといけないのです。でも、そんな予算ないのです。

森市長が前からおっしゃっていますが、
富山の介護職員がどこで時間を使っているか。喫茶店ですか?違います。
勤務時間の9割がなんと運転する時間なんです。

皆がちらばって住んでいるために、5割くらいはお世話する時間に使わなきゃいけないのに
9割運転時間にとられて効率があがらない。コンパクトシティの正反対。

日本一広く郊外に人が散らばっているところで、
ちゃんとした介護支援をしようとすると難しい。

そういう観点から、もう少し集まってほしいと。
今のままでは富山ではとてもじゃないけどもちませんよというのが明らかになっている。

病院もパンクします。孤立老人が、家に帰れず、
療養病床を占領してしまう現象が全国で発生している。富山でも起きてくる。

[東京も勝ち組ではない]


東京では、この10年間に、首都圏人口が72万人増えます。
100年で人口が2割増。堅実な増加です。

ところが、15歳から64歳では140万人減ります。
東京はやばいのです。ものすごい勢いで現役が減っている。

もっと言えるのは現実に起きているのにも関わらず総人口が増えているので、
すべての間抜けな人たちがこの事態に気づいていない。

仮にこのペースが続いたら、
150年で首都圏3500万人地域の現役世代がゼロになっちゃうんです。
富山と対して違わないのです。
すごい勢いで東京の現役世代が減っているのです。これが日本最大の課題なのです。

これを前提としないで、景気さえ良ければなんとかなるということを、
日本の問題は尖閣諸島と景気だけだ、みたいなことを毎日テレビで流している。馬鹿げている。

東京はお子さんもいなくなるんです。だれがそれを補うくらい増えているのかというと65歳以上なのです。
65歳以上の方がこの10年間に269万人増えるのです。
増え方のペースが45パーセント以上で、アンコントローラブルなのです。
 

[鶴岡市と佐賀市の違い]


山形県鶴岡市では電車が機能していないにもかかわらず、
市民病院を住民投票で街の真ん中に作った。
当たり前だけど巨大な駐車場も作った。
結果、皆がだんだん病院の周りに集まってくる。

逆に、佐賀市は拠点病院が田んぼの真ん中にあります。
お年寄りは、1時間に1本のバスで、佐賀駅のバスセンターに集まり、病院行きのバスをまた待つ。
前市長はそのことに気づいて、このバスターミナルをキレイにして治安をよくして、
コンビニを作って常に人がいる体制を作ったのですけど、
そんなことなら最初からここに病院を作っておけばよかったと後で気づくのです。

この郊外になぜ作ったか。理屈では車で行けるから。実は、この地区の議員が有力だった・・・。

[車が運転できなくなる時のコンパクトシティ]


結局、車社会だからと変な言い訳を言い出しても、
東京と違って富山は市街地に渋滞がありません。
どこに作っても車で行けるのです。

であれば、病院機能も街に作って、バスでも自家用車でも、
どちらでも行きやすい事が大事なのです。

今は東京を筆頭に、まちのなかには皆が暮らしやすい色々な機能がなきゃいけないと思っている。
みんな最後の10年は運転できなくなるのです。
そのときに、車をいざ降りてみたら動きがとれないまちにいると非常に不幸なのです。

車でも快適だけど、車無しでも非常に快適であるようにしておかなければいけないのです。
それがコンパクトシティです。
 

[団塊世代の高齢化が問題]


日本が一番元気だったバブル時代というのは、
団塊の世代が40代前半で、そのお子さんが中学生、高校生、大学生でした。
若者と中年手前が多かった時代です。
75歳以上の人が600万人弱でした。

それが20年間で、一番数が多い団塊世代が60歳を超えてしまっているのです。
これは、少子化がいけないという話ではありません。
高齢層がどうなるかということが大事なので。

ありていに言うと、今の60代70代が元気に大往生できれば子どもは増えます。
見ていて大丈夫だとわかれば。
のたうちまわって悲惨なことになると子どもを生むのを止めようと、こうなるのです。

頼むから、少子化の話ではなく、高齢化の話をしましょう。
10年後、団塊の世代は、ほとんど亡くならずに75になります。
20年後はさすがに死ぬかというと死なないのです。7割以上残ります。
その結果、30年後には日本には85歳以上が1千万人超えるのです。

今の時代が「車に乗れる時代」だとすると、
このノリでまちづくりをやると数十年後には機能しなくなる。
コンパクトシティをやるべきかやらないべきか・・・、べきの話じゃない!

やらないと滅びていくのです。

[団塊世代の存在が世の中を変えてきた]


今の都市計画はバブルよりずっと前(40年位前)に作られたのです。
今のようにお年寄りのことなんて考える必要ないのです。

当時は団塊世代の子どもの生み始めです。
この世代は親の数の倍生まれているのです。
だからさらに、どのくらい生まれるかわかったものじゃない。
どんどん市街地を拡張するしかないと広い絵を描いたのです。

ところが団塊世代のお子さんは団塊世代より数が少なかった。
更に、団塊世代は全然減らないので、それをみてお年寄りの世話が大変だねと、
子どもがさらに減っていくのです。

子どもがいつ増えるのかというと、これらが全部いなくなったあとです。
我々がいなくなり、軽くなってから増えるのです。
経済というのは、生物というのはそういうことです。

我々が死んでいなくなったころに、
ちょうど世の中が人口半分くらいの適正規模になります。
日本は小国になるというが小国じゃない。大国です。ドイツ並み。
その頃でもドイツより多いのです。世界で10本の指に入る大国のひとつです。

ただ、我々が今考えなければいけないのは前時代に作られた色々なしくみが持たないということ。
特に戦後に2倍に増えてきた15歳から64歳がこの10年間に500万人も減ってきた。
ものすごい勢いで減っていく。

このことによって家やオフィスがバンバン空いていく。
事実として受け入れるしかないのです。
外国人を受け入れろといいますが、
これは外国人を受け入れるという前提のデータなのです。
実際は外国人はそんなに来ないからもっと減るのです。

[団塊世代の多子化と消費の激増・激減]


少子化ではなく、子どもが多すぎただけ。
団塊世代が多子化していたのが、社会にあとあと大きな影響を及ぼしたのです。

働いている親の数に比べてあまりに子どもが多すぎる。
平均4,5人兄弟です。
そうすると、常に社会に出る子ども若者を受け入れきれず色々な問題が起きるのです。

これまでの社会では、生まれて30歳を超える人が半分、
60超えるのは4分の1で、途中で半分なくなるというのが前提で4,5人兄弟だった。
これがクロマニヨン人全員のセオリーだった。

ところがその歴史を塗り替えたのが団塊の世代と戦前生まれだった。
この人たちが途中で死ぬというのを乗り越えて全然死ななかった。
日本が健康で文化的なことの効果だった。

その結果としてだれも途中で亡くならないので、
4,5人兄弟がいらなくなると気づく。2人兄弟でいいじゃないかということがわかった。
だから団塊のお子さんは2人兄弟なのです。

本来だと半分が亡くなる前提だった4,5人兄弟の団塊世代がほぼ全員残って生きたことで、
日本に史上空前のラッキーが起こります。

つまり彼ら世代が現役の間は、社会の度を越えて税収が増え消費が増える。
特にそのラッキーが最大になったのが80年代。
彼らの親以上に数が多いわけですから、2人に1人は家を買わなければならない。
家が空前に売れるのです。日本全体がものすごく景気がよくなった。

その後は2人兄弟に戻っているので家が売れないのです。
親からもらうから。景気が良かったから家が売れたと嘘を言う奴がいるが、それはでたらめです。

[明治以来3度目の大転換]


今の時代に起きていることというのは、
世の中の前提がひっくり返ったと考えるべきです。
日本市場で言うとこの150年間で3度目の大転換です。

明治維新の時にはそれまで日本は外国と一切関係ないことを前提に国内で秩序を作ってきました。
完全に形式化していたけど身分差別があって、戦うのは武士だけであって、
異国はとりあえず打ち払って置けばいいとなっていた。

ところが明治維新の手前でそれでは無理だとなった。
向こうは産業革命をやっていて、
武士では戦えず侵略されるかもしれないということがわかったので、
必死になって市民平等ということをやって、
大変な犠牲を伴いながら武士を廃止し軍隊を作った。
それが一回目。

二回目は戦争の時には軍隊さえ作って侵略さえしてればいいのかと思っていたらそれは違って、
それは意味がなく周り中、敵に回して自分が滅びるということがわかった。
そこで自動車や電気製品を作る時代に変わって、それは大成功をおさめます。

三回目の転換がここです。
明治維新以降3倍に増えてきた人口が伸び止ってどんどん減っていく、
そのなかでお年寄りだけが増加していく。
これをなんとかしてやりすごさないことには次の目が出てこないわけです。

[日本は試練の時]


団塊世代の人たちのおかげで日本は世界最大の豊かな国に育ったのです。
その人たちが年取った途端に、はい「さようなら」というわけには行かない。
そんなことをするとみんな自分もそうなると思って、
だれも怖がって子どもを生まなくなる。

ということで、一回目は産業革命を達成した西洋の脅威。
二回目は現実に軍事から経済に世の中の流れが変わった。
軍による侵略が一番儲かるやり方じゃなくて、
フリートレードで競争力が強い産業を持たないと生き残れないと気づいて乗り換えたのがそのやり方。

日本は真似ばっかりでチャレンジしないというけどそんなことはありません。
明治維新の時には西洋人以外で産業革命した人はなかったのです。
侵略の危機にあるなかで逆手にとって相手の国を勉強してやり遂げたのは誰一人なく、
出来ることを証明した。

フリートレードのなかで工業製品を売って
世界から資源のない国が食っていくというのは世界で最初に日本がやっている。
世界で最大、最初のチャレンジを日本がやった。

三回目は高齢化。世界にさきがけて一番初めに起きてしまった。
世界で一番平均寿命が高いのですから。
みんなが長生きするなかでどうやってこれを持たせるのかという
誰もやったことのないチャレンジをするのです。

[富山の現状のまとめ]


30年前、富山県民の75歳以上は4万人です。
これが今は15万人で4倍です。
この間病院や福祉施設を崩壊もせずちゃんと維持している。
深刻なのは現役の減少です。

30年前は47万人いたのがもう37万人。10万人減っている。
当然、お店の売上は下がります。
これを不景気だ不景気だといっているから解決にならない。
ちなみに更にこれから20年間にもう10万人減る。だんだん加速していく。
こういうことに富山はどう対応していくのかということです。

首都圏も同じ。違うのは現役の減り方が少し緩やかです。
お年寄りの増加はいつまでたっても止まりません。
75歳以上が2倍に増えます。今現役100に対してお年寄り31 。富山が39です。
富山は今から10年前が29でした。すでに首都圏は10年前の富山の水準を抜いています。

あとは、どっちがこの状況に良く耐えて、住民がハッピーかという話です。

日本は国際競争に負けているとか関係ない話ばかりしていますが、
人間が年取っているだけなのです。
国際競争は勝っていますのでどうでもよろしい。今後とも勝ち続けるので全然関係ないです。

労働力はいらないです。消費者が足りなくなるだけなのです。商品が余っているのです。
あとは莫大な貯金があるので、それが県内で回るかどうかを考えればいいのです。

[戦後の常識は非常識になった。]


コンパクトシティとは何かと言う事なのですが、
戦後日本では都市計画区域を拡大して田んぼをつぶしてきました。
開発さえすれば人口が増えると信じる高齢者が多い。
こんなことは信じちゃいけない。
高齢者は人口が増えてきた時代しか知らないのでそういう風に思っている。
人口が増えたから起きたことだ。

日本では車が売れなくなっているが、志向の変化ではない。
必需品ですから。車に乗って動いている距離が7年連続で減っている。
高齢者が増えて現役が減っている。
車に乗らなくなると古くならないからますます売れなくなる。

逆に、4年前から2年前にかけて電車に乗る人が増えている。
戦後初めて。電車に乗る人が増えて車に乗る人が減る。
まさに戦後の常識がひっくり返り始めている。

事実、皆さんもどうですか?
ポートラムがまさか富山港線の二倍も乗るとは思っていなかったでしょ。
こんな超車社会の富山でだれが電車に乗るのかと、
観光客は3ヶ月くらいしたら来なくなると思いません?
ところが、そういうことが起きちゃっている。

人間が歳をとると人口と車が増えなくなってしまう。

[コンパクトでないと財政破綻する。]


コンパクトシティとはどういうことか。

中心商店街が元気なこととは違う。
古くからあるまちが、新陳代謝があって維持されているのがコンパクトシティ。
新陳代謝があるというのは、やる気のない店は早くやめろということ。

店が入れ替わって、住んでいる人も新しい住人が入ってきて、
維持されるというのがコンパクトシティ。
中心商店街が賑わっているとかの見かけの話ではない。

他方で、これ以上郊外開発をしません、というのがコンパクトシティです。
時々勘違いをして、今ある郊外の家をつぶして
中心に強制移住するのがコンパクトシティだと言い出す人がいますが、
それはナチスやスターリンではあるまいし、
人口に見合った広さの土地しか使わない、
土地を使い捨てしませんよ、
というのがコンパクトシティです。

これまでの土地の使い方というのは土地の使い捨てなのです。
人口が増えない時代に新しく団地をどんどん作れば、
今までの団地が捨てられる。狭い日本で土地の使い捨ては止めましょう。

農山村を撤退して市街地に人口を移すというのは違う。
郊外の農山村はみんな幸せに暮らしていていいのです。

農村と市街地の間に、中途半端な、コミュニティもない、
孤立老人がこれから激増しそうな、極めて中途半端な虫食い状造成地が大量にある。

富山市内でいうと、インターを降りてから市内に向かっていく間に、
赤と黄色と青ばかりのとんでもない汚いまちが広がっている。

ああいう中途半端なところの人をゆっくり減らし戻していく。
本人が引っ越さない限りは動かないわけですが、
これ以上増えないようにして、市街地と郊外集落の基幹的集落に
なるべく人が増えるようにするということです。

これを富山市長は串団子方式だと言っていますがこれは言いえて妙でして。
たくさんの団子があって市街地はその一つです。

なぜコンパクトシティにしないといけないのか。
中心市街地を大事にしましょうというわけではない。
道路と上下水道の負担でまちが破綻するのを防ぐということ。

人口が増えていないのにどんどんと道路と上下水道を増やしていくと確実に財政破綻する。
これを市民は全然意識していない。

富山市の膨大な量の道路とその下にある上下水道ってだれが負担しているのか。だれが直しているのか。
100年も200年も持たない。30年くらいの間に修理しないと全部だめになる。

だから大変な額の税金を投入して直していかないと、
50年後には富山市は荒野になってしまう。ものすごいお金がかかっている。
道路も定期的に直していかないと通れなくなる。橋は落ちます。
そこに莫大な税金がかかることをまったく無視している。
人口が増えないのにどんどんどんどん道路をひいている。そういう街では確実に財政破綻します。

日本の財政破綻の原因は2つしかない。年金と道路です。

道路補修を止めると、橋が落ち、人が死にます。
作っちゃった道路を止めるのはとても難しい。
結論は明らかで、今以上に道路を作らないこと。
今ある必要な道路を補修して橋が落ちないようにすること。

あくまでもお金の話です。市民の税の話です。中心市街地のおっちゃんが儲けるためではありません。

[メリハリのある街が必要だが、超高層マンションはダメ]


じゃあ中心市街地にマンションを作りまくるぞというのは止めてください。
どんどん人口が減っているんで、マンションは作らない方がいいです。
どうしてもつくりたかったら10階建て以下にしなくてはいけない。
いわゆる超高層は作らせてはいけない。

超高層というのは窓が基本的に開かないので換気は管でやります。
水周りはポンプアップしなければいけない。難しいシステムです。
水周りと空調に大変金がかかっています。

水周りは30年に一回補修しないと錆びてめちゃくちゃになってしまう。
空調は15年に一回くらい徹底的に掃除しないと詰まって換気できなくなる。

赤坂プリンスはやってこなかったので、壊した方が安い。
超高層マンションでも同じことが起きる。
だから超高層マンションは作っちゃいけないとみんな言っている。

ゼネコンとか不動産関係者で、自分が超高層に住んでいる人はほとんどいないんです。
余計な建物は建てずに平屋でいいんです。

コンパクトシティは、ファッショナブルな商業を作るのとは違う。
狭い範囲、歩ける範囲で暮らせる区間を作る。
そしてその一歩出た瞬間にものすごく水緑がきれいな、
コンパクトにぎゅっとよっていて、その外側はめちゃくちゃきれいにする。

寄るところに寄っているという状況を作り出し、
周りのところはすっきりと建物がないよという空間を作り出すことを
コンパクトシティという。

これは別に富山市街地だけでなく八尾市街地でやってもいい。
そういった場所が20箇所30箇所あっていい。

人口密度が一定程度高くて、
なんとか公共交通機関が成り立ちますという状況に持っていく。
そうしないと車に乗れない人が増えたときにどうしようもなくなる。

公共交通機関が成り立つには
1平方キロあたり4000人くらい住んでいなくてはいけないんです。
今富山では2000人くらいですから、
これを4000人くらいまで持ち直すことによって成り立つんです。

富山の市電が黒字なのは、富山は全てが郊外化したけど唯一郊外化していないのが高校。
高校と大学が市電の沿線にあと。だから市電が残った。

同じように家とか病院が市電の沿線に集中してあれば、市電はもっともっと黒字で残せる。

[個性的な街が大事]


まちなかの写真を見ただけで富山だとわかるような個性的なまちなみを作ってほしい。
見た瞬間に東京の成れの果てがスラム化したみたいな町を造るのはやめてほしい。

富山市内ではいたち川と松川です。特に桜のシーズンは分かる。
グランドプラザに行ってイベントをやっているのを見ると、これは富山の活力だなと思う。

日曜日の大手市をやっている市民プラザ前を歩くとああこれは富山だなと思います。
見て、富山だとわかるものにしてもらわないと、
他のところは殆どどこかの田舎町が粋がってみましたということになるのでやめてほしいです。

こういう路線から金沢駅のガラスドームを大批判したわけです。
まち側から見ると金沢らしい門が建っているけど
駅側から見ると門が見えなくてただの東京になりたかったまちにしかみえませんよと。
恥ずかしいからやめて、逆でしょと。

金沢にいて東京に出られなかった人のコンプレックスが爆発したまちですねといったら財界人に嫌われた。

[東京の一番人気は吉祥寺]


東京の人に人気のある街は、投票をすると必ず一位になるのが吉祥寺の西側のエリアです。
この街の、特徴の第一は、建物の高さが3階建てに統一されているところですね。
空き地も許さないし、4階建ても許さない。
だから地価も高いです。

特徴の2番目は緑が多いことです。
吉祥寺は全部に人が住んでいる。みんながそこでピクニックしている。

富山でそうならないのは市街地に人が住んでいないから。
松川沿いに住んで桜を家から見るというのも良いと思いませんか?
川沿いに住むというのも富山らしいことだと思いませんか?

三つ目に店に大きな特徴がある。
それは吉祥寺だから出来るという面があって、例えば「ワタミ」が無い。
「笑笑」が無い。マクドナルドもローソンも無い。つまりチェーン店がない。

ほぼ全ての店が、個人がやっている店ばかりで商店街の原点です。
やる気のある商店街の人が個性を持ってやっている店ばかりです。

ファーストフードの店をやっちゃいけないとか
コンビニを入れてはいけないというルールがあるわけではない。

ないけどそんなものをいれなくても個人で個性ある店をやったほうが儲かるし、
住民がそのことを支持している。
これはすごく、コンビニや居酒屋やファーストフードをやっている人に対する強烈なパンチです。
彼らがいないことがこのまちを人気ランキング一位に押し上げちゃっている悲しい現実をどう思うのか。

実際、僕らはコンビニに良く行きます。
吉祥寺も駅前に行けばいろいろあります。
でもやっぱり、コンビニが無いまちのほうが色々おしゃれだねと思っちゃうのです。

いわゆるあたりまえの、
全国どこにいっても同じデザインで統一された看板がないということが
すごく大きな魅力になるんです。
そこで生きているひとの暮らしが見えるでしょ。個性がはっきりしています。

コンビニがいらないといっているんではないです。
デパートもすぐそこにあります。
ただこの通りくらいはおしゃれな、
日常でありながら非日常である、
日本じゃないみたいなヨーロッパみたいな空間になっていてうれしいねという。
これがコンパクトシティなのです。

この範囲内に学校もあるし病院もあるし、
家に住めて店で用も足せて古い魚屋からスーパーから全部あるわけです。
コンビニに行きたければちょっとはずれればあるんです。
よーく見ればコンビニも一つだけあるんです。目立たないように。

コンパクトシティの意味。

コンパクトシティというのは、
おしゃれとかファッションとか大型店があるというのではなくて、
住宅・業務・公共・商業機能が狭い範囲で集積し、
歩いて暮らすことの出来る都市集積であって、
かつそのすぐ横に緑があって水があって楽しめて、
おらがまちの摩天楼ではなく中低層で空き地が埋まって隙間がなくて、
人口密度がある。
そしてその土地らしい個性があるまち。
その地域らしい生活が見える。

これがコンパクトシティです。

どうして吉祥寺が他のまちではつくれないのか。
東京だってみんなやればいいのに。
なぜそうなってしまうのか。

人口がどんどん増えていったので、
三階建てで建築規制をかけるなんてどこもやりたくないわけです。
だから東京中どこもマンションが建ってしまってまちが汚くなる。セットバックするしね。

吉祥寺の通りは車も入れるけれど、
あんなに混んでいるところを車で行くと大変だから入ってこない。
グランドプラザであんまりタバコを吸っていないのという話と同じ。
なんとなくみんなが吸ってないから自分もやめようと思う。そういうことが大事。
ルールで決めるよりもみんなが遠慮する方が大事なのです。

日本では街中でいきなり歌を歌いだしてはいけないという法律はないし、
人ごみで携帯電話をかけないというのも法律で決まっていない。
マナーとしてやらないだけです。

だめなまちだと、歩行者中心の車路でぷっぷーと鳴らすやつがいますけど、
これは終わっている。
車が通っても良いけど、歩行者どけと言ってはいけない。
遠慮しながら通りなさい。

法律で決まっているわけじゃないけどみんなでなんとなくそうなっているということが大事なのです。

地権者は土地さえ持っていれば儲かってきたので、
なにもせずとも今のままでも儲かると思い続けているのです。
吉祥寺は地主がお寺なのです。儲けなくてもいいのです。
地主が儲けなくてもいいので3階建てでいいのです。

そういうやり方をしているうちに、3階建てを守った方が価値が上がると分かってきた。
規制することによって価値があがり儲かるということを吉祥寺は自然に勉強したのです。

[総曲輪はなぜダメか]


ちなみに総曲輪がいつまでたっても栄えないのは何故かというのは地主の問題です。
あれだけ客が来るようになってフェリオががんばっているのに
合わせた内容で店を入れ替えない人たちだと。

グランドプラザでイベントをやっているのに平然とシャッターを定休日で閉めちゃう人たちです。
これは地主の問題です。

富山の商店街でも散々講演していたけど、だんだん呼ばれなくなった。
彼らは、今のままで良いから世の中が変わっていくよという天動説で、
そういうことをきれいに話してくれる人を呼びたがる。
まあそういうコンサルもいるわけですが。

実際は、世の中はあなたたち中心には変わりませんからね。
あなたがたが変わらなければ変わらない。

[終わりに・・・]


コンパクトシティ実現の鍵は人口が減るということを分かる、ということです。

だから早くみんなで高さ制限をしましょう。
スカイラインをきれいにそろえましょう。
そして早く値段を下げて郊外開発を止めて、
中心市街地に早く家を増やしましょう。

そのための土地は買って開発するのではなくて借りて開発してください。
大和跡地に対してもそうです。
貸して吉祥寺みたいなまちを作らせて、全体をバリューアップして儲けるのです。

郊外をこれ以上開発する時には道路建設費を地主から徴収すべきです。
郊外地権者の要求通りに道路を延長し開発地を拡大するんじゃない。
中心市街地と基幹集落に居住・業務・教育・福祉・交流機能の再集合を50年かけてやっていく。

富山はこれをコンパクトシティと言っているが、
もう一言付け加えると、コンパクトシティ & タウンズ です。

シティ&タウンズ。イメージは星雲です。
ガス状星雲のベターっとした感じではなく、
きらきらと星が輝いて、
真ん中に大きい星もあれば月も輝いている、
そういう星雲であります。

やろうと思えば必ず手に入る。
コンパクトシティ&タウンズ &ビューティフル田園なのです。

そういったものが必ず出来ると思っております。

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